53章:零した星のかけら
目まぐるしく風景が変化していく。様々な写真がコマ割りのように映し出され、それらが激しく行き交っている。奇妙な光景であるはずなのに、それに対し俺は嫌悪感を抱かなかった。おそらく、その写真それぞれに見覚えがあるからなのかもしれない。
「ねぇ、知ってる? 地球っていう星の名前」
言葉が響く。気付けば、真っ暗な空間の中で一枚の写真が浮かんでいた。それは俺の等身大くらいの大きさで、そこに映っていたのは…………ラケルだ。
あの頃の、ラケルだ。
「私たちの故郷なんだよ。ほとんど行くことはできないらしいけど」
「ふーん」
興味なさげに、俺が返事をしている。それを返事――というのも、おかしな話なのだが。
「青い空と、青い海! 映像なんかじゃなくて、実際にこの目で見てみたいなぁ」
まだ12歳の少女。あどけなさの残るその素顔は、過去の俺の想いを呼び起こさせるものがあり、不思議と切なさを抱かせた。
「お子様だな、お前」
「はぁ? 誰がガキですって?」
「ガキって言ってねぇだろ。お子様だと――」
ラケルは同じく12歳の俺に対し、エレメントを発動させようとしていた。彼女の掲げた右手の上で、火花が散っている。
「“お子様”も“ガキ”ってことでしょうが!」
「い、いちいちそんなことで怒るんじゃねぇよ!」
「うっさい!」
「やれやれ、仲が良いねぇ……」
そんな様子を、ディンはニコニコしながら見つめていた。
その時、写真は消えた。あとに残ったのは、暗闇とこの胸に去来する喪失感だけだった。
あれらは……想い出か。
「君にとって、これらはどういうものなのかな」
その時、俺の背後から人の気配と共に声が聴こえた。振り向かずとも、なぜか俺は誰がそこに立っているのか、わかっていた。
ゆっくりと振り向くと、そこにいたのは――いつかの青年だった。気を失った時、俺に語りかけてく青年。少年のような童顔をしていながら、その双眸には様々な経験を見てきたような印象のある人物。以前もラケルのことを思い出している最中に、その姿を現していた。
「何よりも大事だから、ずっと奥にしまっていた宝物。……実のところ、追い求めていた答えはその中にあるのかもしれない。奥にしまうということは、言い換えれば誰にも触れさせたくないもの。君にとって、パンドラの箱になり得るものかもしれないのだから」
彼は俺を見ながら、優しく微笑んでいた。
「再び、君に会えてうれしいよ。ゼノ」
「……」
彼は握手をしようと手を差し伸べたものの、それに応えない俺に対し不思議そうな表情を浮かべていた。
「握手、してくれないのかい?」
「……俺はあんたを知らねぇ。正体不明の輩を信じるほど、人間が出来てねぇんだよ」
だが、そう言いながらも――俺は思う。それでも。
それでも、俺は彼を知っている。それは“かもしれない”ではなく“確信”であると。俺の記憶が、心が、そう言っているのだから。
「おそらく、君は僕の名前は知らない。でも、誰であるのかは――わかっているんじゃないのかな? それがたとえ曖昧なものだとしても」
俺の心を読むかのように、彼は微笑を浮かべながら言った。
「……いや、わかんねぇよ。それは確かだ。だが――」
そう、彼の言う通りなのだ。
俺は彼を知っている。名前はわからない。それでも、“知っている”ということだけが、この世の真実とでも言わんばかりに頭の中で叫んでいるのだ。
俺の当惑する様子を見てか、彼は子供のようにはにかんだ。
「いずれ、わかる時が来るよ。それに、僕のことを知るということはあまり意味がないんだ」
彼は一歩後ろへ下がり、遠くを見つめた。この期に及んで、はぐらかそうとしているのだろうか。
「君にとって、これは試練だからね」
53章
――零した星のかけら――
いつの間にか、彼の姿は消えていた。代わりに、一つの光景を映し出す写真が浮遊していた。そこには、あの時の――俺に怒りを向けている彼女の姿があった。
「ふざけないでよ!」
俺を睨みつけながら、彼女は言った。それはどちらかと言えば、叫んだ――と表現した方がいいのかもしれない。
「……なんだよ?」
俺は準備室――武器などを置いておく場所で、訓練で使用したものを片付けいた。
「私が女だからって、馬鹿にしてるの?」
「…………」
意味が分からん――と、俺は思っていた。
そうだ、たしか……実戦式の訓練だった。俺は彼女を庇い、左腕から背中にかけてかなり大きいケガを負った。とはいえ、自然治癒が始まっていたのでさほど問題があるわけではなかった。だからなのか、ラグネルたち教官も何かしら対処しなかったのだ。
そう、助けたのになぜ怒鳴られなければならないのか、という疑問があったのだ。寧ろ、感謝されるべきなのに。
「馬鹿になんかしてねぇよ。ただ単に、怪我されちゃ困るってだけだ」
「……いつも私を避けてたくせに、どういう風の吹き回し?」
彼女は眉間にしわを寄せ、俺を睨みつけていた。しかし、なんでこうも全ての言葉を否定的に捉えるのだろうか。俺が嫌いだからって、無理やり敵意あるものだと認識しなくてもいいのに。
やけに突っかかる彼女の言葉に、辟易してしまったからなのか、俺はわざとらしく長い溜息を零した。
「あのなぁ……他意はねぇってわかんねぇか?」
俺はかゆくもない後頭部を手でかいて、舌打ちをして見せた。
「俺はルールも何もかも守らねぇ不誠実な奴さ。だけど、一緒に戦う仲間だけは守るべきだと思ってる。そう教えられたからな」
それはラグネルに教えられたものだった。それが俺たちにとって、大事なことであると理解していた。
「…………」
「さっさと医務室に行きな。俺は一日もあれば治るから平気だ」
彼女がどんな表情をしているのか――見ることもなく、俺はその場所から出て行った。出て行くのと同時に、ディンがまさに入ろうとしていた。
「あれ、まだいたんだ?」
と、彼は首を傾げる。
「ちょっとな」
「怪我、どう?」
そう言いながら、彼はあまり怪我を心配しているようではなかった。たぶん、あいつもすぐに治るものだとわかっていたのだ。
「大したことねぇよ。俺はもう部屋に戻って休むわ」
「そっか、了解」
それだけの言葉を交わし、俺は彼らを後にした。
そして、ここからは――俺の記憶ではない。俺のいなくなったあの場所で、ディンとラケルが会話をしている光景が映し出されていた。
「あまり気にしなくてもいいよ。本当にあれくらいなら平気なんだ。僕たちはね」
ディンはそう言いながら、自分の荷物を片付け始めた。
「……別に、気にしてなんか……」
「そう言うわりには、今にも泣きそうじゃない」
ラケルはその言葉で顔を紅潮させ、目をカッと見開いた。
「そ、そうじゃない! これは……わ、私自身が……不甲斐ないって思うから。よりによって、彼に助けられてしまうなんて……」
一番、助けられたくない人に助けられた。それが悔しい。何よりも。――そう見えた。
「……ゼノは本当に君のことを認めているんだと思うよ」
「え?」
意味が分からない――という表情を浮かべ、彼女は首を傾げた。
「ゼノと僕のCG値が高いことで、過度な期待を受けている。それに……一部の人たちから、恐られているんだ」
俺たちをそういった目で見る輩ども。メアリーの父・ジェームズが言っていたのは本当だ。俺たちは“殺戮兵器”。陰でそう言われていたのだから。
「……恐れ……?」
「君も知っているでしょ? FROMS.S掃討作戦」
心当たりがある――そう言っているかのように、ラケルの表情は重々しいものに変わった。
「僕もゼノも、多くの人を殺めた。“殺戮兵器”と揶揄する人もいた。僕たちを、そういう目で見る人たちが増えた」
俺だけでなく、ディンもだったのだ。今ならばわかる。ディンはきっと、俺よりも苦しんでいたに違いない。殺した数でその重さが決まるわけではないが、あいつは……俺よりも“優しい”から。
「でも、君はそうじゃない。ゼノにはそれがわかったから、君のことを護ろうとしたんじゃないかな」
そうだっただろうか――と、自分でも思う。しかし、ディンにはそう見えたのだ。それが一つの真実で、俺の無意識な言動はそうやって、誰かの真実になりうるのだ。
「……どうして、そう思うわけ?」
顔を俯かせたまま、彼女は問い返す。
「だって、僕もそうだから。だから、ゼノもそうなんだろうなって思って」
彼は子供のような、混じりけのない笑顔。大人のような鋭い洞察かと思えば、子供の純粋な確信かのようだった。
ラケルはきょとんとしていて、何度か瞬きをしてから現実に戻されたのか、くすっと笑った。
「……ディンって、不思議なことを言うのね」
「そうかな?」
「そうだよ。自覚ないんだね」
彼女はため息交じりにそう言った。
「うーん、そうかなぁ。自分はいたって真面目なんだけど」
そう言って、彼はバツが悪そうに後頭部を指先でかいていた。
「……ありがとう、ディン」
ラケルはそれまで見せたことのない――その時点においてはだが――笑顔をして見せた。朗らかな神官を思わせるかのようで、それでいて大きな愛で包むこむ母のような、その表情。
それは誰かに――似ているのだ。
――誰に――
そこで、再び暗闇。
世界が一瞬で切り替わるさまは、凡そテレビの映像をリモコンで変更されたかのようだった。
「君は優しいんだね」
いつの間にか、あの青年が俺の斜め向かいに座っていた。夜空を見上げるためなのか、足を大きく前へ伸ばしている。
「人を殺すこと――それで誰かを護ることができる。そう信じていたんじゃないか?」
「……」
彼は俺のほうへ振り向きもせず、俺に問いかける。
何を信じていたのか――
俺は自然と、自分の手のひらを見つめた。そこに答えがあると思ったわけではないが、多くの人を殺めてきたこの手は、知らず知らずのうちに俺の信ずる何かを携えていたのではないかと思ったのかもしれない。
「戦いの中で、敢えて自分を傷つける。いうなれば、それは無償の愛とも言えるのかな」
「……そんな大そうなもんじゃねぇよ」
そんな仰々しいものではないのだ。俺は「ただ」と続けた。
「何かと突っかかってくるあいつを、どうしてか無視できなくなっていたんだ」
俺がどんなに態度を悪くしても、ラケルは俺に声をかけた。それはさっきのような“怒り”だけではない。
何してるの?
何食べてるの?
あれ、知ってる?
へぇ、それってどうやるの?
ふーん。不思議。もっと詳しく教えてよ。
そんな他愛のないものばかりだった。FROMS.Sの人たちを切り刻んだ頃の俺にとって、彼女は特殊だった。それは“特別”とも言える。何も知らないノイッシュやカール、ディアドラや皿と違い、あいつは全てを知ったうえで、俺と“普通”でいてくれた。
俺にとって、それがどれほど安堵感を抱かせるものだったか……彼女にはわからないだろう。
「人は常に前を歩くしかない」
彼はいつの間にか俺に背を向けていて、遠くにある星々に目をやっていた。
「生きるということは、歩みを続けること。……だけど、僕たちにとって大事なものは、その足跡の中にある。初めて見つけるようで、実際のところ、歩みながら零し続けた“記憶の雫”なんだよ」
そう言って、彼は俺の方へ向き直った。
記憶――さっきのラケルやディンは、俺の記憶だけじゃない。あいつらの記憶そのものでもある。
「それらを拾い、さらに歩み続ける。その“道”はいつしか多くの人と重なり合い、大きなうねりとなる。人はそれを――“歴史”と呼ぶ」
「……歴史……」
ただの言葉なのに、なぜか重くのしかかる。言葉であるはずなのに、そこに幾人もの人生が積み込まれたかのようだった。
彼は優しく微笑み、俺の後方を指さした。
「さぁ、行こう。君が零した宝物を拾いに」