56章:次なる目的へ
終わりへの序曲が聴こえる。
私の犯してきた罪を、浄化してくれるだろうか。
どれだけの時間が積まれようとも――
どれだけの血と涙を流そうとも、
その罪が拭い去れることはない。
これは贖罪だ。
抗うことさえ許されない、愚かな私の。
どうかどうか
私の子供たちが、この罪に呑まれないことを――
だから……
「本当にこんなところにあんのかよ」
俺は独り言のようにぶつくさ言いながら、崩れたビルの壁に隠れていた。二千年……若しくは、千年以上も放置されていたのだ。コンクリートの壁はあちこちが黒く変色し、植物が我が物顔で纏わりついていた。
「ここまで危険を冒させておいて、何もなかったってことがあったら覚悟しとけよ」
俺のイライラは最高潮だった。虫に刺されるは、泥まみれになるわ。なんだってこんなことをしてまで、あの研究所に潜入しねぇといけねぇんだ。
『小言を言う暇があるなら、さっさと進め。時間は無限じゃないんだぞ?』
耳に付けた小型のインカムから、まさに小言のような声が聞こえてくる。
「ちっ、うっせぇな。てめぇに言われなくたってわかってんだよ。ちったぁ嫌味ぐらい言わせろ」
『いちいちお前の愚痴を聞いてやれるほど、俺たちは仲が良いわけでもないだろう。愚痴なら近くのチルドレンにでも言え』
「てめぇ……この作戦が終わったら覚えてやがれ」
『覚える必要はない』
「あぁ!?」
『ちょっとー、無線でケンカしないでくれるー?』
呆れたように、フィーアの声が俺たちの会話に差し込まれてきた。
『ケンカをしているつもりはない。エメルドが無駄口をたたくからだ』
「てめぇいい加減にしとけよ……。俺のセフィラぶつけりゃ、てめぇなんぞ――」
『はいはい、おしまい。さっさと進むわよー』
気怠そうにフィーアは言い、わざとらしく大きなため息を漏らしていた。
『ゼノもだけど、チャールズ。あんたも癪に障るようなことを言わないこと。一番年上でしょうが』
『…………』
ブツ、と回線が遮断――いや、自主的に切られた音が響く。
『まーた無視する。やれやれ、兄妹揃ってコミュニケーション能力皆無ね』
「聞こえてるんだけど」
『おっと』
メアリーは抑揚のない、いつも通りの声で言った。しかし、その言葉には彼女特有の怒気が孕んでいることは明確だった。
『よーし、ちゃっちゃと行っちゃいましょー』
フィーアがそう言うと、ブチッと回線が切断される音が聞こえた。都合が悪くなったら逃げるのは、お前も同じだろうが……。それに、よくよく考えりゃあいつだってカスティオン兄妹並みにコミュニケーション能力がないと思うんだが。
「マジで覚えておけよ、あいつ……」
俺はチャールズの見下したような表情を思い出し、拳を強く握りしめた。ある意味、決意表明だ。帰ったら殴るという決意。
その時、すぐ後ろにいるメアリーが難しい表情を浮かべ、眉間にしわを作っていた。悩んでいるように見えるが、その姿を見るのは珍しい。
「おい、どうした?」
「…………」
真剣に考えているのか、一度の声掛けでは反応がない。なのでもう一度、呼びかけることにした。
「おーい、メアリー。どうした?」
そこで漸く俺の呼びかけに気付いたのか、メアリーの視線がスッと俺に合わされた。
「……フィーアもコミュケーション能力、無いと思う」
「…………」
かなりの真顔で言い放った彼女に悪いが、あんなに真剣な表情で考えていた内容がそんなことか……。
しかし、彼女は俺が呆れている表情を見てもものともせず、ジーッと見つめている。おそらくだが、同意してほしいのかもしれない。
「まぁ……それは間違ってねぇよ」
そう言うと、彼女はフッと笑ったのである。
56章
――次なる目的へ――
今、俺たちは地球のとある研究所への潜入を試みている。それはチャールズ=カスティオンの指示によるものだった。
なぜサラをさらった張本人が俺たちと一緒に行動しているかというと、一か月前に話を戻さなければならない。
「てめぇ……! またサラを連れ去りに来たのか!」
目の前に立っているチャールズに対し、俺は敵意をむき出しにして叫んだ。
「ちょっと待ちなよ!」
俺を制止するように、フィーアが俺の前に立ちはだかった。
「さらいに来たってのに、たった一人で来ると思う? すぐ感情的になるなってば」
「…………」
たしかに、彼女の言うとおりだ。俺にとって、あの男は敵そのもの。しかし、理由があってここにきているのは間違いがないだろう。
「まったく……あんたはお姫様のこととなると、感情のコントロールできないんだから。そこはちょっと反省しなさい」
呆れたような表情を浮かべ、フィーアはため息をついた。図星を突かれてしまい、俺は顔をそっぽ向けるしか抵抗できなかった。
「……それで? 説明してくれるかしら」
フィーアはチャールズの方へ向きなり、訊ねた。チャールズは俺たちを一瞥すると、閉じ切っていた口を漸く開いた。
「俺がここに来たのは、お前たちに協力してもらいたいからだ」
チャールズはどこか機嫌が悪そうな面持ちで言い放った。
「協力……だと?」
思わず、俺は笑ってしまった。協力という言葉を、どの口がほざいてやがる!
俺は怒りで強く両こぶしを握り締めていた。しかし、ここで怒りに任せてしまえば、奴の目的も――さらに言えば、サラをかどわかした理由もわからなくなる。突然のことではあるが、ぐっとこらえるしかない。
「この地球には、各地に“崩壊の扉”を観測する研究所がいくつかある」
“崩壊の扉”……? さっきアーサーの言っていた“崩壊の時”と違うものなのだろうか。
「その中に、天枢学院局長・ファルツ=ヴァレンシュタイン主導で極秘に行われている計画を行っている研究所がある。まだそれがどこかは判明していない。お前たちには、研究所へ潜入し、奴の計画を阻止してもらいたい」
俺たちの理解を置いてけぼりに、奴は淡々と教科書を読むように述べた。いきなり、情報量が多すぎる……。
「いろいろ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
しばらくの沈黙の後、フィーアが手を挙げた。
「簡潔に言え」
チャールズはため息交じりに腕を組んで、そう言い放った。なぜこの男は、敵だと思われているのに偉そうなのか。
「“崩壊の扉”というのは何? それを観測する研究所って、観測して何をしようとしているの? あと、ヴァレンシュタインの計画って何を指しているの?」
「…………」
「そうそう、それと、あなたがなぜその計画を阻止しようとしているのかも――ね」
仏頂面のレベルが上がり続けるチャールズに対し、フィーアは不敵な笑みを浮かべていた。
「……“崩壊の扉”というのは、そこの映像に映し出されている“闇色の渦”のことだ」
闇色の渦――アーサーが空中に表示させた、地球の一部を覆っている巨大な渦だ。台風やサイクロンとは比べ物にならないほど、巨大なものだった。
「あれが“崩壊の扉”?」
「そうだ」
フィーアの問いに、奴は大きく頷く。
「……あれは一体、何だというの?」
「理解力がないようだな。映像を見ただけで想像できないか?」
「…………」
フィーアはチラッと後ろのメアリーを細めで見る。
「あれだけでわかんねぇよ。何もかも説明が足りねぇんだ。具体的に言ってくれ」
俺は舌打ちをして、付け加えるように言った。なんつーか……こいつ、素でこんななのか?
「私が説明しよう」
すると、間に立っていたアーサーが苦笑しながら言った。
「説明不足ですまない。……あの渦は、約1000年前に突如として発生したものだ」
彼の説明によると、こうだ。
約1000年前――西暦2977、あの渦は東欧付近にて発生したのだという。発見された時には、車ほどの大きさだったが、徐々に巨大化していったという。それは周囲のものを呑み込んでいき、興味本位に手を入れた住民のそれが消失してしまったのだという。
「一年後には、町一つを呑み込むほどの大きさになった。原因がわからないため、それを抑えることは一切できなかった」
渦は瞬く間に広がり、東欧の国を完全に飲み込むほどの大きさになっていった。その頃、アーネンエルベ研究所“カナン”は、その渦はいずれ地球を呑み込み、この時間軸そのものを食らいつくしてしまう可能性が非常に高いと推測した。
「“カナン”って……東博士が設立したってやつだったよね?」
「ああ、そうだったはず」
フィーアはひそひそと言ってきた。たしか……東博士とイヴリース博士、あとはCERNという組織によってだったかと思う。
「地球連盟は、この渦――“崩壊の扉”が世界を呑み込む前に、地球を脱出し宇宙へ居住地を移すことを決定した」
「……まさか、地球を特別宙域に指定し、人の出入りを禁止したのは、環境の変化などではなく、その“扉”のせい……だったってことですか?」
ノイッシュは首を傾げつつ、アーサーに問い返した。
「そうだね。たしかに、第三次世界大戦で多くの大地が海に沈んでしまったが、決して地球に住めなくなったというわけではなかった。元々、宇宙移住計画は進められていたが、それを50年ほど早め、且つ全人類の移住を強制的に決行したんだ」
西暦2999――宇宙歴元年、人類は宇宙へと居住地を移した。その頃、“崩壊の扉”はユーラシア大陸のヨーロッパ部分とアフリカ大陸の半分、さらにアラビア半島のほとんどを呑み込んでいたという。
「ただ、人類が地球を脱出してまもなく、“崩壊の扉”の拡大する速度が大幅に減衰した」
その理由は未だにはっきりとわかっていない。だが、広がらなくなったわけではなく、徐々に広がっているのは間違いないらしい。
そこで、人類は地球に幾つかの観測所を設置した。その渦は重力と密接に関わっているとされ、地球を呑み込むまでどれだけの時間があるのか、またこの宇宙を呑み込むまでなどを調べているのだとか。
「つまり、その研究所はSIC管理下にあるもので、且つMATHEY直轄の研究機関であるってことか」
と、カールは自身で頷きながら言っていた。地球にそんな研究所があるなんて、俺たちは教えられていないし、地球を脱出した本当の理由だって習っていない。
ということは、これはSICによる情報統制の一つであり、MATHEYによるものであることは明白だろう。
「じゃあ、ヴァレンシュタイン局長は何をしようとしているの?」
ディアドラは首を傾げ、質問した。
「……奴はMATHEYの執政官だ」
――!?
チャールズの言葉に、皆驚きを隠せなかった。局長が、MATHEYだと……!?
「おいおい、ちょっと待てよ。局長は以前、“MATHEYを打ち倒すことが目的”ってほざいていたぞ?」
ベツレヘムの研究所で対峙した時、奴はそう言っていたのだ。
「……MATHEYの執政官には、それぞれ役割というものがある」
チャールズはなぜか面倒くさそうにため息交じりに説明を始めた。
「執政官は表でSICを管理する者と、裏で暗躍する者で分かれている。誰が執政官かは全部知り得ていないが、ヴァレンシュタインは“統率者”――表立って、計画を推進する役割を担っているようだ」
「つーことは、局長は反対派――拡大派を演じてるってことか?」
「その可能性はある」
と、チャールズは頷いた。あれが演技……? だとしたら、なかなかのものだが……。
「だが、必ずしもそれが奴の本性とは言えん。現に、奴はツヴァイ・ベツレヘムの重力特別研究機関“GRESI”で、MATHEYの指示とは違う実験を行っていた疑いがある」
サラが捕らえられていた、あの研究機関……。
そう言えば――局長と対峙した場所に、カプセル型の機械の中に少女が横たわっていたのを思い出した。
「その実験ってのは、人体実験か何かか?」
俺がそう訊ねると、チャールズはすぐさま俺の方へと視線を向けた。
「なぜそう思う?」
「俺は一度、局長と戦ってる。そん時に、その場所に人が入れるほどのカプセルの中に、少女――人間がいたんでな」
「……少女……」
すると、チャールズは自身の口元を隠すようにして、何かを考えこんでいた。
「……確証は持てん。だが、十中八九、奴はMATHEYの指示通りに動いてはいない」
彼は難しい顔を浮かべたまま、そう言った。
「それを調べるために各地の研究所に潜入しろということね」
なるほど、とフィーアは一人頷いていた。
「……じゃあ、兄さんはなぜヴァレンシュタインの計画を阻止しようとしているの?」
そこで、今まで静かに会話を見ていたメアリーが口を開いた。彼女の表情には、どこかまだ当惑しているようなものが混ざっているように見える。
「ヴァレンシュタインがMATHEYに反旗を翻しているのなら、私たちの協力者となり得るかもしれない。阻止する理由は何?」
彼女の言う通りかもしれない。敵の敵は味方――という言葉もあるくらいだ。とはいえ、あの時の感じだと、味方……或いは協力してくれるようには思えないが。
「奴はグリゴリの掌の上だ。奴らを出し抜いている――ヴァレンシュタインはそう考えているかもしれないが、都合のいいように動かされているだけに過ぎん」
チャールズは蔑むかのように言い放つ。
「あんたはなんでそう思うんだ? 確信でもあるのか?」
グリゴリの掌の上……可能性はあるかもしれないが、なぜそう断言できるのか。
「グリゴリどもがヴァレンシュタインを脅威と感じているのなら、既に奴は殺されている。それをせずに転がされているところを見るに、グリゴリにとってはそうした方が都合がいいと思ってのことだろう」
なるほど、そう言われてみれば確かにそうか。それならば、俺たちも同じなのかもしれない。殺せるが、生かされている――と。
「ヴァレンシュタインのすることですら、グリゴリどもの計画の一端であるとするならば、それを阻止するに越したことはない」
まぁ、たしかにそうかもしれないが……どうも、チャールズの行動の理由としては、少々弱い気がする。
「兄さん」
すると、メアリーが俺たちの前に歩き出した。
「本当にそれが理由?」
いつになく、感情のこもった言葉だった。
「それ以上、何を言う必要がある?」
「……兄さんは、いつもそう」
メアリーは小さく顔を振り、苦虫をかんだような顔をしていた。
「大事なことは言わずに、勝手に一人で行動ばかり。私にも、父さんにも何も言ってくれない。FROMS.Sだってそうよ。勝手に武器の密輸を始めたばかりに、SICに目を付けられたじゃない」
「父は始めからSICに目を付けられていた」
表情を変えず、チャールズは言った。たしかに、ウルヴァルディがそんなことを言っていた。そして、それを計画したのは、ディンの父親――ジョセフさんだ。
「……そうかもしれないけれど、切欠を与えたのは兄さんよ。少しでも私たちに相談さえしてくれたら、もしかしたら違う結果になったかもしれない」
違う結果。
その言葉に、胸が痛んだような気がした、たられば――そうであれば、どれだけよかっただろう――と。
「あの子をさらったことだって、私は知らされていなかった」
その時、メアリーは俺の隣にいるサラを指さした。
「あの時、兄さんはPSHRCIに協力していただけにしか見えない。何をしていたの? これから、何をするつもりなの?」
段々と、メアリーの言葉に含まれる感情が大きくなっていく。彼女がここまで感情的になるのは、おそらくだがベツレヘムでフィーアを叱咤した時以来かもしれない。
「…………」
「答えて! 兄さん!」
彼女はチャールズに詰め寄り、叫ぶようにして言った。それでも、チャールズの表情は不機嫌そうな顔のままで、何を考えているのかわかりづらいものだった。
「……PSHRCIと協力することで、敵の情報を仕入れるためだ」
そこから、チャールズは淡々と説明をし始めた。
SICがPSHRCIを放置していること……PSHRCIが他の組織を圧倒する戦闘技術、加えてエレメント能力を有することを鑑みるに、それらは裏で繋がっているのではないか――そう考えていたとのこと。
彼らの父・ジェームズ=カスティオンは、それらを暴こうとしていた。
チャールズはその意思をくみ取り、父に協力した。武器商人として活動したのも、知識と資材を揃えるのと同時に、敢えてSICに目を付けさせるため。
「……しかし、まさか組織の人間、ほとんどを殺しに来るとは……さすがに想像できなかったがな」
チャールズのその言葉には、嘘偽りのないものだった。自分が蒔いた種とはいえ、あそこまでの惨事になるとは予想していなかったのだ。
チャールズは逆にそれを利用し、“父の仇を取るため、SICに復讐をしたい”とPSHRCIに連絡を取り、協力関係を築いたらしい。そこでSICとの繋がりを完全に確信し、その裏で何が行われているのかを把握するために、奴らの言いなりになりサラをさらったとのこと。そもそも、地球に何らかの秘密が隠されていると聞いていたチャールズは、地球に行くためにサラが必要であるということも、ウルヴァルディから聞かされていたという。
「彼女を連れて行った先で、ヴァレンシュタインと接触した」
そこで初めて、MATHEYとグリゴリの存在を知ったらしい。
「奴は声高々に言っていた。“MATHEY――グリゴリによるこの世界の支配から逃れるためには、劇薬が必要だ”とな」
「劇薬……?」
思わず、首を傾げた。たしか、局長は拡大派。ASAのアクセス権限を増やし、CNを広げることを目的としている――そう言っていたが。
「それが具体的に何を指すのかはわからない。だが、この世界の根本を崩しかねない何かを引き起こす可能性はある」
「……局長は、何を変えようとしているってんだ?」
そう疑問に思わざるを得なかった。世界の何を変えようというのか? 単純にMATHEYからの支配脱却だけを目的にしているわけではないのだろうか。
「この世界は、我々が思うよりも複雑だ。……2000年前の世界大戦にしても、アベルの都にアーネンエルベ、セフィラ……遥か古の頃から、積み上げられてきた歴史の中に埋もれている真実が山のようにある」
チャールズは歯を食いしばり、舌打ちをした。まるで知り得ないことが恥であるかのように。
「その一端を知っているのが、MATHEYの執政官たるヴァレンシュタインだ。奴から情報を仕入れるのが最も近道と言える」
ああ、なるほど。その言葉で妙に俺は納得し、何度もうなずいてしまった。隣のサラは、意味が分からず怪訝そうな表情を浮かべている。
「……つまり、世界を変えようと――MATHEY、グリゴリに反旗を翻そうとしているってことは、この世界の秘密を知っている可能性が高いってことか」
「その通りだ」
こくりと、チャールズは頷く。
MATHEYの執政官である局長は、世界の秘密を知り得た。おそらく、グリゴリの“崩壊の時から世界を救う”ということの真意も。それを知っているからこそ、局長は局長なりの正義で何かを成そうとしているのだろう。
「俺はヴァレンシュタインの不自然な動きを察知し、独自に調べていた。だが、その研究所の一つであるツヴァイ・ベツレヘムのものはコロニーとともに消滅した。残りは地球にあり、俺単独では行くことはできなかった」
なんとか行ける手はないかと、地球のエレメントによる防壁である“マクペラの壁”を発生させている月の施設――“ケーリュケイオンの塔”へと潜入していたという。俺たちが潜入したあの基地こそが、それだった。
「運よく、お前たちとともに次元転移に巻き込まれ、地球へ行くことができた。……あまりにも運が良すぎるがな」
いくらなんでも運がいい――そのためか、チャールズは自分を嘲笑うように口元を湾曲させていた。
そして、彼――アーサーのいるこの空間へとたどり着いたのだという。
「ちょいといいかい、お兄さん」
そこで、ローランが挙手して訊ねた。今まで静かにすることのないような男が、今回は静かにしていたので妙に安心してしまった。
「どうやってここに来たんだい? この仮想空間に通じる場所は、簡単に入ることはできなかったはずだけど」
そう、この空間は仮想空間――そこへは、メアリーによる認証解除でないと入ることができなかったはずなのだ。それなのに、なぜ彼が単独で入ることができたのか。
「……アーサー=アルタイルのいるこの仮想空間に通じる“研究所”への認証コードは、ある科学者が持っていた」
チャールズは俺たちに背を向け、話し始めた。
「その科学者は、2000年前にアーネンエルベの研究機関“カナン”を設立した“イヴリース博士”。特殊な認証コードを後世に遺した。それを持っていたのが、父・ジェームズ=カスティオンだ」
「――なっ……!?」
あのジェームズが……地球にある、ここへの認証コードを持っていた……!? まさか、それがSICに狙われた理由なのか……?
「その認証コードは、俺とメアリーに埋め込まれた。一つは血となり、一つは網膜となった」
つまり、手をかざすことで血液の中にあるコードを認証し、目を近づけることで網膜パターンを認証して開くことができたということか……。
「なるほどねぇ。それが、ジェームズ=カスティオンがSICに命を狙われていた理由ってことかい?」
と、ローランは両手を頭の後ろに回し訊ねた。
「……それもあるだろう。だが、父は俺にまだ言わなかったことが多くある。この“認証コード”のことだけではないとは思う」
チャールズはそう言うと、再び俺たちの方へ向き直った。だが、視線は彼――アーサーに向いていた。
「あのFROMS.S掃討を受ける前日、父は言っていた。“地球へ行け。そこに彼がいる”――と」
その“彼”とは、チャールズの向ける視線の先の男のことだった。
「父は貴様を知っていた。貴様も父を知っていた。そうだな?」
「…………」
奴の質問に、アーサーは何も言わず、ただ目を細めていた。それに苛立ちを覚えたのか、チャールズは彼の方へ歩み寄り始めた。力を入れているためか、歩を進めるたびに草花が踏まれる音が妙に大きく聞こえる。
「貴様は知っているはずだ。父が殺された理由を。殺されなければいけなかった理由を!」
チャールズは言葉を強く放ち、アーサーを睨みつけるようにして立ち止まった。
彼の言葉、それに纏う様々な感情の欠片が、どことなく俺の心情に入り込んでくる。チャールズが父・ジェームズを尊敬していたということ。殺した張本人である俺の前で、憎しみの心を出さず、己の使命を全うしようとする強き心。
世界が父を殺した理由を知ろうとするあの眼差しは、曇り空のない晴天であることは明白だった。
「……ジェームズは古い友人だ」
アーサーは小さく微笑んだ。
「彼と私とジョージは、かつて互いの夢を語り合った仲だ」
その頃を懐かしむように、彼の閉じたまぶたの中では当時の憧憬が浮かんでいるようだった。
「……方法は違えど、目指すところは同じ。それは、MATHEYの――グリゴリの支配から世界を解放すること。同時に、彼らとは違う方法で世界を救うことだ」
――彼らの方法では、多くの人が犠牲になる――
――僕は、それを良しとは出来ない――
あの時……俺の深層意識の中で、“彼”は言っていた。それも、アーサーの言うことと同じなのだろうか。
「だから、まずは君たちにヴァレンシュタインの目的を暴いてほしい。そうすれば、自ずとグリゴリの成そうとすることが見えてくるはずだ」
アーサーは目を見開き、俺たちを見据えた。その瞳は、どこかでみたものと同じように感じた。
――そうだ。彼……“セヴェス”のものと……。
こうして、俺たちは局長の研究所を捜索するべく、地球での活動を開始することとなった。




