50章:古の都③
その日のうちに、東博士の出生地とされる場所へ到着した。既に日は隠れ始め、黄昏が訪れようとしている。
「まぁ……大方想像していたけど、廃墟だね」
「そりゃ、な」
ノーティの示した住所に広がっていたのは、崩れた家屋たちだった。かつては多くの家が立ち並び、団地としての姿を形作っていたのだろうと思わせる。草木が生い茂り、夕闇に沈み始めるそれらは、どこか哀愁を含んでいるように感じた。
「……それにしても、東博士――“東空”が失踪した後、その家族も消息が不明ってのがまた不気味だな」
ノーティの情報には、彼の家族のことも記されてあった。子供は四人いたそうだが、アルマゲドンで死んだのかどうかさえも不明とされていた。
「単純に一般人過ぎて、情報を格納していない――っていう可能性もあるけど、これだけの“キーマン”なのに、その家族の詳細が不明なんてあからさまだとしか思えないわね」
と、フィーアは呆れたようにため息を漏らす。
「……意図的に隠そうとしている可能性もあるよな」
「そうだけど、そうだとしたら誰が?」
フィーアは首を傾げ、質問する。
「考えられるのは、政府だろ」
「政府ってことは、当時の日本政府かしら。でも、それだけ重要な人物なのか不鮮明じゃない?」
東博士の業績を鑑みれば、そう思うのは妥当だろう。
「そりゃそうなんだが、さして重要じゃないことが重要なんじゃねぇか?」
「……つまり?」
彼女はさっきとは反対方向、左へ首を傾げた。
「俺たち現代の人間が、過去の人間の思想や信念を知るには、第三者が記した情報だけだ。そこには様々な意図が孕んでやがる。敢えて大した人物じゃないように見せてる――そう感じられることに、重要さがあるんじゃねぇのかってことだ」
「なるほど。……まるで、SICのしてきたことに似てるわね」
彼女はそう言い、自身の頬に手を添えた。
SICと……ああ、なるほど。サラを変にミッションへ参加させようとしたことや、この地球のことなどもそうだ。
「しかし、こうも崩壊してるとなると、情報らしい情報は見つかりそうにないかもな」
周囲を見渡しながら、俺はため息をついた。なんとなく、ここへ来たら何かがわかりそうな気がしたが。
……なんとなく……?
そんな風に、考えただろうか。なぜ、俺はここへ来たんだ?
そうだ。理由は明確だ。
「そうか……」
俺の体が、勝手に動く。
「ゼノ?」
フィーアの呼びかけに振り返ることなく、俺は瓦礫の上を進んだ。不安定な足場のはずなのに、まるで答えを知っているかのように最もバランスの取れる場所へ足を運びながら、奥へと進む。
少し進んだ場所で、俺は屈んだ。そこには草木が生い茂り、地面が全く見えないほどのコンクリートの瓦礫が積まれている。
「ねぇ、ゼノ? どうしたの?」
俺とは打って変わって、フィーアは何度も足を滑らせてしまいそうになりながら、困惑した様子で俺を呼ぶ。俺は――それを己だと認識できるほどには、意識があった――彼女を一瞥し、その場に掌を当てた。
「……パニッシュ」
言葉と共に、掌から紅い光がじわじわと滲み出、そこから瞬く間に周囲へ広がっていく。俺を中心とした円形の幾何学模様――魔法陣のようなものがその光により形成され、まるで地面をくり抜くかのように下へゆっくりと下降し始めた。この魔法陣に接触した障害物は、悉くが消滅していった。
「ちょ、ちょっと! な、何やってんのよ?」
半径5メートルほどの魔法陣に、フィーアも下降し始める前に乗っていたようだ。当惑しつつ、俺の肩を何度も叩いた。
「ねぇ、ゼノ! いったい、どうしたって言うの?」
彼女は叩いたり、俺の体を揺らしながら俺から何らかの反応を得ようとするも、俺自身は何も返さなかった。
――ただ、自身の掌の先に広がる光景を見つめながら。
「……止まった」
彼女の言葉の通り、降下は10メートルほどで完了した。魔法陣がゆっくりと消え、床にあったのは黒い地面――いや、真っ黒な床だった。
「……ゼノ?」
「え」
俺は彼女の呼びかけに、ハッとした。その瞬間、俺の意識そのものがこの肉体という檻の中に、舞い戻るかのような感覚が脳内に駆け巡った。
「……何をしたの?」
フィーアは真っ直ぐ、俺を見ていた。俺が何者なのかを、確かめるかのように。
「いや……俺にもわからない。どうしてこんなことをしたのか……」
あの時と同じだ。初めて“ティファレト”を使役した時のように。ウルヴァルディと戦った時、俺なのに俺ではない誰かによって体を動かされているという感覚と。
「あんたの異変はどうかしてるよ」
「……そんな真顔で言われてもな」
あまりにもフィーアが真顔で言うものだから、思わず視線を逸らしてしまった。
「セフィラを有するが故――なんだろうけどさ、さすがに心配だよ」
「…………」
驚きを隠せなかった。その言葉と、彼女の姿に。
真顔だと思っていたが、その双眸には真剣さがなみなみと入っており、右手で左の二の腕辺りを強く握りしめている様には、そこかしこから彼女の俺を心配する想いが滲み出ているように感じた。そうやっていないと、不安に押しつぶされてしまうのではないか――と、無意識に彼女は思っているのかもしれない。
「……あんたは、たしかにハイクラスのチルドレンで、数値的に歴代最高値と言っていい。でも、“ダアト”との同調が果たせていない。その中で“ティファレト”を持ち続けるってことは、かなり体に負担をかけているってことになる。……だから……」
フィーアは顔を俯かせ、小さく顔を振った。彼女にまとわり付く不安を振り払うかのように。
「じゃあ、俺がそれに耐えられるようになるしかねぇんだろ?」
不思議と、言葉が出た。それはどこか、彼女のための言葉であるかのようだった。
「俺は自分が特異な人間だと思っていた。だからそれなりにエレメントも扱えるし、戦うことが出来る。……だが、実際に俺は誰も護れてねぇんだよ。誰も……」
「……ゼノ……」
俺は拳を握りしめた。
ディンにしても、サラにしても。
――ラケルにしても。
「ティファレト――セフィラってのは、おそらく“人風情”が持つには少々ばかり危ねぇ代物だ。しかも、御しきれてねぇってのが滑稽だよな」
ハハハ、と俺は自嘲した。コンピューターと同じだ。どんだけ性能の良いものを持っていたって、扱う側がその特性を生かしきれないなら、意味がない。
だけど。
それでも、俺は願う。
「俺は、強く在りたい。誰かを護れるほどの」
そう、ディンと約束したんだ。ラケルを失った時に。人を護れるだけの強さを、手に入れたい――と。
「だから、俺はこの力を扱えるようにならなきゃならねぇ。お前だって言ってたじゃねぇか。“俺が強くなればいい”ってさ」
この地球で、フィーアは俺に言った。妙に言い当てられたように感じられたその言葉は、おそらく俺の心の奥底に刻まれていたのだ。
――そう、俺が強くなればいい。この力が扱えるほどに。
「扱えるかどうかなんて、ネガティブなこと言ってられねぇしな」
「……あんたからネガティブなこと、あまり聞いたことないけどね」
フィーアはそう言いながら、優しく微笑んだ。俺もなぜだか、同じように微笑んでいた。すると、彼女は俺の方に歩み寄り、握りしめていた俺の拳に自身の手を乗せ、俺を見上げた。燃ゆる焔を閉じ込めたような瞳が、その精神と同じように真っ直ぐ見つめる。
「あなたを……信じてる。だから、負けないで」
優しく降り注ぐ雨のように、静かで、確かに届くであろうその言葉。なのに、どれほど勇気を植え付けるものであるかなんて、考えなくてもわかるほどだった。それだけ、その彼女の言葉には想いが込められていて、それははっきりとした輪郭を持ち、俺の心へ雪が溶け込むかのように、ゆっくりと混ざっていった。
フィーアは俺の胸に自身の頭を軽くもたれ掛けさせた。
言いようのない感情が、怒涛の勢いで這い寄ってくる。それらは俺の手を動かし、彼女の背中へと回そうとしていた。それを押しとどめるように――なぜかはわからない。わからないが――、数年前の光景が映し出されていく。
ラケルや、サラが。写真の画像が早送りで進んで行くかのように、いくつも。
俺を覆いつぶそうとしていた“その感情”を、しっかりと押し付けてくれたのだ。だから、俺はどうにか優しく彼女の肩に手を置くことだけができたのだ。
そうすると、彼女は何かを察したのか、一歩だけ後ろへ下がり、俺を再び見上げた。
「……任せろ。負けねぇから」
「……うん。言ったからには、頼んだわよ?」
と、いつもの彼女らしい言葉と共に、若干の意地悪さを滲ませた笑顔を作り出していた。
「ところでさ、ここからどうすんの?」
踵を返すかのように、彼女は床に広がる黒い地面を見渡し始めた。
「正直、俺が聞きたいところなんだが」
と、苦笑せざるを得なかった。どうしてここへ来たのかわからないのだから。
――唱えるんだ――
え?
――さあ、僕の言葉を続けて――
声が、脳内に響く。俺は自然とそれを受け入れ、掌を再び広げ、この黒い地面に当てた。
――天界への梯子、ケリュ・ヴェル・ゼスナー――
「……天界への梯子……ケリュ・ヴェル・ゼスナー……我を、その手元へと導き給え……」
――ビフレスト――
「虹色の道――“ビフレスト”」
その言葉と共に、黒い地面に青い光がほとばしる。それらはここへ降下してきた時と同じように、幾何学模様の魔法陣を形作った。
「え、ちょ、ちょっと、今度はなんなの!?」
フィーアの驚く声と同時に、魔法陣は青白く発光し始め、俺たちを噴き上げるようにして風がそこから吹き荒れる。
光は俺たちの視界を埋め尽くし、一瞬にして目の前は真っ暗になってしまった。
「ん……」
ひんやりとした地面――いや、床だ――に、俺はうつ伏せになっているのだと気付く。どことなく光が少なく、暗い場所に居るのだということが瞼を開けずとも感じ取れた。
「……どこだ、ここは……?」
視界に広がっていたのは、紺色に統一されたフロアだった。天井は果てしなく高く、その先は深淵の闇のように暗い。青白い光の直線が、壁や床から等間隔に配置されており、それらによってこの空間の明るさが保たれているようだった。
どこかに似ているような……どこだっただろうか。そう思えるほどに、既視感のある場所だった。ただ、似ているだけで、同じではないということにも気付いた。
俺の隣で、仰向けになって意識を失っているフィーアがいた。
「おい、フィーア、フィーア!」
「……ん……」
彼女の肩を握り、体を揺らすと反応があった。彼女はハッと目覚め、上半身を起こした。
「な、何が起きたの? ここは……ど、どこよ!?」
「いや、わかんねぇよ」
「あ、あんたが何かしたからこうなったんでしょうが!」
と、彼女は多少変に興奮しつつ、立ち上がった。そして、何かに気付いたのか、目を見開いたまま周囲を見渡した。
「ここ……あそこに似てない?」
「あそこって、どこだよ?」
そう問い返すと、フィーアはわざとらしくため息をついた。
「つい最近でしょうに。……たしか、SICの“レーヴェン”だっけ? あそこに雰囲気が似てる気がする」
「レーヴェン……ああ、セフィロートのか」
漸く、既視感の正体に気付く。軍部から脱出する際に通った、LEINEなどを管理する機関だ。
「かといって、あそこじゃあないわね。……一体……?」
彼女は首を傾げ、考え込んでいた。
――真似たのさ。“彼”が――
――ここは君たちによって、ある名称で呼ばれている――
言葉が、再び俺の脳内に囁きかけてくる。
「……呼ばれている……? 俺たちに?」
――そう、世界を破滅させた元凶――
――“アベルの都”だよ――
 




