智恵の過去 その⑦
───妊娠の発覚。
それは、一種の村田智恵の人生の機転だったと言えるかもしれない。
この日からだ。隆貴を含むサッカー部の面々が私の扱いをある程度酷くしても問題ないということを知ったのは。
この日から、皆吹っ切れたのだ。一線が、ブチリと切れて消えたのだ。
私の妊娠が発覚したのは、妊娠検査薬を隆貴が買ってきて使用したから。
買ってきた理由としては、最近生理が来なくて、身体の調子が悪かったからであった。
偏食的になったが、食事は大量に摂るという、矛盾を抱えたような症状が私に出たから、隆貴が妊娠を疑ったのであった。その結果、私が子を宿していることが発覚したのだ。
孕まされてから何週間経ったかどうかはわからなかった。
「どうしよう、隆貴...私...」
私はもちろん焦っていたし、妊娠ということが怖かった。隆貴は、どこか苛立ちを覚えるような表情をしつつ私にこう言い放った。
「その子供は絶対産むな。だけど、医者に行って堕ろすのもやめろ」
「───え?」
「その子供が、誰との間の子供かはわからないけど、彼氏である俺が孕ませた───みたいになるはずだ。だから、医者に行って堕ろすのもやめろ」
産むことも、医者に行って堕ろすことも許されないというのであれば、私はどうしたらいいのだろうか。
そう思った刹那、私の下腹部に鈍い痛みが響く。
「───かはっ」
隆貴は、何を理由かはわからないが私の腹を殴ったのであった。私は、普通の腹パンよりも響いたその拳を恨みつつ、殴られた部分を庇いながらその場に膝をついた。殴られたことにより呼吸ができず口を開きっぱなしになっていたため、唾液が垂れて醜い姿になっていただろう。
「おい、お前らにも責任はあるはずだから、手伝え!そうしないと、今後使わせてやらねぇぞ!」
「て、手伝えって何をすればいいんだよ!」
「まずは...ビニール袋を持って来い。それと、バケツに水を汲んでこい。後は...すぐに捨ててもいいような布類もだ!」
隆貴が、他の部員にそう指示をする。今年入ってきた1年は、部室にいないし今年3年生の先輩たちは受験が近いのでもう部活をやめていた。
いるのは、隆貴と私の同輩だけであり、全てが隆貴の手下のようなものだった。誰も、私の味方はいない。
きっと、彼らにとって私は「マネージャー」ではなく「愛玩具」なのだ。
私は、殴られた腹が痛くて声が出なかった。抵抗したかったが、力は入らなかった。
そうこうしているうちに、隆貴が指示したものがどんどん用意されてきた。
「───と、よし。これで準備オッケーだな」
そう言うと、サッカー部の一人に指示をさせて私を後ろから持ち上げて立ち上げるような状態にさせた。
私は、十字架に貼り付けられるようにされて立ち上がるような状態にされた。そして、制服のスカートとパンツを脱がされて───
「───ッ!」
直後、隆貴の拳が私の腹部にめり込む。
「───んぁ、が...」
「まだまだぁ!」
2発目。隆貴は、的確に私の腹を殴っていた。
───隆貴は、殴ることで赤ちゃんを殺し堕胎させようとしているのだ。私の足元に広げた状態で敷かれたビニール袋に、胎児が落ちるようにしたのだろう。
馬鹿なりに考えたのだろう、彼なりの堕胎方法を。
「もう1発!」
「───か...」
私の口から溢れ出る、吐瀉物。それが、私の腹を殴っている隆貴にかかってしまった。
「クッソ、先に吐きやがった...クセェ...」
隆貴はそんなことを言いつつ、腹を殴ってくる。その時、私の中に変化があった。
───喪失感。
物語では、体にポッカリと穴が空いたような───などと表現される「喪失感」はこんな感じなのだろうか。
私の言葉で表すとするのなら「体から内臓が全て失われたような」だ。
全てを失われたような喪失感。虚無感。憂鬱感。
私は、そんなものに支配された。それと同時に、ゴポリと音がなり敷かれていたビニール袋に私の体液に塗れたヌメヌメとした見たくもないような成長不十分な人形のような何かが落下した。
後に、赤く染色された何かが赤子に繋がりながら落下していく。
「───は...は...」
私から、言語能力が失われたような感じで、言葉を紡げない。口をパクパクさせて、水の外に出てしまった魚のように苦しみながら呼吸をするしかできなかった。
私の膣からは、排出されきっていない体液が漏れ出ていた。もちろん、その衝撃に体が驚き失禁もしていた。
全てを、サッカー部の同輩全員に見られていたのであった。
「掃除をすんぞ、血とかは見られちゃマズイから水をまいてその上から布をかけて掃除しろ。全部、燃やして捨てる」
隆貴は、私なんか無視してそのまま片付けの指示を行う。
私は、その日だけで何もかもを失った。生きる意味を、生きる希望を、生きようと思える理由を、生きたいと思う感情を、生きなければならないという強迫観念を失った。
私は、その日だけで何もかもを忘れた。希望を尊さを、絶望の味を、幸福の定義を、不幸の楽しみ方を、人間の崇高さを、悪魔の気高さを、道徳の重要さを、恋愛の麗しさを忘れた。
───その時既に、私の人間としての価値なんて無くなっていたのであった。