51章:グリゴリ 神々の御座③
「やめろ!」
その時、この空間を切り裂くかのような声が響き渡った。シェムハザの後方で、声を放ったのは――フィーアだった!
「ゼノから離れろ!」
フィーアはその場所から銃で攻撃するのではなく、星煉銃を近接型の剣に変え、一瞬にして間を縮めてシェムハザに斬りかかった。その速さは、今まで見てきた彼女の速度ではなかった。
しかし、彼女の攻撃は、まるで見えない壁があるかのように、シェムハザの背中で止まっていた。奴はすぐに振り向かず、ゆっくりと体を翻した。
「……往生際の悪い子ね」
「ど……けぇ!」
フィーアはその場で何度も斬りかかった。しかし、シェムハザは一瞬のうちに姿を消し、さっきまでフィーアのいた場所まで下がっていた。
まただ――!
高速移動なんてレベルの動きじゃない。いや、“移動”したというものでもない。あの場所へ始めからいたかのようだった。
「大丈夫、ゼノ?」
フィーアは焦った表情で、俺の方へ顔を向けた。
「あ、ああ、問題ない」
「そっか、よかった……」
安堵したのか、彼女はゆっくりと吐息をついた。
「すぐにその鎖を外すから」
彼女はそう言って、俺の両手に繋がれた鎖を破壊しようと武器で切り付けるも、それには傷痕一つつかなかった。
「無駄だ。それは星の元素の結晶体を模倣したもの。おいそれと破壊は出来ん」
シェムハザはそう言い放ち、小さく顔を振った。
「やれやれ、さっさと殺すべきか」
その時、ウルヴァルディは両手を広げた。彼の周囲に光の円環が広がり、それらはいくつもの球体に変化した。
「貫け――“イチィバル”」
光の球体は奴の言葉と共に無数の槍となり、俺たち目掛けて突進してきた。まるで光の散弾のようだった。
「――やらせない! 護り給え、我らの光を――“クリスタルシェル”!」
その時、フィーアは俺の前で仁王立ちになった。彼女が何かを呟いたのと同時に、翡翠色の水晶体が俺たちを囲むようにして現れ、奴の攻撃をすべて防いだ。
――なんだ、これは!?
エレメントのようだが……俺の知っているエレメントとは別物だ。別格の強度を誇るものだ!
「まさか、イチィバルを防ぐとは……奴め、“あの力”が顕在化してきたか」
ウルヴァルディは舌打ちをしたような顔を浮かべ、右手を前方へ広げた。そこへ光の粒子が集い、巨大なコルセスカの如き槍へと変貌した。先端の巨大な刃はそれだけで一般的な剣の刀身よりも長いほどだった。
「残念だが、楽には死ねんぞ?」
奴はあの巨大な槍を軽々と回転させ、フィーアと俺を包む水晶体に切っ先を向けた。
「貫け――“ロンギヌス”」
奴の言葉が発するのと同時に、その槍は空気を切り裂いて水晶体に直撃した。だが、それは水晶体を破壊することは出来ず、突き刺さってしまった。しかし、そこから白いヒビが少しずつ広がっていく。
「くっ……!」
防ぐことは出来たと言っても、あの水晶体はフィーアがエレメントで出現させたもの。彼女の顔が、苦悶で歪んでいく。
「ほう、ロンギヌスすら防ぐか。……だが」
ウルヴァルディは不気味にほくそ笑んだ。それはこの水晶体の強度は想定内だったということだ。つまり――。
奴が手を広げた刹那、水晶体の亀裂が大きくほとばしり広がっていった。それと同時に、フィーアは強く歯を食いしばった。
「お前の力は所詮、搾りかすでしかない。お前如きで、俺の攻撃を完璧に防ぐことは出来ん」
「誰が……搾りかすだ! 私を……意味の分からない言葉で騙るんじゃない!」
彼女から放たれるエレメントの波動が強くなる。それは周囲を小さく振動させるほどに、強大化していく。
「忌々しい力よ……」
「あれこそ、“星の心から零れ落ちた雫”。我らが求め、追い続けた真の力。だが……」
「恨めしや、“ユリアの天使”」
老人どもが口を揃えて、何かを言っている。奴らは俺に向けていた憎悪の視線と言葉を、彼女に向けているのだ。
あいつら……最初も、フィーアを目の敵にしていたようだったが……。
「こんなもの……ぶっ壊してやる!」
フィーアは大きく息を吸い、大声を上げた。青い光の粒子が彼女の手元に集い、それは一気に拡散していく。俺たちを包み込み、不思議な温かさが全身を覆いつくしていく。
「愛し、慈しみ――全ての輝きある者へ――“オーラティーオ”!」
彼女の言葉は、まるで魔法のようだった。その言葉が耳へ届き、どういう言葉なのかをこの脳みそが理解した瞬間、体中に広がっていた鈍痛などの様々な不快なものが洗い流され、体が異常なまでに軽くなったように感じたのだ。
「はああぁぁ!」
フィーアは自らウルヴァルディの槍“ロンギヌス”の切っ先を素手で掴み、怒号を上げながらそれを握りつぶした。切っ先が粉々に砕けたのと同時に、ロンギヌスの槍は雲散霧消してしまった。
その光景に、俺は目を見開いて呆気に取られてしまった。
たった数秒で……奴の武器を破壊した……だと!?
前回、ベツレヘムではあの光の槍“イチィバル”にさえ歯が立たなかったのに。おそらく、“ロンギヌス”というのは“イチィバル”よりも上位の武器だろう。
それを、あいつは……!?
「ウル!」
フィーアは奴を睨みつけると、右手の人差し指でウルヴァルディを指差した。
「私は……負けない! あんたが何をしようとしているのか、まったくわからない。……だけど、ゼノを……彼らを傷付けるつもりなら、その計画――今みたいにぶっ壊してやる!」
俺たちを護る――
そう言っているかのようだった。ああ、だが、まさに……彼女は俺を護ってくれている。あの時のあいつと同じように。凛として前を見据え、いつだって俺と対等でいようとしてくれたあいつに。
ラケルに。
「……些か驚いたな。まさか、お前がそこまで“その力”を操れるとは」
ウルヴァルディは小さくため息をつき、やれやれといった表情を浮かべていた。
「とんだ茶番だ」
奴はパチンと、指を鳴らした。その瞬間、俺たちの眼前に光輝く鏡の欠片が宇宙空間に漂うかのように、あらゆる方向へ回転しながら飛散している。
あれは――さっきの水晶体の欠片、か……?
その時、フィーアの背後――俺とあいつの間――には、シェムハザが立っていた。
いつの間に……と思った瞬間、奴の体が青く煌めく。
「なっ――!?」
「――“スーパーノヴァ”――」
青い閃光が、奴を中心に広がる。俺たちを包んでいた光がそれに覆いつくされ、暖かさえもはがされていくように消えて行ってしまった。
これは……知っている。サラが使った、“ダアト”の力と同じものだ!
「力が……抜けていく……!? ど、どうして……」
フィーアはその場に跪き、後ろへ振り返った。苦しそうに歪んでいる顔が見え、その額には汗が浮かんでいた。
「操れる力の範囲に些か驚いたが……これまでだな」
シェムハザは俺を一瞥するや否や、フィーアの方へ向き直った。
「……レア……いや、フィーア……だったか」
奴の言葉は、どこかぎこちないように感じた。それは微かに――という程度ではあるが。
「これ以上、抗ったところでどうするというのだ? お前たちが何を望むのか定かではないが……所詮、“自由”や“未来”といったものであろう」
奴はそう言い、小さく顔を振った。
「人の範疇では、結局のところミクロな世界でしか物事を計れない。お前たちが――いや、これまでの人類がのたまってきたのは、いわゆるそういうものなのだ」
そういうもの――それはまるで、今までを見てきたような言いぶりだった。
「お前たちにとって、我らは“支配者”であり“独裁者”にしか見えぬだろう。だが、今までの世界はそうやって築かれていったのだ。己らの意思に反していようとも」
シェムハザは再び、俺の方へ視線を向けた。
「たとえお前たちに憎まれ、恨み言を言われようと――我らにはすべき責務がある。数多の犠牲と屍を積み重ねてしまうことなど、とうの昔に覚悟できている。偽善だと言うものもいるだろう。それでも、我らがしてきたことに関して、我らは一片の悔いも抱いてはおらぬ。抱くはずがない。それが世界を導き、救うために生きる“グリゴリ”たる我らの決意だ」
強い意志を――感じる。あの空色の双眸から。見た目の若々しさからは想像できないほどの、プレッシャーが奴の背後に揺らめいている。凡そ、数十年生きただけの人間が持ち得るようなものではない。意志の強さ――あのヴァレンシュタイン局長などとはレベルが違うように感じた。
「だから、あんたたちのしていることを許せって言うの?」
フィーアの言葉に、シェムハザはゆっくりと視線を戻した。
「気に食わないね。……きっと、私たち以上に長生きしてきてたんでしょうよ。そう感じられるもの」
フィーアは歯を食いしばりながらも、顔を上げてシェムハザを睨んでいた。
「そんなあなたたちから見れば、私たちなんてひよっ子どころじゃないのよね……きっと。だけど、そんな“ひよっ子”でも、一人の人間なんだよ。あんたたちが潰そうとしている命や、積み重ねられた“犠牲”と“屍”にだって、たくさんの想いがあったんだよ。あんたたちには想像できないかもしれないけど、誰にだって私たちが歩んできたような道を歩んできていたはずなんだ。……さんざん人を殺めてきた私が言ったって、説得力ないだろうけどね」
フィーアはそう言い、自虐的に笑っていた。あいつも俺と同じなのかもしれない。心のどこかで、人を殺し続けることに疑問を抱いていたんだ。
「あんたたちが存在する理由があるように、私たち“弱き者”にだって、理由があるのさ。どれだけちっぽけで、小さな存在でも。それを奪うというのなら、命がけで抗って見せる。ただ、それだけよ!」
彼女はシェムハザを指差し、言い放った。彼女の言葉にも、シェムハザと同じように意志の強さが現れていた。きっと、シェムハザの言葉が真意の一片であるとわかったのだろう。だからこそ、彼女もまたそれに応えるように言ったのかもしれない。言わずにはいられなかったのかもしれない。
「この状況で、生き延びられると思っているのか? 貴様一人であれば、その力を使って逃げおおせただろう。……ゼノを放って逃げてしまえばいいだろうに」
奴はそう言い、視線はフィーアへ向けたまま俺の方へと手を広げた。その掌から光が螺旋や円環を描き、禍々しいオーラを放ちながら集結していく。それはまるで、いつでも俺を葬れる――とでも囁くかのように。
「……昔の私なら、そうしただろうね。だって、ゼノのこと――大っ嫌いだったから」
フィーアは笑みを浮かべ、言った。
こんな時になんてことを言ってんだこいつは――などと目で訴えていると、彼女は俺に向けて小さくウィンクをして見せた。
「でも、今は違うよ」
フィーアは大きく頷き、鎖を強く握りしめた。
「私は、ゼノと……ゼノたちと、一緒に歩んでいきたい。生きていきたいって、強く思ってるから」
彼女は笑った。そこには今までの彼女自身のどこかすましたようなものと、幼さの残るあどけなさと、優しく見守る母親のような愛おしさが含まれていた。
その様を、シェムハザはジッと見つめていた。敵を見るような目ではない――そう思えた。
でも、なぜ?
そんな疑問を抱く中、シェムハザは目を閉じ、小さく微笑んだ。
「……あのまま、眠っていてくれたらよかったのに……」
呟くかのように何かを言い、奴はため息を漏らした。
「再びこの手で……殺さねばならんとはな。つくづく、運命とは残酷なものだ……」
シェムハザの言葉と共に、風が下から持ち上げるようにして吹き荒れる。シェムハザの髪も大きくなびき、奴の額に青い紋章が浮かび上がっていた。
「全てを滅し、言の葉の終焉を見よ――」
悪寒が背筋を這い上がる。
わかる――この波動は、俺たちを一瞬にして滅ぼすほどの力だと。だが、それに気付いても俺たちにはどうにもできなかった。
体を動かすことが、できない。
「我が星の狂気に震えろ――“ルーナティクス”」
視界が一瞬にして暗転する。かと思うと、全てがモノクロになったかのような視界が広がっていた。そこかしこに、黒い球体が浮かび上がり、シェムハザの目の前に集結していく。強力な磁力に吸い寄せられるかのように。
だが、その時――
「スーパーノヴァ!」
聞き覚えのある声と共に、霧が晴れていくようにモノクロの視界が消え去り、鮮やかな青い光が俺たちを包み込む。
遥か上空から、ガラスが割れるような甲高い音が響き渡る。それはこの異空間全体に広がり、ヒビが枝葉のように分かれていく。まるで真っ黒なガラスの破片が、頭上から無数に落ちてくる。
「よーし、今がチャンスってやつだなぁ!」
陽気な声が響き渡る。大きく開いた白い穴から落ちてくるのは――あれは――
ロ、ローランと……サラ!?
「頼むぜ、俺のネツァク……無限に広がれ、俺の想い!」
意味の分からないことを言いながら、ローランは落ちながら両手を広げた。
「“オーヴィチェ”――膨れ上がれぇい!」
その叫び声と共に、光の道がローランから俺たちを照らすようにして一直線に広がる。俺とシェムハザ、フィーアを包むようにして。
「ちっ、虫けら共が……」
ウルヴァルディは右手をローランたちの方へかざした。巨大な槍――ロンギヌスがそこに形成され、彼らへと突撃した。しかし、その光に阻まれたのか、突き刺さった矢のように体を震わせた。
「俺のロンギヌスが、“ダアト”以外のものを貫けないだと……!?」
「残念だったなぁ、ウルヴァルディの旦那!」
奴をしり目に、ローランは得意げ満々の笑顔をして見せた。
ローランは俺の前に、サラはフィーアの前に降り立った。二人でシェムハザを挟むようにして。
「ロ、ローラン、お前――」
「まぁまぁ。詳しい話は後で、な」
と、ローランはシーと人差し指を立てて口元に当てた。
「大丈夫、フィーア?」
「え? う、うん……か、体が動きづらいけど……」
「じゃあ、私が肩を持つから」
サラはフィーアに肩を貸し、シェムハザの方へ向き直った。シェムハザは微動だにせず、彼女たちを見つめている。
「あなたは……サラ……?」
独り言のように小さな言葉を、シェムハザは発した。
「そうですけど……」
サラはシェムハザを睨むようにして見た。
「……何もしないん……ですか?」
ただただ見つめるだけで、シェムハザは何もしようとしなかった。まるで、心を奪われているかのように。奴の動きを、手足を止めてしまうほどのことが、奴の中で起きているのだろうか?
「……そうか。サラ……」
奴は小さく呟き、フッと笑った。どこか、自嘲的にも見えた。
「お前の“力”の影響下にある限り、我が力“ヴェルトラウム”も意味を成さない。……逃げるならば、さっさと逃げおおせるがいい」
「…………」
シェムハザはゆっくりと顔を振った。好きにしろと言わんばかりに。
「そんじゃ、ま……お言葉に甘えて……“アトモスフィア”!」
ローランの声と共に、突風が俺たちの下から巻き起こる。それらは俺たちを一気に上空へ押し上げ、光の道を真っ直ぐに駆け上がった。
そして、俺たちはローランたちがやってきた白い空間の中へと吸い込まれていった。
「…………」
光に照らされたまま、シェムハザは目を瞑っていた。
「……なぜ、見逃した?」
シェムハザの後方に、ウルヴァルディが降り立つ。
「……“星純青歌”を行使された以上、私のセフィラは使えぬ。それは貴様とて同じであろう」
「腑抜けたことを――と言いたいところだが」
ウルヴァルディは後方に固まり何かを言い合っている老人どもに目をやり、顔をしかめて笑った。
「今はまだ違う――ということか。結局のところ、時期尚早なわけだ」
老人どもに対し、ウルヴァルディは蔑視を送った。それにさえ気付かない愚鈍な老人たちには、計画の重要性など微塵にもわからないだろう――と。
「しかし、いずれにせよ動揺しすぎだ」
そこへ、黒いローブを羽織ったディンが降り立った。それまでの表情とは違う、どこか険しい顔を浮かべて。
「とはいえ、お前の心情――理解できんわけではないが」
ディンはそう言い、穴の開いた空を見上げた。黒い空にぽっかりと空いた、白い空。黒い絵の具の中で、混ざることのない白のようだ。
「だが、人の情などとうの昔に置いてきたはずだろう? あの時に」
「…………」
嫌な記憶が、シェムハザの脳内で駆け巡る。その度に、心は擦り切れてゆく。止めどない血が流れていく。それでも、顔に出すことはしない。それが私だ。
それが、シェムハザたる私なのだ。