閑話 東堂真胡の過去
体調が不良すぎる...
だが、休みと言う文字はない。
今回の閑話は、「捕虜救出隊」のメンバーの一人でもある東堂真胡です。性別は男。
予定では4月9日の閑話にするつもりが、色々重なった結果こんなに遅くに...
死亡フラグではない。どちらかと言うと生存フラグ。
2009年が4月9日、東堂真胡───私は、この世に誕生した。
その時、出産に立ち会っていたのは母親の母親───私の視点から言うと母方の祖母と母方の祖父。そして、父化の祖母に父方の祖父。他には、当時5歳と3歳の私の姉であった。
父親は、この時仕事の出張でどうしても出産に立ち会うことができなかったらしい。
上2人の出産にはもちろん立ち会ったらしいのだが、私の時は都合が悪かったらしい。
もっとも、私が予定よりも早く産まれてきてしまったのにも、一因はありそうなのだが。
───そのまま、私はスクスクと育った。
そして、3歳のに時父親が蒸発する。そう、消えたのだ。嫁と子供3人を残し、どこかに行ってしまったのだ。
父親が蒸発した真相から、話したほうがいいだろう。
これは、最近わかったことだ。
───父親は浮気していた。
そう、父親は浮気していたのだ。私が生まれる前から浮気をしていたのだ。
私の父親は、母親との間に私を宿していると同時期に、間女と出会いそこにも子を宿した。
間女は、私と同い年の子供を宿していたのだ。
それが発覚したのは、テレビでの取材であった。私の父親は、私達のことなんか忘れて幸せそうな家計を持って生きていた。
───と、父親のことはあまり話したくないからこれで終わりにしておこう。
伝えたいことは、父親が浮気をしていなくなったことであった。
父親が蒸発しても、浮気が発覚していないので母親は父親のことを待ち続けた。私達を育てながら、待ち続けたのだ。警察に行方不明届を出したが、しっかり相手をしてもらえなかったらしい。
いなくなった父親をただ待ち続けるのにも、お金はかかる。そう、私達がいるのだ。私が3歳の時、上の姉はもう8歳で小学校に入学して2年が経っていた。
それに、下の姉だって来年には小学校に入学する。そうすれば、お金だってかかるのだ。
母親は、一人で働き始めた。父方の祖父母には、父親を探す以外に迷惑をかけることができなかったし、母方の祖父は死に、祖母は認知症を患っていた。
祖母は幸い、母親の妹に預けられたので母親が何か手を焼く必要はなかった。父親がいなくなったことを、母親の妹───叔母はわかってくれていたのだ。
母親の周りの人は皆、優しかったのだ。男に逃げられたことを理解してくれていたのだ。
もっとも、誰も「浮気して逃げた」なんて告げる者はいなかったが。
こうして、私は母親に姉2人と女の多い家で育ってきた。
父親がいなくなり、お金が無かったので外食などはしたことがなかったし、遊園地などにも行ったことはなかった。
だが、家には2人の姉がいた。故に、辛いことは特になかった。
2人の姉は、私に優しく接しかけてくれたのだ。
料理を教えてくれたし、刺繍も教えてくれた。母親が仕事で忙しい分、できる限りの家事は姉2人が引き受けたのだ。私も、家族の役に立ちたかったから姉2人から家事を教わった。
私が女々しい理由は女しかいない家庭だったからだろう。
───そして、去年の11月にこんな手紙が家に届く。
Dear東堂真胡
素晴らしき才能を持つ皆様、お元気にしていますでしょうか?今から
言及致しますのは、あなた達の18歳の過ごし方でございます。
1年間、私達の運営する「帝国大学附属高校」で活動するというプログラ
ムです。このプログラムに参加して卒業すると、大学には「帝国大学」
に通うことが可能です。高大の一貫というわけです。是非とも、
参加していただけないでしょうか。拒否するのであれば、断ってもかまいませ
ん。ですが、勧誘のチャンスは一度きりとなります。是非とも、参
加して頂きたいのです。プログラムの内容は、参加者にのみ、後日詳
しく伝える旨のメールを送ります。プログラムの参加者は、以下の電話番号
または、メールアドレスにまでご連絡ください。なお、参加しない方はメッ
セージ等は不要です。他にも、ご質問等ございましたら、メールに連絡をな
んなりとしてください。皆様のご連絡を、私達はお待ちしております。これ
からの学生生活に幸あれ。
電話番号 0○0ー○○○○ー××××
Gmail ??????????????.com
私は一瞬迷った。だが、家族はこれに参加するのに反対はしなかった。
大きな理由としては、無料とは言えないものの安かったからだ。
一般受験を通り、最低4年間の大学生活を乗り越えるのにこのプランは安かったのだ。
上の姉は、大学に行かずに就職の道を選び母親と私達2人を支えることを選択した。そしえ、下の姉は大学に行って専門の知識を得てから就職することを選んだ。
私は大学に行かずに就職する気でいたが、家族としっかり話し合いこのプログラムに参加することにした。
だから、私はデスゲームでも死ぬわけに行かなかった。家族が私の帰りを待っているのだから。