貴族令嬢は我が道を征く その③
腹を穿たれた美玲は、その激痛に耐えながらエレーヌの来ている重鎧の首元に触れる。
その金属の冷たさは焼け石に水で、美玲の体の芯から生まれる熱さは美玲の体と心を支配していた。
──希望を忘れたエレーヌは、希望論を話す美玲を刺すことでハッピーエンドを断ち切った。
彼女の自己犠牲精神は悲鳴を上げながら、美玲を殺すことに一意専心するだろう。
だからこそ、エレーヌは美玲を刺したのに、美玲よりも辛そうな顔でその行為を謝罪した。
──戦闘、開始。
「目ェ、覚ましなさい!」
美玲の、腹の底から出されるその言葉は拳となってエレーヌの鎧を付けられていない顔を襲う。
だが、エレーヌは美玲の拳を甘んじて受け入れることもせず無機質に美玲のことを左手であしらい、地面を転げさせる。
美玲は、背から腹からその血をばらまき、その軌跡を描く。
彼女は2人の戦場となる一室の壁にぶつかりなんとか動きが止まる。
「とりあえず、回復を……」
美玲がそう口にすると、インベントリからHP回復用ポーションを取り出してそれを飲む。
ポーションが逆流しそうな不快感があったが、それをなんとか抑えて飲み込むと風穴を開けらた腹が埋まっていく。だがしかし、回復ポーションじゃ完治までは至らないのかそこには鮮やかなピンク色の肉で補強されるような形で修復が終わっていた。
「これじゃ、海でビキニを着れないじゃない。どうしてくれるのよ」
「──すまない」
「その謝罪にはもう飽き飽きしてんのよ!」
美玲がそう吠えて、腹の痛みの残滓が残る中でエレーヌの方へと突っ走る。
「──歯ァ、食いしばりなさいよ!〈覇拳〉!」
美玲の拳が炸裂し、エレーヌの着ている重鎧を破ると、露わになるのは黒いギャンベゾン。
「──ッチ、鎧を壊せただけいいとするわ」
美玲がそう口にすると、そのまま後ろに大きく飛ぶ。未だに腹に痛みが残る中で、美玲は辛そうな顔をしているエレーヌのその顔を捉えたまま、次のチャンスを伺う。
「──やるなら、アナタもしっかりやりなさいよ。ワタシはアナタを殺す気でいるのよ」
「わかってる。それを私が糾弾するべきではないことは知っている。私は……」
そこまで口にして、言葉に詰まるエレーヌ。何か言いたいことがあるのだろうが、その言葉を口に出せない葛藤があるのだろう。
「何?今更ワタシの腹を突き刺して後悔してるとか言わないでよ!ポーションで致命傷は免れたけど、完治はしてない!アナタのことを許してないんだから!」
乙女の体に傷をつけた代償が大きいのは、エレーヌだってよくよく承知だろう。だって彼女は──。
「来るなら本気で相手をしなさい!ワタシかアナタ、どちらかが死ぬまでの勝負でしょう!」
「──」
「悪を演じ続ける決断をしたなら、悪を貫きなさい!野望を、本心を隠し通すのがノブレス・オブリージュなのでしょう!」
「──そうだな。すまない、私が間違っていた」
エレーヌはそう口にして剣を持っていた右手に力を込める。敵に塩を送る美玲は、それでこそ勝負だ──と言わんばかりに、ファインティングポーズを取る。
拳闘士と剣闘士。
現実世界であれば勝負にならないような武器の有無だって、ゲームの世界では別だ。
「──〈表裏一閃〉!」
エレーヌが美玲の方へと急接近して、その剣を縦に振るうけれど美玲はそれを見極めて流水のような動きで横に回避する。
「──」
2人の視線が交錯し、エレーヌがその喉を鳴らす。美玲の攻撃に鎧が一度のみ耐えられることはわかっていたが、できれば美玲の次のことを考えると攻撃は食らいたくない。
──勇者一行に寝返る未来を捨てた以上、志半ばで頓死するのが最も最悪な終わり方だ。だから、美玲の攻撃を回避したいのだが──
──エレーヌの足は、鉛のように重くなって動かない。
「〈叢時雨〉!」
回避行動が取れないまま、美玲の拳が横腹に吸い込まれるように放たれて、エレーヌの纏っていた重鎧が跡形もなく破損し、エレーヌ自身も壁の方へ吹き飛んでく。
彼女が来ていた鉄の重鎧は美玲の拳により破壊されたけれども、その反動により美玲の右腕も使い物にならなくなる。この腕の損傷は、HP回復ポーションを飲んでも回復せず、治すためにはAランク以上の回復魔法が必要だ。だけど、美玲は魔法杖を持っていないので回復することはできない。
それ故に、左腕だけでエレーヌを対処しなければならないのだが──
「──私の負けだ。今の一撃は効いた」
そう口にするエレーヌは、壁に腰を勢いよく打ったのかその場によりかかるようにして座っている。
彼女は右手で剣を握り、鎧が壊されただけなのにもかかわらず戦意喪失しているようだった。
「──どうして。まだ戦えるじゃない」
「いいや、もう限界なんだ。心も、体も」
「──ッ!」
そう口にすると、彼女は剣を手放して黒いギャンベゾンをめくる。すると、見えてきたのはエレーヌの小麦色の肌──ではなく、大量の古傷により赤く変色していたボロボロの体だった。
「汚い体だろう?笑ってくれ」
「そんなの──」
これまで彼女は、何度の死線をくぐって来ただろうか。貴族出身と言われても信じられないほどの古傷は、エレーヌの努力の証だろう。
「今の拳で、体中の古傷が開いた。だから、もう動けない」
「──諦めるの?」
「──え?」
「そんな舐めた口利くと、アナタの仲間の死体を踏み躙るわよ」
「──」
美玲のその言葉を聴くと同時、エレーヌが自分で「動けない」と公言した体が美玲の方へと動き出す。
体のあちこちから血が溢れ出ながらも、美玲の言葉に反応したエレーヌには関係ない。
美玲の首を正確無比に狙うその剣は、美玲に回避を許さず──
「──〈超新星爆発〉」
美玲は、迫り来る剣を左手で殴り、空気を震撼させて爆発を引き起こす。それに巻き込まれるようにエレーヌの手は爆裂を直接食らって、そのまま剣を落としてしまう。
「──」
美玲がエレーヌが何より大切にしている仲間に危害を加えるという言葉を理由に、エレーヌの本気の一撃を引き出しそれを防ぐことに成功する。
エレーヌのボロボロの体は、もう既に動けるものではない。
美玲に寄りかかるようにドサリと倒れたエレーヌは、体重のほとんど美玲に委ねながら言葉を紡ぐ。
「ミレイにその剣を託す。私がアレンから貰った最初で最後の贈り物だ」
「──わかったわ」
美玲はそう口にすると、エレーヌの剣を拾いそれを手に持つ。先程まで自分の体に突き刺さっていた剣を握るのはなんとも言えない感覚だったが、友であるエレーヌのお願いだ。断ることはしない。
彼女の言葉の意味はわかっていた。それは、この剣でエレーヌを殺せという最期のお願い──。
「『親の七陰り』のことはワタシに任せて。悪いようにはしないから」
そんな言葉を聴くと、エレーヌは優しく笑みを浮かべる。そのキレイな笑みを保ったまま、彼女は自分の胴体と永遠の別れを告げたのだった。
「──さ。魔法使いの誰かと合流してこの右腕を治してもらわないと」
美玲は慣れない手つきで刀を鞘に納める。そして、その鞘を器用に片手で腰に巻き付けた後にその戦場を後にした。
2人の戦いは、拳闘士であり剣闘士にもなった『負けん気』竹原美玲の勝利である──。