6章:疑問ばかりでしょうがない
俺たちは三人揃って、処罰は下されなかった。運がいいと言えば運がいいのだが、勝手な行動は規律違反のはず。緊急事態で事がうまく進んだとはいえ、謹慎処分さえ下さなかったってのは、些か疑問は残る。今回のGHが襲撃してきたことにSICや天枢学院上層部が一枚かんでるってのは、あながち間違っちゃいないのかもしれないな。翌日に俺たちは天枢学院の空中キャンパスへ戻り、次の日からのミッションに備えることとなった。
そして結局、あの女はディンの家に居候することになってしまった。なんでそうなったかって言うと、昨日に話を戻さなければならない。
「帰れない?」
「うん」
腹立たしい笑顔を浮かばせながら、女はうなずいた。
女によると、ジオフロントの警備システムが緩和する時間帯――というものがあり、それだけは知っているという。その時間帯は毎日訪れるものではなく、特別な時間帯なのである。
「枢機院が利用する時にだけ開くってことか?」
「らしいよ。なんでそうなってんのか知らないけど」
枢機院がジオフロントを利用するなんて話、俺たちは初めて聞いた。あそこを利用するのは軍関係者とチルドレン、そして諸国の要人だけだったはず。枢機院には枢機院ためだけの軍港が用意されているのに、なぜそのジオフロントを利用するのか。
「つまり、普通の人が知らない秘密経路って言うのが、ジオフロントにあったってわけか」
ジオフロントも枢機院用の軍港も同レベルの警備。だからジオフロントに秘密の道を作ったのだろうが、少し安易なのではとさえ思う。
「枢機院が利用するなんてことあったか?」
と、俺はディンの方に疑問を投げかけた。
「今日はどうか知らないけど、最近ならあったかもね」
「……あったか?」
「あったの。ゼノ、知らないの?」
俺が首をかしげると、サラはそれをクスクス笑いながら見て言った。
「ほら、6月30日からオルフィディア事務次官が『ジュピターα-04』に行ったじゃない」
ジュピターα-04……たしか、あそこらのコロニーは木星で資源開発を行うために作られた国際基地が基となっていて、今は多くの人口を擁するコロニーになったんだっけな。
「たぶん、事務次官が利用したんだと思うよ。秘密裏に誰も出航していないなら、だけど」
「ってことは、お前らは昨日からセフィロートにいたってことか?」
「そういうことになるわね」
今回の襲撃に参加していたGHの規模がどの程度なのか、今のところわからない。数時間で鎮圧できたということは、そこまで大人数じゃなかったってことになるが、それでも昨日から潜伏していたとは、気付かなかった自分たちが情けないとさえ思ってしまう。
「ジオフロントのシステムが一時的に緩和するのは、枢機院が利用する時だけか……。じゃあ、それまでフィーアはここにいるしかないね」
ディンはため息交じりにそう言った。
「おいおい、マジかよ。この女を市街区に置いておくってのか?」
「しょうがないよ。他に行くことのできる場所なんてないんだから」
だからって……いくらなんでも、この女を信用しすぎなんじゃないかと思うが。まぁ、外に出たってセフィロートの外に出ることもできなければ、公共施設・機関全ても利用できないのだ。市民IDを持っていないんだし、どうすることもできないと言えば、どうすることもできないが。
「どう足掻いたって、私はここから出られないんだろ? だったら少しは安心したらどうなのよ」
「黙れ。お前には聞いちゃいねぇよ」
「…………」
両手を頭の後ろに回し、女は小さく舌打ちをした。
監視システムを利用すればいいのだが、それではレイネにアクセスしてしまう。そこから「誰か」にばれてしまうかもしれない為、利用できない。……些か不満だが、女にはここで大人しくしてもらうしかないようだ。
「そういうわけだから、ゼノも我慢してくれよな」
と、ディンは笑顔で言った。こいつがそれなりに信用してんだから、それなりではあるはず。そうでなけりゃ、ここには置かない――か。
俺たちは女をディンの家に残し、天枢学院へと戻ることになった。ミッション再開は明日からということで、今日は自習……になってしまった。まぁ、勉強が嫌いな俺としてはいいことなのだが。
「なぁ、ディン」
「んー?」
俺とディンは部屋のそれぞれのベッドで寝そべった状態で過ごしていた。尤も、彼はいつものように読書に勤しんでいるが。
「お前はどう思うよ」
「どうって、枢機院のことかい?」
言葉の波長を変えず、ディンはいつものように言った。
「あそこが今回の襲撃に一枚かんでるとしたら、相当なスクープだぞ」
「そうなるね」
と、彼は小さく笑った。まるで、他人事のように。
「でも、だからって証拠なんて一切ないんだし、僕たちにはどうしようもできないよ」
「まぁ、な。それに、俺たちの予想でしかない」
可能性の問題であって、事実かどうかはわからない。それでも、SICの唯一の行政部門であり最高機関である枢機院が今回のことに関係しているのだとしたら、それは何か大きなことに関連しているのでは――と考えられずにはいられない。
そう、俺にはこれが何かの「予兆」にすぎない気がしてならない。これから起きてくることの前兆で、それは世界そのものを変えてしまうかもしれないのでは、と。それも、第3次世界大戦が起きてしまった時のような。
大げさなものではあるが、この胸の中にある不快感は、あの女に対するものだけでなく天枢学院やSICへのものも混じっている。くすぶり続けているそれは、どうしても心を落ち着かせることができないようにさせてきて、自分の視野が狭くなってしまったかのような感覚になる。もしかしたら、俺は重大なことを見落としているのではないか――。
「現枢機卿はエルバート……だったか?」
「ああ。よく覚えてたね」
俺は天井を見上げているが、ディンが小さく笑っているのがすぐにわかった。
「就任してから何年だっけ?」
「たしか、10年だったかな。かなり長いってことで話題だったんだけど」
そんなことを知らなかった俺を、こいつは苦笑している。人前にほとんど出ないのだから、気にならないのも仕方ないってのに。
「もし、枢機院が関係しているとしたら、やっぱしトップのエルバートになんのか?」
「どうだろうね。今はエルバート枢機卿より、オルフィディア事務次官の方が権力を握っているわけだろ? そうだとしたら、今回のことに指示を下したのは事務次官の方が妥当だと思うけど」
あながち、間違ってはいないだろう。オルフィディア事務次官は枢機卿に次いで地位の高い役職だし、奴は国家の国会に当たる「評議会」の議長代理まで勤めてやがるって話だ。
「でも、事務次官が指示を下したとは考えにくいんだよな」
「あ? なんでだよ」
「だって、事務次官にはASAとレイネに関する権利は一切持っていなかったはずだよ。持っているのは『レーヴェン』だけだろ?」
「……お前、よく知ってんな」
「いや、ゼノが知らないだけだって」
そう言いながら、ディンは再び苦笑する。これは授業とかで出てきた内容ではなく、ディンが自分の趣味で調べたことだったと思うが。
レーヴェン……SICの中でも、その内情を表に出してはならないとされる機関で、俺たちセフィロート住人でさえ、そこが何をしているのかわからない。それも、他の局などが枢機院の膝下にあるのに対し、レーヴェンは独立機関として権力を持っている。唯一そこに干渉できるのは枢機卿だけだとされる。
俺たちが知っているレーヴェンのことと言えば、ASAとレイネに直接関与できるのはこの独立機関だけだということ。つまり、SICの中でも大きな権力を保持している機関ということになる。
「レーヴェンが関係してるってことは、やっぱしエルバートで間違いねぇんじゃねぇか?」
「たしかに、あそこに指示を出せるのは枢機卿だけだと言われてるから、そうかもしれないけど……ほとんどSIC本部にいない枢機卿に今更そんなことできるかな」
現枢機卿エルバートがほとんど人前に出てこないのは、彼が地球に滞在しているからだとされる。
約2000年前に起きた世界大戦によって地球はボロボロにされてしまい、同時に進行していた温暖化現象により、大陸のほとんどが人の住めない地になってしまったという。そのため、人類は宇宙へ居住地を移すことにして、地球には数万人の特別な人だけが残されたのだとか。その特別な人というのが、各国家の旧王室や皇室なのだそうだが、詳しいことは知らない。
宇宙暦999年の現在、地球は一種の高級観光地となっていて、各地の大富豪などが訪れるのだそうだ。枢機卿もまた、その中の一人ということになる。
「ったく、地球でのんびりしやがって。こちとら、地球に行ったことなんてねぇんだぞ?」
俺は舌打ちを混じらせながら、いもしない枢機卿へ毒を吐いた。
「しょうがないさ。地球は特別宙域に指定されてるからね」
特別宙域ねぇ。なんで地球をそこまで神聖視してるのかが、俺にはいまいちわからない。たしかに、俺たち人類の故郷には違いないのだろうが。
「ていうか、月には行けたじゃないか。あそこは地球の衛星なんだしさ」
「月なんてほとんどが改造されちまってるだろうが」
そう言うと、ディンは苦笑した。俺たちはミッションの関係上、ルナこと「月」面上のコロニーや周囲にあるコロニーへ行くことがあるのだが、あそこは既に研究都市と化している。資源を使い果たした結果、月は一コロニーとしての機能しか有していない。
「でも、あそこで見た地球の光景は忘れられない」
ぼそっと言うかのように、彼は言った。その言葉のせいなのか、少しだけ俺たちは何も話さずにその光景を思い起こした。
青い星。ただ、青い。白い絵の具が青いボールに少しだけかけられているかのようで、深淵の闇に浮かぶその姿は世界が持つ美しさではなく、神によって創造された不可侵の光景――秘宝に感じた。
俺は14歳の時、CNによる仮想空間での模擬戦闘を行うため、ディンや他のチルドレンたちと共に月のコロニー「ルナ」へ行った。月面上には無数の基地と都市が建造されており、上空はセフィロートと同じような透明の壁で囲まれており、市街区からはそこに映し出された人工的な青空の風景しかない。だが、俺たちは満足できず、地球が見える特別な展望台へと侵入し、それを見たのだ。
初めて見た青い惑星は、それを見る俺たちの心を奪ってしまい、言葉を発することも、瞬きをすることも忘れさせてしまったかのようだった。それはまるで、俺たちの奥底に在る何かを優しくなで、それがゆっくりと心の表面へと誘われる感覚で、不思議な気持ちがそこかしこから溢れ出した。
――なぜ、そう思ったのだろうか。
「エルバート枢機卿が地球にいたいって思う理由、わかる気がするけどな」
と、ディンは言った。
「だからって、仕事を放り出すってのは感心しねぇな」
「まぁまぁ。もしかしたら、地球でやるべきことがあるんじゃないの?」
「……地球には、もう何も残っちゃいないって聞いたけどな」
アルマゲドンと地球温暖化により、地球の大陸はほとんどが居住不可能となった。そのため、海上に人工的な大陸を造って都市を建造したらしいのだが、それは地球上に数ヶ所しかないらしく、自然を見るには最高の星ではあるが、行政の支部などがあるわけでもないと聞いた。
「そりゃそうだけど、僕たちが知らないだけかもしれないじゃないか」
俺たちが――というのが気になり、俺は顔を横にしてディンの方へと視線を向けた。彼はどことなく微笑んでいるように見える。
「知らないだけ、か……」
世界がうごめいているのに、自分だけが知らないことがあると思うと、どうも釈然としない気持ちになってくる。世界の真理全てを知りつくしたいと思うのが、俺たち人間の欲望でもあるのだから。
「ま、考えたってどうにもできねぇか。所詮、俺たちは仮戦闘要員なんだし」
俺はため息交じりにそう言って立ち上がり、自分のパソコンを起動して、イスに座った。
「結局、ゼノはそうなるんだね」
「しゃーねぇだろ。本当にわかんねぇんだから」
その日の夜、俺たちのアームのメッセージボックスに上層部からのメールが届けられていた。俺は夜のセフィロート市街区を望めるベランダに出て、それを見ていた。セフィロートは地球と同じように、時間になると少しずつ暗くなり始めるように設定されている。ずっと明るいというのは、体に良くないということらしい。
――明日のミッションはジュピターα-04にて、オルフィディア事務次官の警護。SSS-002と、S-041・042・046、A-017・055・092・094、C-069と10人で行う――
内容は変わってはいるが、サラと一緒にミッションをすることには変わりはない。それについては少々不満が残るが、それでも俺はホッとしていた。
セフィロートは上空からの光が消されていて、見えるのは市街区の明かりや遠くに見えるSICセンタービルの光。そして、上空には無数の星たちの閃光だけが、そこに彩られていた。あれは昼間の人工的な青空ではなく、本物。宇宙に広がる、星の海が緩やかに流れている光景だった。
そんな光景を見つめながら、俺はサラのことを想っていた。ホッとしたのは、あいつと戦闘ミッションをしなくてもよくなったからだ。
GHの奴らがセフィロートに襲撃してきて、サラが戦う姿を初めて見た。そして、直感した。あいつには、人殺しなんてのはやらせてはいけない――と。こんなことをさせていては、あいつはダメになると。
明確な答えがあるわけではないが、どうしてかそう思う。それは、俺が殺した人の躯の姿を見たサラが気持ち悪そうに顔を歪めていたからだろうか。それとも、俺がGHの女をひたすら殺そうとした姿を見せたからだろうか。
サラは俺にとって、大事な女。これ以上、失わせてはならない存在。俺には分不相応な至宝……みたいなもの。穢れてはならない、まるで自分の愛娘のようなもの。だから、俺がサラを大事にしたいと思うのは、至極当然なのだと思う。
だから、俺はあいつが苦しむようなことはさせたくない。
……ふと、思う。俺がしていることは、サラを傷つけているだけなんじゃないのかと。
俺は後ろの窓から差し込む学院内の明かりを背に受けながら、闇夜の広がるベランダの上で自分の掌を広げ、見つめる。
大事だなんだと言いながら、俺があいつを苦しませている原因なのかもしれない。サラを遠ざけようとしていることは、結局自分のためなんじゃないのか、と。ずっと昔からあったものを遠ざけて、自分が傷付けないようにしたいんじゃないのか、と。
……俺は未だに囚われてるのかもな。あの頃に。
そう思うと、自分の胸の奥が妙に熱く、同時に冷たくなっていくような感覚が訪れ、それはひたすら辛いだけなのだということを思い出す。小さな音を立てて降り注いでいたあの雨の音が、あの日の姿を保ったまま耳の中で木霊する。
俺は再び決心する。サラは大事な檻の中に置いておこう、と。すると、俺は別のことを考えてしまった。
今日、ディンと地球について話をした時に、地球を初めて見た時のことを思い出した。ありありと脳内に映し出された故郷の星は、記憶のものであるはずなのに色あせることのない美景に思えた。
それが大げさなのだと、俺は気付く。そして同時に、そう思ったのはあの女に対して思ったそれと似ているのだということにも。
郷愁――どこか、それに似ているような気がした。
俺はそこまで考えて、宇宙の星空を見上げて息を吐いた。自分でもそれが大きな吐息なのだとわかるくらい、大量に。
いい加減、めんどくさいことを考えるのはやめるか。今は、明日の護衛っていう任務をどうこなすかだけを、きちんと考えるべきだ。前日からホッとしていただのなんだのと思っていては、任務をこなせない。
事務次官を護衛するってことは、それなりにリスクを伴う任務であることを念頭に置きながら、俺は自分の部屋へと戻って行った。
翌日、俺たちは任務のため「ジュピターα-04」というコロニーへ行くことになった。そこへ行くには、もちろんCNを利用したテレポートを使って。
14時からということで、俺とディンとサラは学院を抜け出し、女のいるディンのマンションへ行った。ディンが様子を見に行くと言って聞かないからだ。
「だから、おばさんたちからの連絡じゃ大人しくしてんだろ? 心配する必要性なんかねぇだろうが」
「そういう問題じゃないよ」
と、ディンはしかめっ面で言う。その顔があまり見慣れないため、俺は思わず笑ってしまいそうなのを堪える。
「ちゃんと自分の目で見ないと、安心できないじゃないか」
「安心ってお前……あの女、GHの戦闘員だぞ? そんじょそこらの女よりかは元気だと思うが」
俺は呆れ顔で言ってやった。歩道を歩いている俺たちに、高速で突っ走る自動車たちの風が大気を切り裂きながらぶつかってくる。
「それ、私も関係してるの?」
サラは俺を横目で睨みつけていた。
「お前はあの女と一緒で元気な子。あり余りすぎ」
「……なんか嬉しくない」
「だろうな。褒めてねぇから」
「ゼノ!」
銀色の髪がキラキラと輝かせながら、サラは俺に拳をぶつけてくるが、俺はそれをひょいとかわし、彼女の頭をなでてやった。
「またそうやって子供扱いする!」
「俺にとっては、お前はいつになってもガキなんだよ」
そう言ってやると、サラは意気消沈してしまったのか何も言わずに顔を背けてしまった。
「ハハ、サラはかわいいな」
そんなサラの姿を見ながらディンは笑う。きっと彼女は顔を赤くしてしまっているに違いない、と思いつつ、よくもまぁディンも平気でそんなことを言えるもんだとも思っていた。
「んで? 実際心配なんだろ、お前」
俺はディンに対してそう言うと、彼は上空を見ながら頬をかき始めた。
「ほら、百聞は一見にしかず――っていうじゃないか」
「はぁ? んな古い言葉使ってんじゃねぇよ」
「……まったく、ゼノは失礼な奴だな」
苦笑しながらディンはため息をして、俺をチラッと見る。そして、意味深な笑みをして彼は前へ再び向き、何も言わずに歩きだした。
「おっす、お帰り」
マンションの玄関に入ると、なぜかあの女が花が入った壺を、資料で見たインドの人(?)のように掌に乗せて出迎えた。
「……てめぇ、何してんだ?」
「何って、掃除に決まってんでしょ」
掃除……って、そもそも掃除になんで壺がいるんだ? 俺とサラは右の方へと頭をかしげてしまっていた。
「なんでてめぇが掃除すんだよ」
「お世話になってるんだから当たり前でしょ? それに、暇なのよ」
「…………」
腰に手を当てて、片手では壺を乗せて……どういう姿だよ。呆れるのと共に、GHの女がここまでディンの家に馴染んでいるのが不思議且つ不可解で、やっぱりこの女の様子を見に来るなんてことは間違いだったのだと、すぐに悟った。
「わざわざありがとう、フィーア」
と、ディンは笑顔で言った。マジな顔でありがたいと思っているのがひしひしとわかる表情で、それが俺にとって更に不可解だった。
「あら、どういたしまして」
得意げな表情をしてみせる女から視線を逃れるために、俺はサラへと視線を移した。彼女は苦笑していたが、ディンよりもマシだと思うとなぜか安心してしまう自分がいた。
「……ディン、様子を見に来る必要性なんかなかっただろ?」
「ハハ、そうだね」
「…………」
だから、笑顔で言うことじゃないっての。
「んで、皆さんは何の御用で?」
女はまるでこの家に最初から住んでいるかのような口ぶりで言い、それが妙に俺の癇に障った。だが、俺はこれが女の故意によるものだということを察知し、その感情を表に出さず、腕を組んで壁に寄りかかった。何度も女にイラついていては、足下がすくわれてしまう。
「まぁ、ちょっと様子を見とこうと思ってね」
「ふーん……」
ディンの言葉を聞き、女はポリポリと指先でほほをかきながら俺たちを見渡す。
「これからミッションにでも行くの?」
俺は「へぇ」と思った。少しだけ空気が違うことに気付きやがった。
「うん、そうよ。私たち、これから――」
「サラ、黙れ」
俺は彼女を突き刺すかのように言を発した。彼女はそれ以上何も言いだせなくなり、顔を俯かせる。
「そんなに、私は信用ないのかしら?」
微笑を浮かべながら、女は俺に目をやる。それに対し、俺も同じような微笑を浮かべた。
「よくわかってんじゃねぇか。わかってんなら、いちいち変な質問してんじゃねぇよ」
「変? そうやって無為に感情を露わにすることの方が変だと思うけど」
壺を抱え、女は自分の顎に手を添える。
「そりゃお互い様だろ。お前は何も知らず、何もしないでここにいればいい。そんだけのことだ」
「…………」
俺の紅い瞳と、女の燃えるような紅い双眸がぶつかり合う。それは互いに、少しの間だけそらすことも、瞬きをして中断することもなかった。
「とりあえず、フィーアには安心してここにいてほしいんだよ」
そんな張りつめた空気を逸脱しようと、或いは断ち切ろうとディンの言葉が発せられる。その言葉には、不思議とわざとらしさや焦りといったものは一切含まれておらず、逆に穏やかな心地に変異させるものだった。優しい笑顔を浮かべている彼の顔は、サラの顔を上げさせるものでもあった。
「僕たちはミッションで帰れないけど、何か心配事とかあったら、母さんに言ってくれ。できる限りのことはするからさ」
「……いろいろ悪いね。そこまでしてくれて」
女は苦笑しながら言った。
「でも、約束してほしいことがあるんだ」
「え?」
唐突なディンの言葉に、女だけでなく俺たちも少し驚かされるものだった。
「僕たちが帰ってくるまでは、きちんとここにいるって約束してほしい」
「……帰ってくるまで?」
女は訝しげな表情をせざるを得なかった。なぜならば、その言葉をそのまま受け止めれば――
「そんな約束でいいの?」
不可解なものであるためか、女はそう問い返す。すると、ディンは笑顔を浮かべてうなずいた。
「ああ。だから、きちんと守ってくれよ」
「う……うん」
ディンの笑顔に、女はたじたじだった。予想外なことをしてくるために、そうなってしまうのも無理はない。
「お前って、回りくどいよな」
学院へ戻る道の途中、俺は苦笑しながらそう言った。ディンの隣にいるサラは、頭をかしげてしまっているが。
「そうでもしないとね。これなら、ゼノも少しは気が楽かな?」
そう言いながら、ディンは笑顔を俺に向ける。
「……ま、どう出るかはあの女次第だがな。お前が信ずるに値すんなら、そうすりゃいいけどよ」
「それは認めてるのか?」
「そう思うか?」
今度は、俺がディンに笑顔を向けてやった。すると、彼は少しだけキョトンとして、上空に目をやった。
「そうであればいいと、何度も思ってるよ」
「……さいですか」
ディンは理解した上で、そう言ってきたのだ。俺があいつを信用するなんてこと、絶対にあり得ないと悟った上で。
「あの、さ」
俺とディンは、立ち止まっていたサラにようやく気付いた。暗い表情を浮かべた彼女は、声が弱い。
「さっきは……ごめん」
小さく頭を下げるサラ。口走りそうになった自分に気付いたのか、もしくは気付けなかった不甲斐なさに対してか。
「いいよ、気にすんな」
「でも……」
俺は顔を振り、彼女の言葉を遮った。
「気にすんなって言ったろ?」
とりあえず俺はそう言って、再び歩を進ませた。そうすれば、きっとサラも後を付いてくる。そう確信していたから。
少し間隔を開けて、ディンの靴の音がし始める。そして、女性用のブーツの音が、弱弱しく、それでいてきちんとした音を響かせ始めた。
泣かないように、サラは我慢している。でも、それはサラが強くなるためのもの。俺は、そうとしか思っていなかった。
「ごめんね、フィーアちゃん。掃除手伝わせて」
「いえ、暇ですから。外には出れないですし」
フィーアはディンの母に対し、笑顔を向ける。そして、彼女は壺の花を取り出し、その中の水をキッチンに流した。キッチンのあるリビングは思ったよりも広く、14階にあるためか市街区の姿が窓から見渡せていて、白いマンション内がより白く輝いているように感じた。
「……いい天気」
自分が住んでいた場所よりも大気がきれいで、全体的に白く霞んでいるように見えるのだが、それでも今まで見てきたコロニーの中で最も美しいと思えるのは、ここがSIC本部があるためだろうか。そう考えると、彼女の中では小さな憤りが湧きたち始めて、あの窓の向こうにそびえ立つセンタービルを睨みつけてしまっていた。それが、自分でも自然だとわかるほど。
なのに、どうして自分はこんなにも落ち着いているのだろうか――とも、彼女は思っていた。見知らぬコロニーで、見知らぬおばさんと一緒に掃除なんかして、私は何をやっているのだろうか。
……不思議なことを言う彼と、何もわかっていない女の子と……やけに敵意をむき出しにする彼。今まで見たことのない人間を見ていて面白いと思うのと同時に、そう思っている自分が卑しく感じてしまう。彼女にとって、チルドレンはやはり敵でしかないのだから。そして、それはゼノが思っていることとほぼ同義であった。
どこか懐かしいと思っているような気がしていると、彼女は窓の外を眺めながら小さく息を吐く。
「サラとディンとゼノ、か」
妙な形で成り立つ三人を思い浮かべ、歪なような気がした。そして、それは自分がそうであるのと同じなのだとも、彼女は知っていた。
なんで、こんなところにいるのか――
それを考えると、彼女はため息をせずにはいられなかった。