7章:哀しいとか、そういうもの
今日のミッションは木星にあるコロニーへ行って、そこにいる枢機院事務次官のの護衛。何でも、昨日起きたGHの襲撃事件で、ケガやら事後処理などで本来そこへ派遣されるはずだった人員が不足してしまい、俺たちチルドレンが行くことになったのだとか。
「オルフィディア事務次官に会えるなんてこと、滅多にないぞ」
担当の教官であるラグネルは、今回のミッションに参加するチルドレンがいる会議室で俺にそう言った。どこか、ラグネル自身が誇りを感じているかのように聞こえる。
「別に、会いたいとも思っちゃいないけどな」
と、俺は苦笑しながら言った。
「そう言うなって。来年には史上最年少で枢機卿になる人だ。会って損はないぞ」
俺でさえ会ったことない、と付け加えてラグネルは笑う。
「一般市民の俺にとっちゃ、関係ねぇよ。それに、最初からガードマンとかいるんだろ?」
「そうだが、お前たちの経験のためにってことさ」
「経験ねぇ……」
面識のない奴を護れって言われても、体を張って護りたいとは到底思えないもんなんだがな。
「護衛なんて嫌?」
笑いながら言ってきたのは、ディアドラだった。その隣には、ノイッシュもいた。
「あれ? ディアドラとノイッシュも一緒だったのか?」
「……ゼノ、メンバーの確認くらいしようよ」
ノイッシュの言葉に、そうだったかなと頭をかしげると、彼女はさらに笑い始めた。
「私たちは護衛の任務はよくやってるから、慣れてるんだけどね」
彼女はそう言って、ノイッシュと顔を合わせた。
「まぁ、ゼノたちは基本的に危険な戦闘ミッションばかりだから、こういったミッションは退屈に感じるかもな」
と、ノイッシュは苦笑を交えて言う。たしかに、俺もディンも護衛関係の任務なんざした記憶がない。というよりも、既に数え切れないほどのミッションをこなしてきたため、思い出せないかもしれない。
「退屈って、なんか俺が戦闘狂みたいな言い方すんなって」
つい、俺はノイッシュのように苦笑をしてしまった。すると、彼は「ごめんごめん」と言いながら自分の眼鏡に触れる。
「でも、ゼノとディンがいれば失敗なんてことないから、安心するんだ」
ノイッシュは少し子供っぽい顔――童顔なためか、そんなことを言われると俺は視線をそらしてしまう。照れてしまっているのがディアドラや、ラグネルと話しているディンに気付かれなければいいのだが。
「私もゼノと一緒にするのは安心する。きっと大丈夫って思えるからさ」
「……ディアドラまで、んなこと言うなって……」
護衛だけのミッションなのに、そんな大げさな――と思いつつ、少しだけ嬉しいとは思ってしまう。
「ディアドラ!」
彼女を呼んだ声の主は、俺の後ろから現れた。
「そっか、サラも一緒だったよね」
「うん。ディアドラと同じミッションやれるなんて、ちょっと信じられないけど」
ディアドラとサラはそう言いながら、微笑んでいた。こうして二人を並ばせて見るのは初めてだが、ディアドラの方が背が高かったんだな。あんまし意識したことはなかったが。
「俺は反対だけどな」
俺がそう言うと、サラは俺の方に顔だけを向けて睨みつけてきた。
「しょうがないでしょ。上層部が決めたことなんだから!」
「できることなら、お前と一緒にはやりたくねぇんだよ」
俺はため息交じりにそう言い、出入り口の方へと歩き始めた。これから10分後には、G棟にあるテレポートを利用して木星コロニーへ向かうのだから。
「ラグネル、無事を祈っててくれよ」
俺は彼の横を通り過ぎる時、いつもの言葉を放った。
「ああ。そうしてやるよ」
彼もまた、いつもと同じ言葉を送った。どんなミッションであっても、俺はラグネルにそう言う。一つのおまじない――みたいなものだ。
「ゼノ、少しきついんじゃないのか?」
俺の後を付いて来ていたノイッシュは、G棟へ向かうエレベーターの中でそう言った。ちょうど、この中には俺たちしかいなかったからだ。
「そうか? そうでもないと思うがな」
俺は腕を組んだまま、壁に寄りかかっていた。
「いつになく、と思ったんだ。俺たちと同レベルのミッションをやらせるのは、些か不可解なものだけど」
彼もまた、Cクラスのサラと一緒にミッションを行うということに疑問を抱いていた。そう言ってきたのは、そもそもノイッシュだったし。
俺は頬を指先でかきながら、思っていることを言う。
「過信してほしくねぇんだよ。あいつには」
とりあえず、それだけだった。すると、ノイッシュは小さく微笑んだ。
「……過信……そっか、なるほどね」
こくりとうなずいたノイッシュに対し、俺は安心した。同時に、嬉しくもあった。それ以上何も言わないでくれたことが。
音が鳴り、エレベーターの扉が開く。そして、俺たちはG棟へと向かった。その途中、ノイッシュは言った。
「ゼノはホント、お父さんみたいだな」
「……また言うか、それ」
事務次官護衛任務をする10人のチルドレンは、巨大な白いフロア――高さ数十メートルもあるドーム並みの空間――に整然と並べられている機械の中に入った。それは巨大なカプセルであり、このフロアには同じようなものがいくつもある。これが、テレポートの機械だ。その一つ一つが、だいたい10~15人程度入れるほどの広さで、中は星空の中にあるような、どこか不思議な明かりを放つ空間である。
俺たちはそこに入り、床に配置されたくぼみに両足を入れた。それとほぼ同時に、カプセル内に青白い光が床を這い、大きく点滅し始める。
『移動先入力中…………』
そのアナウンスと共に、今度は俺たちの目の前に一つの空間ディスプレイが表示される。
『SIC管理人工惑星ジュピターα-04への移動を行います。ASAへアクセス開始……』
ディスプレイに「ACCESS」という緑色の文字が浮き出し、長々と点滅する。そして、カプセル内に何かをチューニングするかのような音が響き渡った。これは、メインシステム「ASA」にアクセスした時のものだ。
俺はふと、視線を横に向けた。何人かのチルドレンを挟んで、ディスプレイをじっと見つめるサラを見つける。ディスプレイからの白い光を受け、肌そのものが一つの画用紙のように白く見え、よく見えないはずなのに緊張している様子が手に取るようにわかった。きっと、口を横一文字にしているからだろう。
……何もなければいいが。
俺は少しだけ俯き、心の中で祈るかのように呟いた。今はただ、平穏無事にミッションが過ぎればいい――そう願っていた。
『アクセス成功。……【レイネ】の認証が完了しました。これより、ブラックホールの生成を開始します。お気をつけください。レイネからの警告があり次第、直ちに……』
テレポートを利用する時、毎度のように注意事項がアナウンスされる。ブラックホールを利用してのワープは、はっきり言って危険であり、失敗すれば助かる可能性はゼロに限りなく近い。しかし、レイネがあるから大丈夫だという安心感が俺たちを包んでいるため、その可能性に目を向けるものなど皆無だった。
『事象の地平線及びエルゴ領域発生確認……空間移動を開始します』
「COMPLETE」の文字が映し出され、それと同時にこのカプセル内全体に波打つような青い光が波紋のように広がり始め、俺たちを包み込み始めた。そして、俺たちの視界が青いものから限りなく白いものへと変化した時、テレポートが開始された。
それは一瞬の出来事であり、既に慣れたことでもあった。まどろみの中に漂っているかのような感覚にある時、俺は思った。
――アルマゲドンが起きた時の人々は、世界がここまで発展するなんて予想もしなかっただろうな――
白い世界から解放された時、目の前に広がっていたのはさっきと変らぬカプセル内の風景だった。上空に表示されているディスプレイには、『テレポート成功』という文字が浮かんでいた。
『対象者の分析をしております……しばらくお待ちください』
俺たちの足下からゆっくりと、緑色の光線が俺たちの体を検査しながら上昇していく。その光が眼球に到達し、上へと移動した直後に、俺たちはみな同じように目を瞑ってしまった。
『対象者全員から異常は検出されませんでした。……アクセス切断、ワープモードを終了します……』
機械独特の低い音が、響きながら徐々に小さくなっていく。それに伴って、俺たちは安堵の吐息を混じらせながら他のチルドレンと顔を合わせあった。
「よし、これより国際基地に向かう。勝手な行動はするなよー」
SSSクラスの俺からは見慣れない教官である茶髪の若々しい男性は、カプセルの外へと向かい始めた。俺たちも、一列になってその後を付いて行った。
ワープ装置のあったフロアから出ると、天枢学院と同じような白い壁と白い通路が出現した。だが、違うことが一つだけある。それは、窓から見える風景だ。外には、様々な建物が列挙しており、ずっと奥には高層ビルなどがあり、近くには軍事的なものであろう基地など共に戦車や小型飛行機が佇んでいて、ワープ装置のあるフロアは軍によって管理されているのだと思わせる。
そして、より違和感を感じたのは今歩いている場所が地表にあるのだということだ。なぜなら俺はセフィロート生まれで、人生の半分近くを天枢学院という浮遊機関で生活をしていたからだ。ミッションの関係でこういったコロニーに来るといつも感じるが、寧ろこういった感覚の方が「当たり前」なのだろう。
……ああ、そっか。セフィロートはASAの恩恵を存分に受けているからだ。
そう思うと、自分にとっての当たり前は、この宇宙に存在するほとんどの人間にとっての当たり前ではないことに気付かされる。何度も何度も。
俺たちは基地内の通路を渡り、SIC国際基地に向かった。百人程度が入れるほどの白いフロアに、俺たちは整然と並べられた真っ白なイスに座って、教官が指さしている空間ディスプレイに目をやりながら、今回のミッションの最終確認を行う。この場所には誰誰で、ここは――など。
「そう言えば、ちょっと噂なんだけどね」
教官の話が終わり、それぞれの持ち場へと向かおうとイスから立ち上がった時、ディアドラが言ってきた。
「昨日の襲撃事件、ただ事じゃないんだってさ」
「……ただ事じゃないって、どういう意味だよ」
そう問い返すと、彼女はうーんと唸り始める。
「噂にしか過ぎないんだけど、SICの局員の人たちが手引きしたんじゃないかって言われてるらしいの」
俺は「ふーん」と興味なさげに返事をしながら、誰だってそう思うのは当たり前か――と思っていた。俺たちが気付けたことなら、他の奴らだって気付けること。それだけわかりやすい事件だったのだから。
「そんなことがあるから、ちょっと心配なのよ」
「今回の護衛にか?」
そう言うと、ディアドラはこくりとうなずく。
「事務次官が狙われるんじゃないかって思ってさ」
彼女は苦笑しながらそう言った。
「まぁ、そう思っちまうのはしょうがねぇよ。でも、それが起きたとしても、事務次官を護りとおすのが今回の任務だろ」
俺はディアドラに笑顔を向けた。きっと、彼女は少し緊張しているのだろう――と、そこはかとなく感じる。
「……だね。ゼノもディンもいるんだから」
「そういうこと」
と、俺は彼女の肩をポンと叩いた。少しだけ微笑んだディアドラは、枢機卿候補である事務次官の護衛ということで、プレッシャーを感じていたのだ。GH襲撃ということが相乗効果となって。
ふと、俺は周囲のチルドレンたちに目をやった。それぞれが、いつもよりも緊張している――ような面持ちをしている。それとも、俺やディンが落ち着いているからそう見えるのだろうか。何にせよ、この場にいる奴ら全員がオルフィディア事務次官と初めて出会うわけで、緊張しないわけがないのだ。
「ちょっと、外で空気吸ってくるね」
「ああ。あんま時間無いから、すぐ戻って来いよ」
彼女は笑顔でうなずいて、外へ向かって行った。途中、同じクラスのノイッシュを無理やり引っ張って行くのが見えて、そこはかとなく俺は安心していた。彼ならば、その性格がうまく彼女を和らげるだろうと思ったからだ。
それから10分後、俺たちはここのコロニーの軍港へと向かった。
事務次官が隣のコロニー「ジュピターβ-01」へ演説のために向かっており、これからこの軍港へと戻ってくるので、俺たちは国際基地へまでの護衛をすることとなっている。俺たちの他にもSIC軍の兵士が何百人も並んでおり、事務次官が如何にお偉いさんなのかがわかる。
「それにしても、厳重な警備だな」
俺はため息交じりに呟いた。それを聞いたディンは、小さく苦笑する。
俺とディンは、軍港の入り口付近で警備をしていた。ここの通路はまるで資料で見たトンネルのようなもので、数メートル先にある天井には、宇宙の姿が透けて見える。ずっと向こうに行くと都市部へと繋がっていて、そこにはゲート(監視システムのようなもの。レイネの保護は受けていない)がある。
「そりゃ次期枢機卿候補だからね。万が一ってことも考えて、無駄に警備は厳重にするもんだよ」
ディンの言葉にはどこか皮肉が混じっているようにも感じるが、それはある意味で俺も同じだった。
「あんだけ兵士がいりゃ、俺たちなんか必要ないだろうに」
俺は腕を組み、壁に寄りかかりながら軍港へと目をやった。ここから数百メートルのエスカレータで降りて行くと、巨大な広場――とは言っても、あちこちに兵器やら小型戦闘機などがある――があって、その奥にはいくつかの発着路があり、それぞれに宇宙空間と遮断するための壁が設置されている。
「ハハ、そう言うなって。セフィロートでの襲撃事件のこともあるから、敏感になってるんだよ」
と、まるで俺を宥めるかのようにディンは言う。
「今回ほどつまらないミッションもねぇよな」
「そうだったっけ?」
少しだけ微笑みながら、彼は首をかしげた。
「最近は、殺しのやつばっかだったろ」
「……そう言えば、そうだったね」
彼の微笑は、少しだけ寂しさを紛らわせるものに変わってしまった。
「でも、昔にもこういうミッションはやったんだよ。覚えてないか?」
ディンの言葉に、今度は俺が首をかしげる。そんな俺の姿を見ながら、ディンはいつものように笑っていた。
「まぁ、結構昔のミッションだから、覚えていないのもしょうがないか」
軍港にある軍事用や枢機院用の宇宙船に目をやりながら、彼はため息を漏らした。俺が知る限りでは、民間用もここの宇宙船も、真上から見ると二等辺三角形の定規のように見える。
「あのミッションまでは、こういったミッションが中心だったんだよ」
「…………」
そう言えば……そうだったか。埋もれていたものが、数十年ぶりに掘り出されたかのような感覚に襲われる。それは嬉しいものでも、悲しいものでもなかった。寧ろ……
「すっかり忘れてた。護衛とかじゃねぇけど、今思えばそれなりに暇なミッションだったな」
「だろ?」
俺とディンはあの頃を思い出しながら、互いに笑った。ほんの数年前の話ではあるが、それは遠くから客観的に見つめることができるほどまでに色あせていた。それは、幼い頃、ディンとサラと一緒に遊んでいた10歳までの想い出とは対照的だった。
「懐かしいもんだ。あの頃は、人を殺したりするなんて夢にも思わなかったからな」
「そうだね。自分たちのCG値がここまで高いことでさえ」
俺のCG値は1280、ディンが1211。Cクラスであるサラが218で、Aクラスのノイッシュが468であることを考えると、俺たちの数値が如何にずば抜けているのかがわかる。人殺しのミッションをするまでの俺たちは、その数値がチルドレンを分別するものであることを理解するには、少しだけ時間を要した覚えがある。
「……なんなんだろうな、CG値ってのは」
俺はいつの間にか、あぐらをかいて座っていた。傍から見れば、職務怠慢にしか見えない。
「どうしたんだよ? 急に」
「考えたことねぇか? 俺たちチルドレン……セフィロートの住人にだけ施される数値のこと」
そう言うと、ディンはうーんと唸りながら顎に手を添えた。
「たぶん、みんながみんな、一度は考えたことはあると思うよ。ある意味、人生を決めるものだから」
ディンの言うように、CG値の高さによって俺たちチルドレンは天枢学院を出た後の進路を決定されると言っても過言ではない。俺の親父にしても、おふくろにしても。
「能力値……とは説明してるけどね、教官たちは」
「……教官たちは……か」
上層部――それも枢機院ならば、この数値の本当の意味を知っているのだろう。そして、俺たちが使える「エレメント」のことも。エレメントはCG値の高さによって、その可能領域が広がるのだから。
「やりたくもないのに、やる方の身にもなってほしいかな」
ぼそっと、ディンは言った。呟いたかのような彼の言葉は、もしかしたら彼の本音そのものなのかもしれない。同時に、それはチルドレン全員に当てはまるものなのだろうとも思った。
「……愚痴言ったって、しょうがないさ。逆に、できることだってあるんだからよ」
俺は彼と同じように、呟くように言った。すると、彼は俺に視線を向けて、さっきと同じように微笑む。
「ゼノらしいね。……そうする方が、いいんだよな」
何がいいのか、俺は訊かないことにした。言わなくたって、互いにわかっていることだったから。
俺は立ち上がり、ズボンや尻の辺りを手で払った。
「ちと、トイレに行ってくる」
「おいおい、ミッション中だろ?」
そう苦笑するディンに対し、俺は「お前がいるなら、今回は俺がいなくたって大丈夫だろ」と言ってエスカレーターの近くにある階段を下り、ドアの前にあるパネルに手を添えた。「ピッ」という音が鳴り、ドアは自動的に横へスライドして開く。俺たちの静脈などを解除キーとして登録してあるのだ。
内部は国際基地や天枢学院と同じように、壁も天井も床も白い。まるで迷路のような軍港内部は関係者以外立ち入り禁止にされていて、俺が歩いている一本道の通路は非常通路ということもあり、人はいない。俺だけが歩く音が内部に響き渡り、それがどこかへと吸い込まれていって、その後にやってくる静寂はどこか安心するものだった。人気のない場所というのは、普通ならば不安になるものなのに。
トイレに行ってくると言ったのは嘘で、俺は少し一人になりたかった。思うところがあった――と言えばそうなのだが、どうも暇すぎてやっていられなかったのだ。
いつも余裕をもってミッションをこなしているわけだが、俺とディンがやっているミッションはほとんどが人殺しのもの。……いや、気が付けば、俺たちはそういったミッションしかやらなくなったような気がする。
俺は思い出していた。初めて人を殺した時のことを。だから、ディンに嘘を付いてしまったのかもしれない。
あれは……どこだっただろうか。どこのコロニーだったか、俺はもう思い出せないでいた。なのに、あの時の相手の顔や声、流れ出てくる血の色や臭いが俺の脳裏に焼き付いている。
「やめてくれ」
相手はそう言った。逃げ惑いながら。震えているのは奴だけでなく、俺も同じだったはず。逃げ出したいと思っていたのは、彼だけでなく俺も。
「……嫌なことを思い出したな」
俺は通路の中程で、そう漏らした。いつの間にか足を止めていて、視線はつま先の2メートル先に行っていた。
あれから数え切れないほどの犯罪者――SICに敵対していると認識された人間を殺してきた。秩序を守るためだからと言って。
2年前から、俺は思うようになっていた。正義のために人を殺すことは、本当に正しいのかどうか。俺たちがミッションだから……SICの戦闘員だからと言ってすることは、本当に正しいのか。
辞めたいと思ったことはない。だが、それとは違う別の「何か」がいつも胸の奥で潜んでいるような気がして、それが今の疑問に繋がっていっているんじゃないかと思わせる。息を殺しているはずのものなのに、その存在が色濃く浮かび上がっていくような。
汗が滲み出てくるように……じわり、じわりと、言いようのない虚無感と倦怠感が体を覆う。それはいつしか、俺が人を殺せなくなる時に繋がっていくような気がしてならない。
ねぇ、知ってる?
そんな言葉が、俺の心中から微かに漏れた。数え切れない日々が積み重なっていき、それによって埋もれてしまった言葉。砂時計の砂の中に覆い隠されてしまった古い言葉。
その後、どう言葉は続いて行くのだろう――と思う前に、俺はいつものように顔を振った。頭を覆うようにして浮かんでいたそれらは、どこかへと霞んでしまう。
……やっぱり、こういう時に一人でいると余計なことばかりを考えてしまう。思い出したから、というのは理由にならない。ただ逃げたいと思っているにすぎない。
そして、俺はそんな事実からさらに逃げようと――気付かないふりをしようとしているのかもしれない。あれから無数の時間が積もって行ったのに、また掘り返すようなことをしなければいいのに。
俺は小さく、そして長くため息を漏らした。いつにも増して、それは周囲に陰気を与えるものであったが、人がいないのは好都合だった。そう思えるほど、こういう時は一人で――
「どうしたの? ため息なんかしちゃって」
俺は後ろへと振り返った。そこに立っていた声の主は……
「……てめぇ……」
「そんなに睨まないでよ。別に危害を加えようとしてるわけじゃないんだしさ」
そいつは、作り笑顔を浮かべながらそう言った。
立っていたのは、あの女だった。ディンの家にいるはずなのに、GHの服装ではなくサラたちと同じ女性チルドレンの服装でそこにいた。
「なんだ、やけに落ち付いてるね」
そう言いながら、女は首をかしげる。
「私の予想じゃ、あんたは私に掴みかかってきてあれこれ怒鳴り散らすと思ったんだけど」
「…………」
俺は女から視線をそらさず、腰につけてあるグラディウスに手を添えた。それに気付いた女は、
「そんな敵愾心剥き出しにしないでよ」
と、苦笑した。俺はそんな女を、表情を変えずに見据える。
「……で、どうやってここに来た」
「わかんない? 勝手にID使わせてもらったの」
女は5センチ四方のカードをポケットから取り出した。俺はそれを見て、どういうことなのかを理解した。
「なるほど……ロヴェリアのID使ったのか」
「そーいうこと」
ニッコリと微笑みながら、女はうなずいた。
奴はロヴェリア――ディンの両親のIDをマンションにあるパソコンなどから盗み、それを利用したのだろう。ディンの両親は元々俺たちと同じチルドレン。そのため、個々のCG値を持っており、それらがASAやレイネにアクセスするためのキーとなっているのだ。それを利用して天枢学院、或いはセンタービルにあるテレポート装置を使った、ということ。
「やっぱり、お前は殺しておくんだった」
俺は舌打ちを混じらせながら言った。すると、女は顔をしかめてため息を漏らした。
「だから、そんな睨まないでよ。私は逃げ出そうとかしてるわけじゃないんだからさ」
「俺がてめぇの言葉なんかを信じると思ってんのか?」
「……そう言われたら、繕いようがないんだけど」
女は腰に手を当てて、再びため息をする。それがわざとらしいと思い、俺はグラディウスの刀身を発現させ、奴の首元に付きつけた。
「決めろ。ここで死ぬか、大人しく捕まるかを」
俺は瞬きをせずに、女を直視した。奴は光り輝くグラディウスの刀身を、目を細くして見つめる。
「そんなに私を殺したいの?」
刺々しい敵意のある声だった。それでいて、女の瞳は凍りついてしまったかのように冷たく、落ち着いている。
「……そう思うのか?」
「そう思えるけどね」
「そりゃそうだ。なんたって、俺たちは敵同士。俺の仕事は、てめぇらみたいな犯罪者を殺すことなんだよ」
なぜか、俺は小さく笑っていた。自分でも不気味と思えるほど、自然と。眉を少しだけしかめている女の表情から察するに、きっと俺はおかしいと思われるのだろう。笑顔で言うセリフじゃないのだから。
「哀しいね、そういうの」
僅かな微笑を浮かべながら、女はそう言った。どうしてか、その言葉は俺の怒りを逆なでするもので、内なる焔がより燃え上っていくのが自分でもよくわかった。
――だから、その瞬間……ほんの一瞬だけ、俺は剣を動かすことができなかったのだ。呼吸も、その時に止まってしまったかのようだった。
柔らかい感触が、俺の唇に触れた。それは一瞬にして頭から上半身、下半身へと広がり、指の先にまでも行き渡る。そして、その後に体を覆いつくしたのは電流が流れたかのような――不思議な身震いだった。
俺は何が起きたのか、理解できていなかった。ただわかっているのは、体に広がった感覚と、目の前にある女の白い肌と、閉ざされた黒い曲線から伸びる長いまつ毛だけ。
ピンク色の唇が俺のそれと離れた時、女はようやくまぶたを開けた。そこにある紅い双眸は、凍りついているように見えたはずだったのに、いつの間にか融解してしまったかのようで、魅入ってしまうほど鮮やかで、消えることのない永遠の炎だった。
生きている証、そのもののように思えるほど、紅い瞳は炎に見えたのだ。
「……少しは、弱音とか吐いたら?」
女は微笑みながら、少しだけ首をかしげた。
その時の声が、あの時と同じだった。この女が目覚めて、俺が馬乗りになってグラディウスを付きつけた時と。その時の女の声には、今まで感じていたものが一切含まれていなくて、彼女独特の美しさが含まれていた。確証はないのに、それだけが確信のものとして俺の中に記憶されていた。
「あんたも私たちも、結局のところ同じなのに」
哀愁を含んだ微笑をして、女は言った。その時、
――絶対なる破壊者さ――
――遥か古より続く螺旋を破壊するための――
違う。
何が?
――これも、我々の罪か――
何かが、頭の中で流れた。光が瞬いたような、目の前の風景が一瞬だけ真っ白になってしまったかのような。
「俺は…………」
声が震えていた。その理由もわからなかったし、何を言おうとしているのかさえもわからなかった。そして、付きつけていたはずのグラディウスを握っていた腕を下ろしていたことも。
その時、爆音が轟いた。