海を走る者、海を壊す者 その⑦
『無敗列伝』が光芒の手腕を切り落としたという事実、他の7箇所で行われている触腕との戦闘全てにおいて、大きな影響を与えた。
それもそのはず、龍種である驩兜の腕が切り落とされたのは、驩兜が誕生してから初めての出来事であったのだ。
驩兜の持つ触腕は、10本と人間の四肢の数よりも2倍以上多いけれども、切り落とされた際のダメージとしては人間の四肢欠損と同様であった。
四肢欠損した人間が平衡感覚を保てなくなり、痛みに耐えかねるのと同じように、驩兜も光芒の手腕を斬られたことにより、痛みに耐えながらの戦闘を強いられることとなる。
そんな『無敗列伝』の起こした勝利への契機によって、最初に変化が起きたのは他でもない歌穂と沈没の怪腕が斧とその腕をぶつけ合う戦場。
歌穂を蹂躙しようとする、驩兜の第一腕の動きがあからさまに鈍ったのだ。
「───あら、急に動きが遅くなったじゃない。疲れたの?それとも、アタシに怯んだの?」
歌穂はそう口にするけれども、正解はそのどちらでもなく「触腕を斬られた痛みに耐えている」ためなのだが、歌穂は『無敗列伝』の方の戦場に一瞥だってくれやしないので、その答えを知る由はない。
「どちらにしても、アタシへの向かい風が弱くなったのは間違いない...なら、ここは果敢に攻めるべき!」
そう口にして歌穂は、その白髪を揺らしながら動きの鈍くなった沈没の怪腕に対して攻撃を開始する。
「〈斧塵爆発〉」
斧を両手で持ち、グルグルと回転しながら沈没の怪腕へと接近する歌穂。
沈没の怪腕は、回転により威力が増した歌穂の斧を危険だと判断したのか、氷の大地から離れて攻撃の機を伺っていた。
「───ッ!怯んだか、腰抜けめ!」
歌穂は、回転しながらもしっかりとその双眸で沈没の怪腕で捕らえていたのか、その場での回転を止めて斧を地面に突き立てて仁王立ちをする。
視界が少し揺れ動き、吐気が湧いてきそうな中で、歌穂の視界に映ったのは自らを押し潰さんと落ちてくる沈没の怪腕の姿であった。
「───ッ!」
逃げれないと判断した歌穂は、斧を手に取り振ってくる巨大な沈没の怪腕を抑え込もうと斧の刃の部分を触腕へと向けて持つ。だが───
───第一腕である沈没の怪腕は、あまりにも強靭だった。
「───な」
歌穂は、沈没の怪腕と氷の大地により板挟みになる。彼女の斧は、何の意味も成さなかった。
***
驩兜の触腕の中で、最も危険なのはどこか。
無尽蔵の炎を放つ猛焔の辣腕か。圧倒的質量である海を操る蒼海の才腕か。暴風雨の吹き荒れる烈風の長腕か。触れただけで即死する海を作れるほどの電気を生み出す電霆の敏腕か。全てを凍らせる堅氷の霊腕か。海上での戦いなのに土までもを使用してくる土塊の鉄腕か。熱光線で執拗なまでに追いかけてくる光芒の手腕か。視界を奪い戦闘不能を余儀なくされる晦冥の扼腕か。
全て、否。
答えは、もっとも破壊力を持ち、万物を破壊する力を持つとされる第一腕───沈没の怪腕と、崩壊の剛腕の2つであった。
実際、驩兜の8本の触腕が放つ各属性の魔法など副次的なものに、おまけに過ぎなかった。
驩兜において、最も危険なのはその破壊力。
何もかもを破壊する、第一腕こそが最も脅威なのであった。
───事実、沈没の怪腕が叩きつけた氷の大地には巨大なヒビが入り穴が開く。
そう、沈没の怪腕より先に氷の大地の方が音を上げて、割れてしまうのだ。
───だからこそ、あまりに強力すぎるからこそ、歌穂は助かった。
「割れてなかったら押し潰されてた...九死に一生を得てしまった...」
歌穂は、割れた氷に片手で捕まりながらそんなことを口にする。先程まで歌穂が立っていた場所は海の中に落ちており、歌穂だってすぐにでも落ちてしまいそうだった。
沈没の怪腕は、歌穂のことを押し潰せたと思っているのか、光芒の手腕を切り落れた痛みにより集中できていないのか、氷にぶら下がっている歌穂のことに気が付いていない。
歌穂は、それをチャンスに思い〈トマホーク〉を使用して、斧を氷の上へ投げてそのまま歌穂も氷の大地の上へと再臨する。
「───随分と、やってくれたじゃない」
九死に一生を得たと言っても、歌穂の体にダメージが無かったわけではない。肋骨が痛み、自分の体重を支えていた左腕は痺れて力が入らない。
「この状況、かなりマズいわね...なんとかして逆転しないと...」
歌穂は、痺れる両手を酷使して再度斧を持つ。それとほぼ同刻、歌穂という存在が生きていることに気が付いたのか沈没の怪腕は再度、歌穂の方へ迫ってくる。
「───ッ!」
歌穂は、体が軋むように痛む中でもその肉体に鞭打って沈没の怪腕からなんとか回避を行う。
再度、氷の大地が大きく揺れ動いて氷の大地の一部が破壊されたことを知る。歌穂が、チラリと後ろの方を一瞥すると、先程まで歌穂が立っていた地面がケーキの1ピースのような形に割られながら氷の大地に引っかかっているのが見える。
「───あ」
歌穂は、それに気がつくと少し笑みを浮かべる。
何かを思いついたであろう歌穂の考えなど知らず、沈没の怪腕は歌穂を押し潰そうとする攻撃をやめない。
───もし、沈没の怪腕の敗因があったとすれば、何度も何度もプログラムされたかのように同じ動きを繰り返したことだろうか。
「しつこい」
その言葉と同時、歌穂はその身を───
投げた。
沈没の怪腕の方へひとっ飛びして身投げした歌穂は、そのままゲームの物理演算に従って海へ海へと回転しながら落下していく。そして───
「〈斧塵爆発〉」
威力と速度を増した歌穂の一撃が、沈没の怪腕に突き刺さる。
「───」
言葉にならない低い声を出し、その痛みを主張しているであろう驩兜。
だが、そんな声は抵抗にはならず、むしろ歌穂を喜ばせるものにしかならない。
「聞かせてよ、君はどんな声で泣くのかな?」
沙紀には『無事故無違反サイコパス』などと、サイコパスとして中途半端であることを指摘されて馬鹿にされた歌穂。そんな彼女のサイコパスっぷりが、驩兜に対して火を吹いた。
───そこから、歌穂はなれない体勢で何十発と、斧を振るった。
大木を切り落とすかのように、少しずつ少しずつ沈没の怪腕の肉を切り、拷問かと思わせるような苦痛を浴びせながら骨を断っていった。
そして、最後には彼女の握る斧は完全に沈没の怪腕を驩兜から切り離し、海の底へと沈めて行ってしまう。
そして、彼女自身はカットケーキのような形をした、沈みかけの氷の足場へとひとっ飛びした後に氷の大地の方へと飛んで移動したのであった。
歌穂の執念の勝利である。
歌穂が沈没の怪腕に勝てていたのは、『無敗列伝』が腕を切っていたからです。
腕を切られたら痛いのは、驩兜も一緒です。
逆に言えば、『無敗列伝』が触腕を斬れてなかったら歌穂は普通に死んでいました。