50章:古の都④
「……アベルの……都?」
「え?」
俺の言葉に反応したのか、フィーアはこちらへ振り向いた。
「ここが“アベルの都”だって言うの?」
「……いや、確証はない。頭の中で、誰かがそう言った気がする」
俺の言葉に、彼女は難しい顔をして俯いた。そりゃそうだ、何度も俺がそういうことを言うんだから。
「あんたの空耳というか、幻聴というか……いい加減、嘘じゃないってことはわかったけど、慣れないんだけど」
と、わざとらしく大きくため息をつく。そんな反応をされても、正直なところ俺のせいではないような気がするのだが。
「まぁ、調べてみるしかなさそうね。帰り道も調べておかなきゃなんないしさ」
「そうだな」
俺はそう言い、ゆっくりとこのフロアを見渡してみた。フロア――というよりも、巨大な通路なのかもしれない。幅は50メートルほどあるかと思うほど広く、両壁には等間隔に巨大な扉がある。そのどれもが、人ではなく数倍以上の大きさのものが通れるほどの大きさだった。それこそ、エルダの機動兵器並みのものが。
とすると、ここは人が通るような場所――ではなく、兵器や巨大な機材、或いは戦車とかそういったもののための場所なのかもしれない。そう考えてみると、床には様々な記号があちこちにある。不思議な模様で何を意味するのかは分からないが、おそらく何らかの言語だろうか?
扉の方へ歩み寄り、見上げる。巨人でも通れそうなほどの扉で、何らかの文字のようなものも記されている。この扉の端に、人が通れるほどの大きさの扉が備えられており、俺の予想は間違っていないだろうと確信させた。
「……何の言語だ?」
どう読むのか見当がつかない。アルファベットに似ているが……違う。
「ここが“アベルの都”っていうのが本当なら、ここを作ったのは宇宙人か何かかしらね。わけわかんない文字だしさ」
それらを見上げながら、フィーアは自身の仮説が馬鹿馬鹿しいのか、嘲笑していた。だが、俺は意外とそれはありえなくはないと思った。
「可能性はあるだろうよ。人だとは限らねぇしな」
「あら、冗談で言ったんだけど?」
「“太平洋から浮上した謎の都市”――って言葉だけで、人類が建造したものなのかどうか疑わしいじゃねぇか。可能性だけなら、宇宙人ってのも考えられなくはねぇだろ」
「ま、たしかにね。誰も攻撃してきたのが“ヒト”だなんて言ってないもの。どの史料に関してもさ」
あり得ないことではあるが、あり得ないことがあり得るのがこの世界だ。事実は小説よりも奇なり――などと、よく昔の本を読んでいたディンなら言いそうだ。実際、“アルマゲドンを引き起こしたのが宇宙人”というなら、簡単に謎も解けてしまいそうだから恐ろしい。
俺たちはこの巨大な通路を先へ進むことにした。どの扉も開くことはできなかったので、そうするしかなかったのだ。
「もし仮にさ」
俺たちの歩く音が不気味に響く中で、フィーアは言い始めた。
「“アベルの都”が私たちと同じ人間の手によるものだったとして……ものの数時間で西暦時代の国々を壊滅させられるほどの力を持っていたってことは、当時の科学技術を遥かに超えるものを持つ人たちがいたってことよね?」
「宇宙人でなければ、そうなるな」
「……宇宙人、好きね」
彼女はあきれ顔で小さく笑った。
「いやいや、言い出しっぺはお前じゃねぇか」
「そうだけど、あんたが宇宙人ネタを引っ張るとは思わないじゃない」
そう言われ、俺も思わず笑ってしまった。
「お前の言いたいことは、その科学技術力をどうやって隠し続けていたのかってことか?」
「……ええ」
フィーアは小さく頷いた。
その科学技術力が多少でも世界に露見されていたならば、あそこまで人類がやられることはなかったはずだ。対処が出来なかったということは、当時の人類は誰も“アベルの都”の兵器群に対し、何の情報もなかったということ。
「世界に隠れて、その時の最先端を遥かに凌駕する技術を持つ――なんてこと、普通に考えたらできねぇだろうしな」
「私もそう思う。ということは、太平洋に沈んでいて気付けなかったってことかしら」
「……これだけ巨大な都市を見つけられないなんてこと、あり得るか?」
いくらなんでも、それは無いような気がするが。
「それなんだけど、アルマゲドンを起こした首謀者がエレメントを発見した――って言ったのを覚えてる?」
「ああ、そうだったっけか」
俺は彼女の問いに、暗闇で先の見えない天井を見上げながら頷いた。
「ローランのセフィラ“ネツァク”……あの力で、私たちを他人から見えないようにすることができたじゃない。それと同じで、その“首謀者”はここを見えないようにしていた、或いは感知できないように何らかのエレメントを利用していたんじゃない?」
「――!」
たしかに、彼女の言うとおりだ。
「当時の世界を凌駕する兵器群……それも現在のS兵器やE兵器に当てはめれば、結構可能だったんじゃないかって思うのよね」
エレメントを利用していた――とすれば、あながち不可能ではないということだ。
「とは言っても、これだけの建造物をどうやって建設したのかは不明よね。皆目見当も付かないわ」
彼女はそう言って、両手を広げてみせた。
「いくらなんでも、海中で造るのは無理があるだろうしな」
「そうね。考えられるとしたら、沈んでいた――か」
その可能性でいくと、建造したのはその当時ではないということになる。つまり――。
「古代文明の遺産か何かってか?」
俺がそう言うと、彼女はうーんと唸り始めた。
「宇宙人以外で――と考えると、意外とその線も濃厚じゃないかと思うのよね。ほら、言語とか一切読めないってことは、今まで発見されてきた文明じゃないってことでしょ? もしかしたら、発見されていない古代文明の言語……という可能性は多少なりともあるじゃない」
「古代文明ねぇ。それはそれは、なんというかロマンのあるこったな」
と、俺は思わず笑ってしまった。古代文明が現代を凌駕しているなどというのは、フィクション作品の中にはよくあることだ。
「ほとんど可能性はないと思うけどね」
彼女も俺と同じように、苦笑していた。しかし、フィーアは目を細くし、小さくため息を漏らした。「でも――」と続けて。
「宇宙人並みにあり得ると思うんだけど。私としては、さ」
「…………」
あり得ないことはあり得ない――。
セフィラやチルドレン、神々の力……。そういった用語の飛び交う俺たちの世界の中で、冷静に考えればさほど不自然なものでもない。
巨大な通路をしばらく進むと、突き当たりに到着した。
「ここにも扉があるな」
両壁に備えられていた巨大な扉はなく、人専用の扉があるのみだった。なんと書いてあるのかは不明だが、紺色の扉はおそらく横へスライドするタイプのものだ。
「認証式……かしら」
フィーアは扉の横に備えられている器具に目をやった。液晶パネルのようなものがあり、ちょうど人の手を置けるサイズになっている。
「試しに置いてみたら?」
「は? なんでだよ」
「もしかしたら、反応するかもよ? 別に減るもんでもないんだし」
と、フィーアは俺を小馬鹿するかのように笑った。こいつ、自分がやるのは嫌だからって、俺にさせようとする気満々じゃねぇか。
「……ったく、しゃーねぇな。こんなんで反応すりゃ、苦労なんてしねぇんだが」
俺はブツブツ言いながら、そのパネルに右手の掌を乗せた。
「え――」
その瞬間、パネルは青白く発光し、何かを読み取るように表面に様々な文字らしきものが浮かび上がってくる。ピーという機械音が鳴り、パネルから横一線の光が出てきて、俺の掌を指先から手首付近までゆっくりと降りていく。俺の掌を読み取ろうとしているのだろうか。
『6-.hl-y c4s4tzt 6t5luxejp』
扉の前――俺たちの目の前の空間に、文字が浮かんだ。それがどういう意味なのかは分からないが……わかるはずがないのに、俺は直感的にどういう意味の言葉なのかを理解した。それは生まれるずっと以前から、知っているかのように。
――お帰りなさいませ、総統閣下――
扉が音もなく左へスライドしたのと同時に、その文字もふっと消えた。
「……嘘でしょ……」
「お、お前がやれって言ったんじゃねぇか」
多少混乱しつつ、俺は彼女にそう言った。ある意味、自分を落ち着かせるためでもあった。
「いや、まさか本当に開くなんて思わないじゃない。……でも、なんで……? まさか、あんたって宇宙人なわけ?」
と、彼女はかなり神妙な面持ちで俺に迫った。
「何バカなこと言ってんだ。生まれも育ちもセフィロートだっての」
ため息交じりに、そう言った。
「ハハハ、冗談よ。でも、考えていてもわかんないわね。もしかしたら、チルドレンとかそういうのも関係するのかもしれないし。或いは、セフィラ――とかね」
他の奴らと違う点と言えば、彼女の指摘したところだ。だが……そうじゃないと思える何かがある。頭の中に突如湧いた、あの言葉の意味。
――総統閣下――
その時、寒気がするのを感じた。得体のしれないものが、背中から這い上がり俺を覆いつくすかのように。俺はそれを“恐怖”であると認識するのに、時間は掛からなかった。何より、なぜ恐怖を感じるのか。
……恐れている? 何を?
――あぁ、リリー。君は美しい――
――さぁ、僕の“心”と繋がってくれ――
「……アダム……」
「ん? どうかした?」
先へ行こうとするフィーアは、俺の方へ向き直った。なぜか、それまで抱いていた“何か”を忘れてしまった。
「……いや、なんでもない」
「ボーっとしないでよね。ただでさえ不安定なんだから、あんたは」
と、彼女は腰に手を当てて笑っていた。
「不安定なのは否定しねぇが、まるで精神異常者じゃねぇか」
「まぁまぁ」
そんなことを言い合いながら、俺たちは先へ進んだ。
扉を抜け、今度は幅が5メートルの通路になり、天井もある。ここは完全に人が歩くための通路なのだろう。
あちこちに扉があり、そのどれもが俺の掌をパネルにかざすだけで認証され、入ることが出来た。フィーアでは弾かれてしまうため、彼女の憶測は間違いないのかもしれない。そうやって入られる部屋には様々なコンピューターらしきものが並んでいた。何かを研究していたのだろうか、ある部屋の中にはいくつも並ぶコンピューターの前に巨大なガラスが張られており、その先には底の見えない円柱型の空間があった。ガラスにへばりつき、上を見上げても暗くてどうなっているのかわからなかった。
さらに、ある部屋では大人一人が入られるようなカプセルが壁面に並び、それぞれに番号らしきものが記されてあった。ざっと数えても、50台以上ある。人を研究していたのか、それとももっと別の何かを研究していたのかは定かではない。
この辺りは研究区域――のようなものなのだろうか。画面の起動しないコンピューターがさながら墓標のようで、どれだけの時を経てもその無機質さは失われていないことに、俺は妙な哀愁を感じた。少なくとも、2000年はこのままだったのだから。
通路を進んで行き、今度はエレベーターらしきものがいくつかあった。矢印が上や下を指していたので、おそらく上の階層に行けるものとその逆で分かれているのかもしれない。
俺たちはまず上の階層に行くエレベーターを選択し、それに乗った。そこもやはり、俺の認証で起動することができた。
上へのエレベーターは、かなり長く感じた。それだけ縦にも巨大な都市なのだろう。おそらくだが、俺たちがさっきまでいた場所は、下へのエレベーターもあることを察するに、中間層なのかもしれない。
エレベーターが止まり、開いた先には巨大な都市が広がっていた。セフィロートのように、コロニーの中みたいだった。果てが見えないため、どれほど広いのか皆目見当がつかない。
空はない。天井も見えない。さっきまでと同じような漆黒の闇に包まれた空があるのみで、最初のフロアと同じで床や壁から滲み出る光でぼんやりと照らされている。
整然と並んだビル群――全てビルのように見えるが、そのどれもが中に入れないようになっていた。この階層は居住区なのかそうでないのか判別しにくいが、研究施設があるのならばおそらく居住区で間違いないだろう。
俺たちが歩いているのは、道路なのだろう。一直線になっており、等間隔に交差点がある。信号のようなものもあるし、標識もある。言語はわからないが、記号のものはなんとなくどういった意味を表しているのかがわかる。「×」という表記は、この先は侵入不可か、若しくは駐停車禁止か。何もかも確証はないけれど、不思議と何らかの意味を持つ“記号”というのは、どの時代・文明でも変わりはないのかもしれない。
あまりにも広大であるため、俺たちは一旦戻り、下へ行くエレベーターへと向かった。この階層は、下を調べてから再度来ることにしたのだ。
下層へのエレベーターに乗りこみ、上へ行く時以上に長い下降だった。
「そう言えば、コンピューターとかはまったく起動してなかったけど……」
壁にもたれかかり、フィーアは言った。
「このエレベーターとか、どうして動いてるのかな」
「……動力が生きてるってことなんじゃねぇか?」
「いや、そりゃそうなんだけど」
彼女は上を仰ぎ見て、しかめっ面にして見せた。
「必要最低限しか稼働していないのかなって思ってさ」
彼女の疑念は、俺に一つの憶測を生み出した。
「……まさか、誰か住んでいる……とでも?」
「そう考えたら、しっくりくると思わない?」
「…………」
「そうじゃないことを願うけどね」
その時、エレベーターは到着した。
そこから出ると、ホールのような場所ですぐ先に扉があった。それは今までの扉とは違い、上には何やら仰々しく文字が記載されてある。例の如く、読めないのだが。
――促進委員会技術局計画推進部特別隔離区域――
耳鳴りがする。それと同時に、そこになんと書いてあるのかを理解した。
促進委員会……? 隔離区域……どういう意味だ?
「ここもゼノの認証で開くかな」
彼女の視線の先に、今までとは違う認証パネルがあった。今までのよりも一回り大きく、ちょうど視線の高さにゴーグルのような装置も備えられている。
「これ、網膜認証じゃない?」
「ああ、たしかに」
掌の認証と、網膜認証――二つのセキュリティ。“特別隔離区域”とあるから、かなり厳重な警備の場所なのだろうか。とりあえず、読めたことに関しては黙っておこう。
俺はパネルに掌を乗せた。パネルが光るのと同時に、ゴーグルのような装置は自動的に俺の顔まで接近し、ジーという機械音を発しながら制止した。
『iyd94ted……t-.eeya94? ……』
『6-.hl-y 6s6lhqxe』
扉は両サイドへスライドした。同時に、網膜認証の装置も元の場所へ戻っていった。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか――って感じね」
「なんだよ、古い言葉を使って」
俺がそう言うと、彼女はほくそ笑んだ。
「ここだけ特別って感じじゃない? だから、ちょっと気を引き締めておこうと思ってさ」
「……まぁ、そうだな」
俺たちは互いに目を合わせ、小さく頷いた。
扉の先は、一本道だった。研究施設のあった通路の幅と同じほどだが、壁や天井は全てバック路だった。天井には円形の物体が等間隔に設置されており、青白い光を放っていた。
「不気味ね。サラだったら泣いちゃうんじゃない?」
「おいおい、気を引き締めるだのなんだの言っておいてそれかよ」
と、俺は思わず笑ってしまった。俺の後ろで怯えながら進むサラの姿が、容易に想像できてしまった。
「ちょっとした強がりよ。こうでも言ってないとね」
「……嘘くせぇな」
「あら、本当かもよ?」
フィーアは余裕の笑みを浮かべ、首を傾げた。俺は呆れつつ、頬を指先でかいた。
「やれやれ、お前はいつも――――」
俺は言葉を発しながら、足音に気付いた。俺はすぐさま前を見据え、構えた。
――なんだ? とんでもない奴がいる。本能的にそう感じる。これは、まるで……!
フィーアもまた、俺と同じように構えて前を見据えていた。瞬きをせず、目を凝らして。
足音が、ゆっくりと近づく。この音は……ヒールの音か?
「まさかあそこから来るとはな」
静寂を確実に、ゆっくりと裂くかのような声が入り込んできた。恐ろしいほどの、凛とした声だった。暗闇の奥から、人――女性が歩いてくる。
「こうしてお前たちと会えるのを楽しみにしていた」
その言葉と共に、奴は歩を止めた。そして、その姿を確認できた。
高身長の女性――年齢は凡そ20代後半だろうか。体の線は細く、フィーアよりも背が高く感じる。紺色のスーツのような服を纏っており、膝丈までのスカートのようなものを身に付け、足は黒いタイツで包まれている。
そして、オールバックの髪は腰より先へ伸びており、線維のように細かった。そして、それはサラと同じ銀色だった。奴の双眸も、同じ空色――。
この明かりの乏しい中で、奴の瞳だけが輝いているように見えた。
何より、美しい端麗な女性だった。俺はここまで顔の整った女性を見たことがない。いや、この先もおいそれと見ることのできるレベルの人間じゃないと感じるほどだった。
だが、胸など躍らなかった。ここまで美しい女性を見れば、多少なりとも心は踊る。それが男というものだ。なのに、それが一切起きないのだ。
本能的に悟っているのだ。これは……ただの人間じゃない、と。それこそ、ウルヴァルディのようなバケモノだ。毛穴が開き、鳥肌が立ちそうだった。脂汗も滲み出てきているのがわかる。
俺の全神経が、この女性に対し“畏怖”している。
「……あんたは、誰?」
フィーアの言葉は、俺にも震えているのがわかった。俺の抱いているものと同じものを、彼女も抱いているのだ。
すると、奴はゆっくりと瞼を閉じ、再び俺たちを見据えた。
透き通った空色の双眸が、俺たちを射抜く。
「我が名は“シェムハザ”――世界を導きし“グリゴリ”が一人」




