6月11日 その⑳
奏汰が立てた「龍神ナーガの強さの根源はブッダの伝承にある」という読みは、正解だった。
その予測と、知識量は流石は天才だと言うことができるだろう。
───と、ここで一度龍神ナーガとブッダの関わりについて話したほうがいいだろう。
***
今から約2500年前。
現在のインドのビハール州のブッダガヤにあったとされている遠い将来でゴータマ・ブッダの菩提樹と呼ばれることになる無名の大木の近くで深い眠りについていたのは龍神ナーガであった。
彼───否、彼女───それも否、この神は、自分がいつどうやって生まれたのかもわからないまま自らのことを「蛇神ナーガ」だと言うことのみを理解してそこに存在していた。
だから、この神の過去を語るスタート地点としては、釈迦がこの大木の下で座禅を組んで悟りを開かんとしていたところからだろう。
「───憎たらしい。我が寝ている上で座禅を組むだなんて、実に憎たらしい」
蛇神ナーガは、自らの眠る近くで座禅を組んでいる釈迦に苛立ち、どうにかしてどかそうとした。
蛇神ナーガは、真紀に憑依する前の蛇そのものの姿をしていたので体をグネグネと動かし、釈迦へと近付く。
───が、動かない。
近付き、周囲を囲み、噛みつこうとして、シャーシャーと音を立てて威嚇しても、釈迦は目を開くことも体をピクリと動かすこともなく、ただ座禅を組んでいた。
「我に気付かぬとは、憎たらしい小僧だ」
蛇神ナーガは、からかいがいの無い釈迦に対して呆れてその場にとぐろを巻いて少し休憩した。
───ポツリ。
「───ん」
ザー。
空から降ってくるのは、雨。その雨は、蛇神ナーガと釈迦の2人を襲う。
だが、釈迦という男は滝のような雨に撃たれてもピクリとも動くことはしなかった。
「雨にも気付かぬほど集中しているとは...憎たらしい小僧だな」
そう口にして、蛇神ナーガは釈迦を庇うようにして───己の体を傘代わりにして釈迦を雨から守ったのだった。
三日三晩降り続いた雨から、釈迦を守るためにナーガはその場を動くことはせず、釈迦が不安で見に来た他の人物に見つかって伝説になったのだった。
───その伝承以降の話なんか、蛇神ナーガは覚えていないし知る由もなかった。
だから、きっと次を語るのであればその伝承に固執して蛇神ナーガのことを探しにやってきた真紀との邂逅と契約の記憶だろう。
───が、その話は真紀の過去回想で終わらせてしまったと言っていいような内容なので省略する。
***
「仏教の穴を見つけるだぁ?!そんなの、どうやってすんだよ!」
奏汰の訳がわからぬ指示に、鈴華は思わず声を荒げてしまう。だが、奏汰は伝えたいことを伝えて満足したのか失神してしまい、現在は重篤患者であるために返事をすることはできていなかった。
「龍神ナーガは伝承の上でのみ生きられる───ということか!面白い!」
皆、仏教は知っている。
日本人であれば、その考えは非常に深く根付いているだろう。それこそ、無宗教は口にしても、考えの根底には仏教のものが残っていたりする。それこそ、輪廻転生や地獄などの考えは仏教の教えそのものだろう。
その教えを知っていて、信じていて恐れているから、蛇神ナーガはより強くなる。
「全く、面倒なものだな。仏教の穴を見つけろ───だなんて!」
遥か昔から信じられている仏教の矛盾点を見つける。それは、難しいことだった。
宗教というのは、年が経つに連れてその内容が少しずつ変化していき「齟齬」というものを消していくのだ。
だから、2027年を生きる彼女達にとって、仏教の穴を見つけて、そこを責める───だなんて、至極難解な課題。
「───と、皆さんご注目!カウントダウンは100を切りました!」
「「「───ッ!」」」
半ば忘れていたマスコット代先生が声を張り上げて、『友情の天秤』の終了時間まで残り600秒───要するに、10分を切っていることに気付かされる。
長々と戦闘を続けることは難しい。最悪の場合、そこらで死にかけている奏汰の命を奪った方が早いだろう。
───が、愛香も鈴華もそのような残虐な行為に走ったりはしない。
そう、彼女達は楽しんでいたのだ。この危機的な状況を、死にかけている状況を、強敵との戦闘を楽しんでいたのだ。
それを遠目で見ている美玲は、どこか悔しそうだった。
「私、仏教なんて詳しくないよ...」
「オレもだ。普通、信者でも無ければ仏教の教えに詳しくないだろうしな」
「それに、仏教の信者なら仏教の教えを否定したりできなさそうだしよッ」
真胡の言葉に、拓人と鈴華の2人が反応する。
「では、どうするのだ?この中で宗教に詳しい人はいるのか?」
愛香の問いかけに、誰も返事をしない。きっと、仏教に対する知識はそれなりにあったとしても疑問点を絞り出す───などと言ったことはできないのだろう。
「しょうがねぇ...仏教の否定ができねぇっちゅうなら、別の方法を取るまでだッ!」
「別の方法?」
「あぁ、仏教の質を落として信じなくするんじゃない。仏教以外の質を上げて、仏教よりも信じれるような内容にするんだ!」
鈴華の提案。それが思いついたのはきっと、彼女の宗教絡みの過去も関係あるだろう。
彼女のその思い出したくないような過去があるからこそ、彼女は他の3人にこう提案するのであった。その内容とは───
「オレの神は釈迦じゃねぇ。ここはオレに任せとけ」