51章:グリゴリ 神々の御座②
闇色の光たちの上で、蒼い光が煌めいた。それは空想上の天使が舞い降りるかのように、神々しく輝いていた。
そして、光とともに現れた人間――そう、あれは――。
「嘘……だろ?」
ディン
あそこに、ディンがいる。
以前の服装ではなく、ローブのような黒い服を羽織っていた。
「なんで……お前……? い、生きて……!」
不思議な感情だった。驚きと、喜び。どう表現すればいいのかわからない。
いや、それよりも――。
「お前……どうして、ここに?」
ただただ、混乱している。発するべき言葉が、わからない。頭の中で、様々な言葉が巡りまわっている。
「お前は、あの時……」
「死んだ――と、思っていたんだろう?」
彼は口を開いた。
――ディンの声だ。間違いない。
「あの時、僕はたしかに死んだ。……今までの僕は、という意味でね」
フッと微笑み、ディンは顔を振った。それはまるで、“今までの僕”というものを拒絶――或いは、否定するかのように。
「僕は彼……ウルヴァルディや、この“グリゴリ”から世界の真実を知ったんだ。……なぜ、世界が滅びの道を歩んでいるのかも……」
「滅びの……道?」
その言葉――そうだ、エルダが言っていた。この世界は滅びの道を歩んでいるのだ――と。
「世界は歪んでいる。その歪みを作ったのは、他ならぬ僕たち人類だ」
ディンはそう言い、目を閉じた。
「僕たち人類は遥か太古の昔、罪を犯した。神々と共にね」
「罪……だと?」
俺がそう訊き返すと、ディンは小さく頷いた。すると、その後ろで光る闇色の光たちがその輪郭を少しだけ大きくし始めた。
「逃れようのない“運命”」
「始まりの時より縛られし、この次元の“運命”だ」
「それを回避し得るのは、“アーネンエルベ”のみ」
アーネンエルベ……ASAを使えば、その“滅びの道”とやらを回避できるとでも言いたいのだろうか?
「神々にだけ与えられし“執行権”、それだけが未来を変られるのだ」
「皮肉にも、人でしかない我らにそれを行使する権利はない」
「故に、求めるのだ。アーネンエルベへの道を。全てのセフィラを」
言葉と共に、闇色の光は揺らぐ。
「……アーネンエルベを使って、何をしようとしている?」
俺はディンだけでなく、奴らに視線をやりながら言った。
「アーネンエルベ――ASAを完全に利用できるようにするために、お前らはセフィラを集めているんだろ?」
たしか、フィーアがそう言っていた。全てのセフィラが集うことで、ASAのエネルギー全てを利用できると。
「そうすることで、何をするつもりだ? 世界征服でもするのか?」
この世界でエネルギー問題を解決できる者こそが、世界を掌握すると言っても過言ではない。しかし、SICは既に世界を支配していると言えるほど、強大化しているのも事実だ。
「そのような矮小なこと、意味もない」
ふん、と老人の吐き捨てるような言葉が響く。
「なら、何をするつもりだ? 世界を救うだのなんだの言ってやがるが、結局のところ人をいいように操り、駒のように動かしているだけじゃねぇか。その先の目的も言わずに、俺に死ねだの言う権利ねぇだろうが!」
俺の生き死にを都合がいいように操ろうってんだ。説明してもらわなければ、気が済まないってもんだ。
「ゼノ」
問いかけるように、ディンは俺を呼んだ。前方に神々しく煌めく光を背に、あいつは俺を見下ろしていた。
「世界は死んでしまう。そう遠くない未来に」
彼は小さく頷いた。
「さっき言っただろう? 罪を犯したと。その罪と咎を背負わされ、滅びの道を歩み続けているのが、今の僕たちだ。ただの人では、その道から逃れることはできない。だから、僕たちの祖“アブラハム”は、逃れる術を現世に残したんだ。それが“アーネンエルベ”と“セフィラ”。それらが集うことで、滅びの道から逃れることが出来る。この次元は、生き永らえることが出来るんだ」
アブラハム……?
「古の時代、人は覚えていない文明の名の時代――“ロンバルディア”」
ディンは天を見上げ、言った。
……ロンバルディア――?
どこかで聞いたような気がする……。
「人は“星の心”と“星の人”を手に入れた。だけど、人はそれを誤った方向へと使ってしまった」
「だから、この世界――次元には“滅びの時”――すなわち、“カリ・ユガ”が待っているのだ」
ディンと俺の間に立つようにして、シェムハザが一瞬にして移動した。
「“絶対なる破壊者”である貴様は、その扉への道を大きく開きかねない存在だ」
「……俺が?」
シェムハザの言葉に、俺は動揺した。
「その力は“破壊”。世界の理そのものを滅ぼし、未来への道を閉ざす神の力。そう、神とは“創り”、“壊す”。忌むべきその力は、我々にとって脅威でしかない」
神の力……破壊。それが、この俺の中にある力――あの感覚の力のことなのだ。
「……なら、なんで俺を生かしていた?」
思わず、そう質問した。そんなに俺を恐れているのならば、初めから“破棄”してしまえばよかったものを。
「俺はお前らにとって脅威なんだろ? 今まで生かしていたのは、どういう理由だ!」
「わざわざ殺すほどでもない――ということだ」
ため息交じりに、ウルヴァルディが言った。
「神々の力“ティファレト”を操るのは容易ではない。それはディンとて同じ。だが、完全なる覚醒を果たせないお前を、脅威などと認識したことはない。お前など、俺一人で十分殺せるからだ」
奴はフッと笑い、俺を見ていた。だが、俺はそれを見て、逆に笑みを零していた。それは意識したものではない。まるで涎を垂らしているのに気付かないくらいのものだった。
「……笑えるな」
俺は肩を揺らすようにして笑った。笑えるわけではない。奴らを馬鹿にするために笑っているのだ。
「何がおかしい?」
一人の老人が、冷たく言い放つ。
「……そこら辺の石ころのような存在でしかねぇんだろ、俺は? 小さき者でしかないはずの俺に、この場所まで踏み入れられてしまった。てめぇらの本拠地まで入られてんだ! それが滑稽だから笑えるんだよ!」
俺を恐れていない、俺を見下していたくせに、ここまで侵入されたんだ。それはあまりにもお粗末と言えるのではないか? だから笑えるのだ。
「俺たちチルドレンを道具のように扱い、計画の一端だと吐き捨てやがる。お前らのその高尚な目的とやらのために、無関係の人間が山ほど死んでいった。……俺の剣で、死んだ人たちも大勢いる」
俺はこの手で、SICのためだと――世界秩序のためだと、切り捨てていった。それは俺の責任でもある。だが――。
「そんなことの果てに得られる未来に、希望もくそもあんのかよ! 俺たちチルドレンや、他の人間を駒としか見ていないてめぇらに……新しい未来を創れるとは、到底思えねぇ!」
そうした結果、その救われた未来の世界で、果たして“未来”はあるのか? 結局、あいつらのような奴らが世界を牛耳る。大義名分を掲げて人を利用し、世界を掌握したいだけなのだ。
「お前らには世界を救う――そんな気概は感じられない。お前らは、ただの独裁者だろうが!」
世界を救うなどと言いながら、俺たちを――人を自分たちの理想のために使い、捨て、殺す。それのどこに、“未来”など築けるというのだろうか。
「この世界は、てめぇらのもんじゃない! 俺たち“ヒト”のものだ!」
「愚か者めが。世界に我々は必要なのだ」
俺の意志を、言葉を嘲笑するかのように、老人の声は笑っていた。と同時に、その声たちが代わる代わる発せられる。
「世界は脆く、弱い」
「弱き者をかばい、護り、導くのが強き者――“持つ者”。それが権力者だ」
「権力とは“毒”であり、同時に“力”でもある」
「太古から変わらぬ。力を持つ者が、世界を導く。そして、責任と義務がつきまとう」
「それ故に、我らは犠牲を惜しまぬのだ。貴様らのような、偽善でしか語れない舌など持っておらぬ」
「我々“グリゴリ”は、世界の指導者なり」
「人の世を導き、新たなる繁栄を築く。それのどこに“罪”があるのだ?」
俺は思わず、舌打ちをした。何が繁栄だ……! 俺たちをモルモットのように実験していたくせに!
「俺は、俺のために――自分が望む、あるべき世界のために生きてんだ! お前らみてぇな奴らに利用されるだけ利用される人生なんか、まっぴらごめんだ!」
「ならば、どう抗うというのだ? 未だ同調を果たせない“未完成品”め」
「“ティファレト”を有していながら、“E.S.I.N”との同調を果たせていない貴様に、何ができるというのだ」
E.S.I.N……? 同調……って、“ダアト”との同調のことか?
「時は近い。貴様には消えてもらわねばならぬ」
その時、闇色の光たちは一瞬、大きく揺らめいた。すると、それらは人の形になっていった。だが……そこに現れた“ヒト”は、俺が想像していた“老人”ではなかった。
異形――とも言うべきなのか。五人の老人たちは皆、人工呼吸器のようなものを口に付けており、顔色は異常なほどに青白く変色している。目は血が充満しているかのように紅く、瞳は闇色に染まっていた。それぞれが色の違うローブを羽織り、顔以外に露出している部分はなく、あちこちから様々なパイプのようなものがローブの隙間から出ており、さながら機械のようだった。
「崩壊の時」
異形の老人たちを見つめる中で、シェムハザが呟くように言った。
「その“扉”が開くまで、幾ばくも無い。……ゼノよ」
銀色の髪をなびかせ、シェムハザはゆっくりと下降し始めた。
「次元の未来と、次元そのものを破壊しかねない存在――“絶対なる破壊者”よ。ここで、貴様の運命は終わる」
その言葉の真意に、気付かないはずがない。奴は俺の目の前に降り立ち、見下ろしていた。すると、奴は左手を俺の顔へと差出、指先で顎に触れた。そして、顎を無理やり上げさせた。
「……何か言い残すことはあるか?」
「…………?」
空色の瞳――サラと同じだ。この宇宙空間のような闇の世界の中でも、奴の双眸は輝きを失っていなかった。まるで、そこだけに光が渦巻いているかのように。
そして、俺はあることに気付く。
その瞳からは、俺へ向けられるはずのものが感じられなかった。ウルヴァルディや、姿を現す前の老人たちからでさえ感じたもの。
寧ろ、シェムハザからは俺を哀れむような意志さえ感じられた。少し目を細くし、憂いているかのような眼差し。奴の長いまつ毛がこの異空間の青白い光を受け、妙に神秘的なもののように感じた。
「やめろ!」




