6月18日 その㉗
津田信夫───ワイは、野球の才能に恵まれすぎた男だ。
今から17年前の7月19日の大阪、工事現場で働くオトンとパートで働くオカンの家庭に生まれた。
オカンは大学に出ていないし、オトンは大学を中退したらしく就職氷河期でほとんど仕事も就けずに、工事現場だったりパートと言った安い賃金で働いていたけれど、生活には困っていなかった。
大学に通っていた頃、オトンの友達によって開かれた合コンで出会ってそこから結婚まで行ったらしい、屈強なオトンと優しいオカンの間に生まれたワイには、驚くような野球の才能が秘められていた。
そもそも、野球はオトンが好きやったから始めた。
テレビを付け、日本各地で行われている野球を───たまに、海を越えた野球の本場、アメリカで行われている野球をテレビに映しては豪快に笑っている父親に影響されて、ワイも野球を始めることになった。
そんな、ちびっこ野球からワイの野球人生はスタートしたのだが───
───ワイは、幼いくせに野球に才能がありすぎた。
ワイには、バッターの才能がピッチャーの才能が、キャッチャーの才能が、内野手の才能が、外野手の才能がランナーの才能があった。
そんな才能があることがわかり、オトンもオカンも大はしゃぎ。ワイは一躍、プロ野球の道まっしぐら。
ワイは、何をやっても上手くいく野球が好きだったし、無双することも楽しかった。
───野球の中で、誰もワイを倒すことはできない。
そう思っていたのだけれど、違った。
ワイが野球の天才であれば、ワイを初めて打ち負かしたライバル───熊野吾郎は野球の鬼才でだった。
───初めてであったのは、ワイが中学1年生の頃。
ワイがレギュラーで出た県大会決勝1回裏。ワイの投げる150km/hを超える豪速球を、打ち返しホームランを見せつけてきた男。それこそが、熊野吾郎であった。
「お前が、津田信夫か。いい球を投げるじゃないか。オレのライバルに認めてやる」
「───ワイをライバルやって?それはオモロイやんけ。アンタの球を打ってやる」
「楽しみに待ってるぜ」
そんな言葉を乗せて2回表。ワイはいつも通り4番バッターとして、マウンドに立つ。
こっちのチームは満塁。ピッチャーは、背番号5番の熊野吾郎。
「───行くぞ」
「おう。どんと来い」
そして、熊野吾郎は球を投げる。
それは、ワイの投げる球をも超えていたかもしれない。
───が、ワイに見きれん球はない!
熊野吾郎が放つボールは、そのままバッドに吸い込まれるように当たり、天高く上がっていく。
───ホームラン。
その場にいる全員がそう思った。敵の外野手が、いくら走っても間に合わない場所に落下する。
───はずだった。
”ドンッ”
地面が激しく振動するのを感じ、その震源地の方向を見ると走り出していたのはピッチャーである熊野吾郎。
熊野吾郎の俊足は、ボールを追いかける外野手をも追い抜き、ワイのホームランボールをキャッチしたのだった。
───フライ。
「なん...やと?」
ワイは、その時点でアウトが確定する。
「取ってやったぞ!津田信夫!」
その言葉が、会場中に響く。ワイのホームランは、フライに早変わり。ワイはアウトを取られてしまうのだった。
そこから、熊野吾郎が他の人のアウトを取ろうと豪速球を投げたけれども、それをキャッチできる輩が熊野吾郎のチームにはいなかったので、こちらに3点は入った。
───結局、その日の試合は15vs12でワイ達が勝利したのだけれども、ワイは熊野吾郎に完敗したのだった。
「オレの本気の球を打ったのはお前が初めてだ。信夫」
「そうか?結局、取られちまったからワイの完敗や」
「ははは。そうかそうか、じゃあ、次はオレに勝てるように精進するんだな」
「もちろんや!お主に打たれへんような速い球投げてやるわ!」
───こうして、ワイは中学1年の時に熊野吾郎というライバルができたのだった。
───そして、そこから数年が経ち高校1年生。
ワイと熊野吾郎は別の野球強豪校に進んだのだった。
───これは、甲子園前の熊野吾郎のいる高校との練習試合。
関西の1位2位を争う野球強豪校の練習試合と言うことで、阪神やら中日やらのお偉いさんも見に来ていた試合。
ワイも熊野吾郎も、両方とも高校1年生にして早くもレギュラーの座を勝ち取っていたし、何ならスカウトを求めてやる気が出ていたその試合だった。
「吾郎、勝負やで。どっちがスカウトされるかのな」
「燃えるな。その勝負、勝ってやるよ」
そんな言葉を交わしたワイら2人。
───そんな中で、事件は起こってしまう。
4回裏、ピッチャーはワイ。バッターは熊野吾郎───と、神が仕組んだようなベストバウトのときだった。
プロ野球選手顔負けの実力を持つ2人のベストバウトが予想されていたその時。
「行くで...」
ワイは、小さくそう口をしてボールを投げる。勝負は直線ストレート。
狙うはキャッチャーのミット───
───のはずだったのだが、悪魔が下衆な笑みを浮かべる。
ワイが投げたボールは、緊張からか興奮からか、はたまた外的要因からか、進むべき道は歪んだ。
そのまま、熊野吾郎の腹にぶつかる。
───デッドボール。
ワイがその時出した速度は、アロルディス・チャップマンの出した169.1km/hなんていう世界記録をゆうに越えた217km/h。
そんなスピードで人にボールがぶつかったらどうなるのか───。
ワイの投げたボールが直撃した熊野吾郎の腹にまるで車と衝突したような感覚を覚える。
熊野吾郎が着ていた白いユニフォームは───大きく「5」と書かれたユニフォームは、紅く染まったのだった。