空を揺蕩う金魚の襲来 その③
もうすぐそこまで迫ってきていた、悠々自適に空を泳ぐ1匹の巨大魚───鯀。
勇者一行を前にしても全く動じないのは自らが強いと自覚しているからなのか、それとも顔を覆い隠している巨大なビニール袋のせいで前が見えていないからなのか、もしくは自分と敵対する人物だと思っていないからなのかはわからない。
───が、現在鯀が皇斗と美緒・誠の3人に弓を引かれて狙われているのは紛れもない事実だ。
3人は、呼吸1つを整え、頭の頂点から爪先にいたるまでの全神経を統一し集中させ、目の前の鯀に最高の一発を与えるための準備をしている。
もちろん、この弓矢1本が当たってくらいで鯀が討伐できないのは重々承知だ。
矢の1本や2本で龍種である鯀が倒せたというのであれば、『技術的特異点』と言う二つ名で恐れられてはいないだろう。
───狙うは、鯀のエラだ。
大きな鰭をゆったりと動かし、雄大な空を泳いでいる鯀であるが、必ず弱点になるであろうエラは存在しているのだ。
どんな生物でも呼吸はしている。それは龍種でも同じだ。
霊亀が呼吸をするために辛気蠟を吐き出して智恵達を苦しめたように、どんな生物でも生きるために呼吸は必要なのだ。
こうして、ビニール袋を被っていても生きていられる理由は、他の龍種とは違いエラ呼吸ができるからだろう。
「───余が合図を出したら撃て。いいな?」
「もちろん」
「わかってる」
3人が集中している状況では、誰一人として口を開かない。
猛者の話になると興奮して饒舌になる『剣聖』でさえも、静かにしている。
いや、もしかしたら鯀討伐の最初の一撃を見逃さないために集中しているのかもしれない。
───と、全員に緊張が走る中で遂にその時はやってくる。
「今だ!〈夢幻の蒼穹〉!」
「〈向日葵〉!」
「〈千射観音〉」
その言葉と同時。3本の矢が虚空を貫き、鯀のエラへと吸い込まれていくように移動する。
空を劈くその矢は、最初に美緒が放った〈向日葵〉が突き刺さり、その後に皇斗と誠の2人が放った弓矢が刺さる。誠の〈千射観音〉は、魔法で何本も弓矢を増やしているので、刺さるのは3本だけではない。
無数の弓矢が、鯀を襲う。
それとほぼ同刻、皇斗の放った〈夢幻の蒼穹〉も効果を表し、遥か遠くの天から鯀の方へ襲い掛かるのは無数の矢。
「───これだけ重ねがければ、少しはダメージになってくれるはず」
鯀のエラの部分に、雨のように降り注ぐ無数の矢。霊亀のように突き刺さらないわけではないから、ダメージは入っているだろう。
「プクプクプク...」
痛がっているのか、悲愴な声を声を上げる鯀だが、遠慮はいらない。
空を泳ぐ怪物は、多くの人間を殺して来た大量殺戮兵器だ。容赦する必要はない。
「よし、最初の一撃が決まった。僕達は早速空に行こう」
そう口にして、履いたスカイブーツを動かし空へと旅立っていく8人。
残る12人は、地上からの援助と攻撃だ。
「魔法使いの僕たちも動こう。〈風刃〉!」
「〈氷塊〉!」
「〈有刺光線〉!」
───と、純介や梨央・美沙などの魔導士部隊はそれぞれ様々な属性の魔法を放つ。
それが鯀の横腹に衝突して、傷をつける。
「よし、当たった!」
「でも、なんだか可哀想...」
梨央は、こうして一方的に攻撃される鯀に同情しているようだった。いくら敵だとは言え、金魚の姿をしている鯀は可愛く見えているのかもしれない。だけど、梨央のそんな考えはすぐに消え去る。
───それは、聴力が消し飛ぶような爆音と、視界を覆いつくす水飛沫だった。
「───何が」
咄嗟に耳を塞ぎ、生命の危機を間近に感じた梨央はふとその場に跪いてしまう。
スカイブーツを履き、空中に身を投げ出していた勇者一行7人は、下から襲い掛かってくる巨大な質量の水に埋もれて、全身が水浸しになる。
「───クソ、攻撃しすぎたか?」
『剣聖』だけは、飛んでくる水を剣の一振りで相殺し、その体から身を守る。
この水は、海の水だ。決して、危険なものではない。
危険なのは、この海水が水飛沫となり飛んできた原因となるもの───それ即ち、鯀が棄てるように生み落としている、その四角とも楕円とも取れないいびつな形をした細長い形状の卵───最も端的表しているのであれば魚形雷水、もとい魚雷が原因だった。
「気を付けろッ!鯀が生み落としてるのは魚雷だ!少しでも刺激を加えると爆発する!」
咄嗟に、『剣聖』は他の勇者一行に忠告する。『剣聖』がいても、勇者一行に攻撃されても悠長に空を泳いでるのは強者の証だ。身を守る術があるからだ。勇者一行をいとも簡単に駆逐する術があるからだ。
「魚雷って、こんな強力なの!?」
「あぁ、こんな強力だから僕たちがここで食い止めに来た!水際対策、背水の陣!僕たちが最後の砦だよ!ここで負けたら、商業都市アールは火の海だ!」
そう口にして、『剣聖』は空中を走るように移動して鯀のエラの方へと向かう。が───
「「ウオー!」」
そんな掛け声を上げて、数体の小魚が『剣聖』の方へと泳いでいく。その小魚は、まるで今すぐにでも爆発しますと言わんばかりに膨張と点滅を開始して───
「───〈変容する魂の片鱗〉」
切断。
真っ二つに切られたその小魚は、そのまま海の中へと落下していく。
きっと、斬っていなければ爆発していただろう。
「───『剣聖』、強かったのか...」
「このくらい序の口だよ。だけど、こうして爆弾を何個も生み出されると厄介だね。防御を忘れずに攻めよう」
『剣聖』は至って冷静に、そう口にしたのだった。
そんな言葉を気にしない鯀は何匹もの小魚───追尾型魚雷を生み出す。
───こうして、勇者一行と鯀の戦闘は激化していくのだった。