4月10日 その⑬
「ゴホッゴホッゴホッ」
智恵が、突如として咳き込む。いや、吐き気だけが独り歩きしている状況だろう。
もう、智恵の体の中から体外に排出できるような物は残っていない。だから、いくら疼き吐こうとしても出るのは唾液くらい。
「智恵、智恵!」
マスコット先生が述べたのは、たった3文字。「処女だ」の3文字だけなのだ。
隣で、とても辛そうにしている智恵を見て気付く。
───この情報は嘘。
もし、この状況が本当だとするならば、マスコット先生は智恵にセクハラをしただけで話が終了だろう。
だが、この情報が嘘───すなわち、「処女ではない」のだとするならば。
今、智恵が思い出すのは「情報①」にも関連するような酷く凄惨な───単刀直入に言ってしまえば望まぬ性行為が起こった時の記憶だろう。
俺は、怒りがフツフツと腹の底から湧いてくる。この怒りは、智恵へ対するものじゃない。
簡単なことにも気付けなかった自分への怒りと、智恵が「処女だ」と聞くだけで思わず吐いてしまうような状態にまでもっていった強姦魔達であった。
智恵が処女じゃないことに対しては、俺の中ではそんなに問題ではなかった。俺は処女厨じゃないし、そこに愛があり、ちゃんと了承を得ているのならばその性行為は認められるべきだと思っているし、若気の至りもあるだろう。もっとも、俺は智恵よりも若者だと言うことがわかってしまったのだが。
───そんな、議論のすれ違いはやめておこう。
今、大切なのはこの「怒り」という重すぎる感情をどうするのか。
到底、自分の中じゃ溜め込み抑え込んでおける程度の怒りの量じゃない。どうにかして、分散しなければ己も智恵も壊れてしまいかねないほどの怒りのエネルギーが含まれている。
「───智恵」
「栄...」
俺は、互いに名前を呼び合う。
「俺は、気にしないよ」
「───」
再度、智恵はむせてしまう。俺の言葉は、悪手であった。
そう、智恵は俺の言葉をこう捉えたのだ。「お前の過去なんかどうでもいい」と。
俺は「処女でも処女じゃなかろうと気にしない」と言う感覚で投げかけた。だが、今の智恵は直接的に受け入れられるほど素直ではなかった。
知られたくない過去を思い出し、もしかしたら人間不信になったところもあっただろう。それこそ、強姦されたりしたのならば、男嫌いになり、信用なんか地の底に落ちるはずだ。
───そんな時に「俺は、気にしない」なんて言われたら婉曲して捉えて誰が、非難できようか。
「智恵、気にしないって悪い意味じゃない!処女だろうと、処女じゃなかろうと俺が智恵を愛さない理由にはならないってことだ!大丈夫、俺は何があっても智恵の味方だ!」
「げほっ...栄...」
俺は、自分の判断ミスを恨んだ。
何が、「智恵の精神の安定を待つ」だ。
俺が恐れていたのは、泣きっ面に蜂の状況であった。もし仮に、泣き止んだとしてやってくるのが蜂ならばよかった。
だが、やってきたのは隕石。空から降ってくる無数の槍。核爆弾。散弾銃。
泣いてるどころか、絶好調の時でも死ぬしか無いような情報が待ち構えていたのだ。
───やはり、スクールダウトを何があっても中断するべきだった。
俺の判断ミス。判断ミスなのだ。
「───智恵、ごめんな。また、嫌なことを思い出させた」
「どうして...栄が謝るの?」
「え」
俺は、智恵の疑問に答えられない。
「私の過去のことも、情報も全部、栄が悪いの?」
「そんな訳じゃ...」
「じゃあ、なんで栄が謝るの?」
「なんでって...俺が無力だから?」
「もっと、手を変え品を変え頑張っていたら、ゲームを中断することができたの?」
「それは───」
「無理ですよ。中断する気なんか端からありません」
マスコット先生が、俺の代わりに答える。
「じゃあ、栄は謝らないでよ!全部...全部私が悪いの。過去のことも...死のうとしても死ねなかったのも...こうやって、デスゲームに巻き込まれちゃったのも、全部、私が悪いの!」
「んな...」
俺は、智恵の気迫に押されて言い返すことができない。
「私が悪いんだよ...全部、私が悪いの...」
智恵が、開き直ったかのように薄ら笑いを浮かべながらそう述べた。
「ごめんね...」
智恵が謝ることで、やってくる沈黙。俺も何も言うことができなかった。
不幸中の幸いとしては、この内容に触れることができるのが、俺も智恵の2人だけだったと言うことだろう。
付き合っている俺はまだ、許されるとして他の一般男子は、この内容に触れたらセクハラとしてあーだのこーだの言われて終わるだろうし、女子は尊厳が破壊される辛さが理解できる人もいるのであろう。誰も触れることはなかった。
「静かになりましたね?」
「誰のせいだと思ってる?」
「村田智恵さん自身じゃないですか?」
「───ッ!」
「栄、いいの。怒ったって何も変わらないよ」
智恵に静止されて、俺はマスコット先生を咎めるのをやめた。
俺は、智恵のために戦っている。智恵が「やめて」と言うのなら、それを優先しなければならない。
「では、静かになりましたので。情報⑤ ───」
智恵が公開される情報としても、『スクールダウト』としても、最後に公開される情報。
これで、地獄は終わる。もう、誰も彼もボロボロだが、やっとこのゲームを終わらせることができる。
そう、誰もが安堵しただろう。だが、やはり俺と智恵の心は休まることはできない。
やはり、ラストに来る敵は途轍もなく強大だった。
「───池本栄を利用できるだけ利用して、いざとなったら禁止行為を犯した事にして殺そうと思っている」