空を揺蕩う金魚の襲来 その①
───翌日。
第8ゲーム『RPG 〜剣と魔法と古龍の世界〜』の世界にやってきてから、ゲーム内時間で既に20日が経過しており、この世界に十分順応した智恵達20人は、ドラコル王国最強の『剣聖』の頼みで、共に龍種の1体である鯀を討伐することになっていた。
できることなら急いで栄を助けに行きたかった智恵であったが、勝手に蒼がその頼みを聴いてしまいストーリーが進んでしまったのだから仕方ない。
智恵1人で先に進んでも迷子になって余計に時間がかかるのが関の山だ。
ここは、多少遅れても皆に合わせた方が最終的にはよりよい結果になる───先人の言葉を借りるならば、「急がば回れ」というやつなのだ。
「───それにしても、こんな早起きだとは思わなかったけど」
予定を把握していた美緒に起こされたのは、午前4時。
まだ太陽が昇らない時間に起こされて、朝の身支度を終えたことには5時30分になっていた。
いつもならこの時間に栄と一緒に起床するのだが、その習慣も3週間以上前から途切れてしまっている。
「栄に会いたいなぁ...」
智恵は、己のそんな願望を口にする。栄以上に、両親とは長い間会っていないけれども、今会いたいのは両親よりも栄だ。会いたい、栄に会いたい。
栄も今は、私と同じ気持ちでいてくれるだろうか───智恵は、そんなことを想いながら皆と一緒に『剣聖』の到着を待つ。
宿の前で数分程『剣聖』を待っていると───
「いやー、ごめんごめん。待たせちゃったね。蒼を起こすのに時間がかかっちゃって」
「こんな朝からなんて聞いてないピョン、眠いピョン...」
そこにやって来たのは、蒼を連れて持ち家に帰っていた『剣聖』の姿であった。
いつ見ても美しいと感じる整った顔立ちは、まるで誰かの手で作られた創作物のようだった。
───実際に、『剣聖』はプログラミングで用意された創作物だが、そんな野暮なことは心に思ってもすぐに捨てる。
「それじゃ、早速向かおうか。付いてきて」
背負っていた蒼を地面に降ろすと、『剣聖』は踵を返して商業都市アールの東の出口の方へと移動する。
───本来、商業都市アールの東にある出入口はほとんど使用されない。
首都プージョンへと繋がる道は西に、諸外国との玄関口である貿易港のあるナール海岸へ行くための道は南に、そしてドラコル王国への北半分へと進むためには北にあるエール橋を通る必要があるものの、東にあるのは断崖絶壁。
船を止められるような場所もなく、絶崖アイントゥのような急な崖が広がっているためただ不便な場所で、そこを出入口するような人はほとんどいない。
だが、そこに出入り口があるのはドラコル王国の中で最も早く日の出が見える場所になるからだ。
そんな小さな需要の為だけに残されている出入り口を今回は使用する。
勇者20人と『剣聖』の、内実共に「実力者」として認められている面々が、商業都市アールを鯀という脅威から守るために戦うのであった。
「全く、『剣聖』ってひどいやつだピョン!」
商業都市アールの東の出入り口まで向かっている最中で、蒼がそんなことを言う。
「どうした?『剣聖』の顔がカッコいいからって僻みか?」
「違うピョン!僕はカッコいいじゃなくて可愛いって言われた方が嬉しいし、『剣聖』よりも可愛いピョン!」
怒る部分はそこなんだ───と話を聞く一同は思う。
背中に大きな斧を背負い込んでいるその姿は、一概に可愛いと言うことはできないだろう。だが、そんなツッコミを入れる暇もなく、蒼は話を続ける。
「『剣聖』の野郎、話が長すぎるピョン!僕がちょっと話したら5分くらい話を広げてくるピョン!」
「あぁ、可哀想に...」
『剣聖』は、自他共に認める猛者オタクだ。幼い子供が持つヒーローへ対する憧れを心の中に宿したまま、少年になり青年になり壮年になったような人物だ。
『剣聖』に憧れすぎるがあまり先代『剣聖』に弟子入りして、先代『剣聖』の強さを追及するがあまり先代『剣聖』を圧倒する強さを手に入れてしまったような人物だ。
そんな彼が、ドラコル王国の中でも最強でこれまで一度だって倒されてこなかった龍種を倒した人がいると聴いたなら、その話は止まりようがないだろう。
実際、『剣聖』は勇者のことを調べに調べつくしていたし、ここ20日の行動は大体を把握している。
プライバシーポリシーはゲームの利用規約にしか書かれておらず、作中には存在していない。だから、『剣聖』はこれでもかと勇者一行のことを調べていた。言ってしまおう。『剣聖』は変態だ。紛れもなく、変態だ。
───と、蒼の嘆きを聴きながら歩いていると、いつの間にか21人は東の出入り口の外へ出て、鯀との戦闘の舞台になる高台に到着していた。
「ここが、今回鯀との戦闘する予定の場所だ。それで、遠くに見えているのが鯀だよ」
───と、『剣聖』が東の海を指さす。そこには、天高く昇ろうとしている太陽と、それに照らされて陰になっている朝焼けの空を優雅泳ぐ巨大な魚の姿があった。
「あれが...鯀」
陸上最大の生物である霊亀と、水中最大の生物である驩兜を討伐した勇者一行が次に討伐するのは、上空最大の生物である鯀。
空を揺蕩う金魚の姿はひどく美しく、ひどく残酷だった。