53章:零した星のかけら②
「さぁ、行こう。君が零した宝物を拾いに」
その言葉が俺の耳に到達した瞬間、俺の後ろから光が溢れているのを感じた。振り返ってみると、さっきと同じような身の丈ほどの大きな写真が何枚も浮かんでいる。それらの周りに、複数の小さな写真たちも漂っていた。
一つ、目に入った写真――映像。それには、訓練をしている俺やラケルたちの姿が映し出されている。あれは……いつの頃だろうか。年齢的には、おそらく13歳くらいなのではないかと思う。
「ふぅ、今日の訓練も疲れたね」
彼女はそう言って額の汗を拭い、天を仰いだ。疑似的な映像による青空は真夏のそれを再現しており、降りしきる日照りは容赦なく皮膚を焼いていく。それから逃れるように、汗がとめどなく溢れ、身にまとう訓練服は水浸しの様相だった。
「地球の夏ってのは、こんなに暑いもんなのか」
俺はそう言いながら、岩陰に腰を下ろしていた。普段と同じくらいの運動量の訓練なのに、疲労が溜まる速度は数倍だ
「今日は35度って設定だったと思うけど、第三次世界大戦前の夏は、毎日こんなもんだったらしいよ」
涼し気にそれを言える彼女に対し、俺はなぜそんなに元気なのか問いただしたい。体力には自信があるが、この暑さには慣れない。慣れるための訓練ではあるのだが。
「……ゼノとディンってさ」
どこか独り言のように、彼女は言った。だが、それはギリギリ俺の耳に届くくらいの大きさだった。
「お互いがお互いのこと、分かり合ってるように見えるよね。どうして?」
「どうしてって言われてもな」
返答に困る――と思いつつ、明確な答えは当時の俺の中に、既に存在していた。
「……ディンは出逢った頃、結構物静かな奴でさ。今とは全然違うんだよ」
「へぇ……いわゆる“根暗”ってやつ?」
「まぁ、そんなとこ」
それを想像してか、ラケルは小さく笑っていた。
「あまり友達いなかったんだよ。それは俺も同じだけど」
当時を思い出し、俺も笑ってしまった。そんなに昔の話ではないし、友達が少ないのは今もあまり変わらないのだから。
「ゼノが友達少ないのはわかるけど」
「否定できねぇけど、うっせぇよ」
思わず、苦笑してしまった。すると、彼女も同じように苦笑する。
「ハハハ、冗談よ。ゼノの人づきあいが苦手っていうのは、よくわかるもの。半年前に知り合った時から――ね」
もうそんなに経つのか――と、俺は少し驚いた。なぜか、それ以上の長い時間を共に過ごしたように感じる。いつの間にか、こうやって普通の話をすることができるようになっているのだ。
「ディンって誰にでも優しいし、人望もあるからリーダーに向いているのよね。根暗くんだったなんて、あまり想像つかないかも」
「そうだろうな。……昔は、見ていてイライラしたからな」
陰で悪口を言われても、暴力を振るわれても愛想笑いばかりを浮かべるばかりで、あいつは何もしなかった。その環境を、甘んじて受けていた。そんなディンの姿は、小学生の俺にとってとてつもなくイラつかせた。
「ふーん……ゼノもディンにそう思うことあるんだ」
と、彼女は俺の言葉に同意していた。
「俺も……ってことは、お前はそう思っていたのか?」
「うん、まぁね」
即答。そして大きくうなずく。少し意外で、俺は変に動揺していた。今の超優等生なあいつに対しそう思う人は、あまりいないように思っていたが。
「いちおう聞いてみるが……なんで?」
「そうだねぇ」
彼女はそう言いながら、俺の横に座った。彼女の頬や二の腕からにじみ出る汗は、疑似的な太陽の光を浴びながら、それらを反射していた。
「裏表のない優等生なんだよね」
彼女の言葉は、妙に納得できるものがあった。あいつにはあまり打算的なものがない。人には誰しも、そういったものがあるものだから。
「“他者を疑え”。……私の育ての親は、いつもそう言っていた。だから、逆に疑うのよ。……ううん、違うな」
彼女は振り払うかのように、顔を振った。それと同時に、額の汗を拭う。
「疑いたいのよ。……なのに、ディンには何もない。理不尽に殴っても、本気で怒らない。そんな気がするから」
俺はその言葉に、思わず吹き出してしまった。簡単にその様子のディンが思い浮かんでしまう。
「えー、なんで笑うの?」
「す、すまん。なぜか想像しちまって」
「あ、“理不尽に殴っても怒らないディン”でしょ? やっぱり想像しやすいよね! だからなんだか悔しいのよ!」
ラケルもそう言いながら、笑っていた。
「まぁ、それがあいつの良いところだからな。俺には真似できねぇよ」
「…………」
すると、なぜかラケルは急に笑うのをやめ、俺を見つめた。俺の真意を探るかのように、まっすぐに。
「ゼノってさ……前から思ってたんだけど」
彼女はそう前置きをして、ゆっくりと瞬きをした。
「あまり自分のことは喋らないよね」
その瞬間、映像は砕け散った。まるで、その時の俺の心のように、――いや、違う。核心を突かれたのだ。
「そうなのかい?」
俺の横で、しゃがんだ状態で青年は言った。彼はそこから何か見えるのか、ジッと下を見つめていた。
「……無意識だとは思うが……」
俺はそう言いながら、消えた映像のあった場所を見つめた。
あの時、ラケルになんて答えただろうか。
「俺は、親父とうまくいってなかった」
そんな言葉が、口から漏れた。それは不自然なものではなく、蛇口を開けたままの水が容器から零れ落ちるように。
「親父も元チルドレンだった。俺とは違い、かなりCG値が低かった。基本的にハイクラスのチルドレンの子供なら、同じくハイクラス。ロークラスなら、ロークラスらしい。ディンなんて、実際そうだしな」
あいつの親父さん――ジョセフさんは、たしか1000を超えていたはずだ。でなければ、軍部の幹部やFGI社の役員にもなれない。
「俺が高CG値だったおかげで、SICから多額の支援があったらしい。俺たちが住んでいたマンションは、親父の給料じゃ住めないようなところだった」
親元を離れ、長い学院生活で忘れていた――というよりも、薄まっていた。親父との軋轢を……その記憶を。
「親父は俺を誇りに思うどころか、煙たがった。素行もあまりよくなかったせいで、いろいろ問題を起こしても、優遇されて処分はほとんどなかった。それであちこちから、変な噂を立てられたこともあった」
CG値が高いから、警察からも多めに見てもらっている。
CG値が高いから、多額の金銭をもらってふんぞり返っている。
CG値が高いから、何百人殺しても咎められない。
「……ディンと知り合うまでは、それなりに辛かったんだよな」
ふと、思い出す。悔しくて、悔しくて……学校の帰り道に涙を流した時のことを。手を繋いで歩くサラに、気付かれないように……上を向いて。
そんな俺の気持ちに、親父は理解を示してくれなかった。しようとしなかった。8歳の時には天枢学院に入ることが決まっていた。SSSクラスという最高のクラスであると言われても、親父は褒めてくれなかった。
だから、いつしか自分のことを話さなくなったように思う。
自分を知られたくないように思っていたのかもしれない。或いは、誰も近づけたくなかったのかもしれない。
それでも、カールやノイッシュ、ディアドラ……多少の友人ができたのは、サラのおかげだったな。
「ゼノだって優しいのにね」
ああ……そうだ。
ラケルは、あの時そう言ったんだ。
「え? そうじゃない?」
驚く様子の俺を見ながら、彼女も驚いていた。
「ディンの方が分かりやすいから、みんな彼を優しくていい人だって認めてくれる。でも、ゼノは不器用じゃない。その優しさもさ」
だから――彼女はそう言って屈託のない笑顔をして見せた。
「いつも知ってるよ。……私たちがなるべくケガしないように、一番危険な道を選んでいるってことや……ミッションのルートを何度も確認して、万全の状態で臨んでいるってことも。それと……」
彼女は急に立ち上がり、真っ青な空を見上げた。
「私を庇ってくれたことも、ね」
まだ出逢って間もない頃――前衛が苦手なくせに、馬鹿みたいに突撃する彼女を敵の攻撃から守った。彼女の危なっかしさは、どこかあいつに……サラに似ていたのかもしれない。でなければ、あんな行動をとらなかったはずだ。
あの時は“どうしてそんなことをするのか”と、彼女は憤慨していた。俺のことが嫌いだったから、助けられたということが悔しかったんだと思う。
だけど、今は……13歳相応の少女らしさを持ち得ながら、彼女の笑顔にはどこか包み込むような穏やかさと、安堵感があった。それは彼女にしかない、独特のものだったように思う。
俺は……。
俺は、そんな彼女の……。
「君はきっと、我慢していたんだね」
目の前の情景が、霧が晴れていくように消えていった。再び、満天の星空の中。さっきまでしゃがんでいた青年は、前方で上空を見上げていた。
「人は誰にも弱さがある。それは決して恥ずかしいものなんかじゃない。それと向き合えて初めて、人は己の強さを手に入れる術を見つける」
「…………」
俺の弱さ。
内在する力に翻弄されるのも、力をうまく使いきれないのも、全ては俺の弱さだ。
――強く在りたい――
ふと、その言葉が沸き上がる。それは、あいつに――フィーアに向けて言った言葉だ。
「どうして、君は強く在ろうと思うんだ?」
俺の心中の独白を拾ったのか、彼は俺の方へ向き直っていた。なぜ、それがわかったのかなど、気にはしなかった。
俺は、何のために強くなりたい?
それは常に傍にあり続け、常に問いかけてきたものだった。
「なぜって……俺は……」
無意識のように感じる。俺は、どうして強く在りたいのか。
「……ディンと、ガキの頃に約束したんだ。サラを護れるくらいに、強くなろうって」
それは天枢学院に入る前だった頃のように思う。
「そもそもは、世界から戦争をなくそうっていう、大きくて……子供じみた大言壮語なものだったんだ」
客観的に見れば、子供の夢物語だ。世界から戦争をなくすなんてのは。でも、あの頃の俺は……俺たちは単純だった。
「サラを護れないやつが、世界を護るなんてことできねぇって。……あの頃は、本気でそう思っていた」
星空を見上げ、俺は手を伸ばした。この双眸の先に点在する星の光を掴もうと。掴めるわけがないとわかっていながら。
「あいつは、そんな俺たちの言葉を――笑わずに聞いてくれた」
そうだった。
その時のラケルの表情が、まるで昨日のことのように脳裏に映し出せそうだった。
――すごい!――
――それ、すっごく素敵じゃない!――
子供のように目を輝かせながら、彼女は俺たちを見ていた。霧がかかったように、曖昧なだけでしかなかった俺たちの夢が、ラケルの表情や言葉ではっきりとした輪郭を持ったのだ。
そう、ただのガキの夢でしかないものが、あいつのおかげで……。
「大きな目標は、周囲から笑われるものだ」
青年の声が、背後から聞こえた。俺はその声にハッとした。脳裏に浮かんだラケルの表情が、目の前に映し出されているように感じていた。
「“できるわけがない”、“そんなの夢物語だ”、“所詮、偽善的だ”。人はなぜ、行動に移す前から“夢”を否定するのだろう。なぜ、失敗することを――失うことばかり恐れ、輝くものに手を伸ばそうとしないのだろう。……大人になればなるほど、そうなっていく。それはきっと、大人になると背負うものの大きさや量が桁違いに多くなるからだろうね」
でも――と、彼は続ける。
「それでも、潰えることのない希望を持ち続け、歩みを進めることを――子供の時のような童心で、それを掴もうと足掻き続けることもまた、“勇気”と言えるんだ」
足掻き続ける。
この世界に。運命に。
「君は足掻いているかい? 抗っているかい?」
その言葉とともに、青年は俺の目の前へ瞬時に移動していた。黄金色の瞳が、まっすぐに俺を射抜いていた。
「それを支えるための柱――きっと、彼女もその一つだった。でも、それが折られた君は……恐れている」
恐れている……?
何を?
「失うことを」
その瞬間、世界は暗転する。かと思うと、フラッシュバックのように世界が白黒に点滅し始め、巨大な発光とともに何も見えなくなった。
それからどれほどの時間が経ったのか……わからない。ゆっくりとまぶたを開け、視界を確認する。
ここは――
灰色の空が広がる、廃墟。
ここを、俺は覚えている。
この砂ぼこりも、その日の言葉も。
ここは、ラケルが殺された場所だ。