海を走る者、海を壊す者 その⑧
『無敗列伝』と歌穂がそれぞれ触腕を切断することに成功している最中、苦戦を強いられていたのは負けず嫌いさでは誰にも負けない黒髪ロングの少女───竹原美玲であった。
「攻撃するチャンスが見当たらない...」
そう口にして、彼女はその両の手をグーパーさせる。
その指には、鉄でできたメリケンサックが付けられており、その拳こそが美玲の武器であることが見て取れる。
彼女の拳は、ヒュージスコーピオンの硬い甲羅さえも打ち破る強力なものであるが、目の前にいる触腕───蒼海の才腕を前にしては、めっぽう相性が悪いようだった。
隣───と言っても、それなりに距離が離れているが、『無敗列伝』は一瞬で触腕を一刀両断してしまったのを見て、美玲は焦りを覚える。
「拳が届かないところから永遠に攻撃してくるのに、どうやって攻撃すればいいのよ...」
彼女がそう口にする時にも、蒼海の才腕はその水魔法を行使しており、巨大な質量である海の水を操っては、触腕のようにうねらせて動かす魔法───〈海転木馬〉を美玲に向かってぶつけることを企てていた。
触腕自体は、氷の大地から5mほど離れたところに常駐しており、触腕を模した海水でのみ攻撃が行われていた。
しかも、蒼海の才腕が使用してくる水魔法によって操られている海の水は、中でソーダストリームなどでよく見るような渦が発生しており、それに触れると洗濯機のような回転に巻き込まれてしまうことが、欠けた氷を投げ入れてみたことでわかっていた。
要するに、触れたらそれなりのダメージが入ることが確定しており、美玲側から攻撃を仕掛けることはほぼ不可能に等しいこの状況で、美玲は蒼海の才腕の相手をして勝利を掴まなくちゃいけないのである。
「一体、どうすれば...」
美玲が思考を逡巡させて、作戦を立てようとするけれどもそれを阻止するように、何本もの海でできた触腕が美玲を襲う。
「───っと、はッ!よッ!」
美玲は、そんな掛け声をあげて何本もの海でできた触腕を避ける。避け続ける。が───
「───ッ!囲まれた...」
気付いた時にはもう遅い。美玲を取り囲むようにして触腕は動いており、彼女の周囲360°に加えて、上空までも塞がれてしまった。
「逃げ場は、ない...」
彼女はそう口にする。地面に拳を叩きつけて氷を割って、それを〈海転木馬〉の方へ投げつけてみると、すごい勢いで回転しながら弾け飛んでいった。
もし、美玲がこれに当たれば、関節から骨が外れてその部分は使い物にならなくなるだろう。
「───」
美玲は、小さく息を吸い込む。彼女は、覚悟を決めたのか。
そんな中、無慈悲にも〈海転木馬〉は美玲の方へと突き進んでいき───
───美玲の安全地帯を蝕んだ。
美玲の安全地帯はいとも簡単に奪われて、彼女は今頃驩兜という強大な敵に立ち向かったことを後悔して、走馬灯を見ているので、美玲の過去回想、もとい敗北の歴史を振り返って
「ワタシを殺したつもりだった?失礼ね。ワタシに敗北させることは、お前が勝利することくらい難しい!」
そう口にしたのは、左腕を庇うようにして抑えながら、その凛々しい表情を崩さない美玲であった。
「イカって、己の身に危険が迫ると触腕を切って逃げるそうね。だから、ワタシも損切りしたわ。左腕」
美玲の左腕は、〈海転木馬〉により破壊された。関節が外されており、動かすどころか、そのまま放置しているだけでも激痛が襲う。
「安いもんよ。腕の一本くらい…ワタシが無事でよかった」
───が、「負けず嫌いの負けヒロイン」を凌ぎ、負けず嫌いの代名詞に成り上がった美玲にとって、そんな痛みは目を覚ますカフェインと同じような役割でしかなかった。
「アンタには負けない。絶対に」
〈海転木馬〉
美玲のそんな宣言と同時、美玲の左腕を奪った技が使用され、〈海転木馬〉が美玲の方へ迫りくる。
機械的に、まるでプログラムされた───いや、ゲームなので実際にプログラムされているのだが、そんなワンパターンな攻撃に美玲は呆れを見せるが、そんなことに彼女は文句を言わない。
彼女はただ、左腕を〈海転木馬〉から遠ざけるように横向きになる。
───そして、彼女は、高速で右腕を回し始めた。
もし美玲の戦闘に観客がいても、その場にいる誰もが美玲の行っている行為の意味を理解することはできなかっただろう。
彼女は、回避も防御もせずにその場で腕を回し続ける。そして、美玲の腕に〈海転木馬〉は衝突し───
───まるで吸い付くように、海の水は美玲の腕に纏われた。
「───ッ!」
美玲の腕には、左腕と同じように激痛が襲うのか、叫び声にならないような声を上げる。
だが、彼女は腕に〈海転木馬〉を纏わせたまま蒼海の才腕の方へ移動し、翔んだ───
「アナタの魔法の破壊力、利用させてもらうわ」
彼女はそう口にして、〈海転木馬〉を纏った右腕をしっかりと握り───
「〈叢時雨〉!」
強烈な一撃が蒼海の才腕を穿ち、周囲に肉片を飛び散らす。美玲は、自らの放った拳の反動で吹き飛んで氷の大地の方へ戻っていった。
「───両腕、もう使い物にならないわね...」
彼女は、両腕を力無くぶら下げながらそんなことを口にする。先程まで苦戦していた蒼海の才腕の姿はない。
誰の目から見ても、美玲の勝利であることは明らかであった。