智恵の過去 その②
橋本隆貴。それが、私の高校1年生の彼氏の頃の名前だった。
橋本隆貴───これ以降はできるだけ私と付き合っていた時に似せたいために「隆貴」って呼ぶことにする。
隆貴は、身長170cmとちょっとの、サッカー部だった。それでも、1年生なのに、隆貴はサッカー部のレギュラー入りをしているほどには、サッカーが多かった。
準レギュラーに落とされた先輩たちも、その表は優しい所があり、それでどうにか上手くやっていたみたいだった。
しかも、隆貴君は、サッカー部の練習で忙しいのにも関わらず、私との時間を無理に作ろうとしてくれていた。
私の人生が変わる決断をしたのは、他でもない私自身であった。
隆貴の裏に隠されている、人とは思えないような───否、理性というものを無くした人の「完全体」のようなものを目撃したのは、私がここで決断を間違えたからであった。
───ここで、その決断の様子を微細に話そうと思う。
そう、それはサッカー部の夏の大会が始まる1ヶ月ほど前の───私が高校1年生の7月の時の放課後だった。
告白したのは、学校が始まってすぐの4月19日だったので、付き合い始めたから大体2ヶ月後のことだった。
「ねぇ、隆貴。私考えたんだけどさ」
「なんだい?」
「私、サッカー部のマネージャーになろうと思うんだ」
「───え?」
「あー...駄目、だった?」
「いや、違う違う!思わず、びっくりしたんだ!サッカー部のマネージャーになってくれるだなんて思わなかったからさ」
「それで、いいかな?」
「うん、今サッカー部にマネージャーがいないから。俺も嬉しいよ」
そう言うと、隆貴は爽やかな笑顔を浮かべた。
私は、その日の晩ごはんのときに両親にもそのことを話した。
「ねぇ、お母さん。私、サッカー部のマネージャーになろうと思うの」
「あら、いいじゃない。まだ、部活決まってなかったんでしょう?」
私は、高校に上がって部活に迷っていたのであった。だから、サッカー部のマネージャーになるのも部活に所属できるいい機会であった。
私は、基本的に運動が苦手だったので、運動部に入るのは厳しいし、絵も裁縫もそれこそ授業でやったこと以外はほとんどなかった。別に、料理はできたけどわざわざそれを部活にしようとも思わなかった。
なので、恋人の隆貴君のいるサッカー部のマネージャーとしては丁度良かったのだ。
「サッカー部のマネージャーってことは、合宿とかにも行くのか?」
「あー...そこのところはまだ知らないんだけど、そうなるんじゃないかな?」
「合宿も楽しそうね」
「マネージャー、大変そうだけど頑張ってみるね!」
両親も、マネージャーになることを快諾してくれたので、その翌々日から早速サッカー部のマネージャーとして入ることになった。
「───今日から、内のサッカー部のマネージャーとして入ってくれる新1年生だ!挨拶してやってくれ!」
「え、えっと、こんにちは!1年2組の村田智恵って言います!サッカーのルールはあまり知りませんし、リフティングもほとんどできませんが精一杯頑張ります!お願いします!」
「マネージャーなんていつぶりだ?」
「内のサッカー部にも花がやってきたぞ!」
「隆貴、お前の彼女なんだってな!」
サッカー部の男子の雄叫びが聞こえてきた。私の学校のサッカー部の、女子人気は高いがマネージャーとして入る人はいなかったのだ。
───そんなこんなで、私のサッカー部のネージャーとしての仕事は始まった。
マネージャーの仕事は、ドリンクの制作やビブスの洗濯などであった。
洗濯は、洗濯機に詰め込んでしまえば終わる話だったし、ドリンクも重かったけど水道さえあればできた。
後は、練習試合の時に車に荷物を詰め込むのも仕事にあった───けど、隆貴も手伝ってくれたから別に苦ではなかった。
───と、そろそろ幸せな高校生時代を語るのも終わりにしようと思う。
隆貴の印象が、マイナスの方へ傾いたのは夏休みも真っ盛りの8月。その時の、夏の大会の時であった。
私達の学校も参加している夏の地区大会の日であった。
その日、地区大会の4回戦───準決勝で、私達の学校は敗北した。
2vs3での敗北。
負けた1点はPK戦で敗北して取られたのであった。
PK戦でボールを蹴ったのは、私の彼氏である隆貴であった。隆貴のせいで、敗北したのであった。
私は、反省会をするために学校に戻ってきた際、隆貴を励ますために2人になった時に声をかけた。
「りゅ、隆貴」
「なに?」
「今日の試合は残念だったけど、ま、また次はあるよ。来年頑張ればいいよ!」
直後、私のお腹に硬いものがめり込んでいた。その硬いものにお腹が負けて、私は後ろによろけて倒れてしまう。私は、一瞬何をされたのかわからなかった。私は、目と鼻の先に立っていて拳を握りしめていた隆貴を見て、その時初めて「殴られたのだ」と確信することができた。
「なんっ...」
「次とかじゃねぇんだよ!大切なのは、今なんだよ!」
隆貴は吠える。そして、私に馬乗りになるようにして私の腹を数発殴る。
「隆貴、ごめんっ、ごめんっ!」
私は、自分の行動が間違えていたことに気付いた。隆貴はいくら優しいからって、試合で負けた時は逆立っているに決まっている。私が愚かだったのだ。
「なんで、なんで俺なんかがあんなチームに───ッ!」
何度も何度も繰り返し私を殴っていた手が不意に止まる。そして、隆貴は私のことを急に抱きしめてこういった。
「───ごめん...ごめんっ、智恵!俺、感情的になっちゃって!お前は悪くないのに、つい殴っちゃった!ごめん、ごめん!智恵、馬鹿な俺を赦してくれ、智恵!」
───隆貴は典型的なDV彼氏だったのだ。
だが、そんなことも気付かない盲目的な恋をしていた私は、隆貴を支えてあげなきゃと、思っていしまう。
まだまだ、私の「絶望」というものはやってきていなかった。