4月23日 その⑤
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───梨花が刺されてから数時間後。
梨花が刺されたショックで失神した後、何者かに運ばれたのは保健室であった。そこで、治療を受けて刺された傷口は縫われて一命をとりとめた。
そして、梨花は目を覚ます。
「んん...アタシは...」
梨花は、目を覚ますと自分が鬼に刺されたことを思い出した。体育館で刺されて意識を失い、気付いたら保健室に───。
「あ、秋元さん!大丈夫?」
「───ぇ」
梨花の手を握るのは、梨花が恋に落ちていた───いや、落ちている存在である柏木拓人であった。
「体が痛むだろうから安静にしてて欲しい。体育館で一人倒れていたのだけれど...大丈夫だった?」
「え...あ...うん、だ、だ、大丈夫だった、よ」
拓人に、手を握られて思わず梨花はしどろもどろになってしまう。
「───あ!いや、ごめん、手を握られるのは嫌だったよね」
拓人は、自分の行動に気が付き手を離す。
「い、いやじゃないよ。逆に、嬉しかった。手を握ってくれて、う、嬉しかった」
梨花の頬は段々赤くなっていく。
「そうか、よかった。体育館で、背中から血を流して倒れていたからびっくりしたよ」
「は、運んでくれたの?」
「うん、オレが背負って」
「あ、えっと、ありがとう...」
梨花は、少し俯いて感謝を伝えた。
「えっと...その、聞いちゃいけないことかもしれないけど...いい?」
「あー、うん。いいよ?どうしたの?」
「───拓人君...は、美沙の事が好きなの?」
「────い、いや?別に、好意なんかは持っていないけれど...」
拓人は、昨日のことが思い当たるのか少し間を開けて否定をした。やはり、聞いてはいけないことだったのだろうか。場が、少し重たくなったのを感じる。
「こっちも、聞いちゃいけないことかもしれないけど...いいか?」
「うん」
拓人も、梨花に1つ質問する。それは、恋愛の内容などではなく───
「鬼は、どんな奴だった?」
聞いたのは、梨花のことを刺した鬼のことであった。
「鬼は...」
梨花は思案する。そして、思い出したのは失神する直前に、鬼の声がボイスチェンジャーを作った無機質の声から美沙の声に変わったこと。
「鬼は...美沙だよ。佐倉美沙」
「───んなっ」
梨花の断定に、拓人は驚いたような声を出す。彼の、額には汗が浮かんだ。
───それもそうだろう、昨日から今日にかけて行為を行っていた相手が、鬼だなんて知ったのだから。
寝首をかかれなくてよかった、そう安堵しているに違いない。
「鬼は、美沙の声をしていたの。アタシは、同じ寮で寝泊まりしているからわかる!あれは、美沙の声だった!」
梨花は、嘘を言っていない。あれは、佐倉美沙の声であった。
「じゃあ...鬼は...」
「あ、いたいた!梨花ちゃん、ごめん!謝らせ───あ...」
運悪く、その場に現れるのは噂をしたら現れた美沙であった。そして、運悪く梨花に居合わせるのは、お互いのイザコザの問題になっている拓人であった。
全員が全員、全員に違った感情を持っているであろう。
梨花は、拓人には恋愛感情を。美沙には怨恨を。
美沙は、拓人と昨晩性行為を行ったので少しぎこちなさを。梨花には申し訳無さを。
拓人は、美沙には梨花から聞いた「美沙は鬼」と言う言葉からの恐怖を。梨花には怪我を心配する優しさを。
───十人十色。様々な感情を持ち合わせて、この場に集合した。
だが、ここで美沙がやってきてしまったのはさらなる混乱を招く最悪の展開だと言えるだろう。
「さ、殺人鬼!殺しきれなかったからアタシのことを殺しに来たんでしょう!」
「え、え?な、何の話?」
「アタシの背中を刺したのは───生徒会はアンタでしょう!」
「え、ち、ち、違うよ!ミ、ミサじゃない!」
「アタシはわかってるのよ!アタシが失神したと思って、ボイスチェンジャーを切って美沙のその声で話していたのをアタシは聞いていたんだから!」
「えぇ?ミサは生徒会じゃないよ!」
「じゃあ、なんでここに来たのよ!」
「ミ、ミサは梨花ちゃんに謝りに来たんだよぉ!」
「謝りに?なんで!」
「なんでって...その...」
美沙は、気まずそうにチラリと拓人の方を見る。これは、拓人本人の前で、梨花が拓人に好意を寄せていることを言って良いのかという確認でありアピールであった。だが、拓人を取られた挙げ句に背中を刺された梨花が、それを行った美沙にとって冷静でいられるはずがない。寛容でいられるはずがない。
「ほら、言えないじゃない!拓人君がいるから、自分が生徒会だって正体を明かせずにアタシを殺せずにいるんでしょう!謝罪なんて嘘よ!」
「えっと...オレは...」
拓人は、困ったような顔をしてこの言い合いを止めようとしている。
───だが、誰を信じればいいのかわからないのだ。
どちらの仲間をすればいいのか、どちらを庇えばいいのか拓人にはわからないのだ。
───そして、そんな状況に置かれた拓人は混乱してしまい、この状況で最悪とも言える行動をしてしまった。
「あ、あまり喧嘩はしない方がいいよ。オ、オレは出ていくから...」
最悪策。
拓人は、判断に困り「逃げ」という選択肢を取ってしまった。確かに、鬼ごっこで「逃げ」は正しい行動なのかもしれない。
だが、女の喧嘩を仲裁するのに「逃げ」は最もいけない行為だ。
しかも、梨花と美沙の中では「拓人」もこの言い合いの理由の一因だ。
故に、この「逃げ」と言う選択は最悪といえる。
好意を持っていて少しでもいいところを見せようとしていた梨花と、性行為をしたことが後ろめたくその事について謝りに来た美沙の2人の暴走を食い止めていた、一種の堤防とも言える拓人が保健室から逃げていった瞬間、両者の感情は爆発する。
「拓人君を好きって言ったのに、忘れてたなんて白ばっくれやがってェ!それに、背中まで刺してくれたなァ!アタシは、絶対に許さねぇよォ!」
「ミサは、その事について謝りに来たの!本当に忘れてたんだって!」
「んなの、嘘に決まってんだろ!クソビッチがァァ!」
直後、美沙の顔面に吸い込まれるように、梨花の拳が美沙に直撃する。
───こうして、女の女の意地をかけた陰湿な戦いが開始された。
梨花、口が悪い...
そして拓人もイケメンなのに、どこか残念に...
一番誠意があるのは、美沙だという皮肉。