海を走る者、海を壊す者 その②
その違和が、異変が、異常が、異端が、異形が勇者達10人と『無敗列伝』、そして船員の合計24名を乗せた舟船へ襲来したのは船が出発してから2日目の昼下がりであった。
「───船長、巨大な影があります。ここの海域って、こんなに海底と近かったですっけ?」
「いや、ここは海底が見えるほど深くはない。見えるはずはないんだがな...」
「え、じゃあこの影は───ッ!」
それと同時、船がしないはずの鳴動を繰り返す。
「な、何がッ!」
「船長!船が、船が前に進みません!」
風魔法の応用で、周囲の水をかき出して巨大な船を動かしているけれども、その機能が停止したのか、それとも周囲に水が無くなってしまったのか、海上を進むことができなくなってしまう。
船長も含め、船員13名は置かれた状況を理解できなくなってしまう。
そんな中、真っ先に船の客室からデッキに飛び出してその状況を確認したのは、この世界の最強の6人に数えられたこともあり、現在は7番目として君臨している男───『無敗列伝』であった。
「───っておい...あまりにもツイてねぇ...」
『無敗列伝』の両頬が一気に蒼白すると同時、その視線の先にいる異物に向けて剣を抜く。
「全く、忙しない運転だな。何事だ───は?」
船を揺らす非常事態を察知し、『無敗列伝』から数拍遅れて部屋の外から出てくるのは愛香であった。
愛香も、そこに顕現した異物に対して目を見開いた。
「おい、『無敗列伝』。妾に教えろ、この怪物を!」
「この怪物は、かつてこのドラコル王国の歴史の資料を途絶えさせ、海辺にあった王都を完全に破壊させた龍種の1体!『海の民』と呼ばれて恐れられてる、巨大な10本足の怪物!驩兜だ!」
───理由もない急展開は、あまりに唐突にやってくる。
海を走る愛香達を乗せた船を見つけた8体いる龍種の内の1体───『海の民』驩兜は、なんの理由もないただ己の腹を満たすためだけに海を走る船を襲撃したのだった。
***
茶番も平和回もギャグパートも挟ませること無く、何の脈絡も伏線も展開もなしに、理不尽に現れた怪物───驩兜は、あまりにも強大すぎる存在だった。
現在レベル84である『無敗列伝』でさえも、出会ったことがない怪物ではあり、その心得は全く無いけれど、話だけは聞いたことがある。その強さはまさに神話級。
驩兜の強さを著した資料は───
───残っていない。
そう、残っていないのである。
何故なら、あまりに強すぎるがあまり人類が残した驩兜に対する資料を全て喪失させてしまったからだ。
今から1200年ほど前、ドラコル王国の王都はプージョンではなく、もっと南にあった───今は海の底に沈んでしまったがために存在していないカリタイという都市にあった。
だが、そのカリタイという都市近郊の海に驩兜が出没し、街を破壊して海の底に沈めてしまったのである。
だから、首都であるカリタイに置かれていた直近の資料は全て海の底に沈んで解読不能になったがために、驩兜のその真なる強さが描かれた内容は残されていないのだ。
だから、その真の強さは不明なのである。
また、800年前に起こった王国戦争でも無謀にも挑んできた人類を全て、海の藻屑に変えて、ドラコル王国の一部を海に変えた。
鉢合わせた生物を全て殺し、その歴史を奪っていく驩兜は、いつからか『海の民』と呼ばれて恐れられているのである。
───そんな、天災的で圧倒的な力を持った驩兜が、不条理にも理不尽にも現れてしまった。
「絶体絶命、助からねぇ...」
これまで、『無敗列伝』と言う二つ名の通りに、どれだけ窮地に立たされても「敗北」の2文字だけを手に入れることはせずに「勝利」か「引き分け」のどちらかを手に入れた続けていた男───『無敗列伝』が、実力だけで九死に一生を得続けることに成功していた男───『無敗列伝』アルグレイブ・トゥーロードが、人生189度目の心の底からの絶望を口から吐き出す。
もし、この発言をしたのが───絶望をしたのが智恵であったのであれば智恵はこの瞬間死んでいたが、幸いなことにこの発言をしたのは智恵ではなく、絶賛絶体絶命の『無敗列伝』であった。
先ほど顔を見せた愛香は武器である槍を取りに行くためにすぐに船に用意されていた自室に戻り、他の勇者達に声をかけに言っていた。
今は、船が水の上に置かれていない───則ち、驩兜の触手の上に乗っているような状態であるのだろう。
そこが胴体や顔の部分ではないことは、誰がどう見てもすぐにわかるはずだった。
だって、『無敗列伝』の視線の先には存在しているのだから。
海を支配するに相応しい超巨大な肉体を持つ顔に、超巨大なツタンカーメンのマスクを被っているのが『無敗列伝』からは見えており、そのマスクの隙間の中からギョロリと青黒い目と『無敗列伝』の視線が重なってしまったのだから。
驩兜などという神話級の強さを持つ巨大生物。
助けが来たところで当てになるような人材はいない。全力を尽くしてなんとか役立つのはそれこそ『剣聖』か『魔帝』の2人くらいだろう。
「正直、俺にとっちゃ死ぬタイミングが前後するだけなんだが...死にたくねぇのはいつでも同じだ。まずはお前から白旗と白星、奪い取ってやるよ」
そう啖呵を切った『無敗列伝』。
それと同時に驩兜は、無情にも巨大な10本の触手の内の1つに乗せていた舟船を海へと落とすのであった。