6月9日 その③
智恵は蒼の発言にどうようしてしまったのか、ホールドを持つ手を滑らせてしまう。
俺は咄嗟に手を伸ばそうとしても届かなかったし、蒼は智恵が落ちるとは思っていなかったのか、驚くだけだった。
───と、智恵は、3m程落ちた後に、すぐにホールドの出っ張りに手と足をかけたので完全に落下は免れた。
───死亡は、免れた。
「よかった...」
「本当によかったピョン、話を跨いだから死んだかと思ったピョン...」
「何の話をしてんだ。そんなことより先に智恵に謝れ!智恵が...智恵が死ぬかもしれなかったんだぞ!」
「え〜、僕は悪く───ごめんなさい、ピョン...」
蒼は、反論しようとしたけれどすぐにシュンとなって智恵に謝罪した。
「べ、別に大丈夫だよ。結果としてなんとかなったし」
「なんとかならならなったら死んでたんだぞ?」
「まぁまぁ、栄きゅん。智恵が赦してくれたんだし、これ以上の話は辞めるピョン!」
「お前なぁ!」
俺が、蒼に向かって苛立ちをぶつけようとする。
「あー、聴こえない!聴こえないピョーン」
蒼は、俺の声を遮るようにしてそんなことを言葉にしながら、ドンドンボルダリングを登っていってしまった。
「───アイツ...」
俺は、少々苛立ちがあったけれど、ここでイライラして落下するのもバカバカしい話だろう。
「智恵、本当に大丈夫だったか?」
「───怖かった」
智恵はそう口にした。
「ちょっと休憩するか?ここなら安定してるし」
「───うん」
「わかった、じゃあ智恵の高さに合わせるよ」
俺は、数メートル下にいた智恵の右側に移動した。手を離せば落下してしまうだろうけれど、手さえ離さなければ耐えれそうだった。
これだけの崖を、一気に登るのは危険だし、ここで休憩を挟むのも悪くない。
「ごめんね、栄。これは試験なのに...」
「いいんだよ、俺は試験なんかより智恵の方が大事だ。試験も智恵がいるから頑張れる」
「───ありがと」
智恵はそう小さく呟く。そして、5分ほどしたら、智恵が「行ける」と言ったので、俺達は再度崖を登りはじめた。
俺が、進みやすい道を探して、智恵がそこを通る。基本的には縦に登っていくだけだけど、稀に登りにくいところが存在していたから、智恵のためにもそこは避けて通ったのだった。
───そして、休憩を終えてから10分ほどが経ち、俺達は約130m地点に到着する。
後、20分もあればこの地点は乗り越えられそうだった。最初に見た時は、2時間かけても登りきれ無さそう───などと考えていたが、登ってみると1時間とちょっとで登れたのだから相当いいペースだろう。
「智恵、もうちょっとだ。頑張ろう」
「うん、頑張る」
智恵はそう言うと、柔らかい笑顔を俺に見せてくれる。俺達は登るのを再開して、70m上に存在する第一ステージのゴールを目指す。
「上位層は、続々と第一ステージを突破しております!現在1位から順に森宮皇斗選手、森愛香選手、安土鈴華選手、結城奏汰選手、柏木拓人選手です!第一ステージを突破し、第二ステージに入っているのは、上位5名に加えて、東堂真胡選手と竹原美玲選手!そして、ちょうど今第一ステージ最後の関門を西村誠選手が乗り越えようとしております!」
どうやら、速い人はかなり速いようだった。でもまぁ、上位にいるのはいずれも運動神経が人並み以上ある人物ばかりだ。
「智恵、俺達は焦らないで行こうな。1位じゃなくてもゴールさえすれば満点だ」
「うん」
そう言って、俺達は登る。俺達の20m程上には、稜の姿も見えていた。
───皆、頑張って登っているようだった。
そして、15分ほどかけて、俺達は最後の5m地点までやってくる。ここまで来ると、かなりホールドの量も形もまばらになっており、かなり登りづらかった。
「だけど、やっとここまで...」
そして、俺は気付く。
───最後の3mは、ホールドが一切ないことに。
「最後の最後でこれかよ...」
ホールド無しで登る。素手で、この崖特有の出っ張りを登れということらしい。
少し怖いが、ここからじゃ下に戻るのも一苦労だ。
───試験もあるし、ここはチャレンジしてみるしかない。
***
───一方、こちらは『ファイブアスロン』スタート地点。
そこに座り込んでいたのは、梨央と蓮也の2人だった。
純介は、5m位のところまで登ってみたものの、それ以上登ることも降りることもできなくなってしまい、ホールドの上で止まっている。
「蓮也君は登らないの?」
梨央は、登る素振りすら見せない蓮也にそう声をかけた。
「え、あ、うん。僕は運動が得意じゃないから。純介みたいになるのも嫌だし...」
「僕だってもうちょっと登れると思ったんだけどなぁ...」
純介は、自分が5mちょっとしか登れていないことにかなり不服そうだった。
「菊池さんの方こそ登らないの?」
「うん、ワタシは生まれつき握力が弱いからさ...ボルダリングはできないの」
「そうなんだ...」
どうやら、2人はもう完全に諦めているようだった。
だが、登りきらなければ0点のこの崖にトライして、途中で落下死て死亡する───というのも本末転倒で馬鹿馬鹿しい話だから、ここは登らなくて正解かもしれない。
他のテストで挽回すれば、最下位は避けられるだろう。