閑話 鬼龍院靫蔓の過去
物語に生き、物語に死んだ青年の物語───。
───今から、約27年前。
2000年12月20日に、鬼龍院靫蔓───俺はこの世界に誕生した。
───と、本当ならば自分の過去回想は主人公である栄との激戦の最後に入れたかったのだが、現実は非常に無情であった。
俺は、水のように形を定まることを知らない栄とのバトルの間で、過去回想を挟むこともできずにそのまま敗北し、流されるようにして死亡してしまったであった。
別に、その死に方に後悔なんか無かったし、廣井大和の仇は取れなかったが、第3回デスゲームの中では出会えなかった心の底からライバルと思える人物───要するには、栄と出会えることができたのでそれでよかった。
唯一、心残りがあるとすれば栄の利になるであろうことを考えすぎた結果、生まれてこの方考えてきた遺言が言えなかったことだろうか。
そんな、人生において1度しかしかチャンスの無い日で後悔したのは、16歳ぶりだった。
いや、16歳の後悔も今となっては小さな、くだらないものだろう。
───と、俺が第3回のデスゲームに参加するまででどのような道を歩んできたのかを話そうと思う。
前置きが長くなって申し訳ないが、俺の過去回想は死んだ後に始まるのであった。
週刊連載である栄の物語に、俺の過去回想が組み込まれることになっただけでも、感謝するべきだっただろう。
───冒頭でも話した通り、俺は2000年の12月20日にこの世に生を授かった。
俺の家系を説明すると、鬼龍院というDQNのような名前にも関わらず、伝統的な家系だった。
家は、本家と分家に分かれていて、俺はその本家の子供だったという訳だった。
ここで、新キャラ───もちろん、俺にとっては人生を懐かしむような知己なのだが、これを読んでいる友情・努力・勝利が好きな皆さんにとっては初登場であるために、新キャラとする。
俺の視点と、読者の視点というのは違うのだ。
その新キャラというのは、俺の家の分家である鬼聖院家の唯一の跡取り息子であった鬼聖院蠅捕草であった。
俺の名前と同じく、食虫植物を由来に持つ彼。
どうやら、「分家だけれども発言力を持ちますように」なんて言う、政略があって大きな口が印象深い蠅捕草と名付けられたようだった。
若干こじつけ感が強いが、蠅捕草は、学年は俺の一個下なので、靫蔓という食虫植物の名を冠する俺を意識して付けていたのかもしれない。
───と、ここまで蠅捕草のことについて語ってきたが、その子がどうしたという話になるだろう。
だから、結論だけお話しておく。蠅捕草は、俺にこっそりジャンプを貸してくれる親友とも言えるような存在だったのだ。
というのも、俺は本家の存在であり長男であったため、鬼龍院家を継ぐことは決定事項だった。弟が2人、妹が1人いたが、そいつらにはこの家を任せられず、俺が継ぐことになっていた。
別に、弟や妹に任せて俺は飄々と放浪の旅に出ても良かったのだけれど、それでは可愛い弟や妹が可哀想だと思って、残ることにしたのであった。
俺は、小学校の頃から、その時はまだあまり多くなかった私立に通うことになっていた。
もちろん、いつだって狙われるのは全国でもかなり上位の学校であり、勉強はかなり大変だった。
いや、もう大人になった今だからこそ「大変だった」とまるで小学生のような感想でまとめてしまっているが、ガキのころはそれ以上の辛さなどがあっただろう。
親は、私立受験の他にも「英才教育だ」などと言って、英検を受けさせたりしていた。
まぁ、俺にとっては英検も漢検も言語であることに変わりはなかったので、歳が2桁を行く前に両方とも準1級は取得しておいたし、中学校にあがる前には両方とも1級を取っていた。
中学・高校と日本トップの高校に行った俺だったが、もちろん生まれてからそれまで娯楽というものは一切許されていなかった。テレビを付けたらニュースばかりで、漫画雑誌などはもちろん、アニメもバラエティも見せてくれなかった。
イッテQなんてのを付けてしまったら、親は大激怒であったから、俺はテレビも碌に見ることもできずに育っていた。
もちろん、遊戯王やポケカ、ましてやUNOにトランプ・人生ゲームに至るまでを幼い頃から禁止されていた。
───と、ここまで呼んだ読者は俺が幼い頃何をしていたのか疑問に思う人もいるだろう。
その疑問に、ざっくりと答えようと思う。俺は、幼い頃からジグソーパズルや知恵の輪などを与えられてそれで遊んできていた。
だから、俺の遊びは大体知育玩具であったのだ。
このくらいで、質問の回答は終わりにしよう。まぁ、これ以上話すことも無いのだけれど。
他に、禁止されていたものはお菓子などであった。甘いものは体に悪いという理由から、お菓子は禁止されていたし、両親が雇った栄養管理士によって食事も徹底的に管理されていた。
もちろん、学校でもだ。俺の学校では、給食はなくカフェテリアで食べる───というものだったが、親は俺に毎日弁当を持たせていた。
だから、俺は小学校に6年間通っていたが、一度たりともカフェテリアのご飯を口にしたことはなかったのだ。
友達から貰おうかとも画策したが、学校に潜んでいる鬼龍院家のボディーガードにそれを阻止されるのであった。
俺は、かなり生きづらい生活をしていたのであった。
───と、ここで先述した鬼聖院蠅捕草の話に戻そう。
俺は、多種多様な娯楽を禁止されている中、数ある死線を超えて手にしていたのがジャンプであった。
死線を超えて───なんてのは、もちろん比喩だ。デスゲームを生き延びた俺にとっちゃ、幼い頃のそんな行動なんか死線でもなんでもない。
俺は、いとこである鬼聖院蠅捕草の力を借りて、毎週ジャンプだけをしっかり読んでいたのであった。
というのも、毎週月曜日の放課後、鬼聖院蠅捕草に勉強を教える───という名目で、鬼聖院家に行っていたのだ。
嬉しいことに、本家分家は家の塀一枚挟んだところにあったので、そう遠くはなかった。
だから、俺はそこで毎週ジャンプを読んでいたのであった。
もちろん、月曜が祝日の時は一日ずらしていた。そうしないと、ジャンプが読めないからだ。
ちゃんと、合併号の時だってバレないように勉強を教えるために家に行った。その週は、酷くつまらなかった。
それ以降、俺はジャンプ系列の漫画が好きになったのであった。
閑話休題。話を戻して、俺が高校2年生の時に───だから、今から10年ほど前に俺の家に手紙が届いた。
それは、『帝国大学の付属である高校「帝国大学附属高校」に入学しないか?』という内容だった。
両親は、勧誘がかかったことに酷く悦び、俺に許可を取るまでもなく応募していた。
───と、その時は知る由もなかった。それが、デスゲームの会場になるなんて。
そこで、デスゲームに巻き込まれて俺は生徒会になり無事に生き延びたのであった。
───と、どうして俺が生徒会になったかわからないだって?
明確な理由は無いのだけれど、何か一つを挙げておくとするのであれば、主人公を見つけたかった───かな。
実際、第3回デスゲームを生き延び、その後の第5回デスゲームで主人公を見つけられたのだから、俺は幸せだった。
これまでの人生の全てが、その物語の余興であっても悔しくなかった。
だって、主人公は───池本栄は、これまで俺が見たことがないほどの輝きを持っていたのだから。
俺は、栄のライバルになれて、幸せだった。俺は、主人公のライバルになって、悔いはなかった。
───ほとんどの娯楽を犠牲に手に入れた幸せは、ひとしお大きく。