60章:観測地点Ⅰ・エアーズロックシティ①
ウルル=カタ・ジュタを取り囲むジャングルのような森の中では、朽ち果てたビルたちが様々な植物に浸食され、千年以上という途方もない時間の流れを感じさせた。
俺たちは二手に分かれ、研究所への入り口を探していた。俺とメアリーは正面から、フィーアとチャールズは裏手から捜索をしている。というのも、研究所はコンピューターによる監視がなされており、通常ルートでは発見され、MATHEYに通報されるリスクがあるためだ。
「しかし……お前らって、似た者同士だよな」
鬱蒼と生い茂る草木をかき分けながら、俺は呟くようにして言った。
「私と、誰が?」
機械的なほどに早い返事が、後ろから放たれる。メアリーの抑揚のない言葉は、弱冠感情を把握しづらい。
「兄貴に決まってんだろ」
それ以外に、誰だというのか。
「……フィーアのことかと」
そう言われ、思わず“なるほど”と思ってしまった。まぁ、たしかにこいつとフィーアも似てるっちゃ似てるか。合理的で冷静、軍人気質なところ。かと思えば、真っすぐな情を湧き上がらせることもある。サラとディアドラとは対照的で、あの二人は感情に動かされやすく、損得勘定抜きな考えをしている――ということを考えれば、ある意味で俺たちはバランスが取れているのかもしれない。
「……兄さんと似てるなんて、あまり言われたことない」
「そうなのか? ……あまり兄妹ってものを見たことがねぇから、似るもんなのかと思ってたが」
「見たことがない……? そんなことあるの?」
メアリーは俺の言葉に対し、訝しげな口調で問い返した。ああ、そういう疑問か。そうなってしまうのも無理はない。
「俺たち“チルドレン”は、あまり兄弟がいねぇんだよ」
「……どうして?」
「さぁな。そんなに疑問に思ったことはねぇが、あまり二人目が作れない――と聞いたことはある。俺だけでなく、カールやノイッシュも兄弟はいねぇしな」
おふくろは二人目を妊娠していたが、死産してしまった。それが原因で、子供を望めない体になってしまった。両親はどうしても女の子が欲しかったからこそ、サラを引き取ったのだ。
「ふーん……」
メアリーは意味深に息を零らせ、俺の関心を誘おうとしているように感じた。
「何か思うところでもあるのか?」
こういう時は、敢えて聞いてみるのが一番だ。俺は彼女の方へ振り向き、問いかけた。
「“チルドレン計画”――数百年前から行われているということは、“ティファレト”を有するチルドレンが生まれるのに、相当な数の子供を作らなければならない。だとするなら、どうして子供が生みにくい環境になっているの?」
「…………」
言われてみれば、たしかに。
「何百年もこの計画を続けていることを考えれば、この方法でしか“ティファレト”を生み出せない――ということは明白」
「なら、もっと多くの子供を造らせた方が、可能性があるってことか」
多くの子供を産ませる。セフィラの器が生まれるまで――。普通に考えれば、その方が手っ取り早いはずだ。
「でも、そうしない理由――或いは、そうできない理由というのがあるみたいね」
「……そういうことになるな。わざと時間をかけたようにも思うが」
まどろっこしい計画のようにも思えるが、それさえも理由の一つのように思える。何もわからずに、あのグリゴリたちが計画を遂行していたとは思えない。
「あともう一つ。前から思ってたんだが」
「ん?」
いつの間にか俺の前をスタスタ歩いていくメアリーに問い掛けると、彼女は表情を違えずに俺の方へ向き直った。その顔はどんな時も同じように見える。
だからか、俺はどうしても質問せずにはいられなかった。
この亜熱帯の中、なぜちょっとしか汗をかかず、涼し気でいられるのか。
「……暑くねぇの?」
「見ればわかるでしょ」
彼女はそう言い放ち、再びスタスタと歩き始めた。
お前の表情じゃあ、全くわかんねぇから聞いてんだけどな……。
――映像を見ただけで理解できないか――
一ヶ月前、そんなことを言ったお前の兄貴を思い出しちまった。
やっぱり、お前ら兄妹は似てるわ……。
60章
――観測地点Ⅰ・エアーズロックシティ――
『どうやら、研究所はこの巨石の上にあるようだ』
インカムから聞こえてくるチャールズの声は、やはり淡々としている。
「俺らもそう思ってたところだ。何せ、目と鼻の先にエレベーターがあるからな」
俺とメアリーは茂みに隠れ、その先を睨んでいた。絶壁に沿うようにして、真っ白な円柱が空に向かってそびえ立っている。おそらくだが、これが研究所への“正面玄関”なのだろう。
『人はいる?』
「いや、今のところいねぇな」
フィーアの問いに、俺は周囲を注意深く見渡しながら答える。
「カメラらしきものは視認できないけど、あると見て行動した方が良さそうね」
メアリーの言葉を聞きながら、アーサーが出発前に言っていた“各研究所の半径5キロ圏内には、この飛行艇で入らないように”というのを思い出していた。
『さて、どうやって入るか』
ふむ、とチャールズの冷静な独り言が聞こえてくる。
『めんどくさいからさ、いっそのこと正面から行っちゃえばいいんじゃない?』
「…………」
この女は……なぜ、そんな方法でしか行動しようとしないのか、未だに疑問だ。
『少しは頭を使え。何を考えている』
冷静なツッコミ……こんな風に言う奴、今までいなかったからか、少し新鮮に感じてしまう。
『いやいや、大真面目なんだけど?』
『我々が研究所に侵入することが露見すると、グリゴリどもが執政官をよこす可能性がある。そうなった場合、勝てるとは言えん。主席のウルヴァルディ相手に、俺たちだけで勝てると思うか?』
仮に差し向けられなかったとしても、警備を増強されてしまい、他の研究所に潜入できなくなってしまう可能性も考えられる。リスクは大きいが……。
『アルタイルとフェンテスがいなければ、上席の執政官には勝てん。もう少し想像力を駆使してから発言しろ』
これまた淡々としているが、チャールズの言葉はえらい辛辣だ。やっぱり、メアリーの上位互換みてぇなもんだな……。
『嫌味レベルが段違いね。年の功かしら?』
「…………」
この状況で、メアリーにも嫌味を言えるお前もなかなかなもんだが……。
「それで、ゼノは何か考えはないの?」
と、これまた空気を読まないというか、切り裂いてそこにねじ込むようにして、メアリーの言葉が入ってきた。このタイミングで喋るってのも嫌なんだが……まぁしゃーねぇか。
「……チャールズ、フィーア。お前たちは裏に回ってるんだろうが、エレベーター以外に入り口はありそうか?」
『いや、特に見当たらん』
「なら、正規の入り口はこのエレベーターだけってことになる。だとすれば、避難するための方法がいくつかあるはず」
研究所は巨大な岩石の上に建てられている。もし何らかのトラブルがあった場合、避難するための方法が何通りか用意しているものだ。
「俺たちが乗ってきたような飛空艇での脱出、エレメントを利用したワープ移動……ってのも考えられるが……」
『上空から攻められてきた場合だと、飛空艇での脱出は困難。研究所自体が攻撃された場合、ワープ移動は難しい。となると、直接的に脱出する“避難経路”があるはずってことね』
俺の言葉を読み取ったのか、フィーアは独り言のように言った。
「この巨石のどこかに通じる道があるとは思う。あと考えられるとしたら、ワープ移動でこの廃墟のどこかへ移動できるようにしている――ってところか」
「あまり遠くにはないってこと?」
「おそらくな。ワープ移動は距離が長ければ長いほどリスクが高い。必然的に近隣になる」
クラフト・ネットワーク――通称“CN”を利用したワープ航法はASAの膨大なエネルギーであるエレメントを利用してのものだ。あそこまでの長距離移動はできないものの、グリゴリたちの技術ならば、近隣へのワープ移動は利用されているはず。
「とは言っても、そのワープ移動の機械かなんかを利用すると、すぐばれちまう可能性は否めんな」
『そりゃそっか。だったら、物理的な避難経路を探索する方が無難ね』
ため息交じりに、フィーアは言った。
『このまま二手に分かれて探索しよう。俺とエディンバーラは裏側を。エメルドたちは、正面付近を探索してくれ』
「……了解」
いちいち指図されんのは気に喰わんが、さっきも揉めちまったから、ここは素直に従っとくか。
「さて、それじゃコソコソと探索を続けますか」
「そうね」
俺とメアリーは再び、茂みの奥へと進んでいった。
「一つだけ言っていい?」
「なんだ?」
エレベーターのある側の背後――そこは断崖絶壁となっており、巨石から樹々が突き破り、巨石を覆うようにして広がっていた。フィーアたちはその樹々の巨大な枝を移動しながら、探索を進めていた。
「そろそろ苗字で呼ぶのやめたら?」
「…………」
フィーアの純粋な疑問だった。というよりも、若干気持ちのわかるものだったが故に、聞いてしまったのだ。
「人と関わるの、ビビってんの?」
そう問うても、チャールズは彼女の方へ振り向くことなく、枝から枝へと移動していく。下は青く霞む熱帯雨林が広がり、足を滑らせれば命の保証はない。
「ビビッてなどいない。これが俺だ」
「へぇ……」
人と関わることを恐れている――恐れていたのは、何よりも自分だった。PSHRCIにいた時から、あの子とウル以外に関わろうとしなかった。する必要もないと思っていたし、関われば関わるほど、自分が弱くなってしまいそうだったから。どうしてそう思っていたのか、根本的な理由はわからない。本能的にそう思っていたのだろうか。それとも、私の知らない何かが、人との関りを極端に減らそうとしていたのかもしれない。
だから、ゼノたちと出逢ってから自分が弱くなったと思っていた。失いたくない、失わせたくない――そう思ってしまった。
“お姫様”と“二人の騎士”――おままごとのようだ。でも、演じているんじゃない。本気だった。それは他者との関りがあるため。狭い価値観のようで、確固たる意志の形成。私には無い、私には形作れなかったもの。
だから、羨ましかった。
「折角一緒に行動するようになったんだから、名前で呼べば?」
昔の自分だったら、絶対に口に出さないようなセリフ。あの子が聞いたら、目を見開いて驚いてくれそうだな。
「名前で呼び合うほど仲が良いわけではあるまい。俺たちは利害が一致したパートナーだろう」
「……たしかにビジネスパートナーみたいなもんなんだろうけどさ、今やっていることって、命がけでしょ? なら、お互いに信頼関係を築かないといけないと思うんだよね。信頼もない相手に背中を預けることができるほど、あなたは甘い人間とは思えないんだけど」
どこかで予防線を張っている――そう思っていた。ゼノが私の名前をなかなか呼ばなかったのと、同じだ。
「私たちが相手にしているのは、“世界”みたいなもの。損得で動いてどうにかできるほど、相手は弱くない。私もあんたを信用したいから、あんたも私たちを信用してほしいってことさ」
自分のすべきことをはっきりすると、それに向かって言葉が出てくるような気がする。それが例え、今までと違ったとしても。
すると、チャールズは移動を止め、数秒ほど何かを考えるようにして首を傾げ、フィーアの方へ振り向いた。そして彼女をいつものようなポーカーフェイスで、少しの間見つめていた。
「……何?」
思わず、フィーアも怪訝そうな表情を浮かべ、首を傾げる。
「随分変化があったようだな」
「は?」
チャールズは踵を返し、再び隣の樹木へと飛び移っていった。
――自分以外は敵だと教え、育てた駒だ――
以前、ウルヴァルディはそう言っていたが……なかなかどうして、人間味のある性格になっているじゃないか。“敵”と過ごす中で、今まで触れ得なかったものに触れ、心境が変化したのか……。
或いは、あれこそが彼女の本来の姿なのかもしれない。
健やかな人間味……欠落していたものを、周囲の人間味あふれる人間が、知らずのうちに分け与えたのだろう。
人と関わることを恐れている――か。
たしかに、俺は恐れている。再び失ってしまった時、その痛みを味わってしまうことを。俺もメアリーも、失うことを恐れている。
失うだけでしかないこの世界で、今更何を悦ぼうというのだろうか。
俺自身に、その資格があるとは言えないのだ。