海を走る者、海を壊す者 その④
海の色───と聞かれたら、どんな風に答えるだろうか。
青。蒼。碧。
梶井基次郎の言葉を借りれば、海は「未だかつて疲労にも憂愁にも汚されたことのない純粋に明色」と記され、デスゲーム参加者に聞いてみれば、緑と答える者もいるだろうし、瑠璃色と答える博識もいれば、透明だと答えるいたずら好きもいる。
───では、『無敗列伝』が見る海は何色か。
紅色だ。
別の表記をすれば赤褐色で、少しカッコつければ真紅で、カタカナで表現するならクリムゾン色をした海水がその名の通り海を揺蕩っていた。
この紅色はどこからやってきたのか。
地球には、海水中の微生物が異常なまでに発生することによって海の色が変化する「赤潮」という現象がある。ちなみに「赤潮」の他にも「緑潮」や「青潮」などもあり───と、Wikipediaで仕入れた情報を我が物顔で仏頂面で長々と語るのは終わりだ。
出されている問いは、この紅色はどこからやってきたのか。
「赤潮」の情報を提示したが、この紅色は「赤潮」が原因ではない。
延ばすことなく答えを提示しよう。この紅は、鮮血の紅だ。
これは、誰の血か。
答えは明白だった。8体いる龍種の内の1体である驩兜の持つ10本ある触腕の内の1本に吹き飛ばされた船に乗っていた、13人いる船員の内の13人全員の体から出た血だ。
それは運良く奇跡的に───否、彼のことだから日頃の鍛錬と猛烈な努力の結果によって『無敗列伝』は海に落下しても尚、死亡も四肢欠損も打撲もしなかったし、血を流すことだってなかった。
二度言う。
決して、運が良かったのではない。これは、彼がこれまで積み上げてきた努力の結果なのだ。
(だとしても、驩兜に吹き飛ばされて無傷でいるために修行してたわけじゃねぇんだけどな)
海中で、海水に紛れ海を汚していく血液を煙たがるようにし、手で水を退かす『無敗列伝』。
無論、水中にいるから鮮血により紅く染まった血をどかしてもどかしても、水はその空間を埋めにやってくる。勝ち目のないいたちごっこだ。
(船員は残念だが、助かりそうにねぇ。まぁ、当たり前か。どれだけ運が良くても助からねぇだろうよ)
船員13人に、『無敗列伝』を足した14人の中でも、運の無さで見てみれば『無敗列伝』が断然トップであろうが、彼だけが生き延びていた。
文字通り再三言うことになるが、彼は運ではなく努力と実力で生き延びたので、船員は誰も文句を言わないだろう。そもそも、死人に口なしだ。船員は死んでいるから文句を言う口はない。
『無敗列伝』は軽鎧を着たままクロールをして、蓮也のAランク魔法により作られた氷の大地の方へ泳いでいく。
その道中で『無敗列伝』が見つけたのは───
(───デンキクラゲ...また、面倒くさい魔獣がいやがる...最ッ高にツイてねぇ)
デンキクラゲ。
ゼラチン質の体を持ち、数え切れない程の細い触手を持っている大陸版にこのゲームが発売された場合には「電気水母」と書かれるであろう半透明の、大きいものだと1m程のサイズのクラゲであった。
その最大の特徴としては、その触手から電撃を放つことが可能なことだ。
他のクラゲと同様に、刺胞に毒を持つデンキクラゲではあるが、電気で失神させても毒で動きを鈍らせても、効果は殆ど同様なので並立して持っている意味はあるのか───などと思うが、その崇高な議論はドラコル王国の活気あふれる都市に住む座ってばかりの賢人達に任せておけばいい。
(コイツラがいるから、俺も早めに氷の大地に上がらねぇとな)
心のなかでだけそう思い、波音立てずに全速力で泳いで氷の大地へと向かっていく『無敗列伝』。
その間にも、勇者一行と驩兜の戦いのゴングは鳴り響いていた。
***
「避けてッ!」
そんな声を出したのは誰だろうか。
声の主を特定する暇もなく勇者一行は思い思いの方向へ飛び、散り散りになっていく。
その直後、先程まで勇者一行がいた場所には驩兜の巨大な触腕が叩きつけられ、大きなヒビが入る。
蓮也個人の魔法で生み出された氷であれば割れていただろうが、今回は海水も混ざっている。そのため、氷を0から生み出すのではなく海水を冷やし固めることで氷を生み出したので、通常の〈世界氷結の理〉よりも氷の量が多かったようで割れていない。
「あんまり避け続けても氷の地面が割れちゃう!」
「じゃあ、さっきの攻撃をガードしろっていうのかよ!」
氷の地面が割れてしまえば、勇者一行は海───要するに、驩兜のテリトリーに落ちてあっという間にあっけなく敗北するのは間違いないだろう。
かと言って、振り下ろされる巨大な触腕を受け止め、弾き返すのはもっと不可能であった。
氷の大地の上で触腕を避け続けるのは、死ぬまでの導火線が少し長くなっただけ。
「死」という爆弾を撤去したわけではないから、いつかは死がやってきてしまうのだ。
「せめて、氷の大地が長持ちできれば!」
───と、その時。
マグロがその動きを止めて、北島康介が「なんも言えねぇ...」と驚き呆れるようなスピードで泳いで来て、氷の大地の上に登ってきたのは、1人の運のない男。
「そっちのチームの魔導士3人に告ぐ!驩兜を無視して、なんでもいいから氷魔法をこの地面にかけ続けろ!」
『無敗列伝』アルグレイブ・トゥーロードは、びしょ濡れになりながらも、的確に状況を見極めて勇者達に指示を送る。
───役者は揃った。
───目の前の神話級の怪物を、討伐することはできるのか。