47章:反目する、咎を背負いし者たち④
「あなたたちに宿る“神々の言霊”――存分に感じさせてちょうだい」
エルダはそう言い放った瞬間、紫色の霧状に散った。
散った――という表現は、はたして人間に使っていいのだろうか。そう形容できるほど、異常な光景なのだ。人の身体が霧状になって散る――などというのは。
その“霧”は一瞬にして視界から消え去り、気配が感じない。どこからやってくるのか、皆目見当がつかない。
「ねぇ、見てくれないの? 私を」
どこからともなく、声が聞こえる。上かと思い、見上げるもそこには何もない。
「私の全てをさらけ出して、こうなっているのに。つれないわね」
ため息交じりの声が、左から聞こえた。俺は咄嗟に左へ振り向くのと同時にグラディウスを振り抜くが、感触は何もなく、空を切っただけだった。その瞬間、体全体に衝撃が走り、俺は前方へと吹き飛ばされてしまった。
「――なっ!?」
骨が軋むのを感じながら、俺は宙で体勢を整え床へ着地した。
「何をされたかわからない――って顔をしてるわね」
含み笑いとともに、俺がさっきまでいた場所に紫色の霧が人型に集い、一瞬にしてエルダとなった。
「私を攻撃しようなんて無駄よ。優しく触れようとしてくれないと……ね」
エルダは右手を掲げ、詠唱を始めた。
「虚空より来たれ、無数の光。……ほうら、悶えちゃいなさい……“ザヴェーロ”」
強烈な波動――それはエレメントの振動だった。目に見えない波動が、俺たちのいる空間を揺らす。それだけで、奴の放とうとするエレメントが如何に強大かがわかる。
――ほとばしる閃光を纏った光の小隕石が、降り注ぐ。
「……うん?」
ローランは首を傾げ、耳を澄ませた。
大きく振動している。それとともに、エレメントの波動を感じる。誰かが強力な“原星古語”を放ったようだ。
「あちらさん、派手にやってるようだねぇ」
「……」
ローランの言葉に、相対する仮面の男――リンドは何の反応も示さない。
「誰を仕向けたんだい?」
「……お前にそれを答える必要があると思うか?」
鋭さを前面に押し出すように、リンドは言を発した。戦いの最中、こちらから言葉を投げかけても反応しなかったが、漸く喋ったか……と、ローランは変に微笑ましく思っていた。
「そりゃないけど、大方……そうだね、エルダあたりかい?」
「そう思うのならば、そう思えばいい。あちら側を思うほど余裕があるようには見えんが」
「……へっ、たしかに」
ローランのジャケットはあちこちが破れ、彼の血が染みて所々赤黒く変色していた。周囲は瓦礫が散乱し、粉塵がまだ舞っている。
――やれやれ、相変わらず“奴”とは相性が悪い。
ローランは小さく笑い、口の中にたまった血を吐き捨てた。
「でも、あっちはゼノっちがいるから大丈夫だと思うけどね!」
ローランはそう叫ぶようにして言い、右手にある銃で攻撃を仕掛けた。しかし、どれもリンドの前に広がる見えない防御壁に阻まれてしまった。
“絶対防御壁”が厚いなぁ……。というよりも、あれは“空気の壁”か。
冷静に考えながら、ローランは大剣を肩に担ぎリンドに特攻した。
「……無謀だな」
リンドはため息をつきつつ、彼の攻撃を長剣で捌く。
「無謀かなんて、こちとら生まれてずっと無謀なもんでね!」
ローランは回転しながら下から剣を振り上げた。リンドはそれを防御するも、宙へ大きく吹き飛ばされてしまうほどのものだった。
「喰らえ――“クロス・レイザー”!」
ローランは“ネツァク”を発動させ、その大気を銃口から放った弾丸に乗せた。それらは音速を遥かに超え、衝撃波を放った。
リンドはその衝撃波でさらに上空へ吹き飛ばされ、天井にめり込んでしまった。砕けた天井の一部が崩落し、床に散らばっていく。
「血を飲め、鋭き陰りの刃――“ゲーヴレイグ”!」
ローランはリンドへ向けるように天へ手を広げ、印を結んだ。エレメントが結集し、無数の風の刃となったそれらは空を裂き、リンドに襲い掛かる。大気の刃が直撃するたびに粉塵が舞い、さらに瓦礫が崩落してくる。
「……効かんな、そんなもの」
「――!?」
ローランを押し付けるかのように、風が押し付けられてくる。目を開いていることが難しいほどの風だった。
「俺の“ネツァク”は、お前以上だ」
ゆっくりと、天井から降りてくるリンド。彼を包むように、大気がボール状に広がっており、その表面を瓦礫が滑るようにして回転していた。
「大人しく渡せ。奴の――アーサーの全てを」
蔑むように、リンドはローランを見下ろす。それは侮蔑――寧ろ、憎しみを覆い隠すかのようなものだった。その怒りを、憎悪を、ローランはよく知っている。それはローランにではなく、ローランの中にある“彼”の影に対してだった。
奴は――そうしなければ、“己”を手に入れられないのだから。
「嫌なこった」
へん、とローランは鼻で笑い、鼻先を指先で拭った。そして、強くリンドへと目をやった。
「これは俺のもんだ。あんたらの狙いは……アーネンエルベだろ? 絶対に、これは渡さない」
鍵たる“セフィラ”。神々の言霊――それは、人を導く道標になる可能性のあるもの。それを、易々と渡すわけにはいかない。
行こうぜ、ネツァク。
俺の――俺たちの本気を、見せてやろうぜ!
「魂の風よ、我が言霊に応え、その御業を現せ――“ネツァク”!」
風が集い、ローランを包む。それは淡い緑色の光を帯び、まるで水中に広がる太陽の光のように漂っていた。
その様を、リンドは目を細くしながら見つめていた。
「……言っておくが、肉体に馴染んできているのは貴様だけではない。俺も同様だ」
リンドがそう言った瞬間、エレメントの波動が周囲に広がった。そして、ローランと同じように緑色の光が彼を覆い、風が巻き起こる。
「アーサーが貴様にだけ与えた全てを――奪いつくしてやる」
「やれるもんなら……やってみな!」
二人は同時に、剣を振り抜いた。巨大な大気の刃が、彼らの間でぶつかり合った。
「てめぇらの力はこんなもんか?」
瓦礫の上で、桃色の髪を両側頭部で束ねた小柄な少女は、胡坐をかいて言い放った。彼女の視線の先には、瓦礫に埋もれたフィーアとメアリーの姿があった。
「所詮、セフィラの欠片も持っていない低俗な虫けらってことだな」
少女――シゼルはそう言って彼女らを嘲笑する。
「くっ……!」
フィーアたちは身体を震わせながら、体を起こした。片膝をついた状態だが、肩を大きく上下するほど呼吸が荒かった。
歯が立たない。
攻撃の速さも、バリエーションも何もかも奴の方が上手だ。あの小柄な体からは想像できないほどの怪力。それはおそらく、ゼノに匹敵するかそれ以上だった。
だが、何よりも誤算なのは――
「……エレメントが、効かないなんてこと……あるのね」
メアリーは思わず、微笑しながら言ってしまった。自分のエレメントがまったく通用しないのだ。たしかにローランが“シゼルにはエレメント耐性がある”と言っていたが、耐性があるなんてもんじゃない。何も効かない、弾かれるのだ。
「あのウルヴァルディの懐刀って聞いてた割に、大したことねぇな。やる気あんのか?」
シゼルは睨みつけるように、フィーアに目をやる。
「なんだと……!?」
その言葉が癇に障ったのか、フィーアはシゼルを睨み返した。
「どういう理由であの野郎がてめぇらを生かしておいたのか、理由がわかるかと思ったが……期待外れもいいとこだな」
「……言わせておけば!」
フィーアはカッとなり、銃口をすぐさまシゼルに向け、放つ。しかし、胡坐をかく彼女の前に瓦礫が集結し壁となり、攻撃を阻んだ。
「――“イレイザー・キャノン”!」
フィーアの言葉とともに、エレメントの光線が解き放たれる。それは一直線に、シゼルへ向かって行った。
「ったく、学習能力の無い奴だ」
シゼルはそれを避けるようにして上空へ跳躍した。
「逃すか!」
フィーアはシゼルの後ろに移動しており、星煉銃を近接攻撃モード“LAMINA”に変え、攻撃を繰り出した。
「勝てやしねぇってのに、諦めが悪いなぁ!」
「うるさい!」
シゼルもまた、歪な刀身を持った剣のような武器を具現させ、フィーアに応戦した。二人の剣撃はさながら刃物を抱いた旋風のようであり、近づけばたちどころにみじん切りにされてしまうほどだった。
「おらぁ!」
「ぐっ……!」
シゼルの上からの振り下ろしを防ぐも、あまりのパワーに押し負け、フィーアは下方へ吹き飛ばされた。
「ハハ! 死ねぇ!」
シゼルがパチンと指を鳴らすと、彼女の背後に光とともに様々な銃火器が具現化する。それらは一斉に、吹き飛んでいったフィーアを追撃するようにして弾幕を浴びせた。
フィーアは瞬時にシールドを張り攻撃を防ぐも、彼女の傍にいつの間にか幾つもの小型爆弾が漂っていた。
「し、しまっ――」
「ほーら、ドカンってね」
再び、シゼルは指を鳴らす。それと同時に、フィーアを巻き込むようにしてその爆弾たちは閃光と共に破裂し、爆炎を場き散らした。
「うあああぁ!」
フィーアはさらに下方へ飛ばされ、床に激突した。彼女の身体からは、灰色の煙があちこちから昇っていた。
「フィ、フィーア……!」
メアリーはほとんど動けないほどに、ダメージを負っていた。彼女は一般的な戦闘員並みの近接攻撃は可能だが、それはあくまで平均的なもの。セフィラの加護を得たシゼルには、到底敵わなかった。エレメントが効かない時点で、彼女は戦うリングにさえ上がれていない状態だったのだ。
「よえぇ、よえぇぞ」
宙に浮かび、シゼルは彼女らを見下す。
「せっかくあのローランを八つ裂きにしてやろうと思ってたのに、こんな雑魚共をあてがわれて……ったくよぉ!!」
シゼルは怒声を放ち、眉間にしわを寄せた。その様は、おおよそ少女のすることではないものだった。
「もう飽きたな。そろそろ死んでもらおうか?」
そう言って、今度はため息をつくシゼル。まるで情緒不安定な人間のようだ――と、メアリーは冷静に考えていた。
――ああいったところを見るに、過去に相当の因縁があると思って間違いないのかもしれない――と。
「切り刻んで、その肉片を微塵も残してやんねぇからな」
シゼルがそう言うと、彼女の周囲に様々な武器が具現化される。巨大な鎌や無数の針を持った鉄球、或いは鋭利な刃物たち。うじゃうじゃと虫のように蠢くそれらは、彼女を崇める修道僧のようだった。
「く……そ……!」
瓦礫に埋もれたフィーアは、ただ思う。自分は何も為せないのかと。
私がここへ来たのは……ゼノたちと共に行こうと決意したのは、何のため?
彼らのため?
そう……それもある。でも、何よりも。
何よりも、自分のためにここまで来たんじゃないのか? こんなところで負けてしまえば、私は……ただの道化師じゃないか!
私は私の存在意義を証明するために、ここにいる。ウルヴァルディに利用されるために、生きてきたんじゃない!
「負けるわけには……いかない!」
フィーアは歯を食いしばり、立ち上がった。強い意志が、彼女を覆っていた。そして、それは煌めく焔となって具現化していた。そのことに、彼女は気付いていない。
「……フィーア?」
その感じたことのない波動――エレメントの振動に、メアリーは驚嘆していた。自分たちの芯に響く不可思議なこの振動。それは生まれた時から知っていて、穏やかな温かさを感じさせるものだった。
「なんだ、急に? これは、まるで……」
それ以上に驚いているのは、シゼルだった。
まさか、あり得ない。この波動は……まるで、“あれ”じゃねぇか!?
「はああああぁぁ!」
フィーアの声と共に、光がより強くなる。紺碧の光が――彼女を中心に広がり、周囲を包み込む。
「そう――“私”は知っている」
言霊が漏れる。私じゃない誰かが、私の口から言霊を発している。
「私と星と生命の言霊――さぁ、羽ばたこう」
自然と、フィーアは両手を広げた。それと同時に、紺碧の光はまるで波打つかのように広がり、世界の色と混ざり合う。その光に乗り、フィーアの金色の髪が優しく揺蕩う。
「我らが無垢なる幼子たちよ……神々が愛した“原初のヒト”の下へ還れ」
「ま、まさか……ふ、ふざけんじゃねぇぞ!」
シゼルは宙で、たじろいでしまっていた。
「これは、星の幼子――“ダアト”の力じゃねぇか!」
彼女は声を荒げた。それが何を意味するのか、はっきりと分かっているからだ。
そして、紺碧の光が膨張する。
――スーパー・ノヴァ――
星の音色が、優しく響き渡る。