50章:古の都
「あら、起きた?」
目を開けると、天井に空いた穴から零れる光の下で、フィーアが何かを食べていた。彼女は既に着替えていて、俺の服はいつの間にか俺の上半身に掛けられていた。
「朝方、あっちこっち行ってみてさ。果物とか水を見つけたから、なんとかなりそうだよ」
彼女はそう言って微笑んで、手に持っていた果実――見たところ、オレンジのようだが違うのかもしれない――をかじっていた。
「フィーア……お前、体は大丈夫か?」
まだ眠気眼ながらも、最も気にかかることを訊ねた。
「うん、大丈夫。ありがとね、いろいろ」
どこか照れくさそうに、彼女は言った。どうも普段の彼女らしくなく、変にむず痒くなってしまった。というより、その“いろいろ”という言葉には、服を脱がせたとかのことも含まれたりしているのだろうか?
「……あ、え、えーと。あんたも食べる?」
フィーアは急にそう言って、俺の方にその果実を向けた。彼女もまた、俺と同じようなことを考えてしまったのだろうかと、俺は無為に心の中で詮索してしまっていた。
「あ、ああ」
とりあえず頷いて。俺は彼女からかじりかけの果実を受け取った。
ここはどこなのか、どうなったのか――食事をしながら、俺たちはその話をしていた。俺はエルダと戦い退け、サラが苦しみだしそこから光が溢れ、気が付けばこの星へいたということを告げた。憶測ではあるが、地球であるということも。
「……私も地球だと思った」
「そうなのか?」
そう訊ねると、彼女は大きく頷く。そして、天井の穴から見える空を見上げた。
「昨日の夜、空に月が浮かんでいた。……つまり、そういうことなんだろうなって」
不思議だな、と彼女は付け加えた。自分たちがさっきまでいたはずの星が、この暗夜に光輝いて浮かんでいるなんて――と。
「ところで、お前は覚えていないのか? どうしてこうなったのか」
「……それが、全く覚えていないのよ」
彼女は難しい表情を浮かべた。
「私たちの方には“リンド”と“シゼル”っていうPSHRCIの幹部が出てきたんだけど、負けそうになってさ」
そこから記憶は途切れているらしい。
「……なんだったっけ。何かあったような気がしたんだけど……」
うーんと唸りながら、彼女は頭を抱えていた。
最後のローランとの通信――“フィーアまでもがそうだったのか”――と、あいつは言っていた。それがどういう意味なのか知りたいが、彼女の様子ではそれがなんなのかわからないだろう。だから、俺は敢えてその場では訊ねないことにした。
「覚えてるのは、あのシゼル――だっけ? ……私じゃ歯が立たなかったよ」
彼女はため息交じりに言った。シゼルと言えば、たしか“その場でなんでも創り出せる錬金術師”だったはず。
「まさか、あいつまでが持ってるとは思わなかった」
「持ってるって、何が?」
そう訊き返すと、フィーアは眉間にしわを寄せて再びため息を漏らした。
「……セフィラ“ビナー”」
50章
――古の都――
――てめぇらみてぇな持たざる者に教えてやるぜ――
――“神々から与えられた咎”の力ってものをな――
――“セフィラ・ビナー”……創り給え、無形より出でし有形――
――“アルケミー”――
「……あれも“セフィラ”の力だったのか」
そう言われると、納得がいく。しかし、俺と引けを取らないフィーアとエレメントの得意なメアリーの二人がかりで歯が立たなかったってことに、疑問が残る。
「一緒にいた次席……リンドも、セフィラを持っているようだった。何のセフィラなのかはわからなかったけど、ローランも苦戦をしていたから」
「ってことはつまり、幹部連中はセフィラを持ってるってことになんのか?」
それも、反政府組織であるPSHRCIがだ。いくらなんでも、持ちすぎじゃねぇか……。SIC――いや、その上の組織である“MATHEY”がPSHRCIに与えたんだろうか。
「そうなってくると、ウルヴァルディも持ってんだろうな。なんらかのセフィラって奴を」
「……だろうね。あの強さの秘密にも頷けるってものよ」
フィーアはそう言って、やれやれと呟く。
「あんた、よく仮想空間とはいえシゼルに負けなかったわね。正直、かなりの力の差を感じたわ」
「……それについてなんだが、ちょっとおかしいんだよな」
いくら何でも、フィーアとメアリーの二人で歯が立たないってのは理解できない。
「俺の時はローランがいたとはいえ、圧倒的な差があるとは思わなかった。……短期間で強くなった――と考えた方がいいのかもしれねぇな」
「どういうこと?」
フィーアは首を傾げて訊ねる。
「あくまで俺の仮説だが……技術を磨いたり肉体を鍛えるってのは時間がかかる。一朝一夕でどうにかなるもんでもねぇだろ。普通に考えれば」
だが――そう、普通でないことが一つだけある。
「奴らは“セフィラ”を持っているが……実際のところ、完全に使い切れてないんじゃねぇか?」
「……まさか、あんたと同じってこと?」
彼女の言葉に、俺は頷いた。
「本来の俺なら、エルダには到底敵わなかったはずだ。だが、俺のセフィラ“ティファレト”を以前よりも使役出来たおかげで、俺は奴を退けることが出来た。短期間で強くなるためには、セフィラを制御できるようになればいいってことだが、おそらく敵にも言えるんだろう」
“アーネンエルベ”を解除するための鍵たる“セフィラ”……それは、本来人が扱えるような代物ではないのかもしれない。だからこそ、不完全なのだ。俺だけでなく、奴らも。
「……そう言えば、あいつら……“セフィラが馴染む”だのなんだの、言っていたわね」
「奴らもまだ適応できてねぇ証拠だな。まぁ、それだけやばい代物なんだろうが」
と、自嘲的に笑う俺を、フィーアはジッと見つめている。何やら気味が悪くて、俺は怪訝そうな表情を浮かべた。
「なんだよ?」
「……あなたが、強くなればいいんだよ」
彼女はそう言い放った。どことなく、いつもの雰囲気じゃないような気がした。
「おいおい、何を言ってやがる。そんな簡単な話じゃねぇだろ」
「だって、そうじゃない」
俺の言葉を遮るように、彼女は言った。
「あなたにはその可能性がある。……あなただけに」
――そうでしょ?――
ただただ、確信に満ちた表情。一片の疑いさえも混ざっていない、真水のような言葉だった。たったそれだけのことで、俺に対する信頼――というものの大きさが計れた。
吸い込まれそうになる、紅の炎を閉じ込めたかのような瞳。
何度もそれに貫かれたいと――なぜか、思っていた。
俺たちは準備をし、外へと出た。既に太陽は真上近くまで登っていて、大気は穏やかに澄んでいて、優しい風たちはこの草原を静かに揺らしていた。
ここからどこへ行けばいいのかはわからないが、とにかく海沿いを進んで行こうということに決まった。安易な考え方ではあるが、俺が学院の授業で聞いた話では、かつて地球の都市や町は海沿いなどに造られることが多かったという。単純に物流の拠点となるからだろうだとは思うが、わざわざ内陸の山々に囲まれたところに町は造らないだろう。村ならともかく。
希望的観測だが、もしディアドラやノイッシュたちが離れた場所にいたとして、まず俺たちを探すはず。それも情報を得ることのできる都市や町を目指して。
「人なんていないんでしょ?」
風に揺られる自身の髪を抑えながら、フィーアは訊ねた。
「公式発表ではな。今更、SICの言っていたことなんて信用しねぇよ」
俺がそう答えると、フィーアは「たしかにね」と言ってクスクス笑っていた。
「本当にいなかったとして、千年経とうが西暦時代の都市がきれいさっぱり無くなってるってことはないと思う。過去の情報とか、あとは正確な位置とかを知りたいし、多少の収穫はあるだろ」
「それに、ローランの父親がどこかにいる手がかりも見つかればいいんだけどね」
「そうなりゃラッキーなくらいで、まずは情報収集と仲間探しさ。ほら、行くぞ」
俺たちは浜辺を横目に、歩き始めた。
一日歩き続けて、ほとんど景色は変わらなかった。
既に太陽が沈み、周囲が闇夜に飲み込まれる手前で、俺たちは浜辺にある岩の空洞を見つけた。そこは一部屋のような空洞になっていて、雨風を凌げる場所だった。今日はここで夜を過ごすことにした。
食事は朝方、フィーアが収穫してきた果実――どうやら“柑橘系”のようだ――と、俺が腰に掛けていた小型バッグに入れてあった非常用の食品しかなかった。
「はぁ……ひもじい。ねぇ、魚でも取れないの?」
フィーアは非常食品をかじりながら、ため息交じりに言った。
「お前、結構無茶を言うよな。取ったこともねぇのに、どうやって取るんだよ」
俺と彼女の間に浜辺で拾った木の枝などを敷き詰め、エレメントで火をおこし暖を取っていた。
「あんたって、炎熱系と紫電系のエレメントが得意でしょ?」
「……まぁ、そうだが」
「じゃあ、その紫電系のエレメントをその辺りの海辺にぶち込めば、通電して魚が浮かんでくるんじゃない?」
なんとまぁ、えぐい方法を思いつくというかなんというか……。いや、まぁ真っ当な方法ではあるのだろうか。おそらく、それで捕まえたら炎熱系のエレメントで焼いて食せってことを言いたいのだろう。
「で、あとは炎熱系エレメントで焼いて食べる。どう?」
得意げな顔で、彼女は笑った。いたずらをする前の子供のように。
「……はいはい、やりますよ」
わかり切っていた言葉に、俺は思わず苦笑するしかなかった。
「それにしても、たくさん取れたね~。さっすがゼノっち!」
「……やめろ。あいつの顔が浮かんできやがる」
ローランの真似をするなっての。ざっと見るに、焚火の前に並べた魚は20匹はいるだろうか。見事にエレメントで痺れてしまった魚たちが、気絶して浮かんできた様はなかなか見応えのあるものだった。
「……俺、魚捌けねぇぞ」
というより、料理なんかほとんどしたことはない。ディンは結構自作することもあったし、サラなんて実家では全員分の料理作っていたくらいだ。
「私、できるよ」
フィーアは自身を指差していた。
「……は?」
俺は思わず、気の抜けた声を出してしまった。というより、勝手に出た。
「いや、だからやったことあるんだって」
「おいおい、冗談も休みやすみに言いやがれ」
「あのねー、私ってこう見えても料理得意なのよ? PSHRCIにいた時は、ほとんど一人で料理していたから」
と、俺があまりにも信じないからか、彼女は少し不機嫌そうな表情になっていた。
「ま、見てなさいって。アッと驚かせてやるから!」
彼女は腕をまくり、俺を指差した。
そんなこんなで出来上がったのは、魚たちの塩焼きと魚のスープ。塩は海水を蒸発させて作り、水はフィーアのエレメントで氷を発生させ、それを溶かして利用した。スープは様々な魚を煮込むことで出汁を取っていて、食欲をそそるにおいが立ち込めていた。
「……どうよ?」
彼女は俺の顔を覗き込む。俺はそのことに気付かないくらいに、想像以上で驚いていた。
「お前……意外性ありすぎだろ」
「そう? でも、見直したでしょ?」
「…………」
俺はため息交じりに、自身の頬を指先でかいていた。見直したというよりか、意外だというか。
「ほら、食べてみて。調味料がほとんどないから、味は薄いかもしれないけど」
「あ、ああ」
ニコニコしながら、彼女は俺を急かしてきた。俺は魚のスープを手に取り、口にした。まだ熱々のスープは、この寒さで冷えていた体を中から暖め、不思議とホッとするような吐息を出させた。
「……うまい」
俺は思わずそう口にし、頷いた。味はたしかに薄いが、それでも魚のうまみがしっかり出ている。
「あら、ホント? よかったー!」
フィーアはそう言って、両手を合わせて笑った。屈託のないその笑顔は、どこかサラを連想させるものだった。どこか大人ぶっている表情ばかり浮かべる普段の彼女からは、あまり想像できない子供のような表情だった。
だからか、少しだけ心が動揺した。どういった意味で動揺したのか、自分でもわからなかった。
「じゃ、私も食べようかな」
彼女は微笑みながら、食事を始めた。
「お、なかなか魚の出汁が効いてますな」
と、スープをすすりながら言う。
「親父みてぇだな」
「つい、ね。なかなかこういうの、最近食べてなかったし」
再び、彼女はニコッと微笑んだ。
こいつでも、こんな風に笑うんだなと――漠然とではあるが、思ってしまった。
なんだかんだで、俺も彼女も、子供なのだ。変な環境に身を投じていただけで、本当は何も知らないガキのままなのだ。
――ふと、思う。
彼女からその“平凡”を奪ったのは、他ならぬSICなのではないかと。
「……なぁ、訊いてもいいか」
「ん?」
彼女は焼き魚を頬張りながら、こちらを見てきた。
「お前はSICを……恨んでいるか?」
俺は、彼女を見つめた。彼女は表情を違えず、咀嚼していた。ゆっくりと焼き魚を置き、水をゆっくりと飲み始めた。それを飲み干した後、彼女は言った。
「私はベツレヘムで生まれたのよね。たぶん」
たぶん――というのは、正確にはわからないかららしい。
「私を二歳になるまで育ててくれた人がいたんだけど、もう覚えていない。けど、母親じゃないってことだけは、他の人から聞かされた」
それでも、彼女にとっては母親に相当する人だったのだろう。
「物心ついた時には、もうウル……ウルヴァルディの養子みたいなもので、あの人に付き従って生活していた。ベツレヘムの事件はSICの陰謀だって聞かされてたし、私の故郷を奪ったっていう観点から言えば、恨んでるかもね。殺してやりたいって、恨んでた」
ふふ、と彼女は笑った。すると、彼女は俺に目をやった。
「でも、そんなものでしょ。故郷や家族を奪われたら、誰だって恨むじゃない」
「……まぁ、な」
彼女の言葉に、俺はメアリーを思い浮かべた。
「その感情は当然のものだし、でも私はどちらかと言えば、憎しみよりも世界の変革――ウルの言葉だけを信じていた。ウルは私にとっては親みたいなもので、戦い方を教えてくれた先生で、何より私たちを護ってくれるヒーローだった」
アルバムを眺めるかのように、彼女は言葉を続けた。
「だから、ウルの命令に従うだけだった。……でも、正直なことを言えば、憎しみもあったのかもね。あなたたちSICの人間に会った時は」
「……結構、敵意むき出しだったよな」
俺は思わず、小さく笑いながら言ってしまった。フィーアもまた、少し驚いたような表情を浮かべ、フッと微笑んだ。
「……そうね。あなたなんて、ずっと疑っていたものね。間違いじゃなかったけどさ」
「ディンがお人好し過ぎんだよ」
俺は呆れ気味に、ため息を漏らした。
「きっと、それでバランスが取れていたのよ。あなたたち二人、気持ち悪いくらいに意思疎通が出来ているし」
「……それ、以前も言ってただろ」
「あら、バレた?」
いたずらっ子のように、彼女はわざとらしく口元に手を添えて笑った。
「……妄信的だったのよ。全て――というわけじゃないけれど、私にとってウルの言葉は絶対だった」
子供のような表情から、達観した大人の女性のような口ぶりで、彼女は言った。
「あの時……ウルの言葉が絶対じゃないってわかって、もしかしたら、ベツレヘムが消失したのも何か理由があるんじゃないかって思った。世界の真実は、私が見て、聞いてきたことだけじゃないのよ」
奴の言葉が絶対ではない――人は誰しも、心の中にそういった“信ずるもの”がある。それが崩れた時、人はどうなるのだろうか。彼女のように前を見据えられるのか、それとも――。
「だから、私はあなたたちと一緒に進もうって思ったの。そこに、過去の遺恨なんて関係ない。私の進む道は、私が決めなきゃならない。……ウルに決めてもらってきた私とは、決別しなきゃ……ね」
彼女はそう言って、俺に微笑んで見せた。
愁いを少しだけ纏わせたようだと――思った。
「だから、これからもお願いね。あなたのこと、信頼してる」
すると、彼女は身を乗り出すようにして顔を近づけ、指先を俺の鼻へチョンと触れた。その際、俺は無意識に顔を引っ込めてしまった。その様を見た彼女は、クスクスと笑う。
「何よ、照れてんの?」
彼女の笑う様が、誰かと被る。
――ラケル?
以前にも、同じように感じたことがあった。フィーアから、ラケルの面影を感じるのだ。
「ほら、ご飯食べようよ。冷えちゃう」
彼女はそう言いながら、スープをすすり始めた。
その日、俺は夢を見ていた――
いや、これは夢なのか?
言葉が、聴こえる……。
――古代文明“ロンバルディア”。かつて、“アルケー”と呼ばれた組織だ――
――今、目の前にあるのはその文明の産物――
誰かが、何かを仰ぎ見ながら言っている。
――そして、この星に存在する“心”と“命”――
――これらを用い、私は“創世計画”を進める――
――アズマソラ……いや、“セヴェス”――
――貴様の力、現世で使えるのか?――
男は振り返り、相対するもう一人の男に言った。
――未来を次代へ――
――そのために、私は存在している――
声は遠くなる。
俺の中に息衝くものか――或いは、この星に息衝く魂の言霊だろうか。
彷徨い続け、邂逅を希うのは俺たちの心そのもの。
それは“彼ら”も同じなのだ。
愛を求めて、彷徨い続ける。