59章:銀髪のお姫様の秘密①
「かつてのエアーズロックってのも、こうなってしまったら妙な感慨深ささえあるわね」
鬱蒼とした雑草が生い茂る中で、フィーアはそれを見上げながら見つめていた。
オーストラリア大陸のウルル=カタ・ジュタ……西暦時代には国立公園として世界的に有名だったそうだ。しかし、第三次世界大戦で“エアーズロック”と呼ばれる巨石は破壊されてしまい、砕け散った残骸がかき集められただけの無残な姿となっている。その姿はさながら、将棋崩しのようだった。
この大陸は元々乾燥した大地が広がっていたが、現在は熱帯雨林が生い茂っており、ジャングルに近いほど草木がこの地を蹂躙している。無数の巨石になったエアーズロックを覆うようにして、巨大な樹木らが纏わりついていた。
「あんなところに研究所なんてあるわけ?」
フィーアはどこか疑念めいた視線をチャールズに送った。
「海面上昇に伴い、人々は内陸部且つ標高の高い場所を目指した。エアーズロックの破片の上に町を形成し、西暦時代末期までここは研究者たちの町として栄えた――と聞いたがな」
チャールズはどこでそういった資料を調べたのかはわからないが、まるで教本を手に授業を行う教官のようでありながら、感情のないAIが喋っているように淡々と説明していた。
「しかし、第三次世界大戦で世界は一変しちまったとはいえ、ここまで変わっちまうもんなんだな」
「“アベルの都”が使った兵器とやらが、それだけ威力のあるものだったんでしょうよ。正直な話、想像できないけど」
どこかため息交じりに、フィーアは言った。
「約53億人が死亡した、人類史上最悪の殺戮。……世界の姿をここまで変えることができるなんて、にわかに信じ難いと思っていたけれど、この星へ来て漸くそれが“史実”だと気付いた」
青空を見上げ、メアリーは言った。
「……あの大戦の首謀者は、世界を滅ぼそうとはしていなかった――とされているけれど、それだけの殺戮の後に、何をしようとしていたのかしら。それだけ人類を殺せば、滅亡に近いものだと思うのに」
なぜ、こうなってしまったのか――。
変貌してしまった世界を、今の世界を見てその“首謀者”は何を思っていたのか。この果てに望んだのは、今のような様々な陰謀を張り巡らし、歪な計画を推進する人類の姿なのか。
どこまでも青く、巨大な積乱雲を携える空を見つめる彼女の表情には、そんな想いが溢れそうになっているように見えた。
「それでも、人は生き延びてるじゃない」
フィーアは彼女の隣に立ち、同じように上空を見つめた。太陽は俺たちの真上に差し掛かり、煌々とした輝きをもってこの大地を熱していく。
「こうやって、しぶとく、生きる場所を変えてさ。……千年近く経って、私たちは漸く星に戻って来た。世界の秘密を知るために」
千年の時を経て――。そう考えると、妙に現実が大きなものであるように感じた。ここへ辿り着くのに、それだけの膨大な時間が目には見えない巨大な塊となって横たわっていたのだ。
「きっと、その中にあるはずよ。世界がなぜこうなってしまったのか――その答えが」
彼女はメアリーの肩を軽くはたき、フッと微笑んだ。
「だから、陰気臭い顔をしなさんな」
彼女はそう言って、まるで置いてけぼりにするかのように早足で先に進み始めた。
「…………」
フィーアの後に続こうとするも、メアリーはなぜか彼女の背中をじっと見つめていた。
「どうした?」
俺が声を掛けると、メアリーは何度か瞬きをして、俺の方に向かって首を傾げた。
「……なんだか、妙な感じがして」
「妙な感じ?」
それが何を意味するのかわからず、俺も首を傾げる。
「あんなに優しかったかしら」
「……お前はあいつのことをどういう風に思ってんだ」
とはいえ、元々、うちの女性陣は仲が悪い方だったからな。ギスギスした関係性だったが、ここへ来てどこかそれが融解しつつあるように思う。
一番の変化は、彼女の言うようにフィーアなのだろう。それは俺も同じように思っていた。
――――――――――――――――――
アフリカ大陸、ガランバ――。
かつて、ここは多くの動物が住まう国立公園として多くの人に認知されていた場所だった。第三次世界大戦後、地軸がずれたため砂漠化が進み、荒涼とした風が吹きつける砂塵の大地となっていた。
ローランたちB班は砂漠の中にあるという研究所を目指していた。
「あち~……あちーぞ」
タンクトップ姿で、ローランは太陽を仰ぐ。
「宇宙にいた時は、地球上で浴びる太陽光ってのは気持ちいいもんだと思ってたけど……もう憎たらしいったらないなー」
こんなに暑いなんて聞いてなかったから、尚更だ。ローランは手を額に付け、影を作って乾いた空を見る。
「目的地までまだあるようですし、そろそろ休憩しませんか」
カールは汗を拭いつつ、提案した。
「そうだなー。まだ予定地までしばらくあるしね。よし、ここいらで休憩~」
ローランたちはテントの設営を行い、休息の時間を作った。
設営されたテントの日陰で、それぞれ飲料で水分を補充しながら椅子に座り、あれこれと他愛のない会話を始めた。皆、気心の知れた中でありつつも、初めての地球の大地を踏みしめ、乾いた砂塵を含む風を受け、皮膚をじりじりと焼き尽くそうとする太陽光の痛みを知り、宇宙での生活とは想像以上に違うことを実感していた。
「それにしても、研究所が砂漠の中にあるっていうのもすごいものだね」
資料を確認しながら、ノイッシュは言った。
「特殊なエレメントを利用して巨大な空洞を作り、そこに作ってるって……まるで、遺跡みたいだ」
と、カールは苦笑する。
「ガランバの研究所が設立されたのは、西暦2520年……か。第三次世界大戦で文明レベルが落ちたっていうのに、エレメントを利用するだけの科学技術力があったっていうのは、なんだか不思議」
ディアドラも頬杖をつき、資料に視線を送る。
ガランバ研究所――設立は西暦2520年。地球連盟特務機関“カナン”により、極秘裏に建設された特殊研究所の一つ。“崩壊の扉”を観察することが目的とされる研究所の中で、唯一地中に建造された研究所である。
「エレメントが世界的に認知され始めたのは、22世紀頃。一般人に知れ渡っていないだけで、そういったテクノロジーってのは、結構予想よりも先のことを可能にしてるもんさ」
ローランの言葉は間違いではなかった。事実、テクノロジーというのは一般化されるまでかなりの年月を必要とする。“可能”であるのと“認知”されるのは、大きな差異があるものだ。
「イヴリース博士の資料によれば、エレメントを扱える人間たちを“カナン”に集めていたそうだし、彼らを利用していろいろやってたんでしょーよ。やってることは、今も昔も変わんないもんさ」
「なんだか嫌だなぁ」
ディアドラは背もたれにどっしりと背中を預け、大きくため息をついた。それは他の人に向けて、あからさまなものであるようにしたものだった。
「私たちの知らないところで、世界は公表できないようなことをしていて、世界の生き死にが関わってるなんて思いもよらない。……知らない方が幸せだって、ある意味当然なのかな……」
無知は罪――。
そう思う人間もいる。だが、知らなければそれらの事象に思いも馳せることもなく、ただ安穏と明日の自分、或いはこれからの人生に対してだけ考えればいいのだ。
知らなければ、こんな嫌な思いをせずに済んだのに。
どことなく、ほんのちょっとだけそう思ってしまう――ディアドラはやるせない気持ちになりながらも、今度はそれを吐き出すかのように再び大きなため息をついた。
「ほんの数か月前まで、こんな場所まで来るなんて思いもしなかったもんな」
苦笑しつつ、ノイッシュは言った。
そう、ほんの半年前まで、俺たちはセフィロートという“箱庭”から出ることでさえ、想像できなかった。いや、想像していなかった。ずっとあの場所で、あの巨大な箱舟の中で、SICの一兵士として生き続けていくものだと思っていたのだから。
「今じゃSICに追われる身だもんなー。それもこれも、ある意味ゼノとディンのせいかな」
カールもまた、ノイッシュと同じように笑みを浮かべていた。
「おやおや、カールは後悔してんのかい?」
「え? いや、そういうことじゃないですよ」
ローランのちょっと意地悪な質問に、カールは思わず少し慌ててしまっていた。
「俺はCクラスだから、SIC内では上の地位になることなんてできないんです。参謀部を志望したのも、CG値に関係ない分野で評価される場所だからで……」
ロークラスのチルドレンは、出世できない。それはSIC内では当然のことだったし、SICの各部・各局の上層部はハイクラスだけで占められている。さらに言えば、SICに関係する企業の経営者陣にもロークラスの者はほとんどいない。
生まれた時から、自分の価値はCG値によって定められている。
知りたくもなかったのに。
知られたくもなかったのに。
「……だけど、ゼノとディンは、将来を約束されていたのにも関わらず、サラちゃんを救い出すために規律を破り、SICを敵に回した。それがめちゃくちゃかっこいいなって」
――すまねぇ、カール。俺たちに力を貸してくれ――
メアリーをさらうために、軍部へと侵入するのを手伝ってくれと、ゼノたちは言った。ゼノとディンはいつも、ハイクラスだろうがロークラスだろうが、分け隔てなく接してくれた。
ロークラスである俺を、必要としてくれた。
たったそれだけのことが、とてつもなく嬉しかった……だなんて、口に出しては言えないよな。
そう思いながら、カールは小さく微笑んだ。
「だから、結果として今の状況になったことに対して、なんの後悔もないですよ。まぁ、ものすごく危険な目に合わせられていますけど」
「ハハハ、そりゃそうだわね。……俺も、ゼノたちに――君たちに出会わなければ、ここまでこれなかったと思うしね」
セフィラを持っているからと言って、執政官たちに勝てる見込みはない。自分一人では、到底勝算のない戦いだった。だが、ゼノたちと出会うことで、少しだけ光明が差すようになったのだ。
暗闇の中でもがき続けていたあの頃とは違う。
今は、微かに光の道が見えるような気がするんだ。
「結局、巡り巡って、私たちはここにいる。初めからそうだったかのように。……そんな感じですか?」
ディアドラは優しく微笑み、言った。
「……そうだね。たぶん、それがジョージさんの言っていた“大きな流れ”ってものなんだろうね」
大きな流れ、うねり。
それを、人は“運命”と呼ぶのかもしれない。こうしてともに旅をすることも、ひと時の時間を共有することもまた、遥かずっと古の頃に定められていたものなのかもしれない。
それもまた、人生ってもんなんだろう。
ローランはフフッと微笑んだ。
ふと、一人だけ上の空な少女に目をやった。いつもなら会話に入り込んでいるのに、今回の作戦が始まってからたたずむ植物のように静かだった。
ローランはふいと立ち上がり、差し足忍び足で彼女の後ろに行き、肩をちょんちょんと叩いた。きっと驚くだろうなーと思っていたものの、彼女は特に想像通りの表情を浮かべることもなく、後ろの彼の方へ体を向け、首を傾げた。
「どうしたんですか?」
予想していた行動をしてくれなかったため、ローランは少しだけたじろいでしまった。とはいえ、彼はそれを表情に出さずにおくことが得意な方である。敢えて愛想笑いを浮かべ、普段通りであるように見せかけた。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって。いいかな?」
「……? は、はい……」
59章
――銀髪のお姫様の秘密――
「悪いねー、サラちゃん。どうしてもこやつの調整をしておきたかったからさ」
もう一つのテントに移動し、ローランは携帯電話ほどの大きさの機械のボタンを押した。それは一瞬だけ電流を放ち、まるでパズルが組み上げられていくかのように巨大化し、一つのジェットスキーほどの大きさに変貌した。
「着陸した際、変に砂利を吸い込んじゃった気がしてね。念のため、メンテナンスしておこうと思って」
「そ、そうですか」
そんなに吸い込んでいただろうか――と疑問に思うも、機械に疎いのでそういったことは正直分からない。サラはそんな疑念を隅に追いやり、ローランの言う通りにエアダスターを使って外された部品の清掃を始めた。
「サラちゃん、聞いてもいいかな」
「なんでしょうか?」
二人とも互いに視線を合わせることなく、作業を進めながら言葉を放った。
「前々から思ってたんだけど、サラちゃんはゼノっちが好きなのかい?」
「――!」
その瞬間、サラは手に持っていたエアダスターを強く押してしまい、滑って地面に落としてしまった。心の動揺がそのエアダスターに乗り移ったかのようで、ローランは妙に納得していた。
「な、なんで、そ、そんなこと聞くんですか!」
サラは慌ててエアダスターを拾うとするも、慌ててしまっているせいか自分の手から逃げるようにしてそれが転がっていく。
「いやー、ほら、今回俺がサラちゃんをこっちの班に誘った時、なんだかショッキングな顔をしてたから」
「あ、あれは……そ、その、ショックを受けてたってことじゃなくて……」
そこで彼女は漸くエアダスターを手に取ることができ、そこで少しだけ息を整うことができたのだった。
「……ただ、嫌だなって思っただけなんです」
「え」
「え?」
サラはローランの目を点にし、今にも崩れ落ちそうなほど生気が抜けていく姿に驚愕した。彼女はすぐに“勘違いさせてしまった”と気付き、すぐさま弁明に走った。
「ち、違うんです! ローランさんと一緒なのが嫌ってことじゃなくて……」
「……いいんだよ、サラちゃん……。そんなに無理をしなくても、君の笑顔が遠巻きに見られるだけで……!」
ローランは親指をグッと立てて、涙を堪えるのに必死だった。
「もー、聞いてください!」
サラはうなだれるローランの胸ぐらをつかんだかと思うと、有体に言えば、その顔を初めて告白されたかのように赤くしていた。
「ゼノとフィーアが一緒っていうのが嫌なんです!」
「…………ほほう」
一瞬にして目が輝いたローランを見て、サラは自分が何を口走ってしまったのかを理解した。
し、しまったぁ~……!
自分の顔の表面温度が上昇しているのが、はっきりとわかるほどだった。
「それって、やっぱり――」
「もう、ローランさん! 何言わせるんですか!」
「ぬおっ!?」
バチコーンと、サラの張り手が彼の脳髄を揺さぶった。
「し、失礼します!」
まるで天敵である猫の支配領域から脱兎するが如く、サラは砂を蹴り上げながらテントの外へと駆けて行った。
自分にこんな脚力があったのかと疑うほどに、彼女は砂漠を走っていた。知られたくない自分の気持ちを、この封じ込めたい想いを、自分の見えない場所に置き去りにしたくて。
段々と足が進まなくなり、彼女は歩を止めた。妙に興奮した脳と、上昇した体温を冷やそうと体中から汗が噴き出してきている。じりじりと照り付ける太陽は、雲一つない青空の上で輝いていて、自分以外の人影さえも見えない子の砂塵の上を、容赦なく焼こうとしている。
暑いのは、それだけじゃないというのに。
私は私が分からない。ずっと胸に秘めていたもの――。
幼い頃、私はゼノのことを本当の兄のように慕っていた。物心つく前から一緒に暮らしていたのだから、そうなるのは当然のことだった。
ゼノもまた、私のことを本当の妹のように可愛がってくれていた。彼は私が血のつながった妹ではないことを、初めから知っていたのに。臆病な私に対して、ゼノはいつも優しく手を取り、一緒に遊んでくれた。後から聞いた話だけど、生まれる前に死んでしまった彼の妹に向けるはずだった愛情を、私に注いでくれていたのかもしれない。
たくさんの想い出を作ってくれた。それは未だに脳裏にはっきりと浮かび上がるほど、鮮明な情景だった。無駄に記憶力がいいのか――他愛のない会話だったり、口約束でさえ覚えている。きっと、ゼノにとっては些細なことなんだろうけれど、私にとってはどれも宝物のような想い出ばかりで、それを見返す度に、言いようのない切なさが真綿のように胸を締め付けてくる。
ゼノを“兄”としてではなく、“異性”として意識し始めたのは、きっと8歳の時だ。