閑話 岩田時尚の過去
第6ゲーム『件の爆弾』で人知れず死亡していた岩田時尚の過去回想。
岩田時尚───俺に生まれてくる意味はあったのだろうか。
時々、そう考える。
だけど、いつだって答えは出ないのだ。意味はあったとも、意味はなかったとも取れてしまうのだ。
***
俺の頭の中にある、これまで見聞きし体験してきたもの───それ則ち経験の中で、一番最古のものは、父親の拳と、血の味だった。
物心がつくころにはもう、父親の拳の餌食になっていた俺。
幼いながらに、それが人の家とは少し違うこともわかっていたし、痛いのは嫌だったから殴られたくはなかった。
でも、いくら抵抗しようとしても父親が癇癪を起こしたら散々暴れないと気が済まないので、俺の家で皿が割れたり机がひっくり返ったりするのは日常茶飯事だった。
そんな父親と、どうして母親は結婚してしまったのか。
簡単だ、母親は気が弱かった。大学の先輩であった父親に付き合うことを強要され、結婚までをも決定されてしまった。
人にお願いされたらNOと言うことができないほどに気弱な母は、そのままDVをしてくる父親との間に俺という子を成してしまったのだ。
───そして、俺が生まれて来て、家事育児のストレスによって、DVが頻発したのだった。
子育てをしないくせに、自分の思い通りにいかなかったり、俺が父親の気に障ったりすると、まるでそれが当たり前かと言わんばかりに、俺や母親に攻撃的になるのであった。
家事も育児もできないくせに、文句ばかりを言う父親のことなど、もう母親はとっくに好きではなかっただろうし、もしかしたら最初から好きじゃなかったかもしれないが、気の弱い母親は断ることもできず、ただ静かに殴られたり、俺が殴られているのを見ているばかりであった。
しかも、父親は俺以外にも2人の子供を成し、俺の家は男4人女1人という少し偏った家庭になったのだった。
───と、そんな俺にも友達という存在はいた。
小学校の頃から、仲良くしている友達。名前は、駿河武志。
屈強な肉体を持ち、幼稚園の頃から少年野球チームに所属しているらしい彼は、俺の自慢の友達だった。
しかも、武志とはかなり馬が合い、家が近いこともあったので、小学校だけなく中学校までもを一緒に過ごし、完全な仲良しであったのだ。
武志は、俺がDVを受けていることも知っていたので、色々と助けてくれた。父親が不機嫌になって帰ってきたときは、弟と一緒によく武志の家に避難したの覚えている。
駿河家も、俺の家のDVをなんとか無くそうと動いてくれたけれども、母親が「大事にしたくない」との理由で断ったのだ。
まぁ、俺が中学校にあがる時期には、父親がどんなことで怒るのか理解していたので、ある程度対処できたため、父親の怒る回数も減っていた。もっとも、会社での理不尽な怒りを持ち帰られた場合は対処できなかったけれど。
───だけど、中学3年生のある日。
大が付くほどの親友であった武志と、別れを告げなければならない日が来るのだ。
「時尚、聞いてくれ!俺、北海道の私立高校から推薦が来たんだ!野球の才能があるから、寮に住み込みで野球をしないかって!」
武志は嬉々として、そう伝えてくれた。実際、武志は野球の才能があったし、プロになることを夢見ていたから、その夢に一歩近づいたと言えるだろう。
「そっか、よかったじゃん!推薦なんて滅多に取れるもんじゃない!それに、北海道の私立だなんて!」
「あ───でも、北海道だから、俺と時尚は離れ離れになっちゃうのか...」
「そうだね。でも、仕方ないよ、寮なんだし。プロになるためには、別れも必要だ」
「───そうだな。時尚、俺達ずっと、親友だよな?」
「もちろん!」
───こうして、俺と武志は高校から別々の道を進んでいったのだった。
こうして、俺は10年近く仲良くしていた友達の夢を応援して、別れていったのだった。
寂しかったけど、辛くはなかった。だって、武志は夢へと向かって歩いて行ったのだから。
───俺は夢を持っていなかったけれど、夢を持つ友達を応援するのは楽しかった。
そして、俺の生活からは大親友はいなくなり、残ったのはDVをしてくる父親だけだった。
俺もできれば寮生活がしたいな───などと思いながらも、俺はスポーツの才能はそこまでなかったので、家から出ることはできなかった。
───が、それも今は昔の話であった。
高校2年生の秋、俺の家に届いたのは、一通の手紙。
花浅葱色の封筒に入った「重要なお知らせ」と書かれたその紙が、俺の人生を変えたのだった。
Dear岩田時尚
素晴らしき才能を持つ皆様、お元気にしていますでしょうか?今から
言及致しますのは、あなた達の18歳の過ごし方でございます。
1年間、私達の運営する「帝国大学附属高校」で活動するというプログラ
ムです。このプログラムに参加して卒業すると、大学には「帝国大学」
に通うことが可能です。高大の一貫というわけです。是非とも、
参加していただけないでしょうか。拒否するのであれば、断ってもかまいませ
ん。ですが、勧誘のチャンスは一度きりとなります。是非とも、参
加して頂きたいのです。プログラムの内容は、参加者にのみ、後日詳
しく伝える旨のメールを送ります。プログラムの参加者は、以下の電話番号
または、メールアドレスにまでご連絡ください。なお、参加しない方はメッ
セージ等は不要です。他にも、ご質問等ございましたら、メールに連絡をな
んなりとしてください。皆様のご連絡を、私達はお待ちしております。これ
からの学生生活に幸あれ。
電話番号 0○0ー○○○○ー××××
Gmail ??????????????.com
断る理由がなかった俺は、母親にこれに参加したいとお願いした。
母親は「お父さんと話し合わないと」と口にしていたけれど、父親はこの手紙をよくすると「やっぱり、俺の才能を受け継いでいる」などと口にして喜んでいたので、俺はこのデスゲームに参加することになったのだ。
デスゲームの中で死亡するのと、父親に殴られ続ける人生であれば、どちらの方がよかっただろうか。
時々、そう考える。
だけど、いつだって答えは出ないのだ。デスゲームの方がいいとも、父親に殴られ続ける方がいいとも取れてしまうのだ。