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BLUE・STORYⅡ  作者: 森田しょう
◆第1部:無限と有限が重なり合う中で~schicksalhaft Begegnung~
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4章:どこか優しい空間


 そう言えば、今日から7月。とは言っても、セフィロートのような完全なる人工コロニーでは、四季などは存在しない。コンピューターによって適度な気温が設定・維持されており、特別な区域だけ気温が違うだけで気温の差はない。その特別な所ってのは、プールだったりスキー場などの施設。後は、SICの管理する農場くらいだろうか。


「それで、一体どういうことなんだ?」


 俺たちは上層部に呼び出され、白い机の前で三人が並んで立たされていた。目の前には、俺とディン担当の教官であるラグネルが眉間にしわを寄せて、俺たちを見ている。少し老け顔なのに、いつもよりも老けて見えてしまう。

「だから、家族が心配だったんで独断で市街区に行ったんだよ」

 と、俺はため息交じりに言った。俺としてはさっさと帰りたいので、謹慎でも何でもいいからさっさと終わりにしてほしい。そんな空気を醸し出しているせいか、ラグネルまで頑固になってしまっている。

「それはしょうがないとして、どうしてCクラスのサラ=フェンテスまで連れて行ったの?」

 そう言ってきたのは、イスに座っているラグネルの傍に立っている女性教官――たぶん、Cクラス担当の教官だろう。金髪のショートカットで、眼鏡をかけている。

「ご、ごめんなさい、エリィ教官」

 そう言って、サラは頭を何度も下げ始めた。

「今回は私が……」

「勝手に来たんだって」

 俺はサラの言葉を遮って言った。その瞬間に起きた、俺の隣にいるディンとサラの「え?」という顔は、なかなか面白い。

「勝手にって……止めはしたのか? まさか、彼女の言っていることを聞いたってことは……」

「止めたに決まってんだろ? いくら言っても聞かねぇし、『行く』の一点張りだしさ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 すると、サラが声をあげた。顔を向けると、少しだけ顔を赤くしている彼女の姿がある。なんでそんな顔をしているんだ? と頭をかしげると、

「まるで私のわがままのせいみたいじゃない!」

 と言ってきた。

「あぁ? お前のわがままじゃなかったらなんだってんだ。つか、お前は『自分が全部悪いんです』的なことを言おうとしたんだろ?」

「そ、そうだけど、ゼノだって了承してくれたじゃない!」

 図星を突かれた彼女はそれでも引かずに、俺に食って掛かる。

「そうしねぇと時間がもったいなかったんだよ! そんくらい理解しやがれ、アホ!」

「な、なんですってぇ!?」

 顔をさらに赤くし、彼女は俺に襲いかかって来た。俺は引っ叩こうとする彼女の攻撃を、右に・左へと避ける。

「……おい、お前たち……」

「教官、とりあえず僕たちはどうするんですか?」

 呆然とする教官に歩み寄ったディンは、小さく微笑んでいた。それを見た教官は、小さくため息を漏らす。呆れているのか、聞くだけ馬鹿馬鹿しいと思ったのか。

「追って連絡する。今日は親の所に行ってやれ」

「じゃあ今日のミッションはどうすんだよ?」

 サラの攻撃をかわしながら、俺は訊ねた。

「今日は全てのミッションが中止よ。いろいろと処理もあるから」

 エリィ教官はそう言いながら、呆れた風な面持ちをしている。

まぁ、そうなるのが当たり前か。緊急事態と言えば、緊急事態だ。GHがSICの本部に殴りこんだんだから。

「じゃあ、お言葉に甘えて帰るとするか」

 俺はサラの頭を手で押さえつけた。すると、彼女は目をパチクリさせながら動きを停止させる。

「帰るってどこに帰るのよ?」

「話聞いとけ。実家に決まってんだろ」

「ゼノが言うかな」

「うっせーぞ、ディン」










「……さて、どうしたもんかねぇ」

「二人ですか? それとも、彼女ですか?」

 二人はゼノたちが出て行った扉を見つめながら言った。

「どれもだよ」

 ラグネルはそう言って、資料に目をやる。ゼノとディンの能力の高さは他のチルドレンとは異質のものであり、サラはそんな二人に敵うはずもない部類に入っている。

「CG値218――それに間違いはないのか?」

「ええ。何度も検査しましたから」

「…………」

 ラグネルにとっても、疑問を抱かざるを得なかった。いくら資料を見てみても、そこにある数値を見てみても、疑問しか出てこない。

「他の者たちとはあまりにも違う。だが、俺にはどこらへんが『特異』なのか理解できん」

 彼はそう呟き、顔を小さく振った。

「それは彼女"たち"を見れば明らかでしょう? 最初からそうなるべくしてなっているのですから」

「……だろうな」

 言葉と同時にため息を漏らしたラグネルは、資料を机の隅に放った。そして、別の資料へと手を移した。











 俺たちはとりあえず、第8市街区にある両親の所へ向かった。

 この辺りには瓦礫やらSIC警察やら消防やらがあちこちにいて、今日起きたことがどれほどのものだったのかを物語っている。あれほど整然と並んでいた並木道の楓や銀杏の樹は無残に折れていたり、白い道路には大小の穴がいくつも出来上がっていて、未だにどこぞの建物から黒煙が出ているところもある。

 両親が住んでいるマンションは玄関辺りで銃撃戦をしたため、玄関などがボロボロではあるが、それ以外に損傷などはなかった。

「ディン、どうしたの?」

 おばさんたちは、マンションの前で瓦礫などを撤去する作業などをしていた。

「今日は帰ってやれって、教官に言われてね」

「そう……じゃあ、あの子を見てあげなさい」

 と、おばさんはマンションに目をやる。

「まだ目は覚めないのか?」

 俺がそう訊ねると、おばさんはこくりとうなずいた。

 あの後、俺たちは気を失っているGHの女をディンの家へと運んだ。近かったというのもあるが、何より他に運ぶ場所がなかったのだ。

 マンションの一室――客人用ということで、白いベッドと白いテーブル以外何も置かれていないこの部屋は、全体が白い――で寝ている彼女は、気絶させてから数時間経っているのわけだが、未だに目を覚まさない。すると、ディンとサラは横目で俺を見てくる。

「……んだよ?」

 ギロッと二人を睨むと、彼らは互いに目を合わせて、

「女の子に優しくないなんて、最低だよね」

「ああ。きっと、ゼノは暴力亭主になる」

 同じタイミングで大きくうなずき合う二人。

「お前らな……」

 敵だったらしょうがないだろ――と言ってやりたいが、言うだけ無駄なので、俺はとりあえず苦笑しながらため息を漏らした。

 助けたとは言っても、これから彼女をどうすればいいのか、俺たちは特に考えはしていなかった。とりあえず安静にできる場所を、ということでディンの家に運んだわけなのだが……。

「ディン、これからどうすんだ?」

「どうするって……どうしようか?」

 さすがの俺も、この返答にどう対応すればいいのかさっぱりわからない。妙に爽やかな笑顔をする彼に対し、怒る気力も出てこない。後のことを考えずに行動するなんて、これから特殊戦闘員になった時にどうするんだよ……と、俺は不安を抱かざるを得ない。

「まぁ、今のは冗談だってば」

 そう言いながら笑っているディンに、俺はまたもやため息を漏らす。

「んで、この女をずっと置いておくのか?」

 女に目をやりながら言うと、ディンは顔を左右に振った。

「ずっとここに置いておくわけじゃないさ。そのうち逃がしてあげるんだよ」

「……逃がす?」

 まぁ、この女を助けた時点でそうなるのはわかりきっていることではあったが……。

「逃がすにしても、どうすんだよ?」

 俺がそう言うと、何かの視線に気が付く。ディンの隣に立っているサラは不思議な面持ちで俺を凝視している。

「……と、止めないんだ」

 サラはそう言い、苦笑する。なるほど、どうして俺が逃がすのを止めようとしないのかが不思議なのか。

「この女を助けるってことになったら、どう反論する余地があんだよ? これ以上言い合ったって、ディン相手じゃ意味ねぇだろ」

「なんだか、嬉しくないなぁ」

 と、ディンは腕を組んだ状態で笑っている。

「いや、褒めてないからな……」

 どこか天然なディン。生まれつきなのだから、どうすることもできないってのが痛い。せめて自覚してくれれば、まだ救いようはあるのだが。

「逃がすのはいいとして、どこから逃がすんだ? さすがに宇宙港とかじゃ無理に決まってるしさ」

 宇宙港では監視が厳しい――というよりも、このコロニーの警備は尋常ではないほど厳しい。SICの本部があることと、住民が他のコロニーに比べて多いことが理由に挙げられる。

 待てよ? よくよく考えたら、襲撃してきたGHはその警備をかいくぐって内部に入って来た、ということになる。もし、強行突破していたのなら、その時点で情報が本部だけでなく、天枢学院にも届くはず。つまり、誰にもばれないまま内部に入り込んだということだ。


「ゼノ」


 ディンは俺の顔を見て、何を思っているのか察知したようだ。いや、ディンは最初からそれを考えていたはず。俺とディンは同時にうなずく。

「それはない、はずなんだ。ほぼ確実に」

 そう、このコロニーを囲むセキュリティシステムから逃れることはできないはずなのだ。

「それってつまり、『レイネ』のことよね?」

 サラは少しだけ天井を見つめながら、思い出すかのように言った。

「おっ、サラもわかるのか?」

「それくらい、私だってわかるわよ!」

 子供のように頬を膨らませて、サラは俺を睨みつけた。すると、彼女は少しだけ咳をして喉を整え、言い始める。

「ここのコロニーは『ASA』と『レイネ』の完璧な防衛システムで囲まれていて、それを突破することは不可能……なんだよね」

「ああ」

 CNシステムや反重力システムなどの中核――メインシステム『ASA』と、それを制御する『レイネ機関』によるセキュリティは、世界最強のものだと言われている。その所以は、ASAが最高のエネルギー機関であることと、レイネが最高の電脳機関であるからだ。

「ASAが持つ容量と、レイネの作業能力に敵うコンピューターや人間はいない。だから、セフィロートに侵入するなんてことあり得ないもの」

「おお、さすが」

 俺は嫌味も含めて小さな拍手を彼女に送った。すると、サラはいつものように俺に殴りかかろうとしたが、それをディンが苦笑しながら押さえつける。

「まぁ、そこまでじゃあ50点だ」

「なんでよ?」

 不満げな表情で、彼女は即答した。

「レイネの警備から逃れることなんてできない。それは、過去のこともあるから知ってるはずだろ?」

 うん、とサラはうなずく。

 かつて、ASAがセフィロートの警備システムに搭載された後、それまで何度も起きていた密輸や密入国などが起きなくなった。さらに、コロニー内での犯罪発生率も激減したのだ。

 そこに搭載された制御機関レイネは、ASAの性能をさらに上昇させ、これらの目から逃れることは不可能とまで言われている。何年か前にあったのだが、GHとは別の巨大犯罪組織が特殊なコンピューターを使って密入国しようとしたが、レイネによって発見され、全員が捕まることとなり、その組織は崩壊した。

「そんな最強レイネくんから逃れてここに入るには、二通りある。偶発的な要因でレイネのシステムそのものが一時的にダウンしたか、人為的にシステムが緩和されていたか、だ。前者は偶然にもシステムがダウンして、それに合わせて偶然にもGHが来るなんてこと考えられねぇし、そもそも『ASA――レイネ』の連動システムがダウンなんてこと自体があり得ないんだよ。つまり……」


「誰かが彼らを引き入れた、だね」


 俺の言葉を言いやがったディンは、なぜか少しだけ得意そうな顔をしていた。こいつのことだから、きっとわざとなのだろう。

「誰かって……どういうこと?」

「そりゃ、考えられるのはSICだけだろうな」

「し、SIC!?」

 サラは驚きの表情を浮かべる。SICだとすれば、それは世界に対する反逆に等しい。そして、それは反乱でもあるのだから。

「でも、どうして?」

「んなの、俺がわかるわけねぇだろ。わかるのは天枢学院の上層部や、枢機院とかだけだろうよ」

 天枢学院の学長などの上層部は、SICの『特別教典局』という教育関係の人間たちによって構成されている。そこは、SICの中でも地位の高い局であり、最高機関「枢機院」と密接な繋がりがあるとされる。

「じゃあ、枢機院が襲撃を手引きしたってことになるの?」

「あくまで仮説、だよ。あくまでね」

 念を押すかのようにディンは言い、「滅多なことは言わないようにね」とも付け加えた。

「レイネのシステムを一時的に緩和するは言っても、それをコロニー全体にするとばれちゃうから、たぶん、どこか一部だけシステムを解除したんだろうね」

「けど、それでもばれちゃうんじゃないの? 他の人に」

 サラがそう言うと、ディンは顔を振る。

「たしかにそうだけど、もしも……セフィロート内に、要人しか知り得ない秘密経路があったとしたら、どうだろうね」

 そう、もし俺たちの仮説が正しければ、このコロニー内にはそういった経路が隠されているのかもしれないのだ。枢機院たちだけしか知らない、専用ルート……みたいなものが。

「そこで本題に戻すと、彼女たちGHはそこから入って来たんじゃないかってことさ」

 ディンは人差し指を立てて、子供のように聞き入るサラに言った。彼女も、まるでどこぞのガキのように何度もうなずいている。

「つまり、この人を逃がすにはそこってこと?」

 そううなずくと、彼女は逆に眉を八の字にさせてうなり始めた。

「でも、そういったところでもレイネのシステムは張り巡らされてるんでしょ? だったら、逃がす時にばれちゃうと思うんだけど」

「まぁ、そこはお前の言うとおりさ。けど、さっき言ったシステムの一部分解除なんて、はっきり言って危険すぎる」

 そこから宇宙空間内に流されているコンピューターウィルスなどが侵入するかもしれないからだ。馬鹿な奴らもいるもんで、人工衛星や小型衛星などからそういったものを発信したりしているのだ。時折、星間航行船がそういったウィルスに冒され、航行システムがダウンしてしまうなどといったこともある。もちろん、警備を緩和する程度ならウィルスなどは大丈夫かもしれないが、中には国家並みに強大なハッキングプログラムなどを流す輩もいるので、そこまで危険を冒すとは思えない。

「そうなると、GHの奴らが武器とか飛行機とかを入れるのにばれないためには、他の奴らが知らないような経路であることと、レイネに外敵じゃないと認識させておく必要があんだよ」

「……なるほど」

 そうしないと、ここには入って来れないはずだからな。

「まぁ、逃がすにしても、この女が目覚めてくれない限り、俺たちはどうしようもできないんだけどな」

 そう言いながら、俺は再び女に目をやった。きっと、こいつならどこから入って来たのかわかるはず。逃がすなら、こいつ自身にどうにかさせないとダメなのだ。


 きっと、ディンはそこまで考えていたのだろう。


 もし、この女を生きたまま本部に連行すると、死に近い拷問を受けることになるのは必至だ。そういったことは国際法から禁じられているはずだが、唯一、SICはなぜかそういった括りを受けない組織になっている。つまり、拷問を受けないという保証はない。それが女性であるならば、尚更だろう。だからこそ、ディンは自分たちで秘密裏に解放させることでしか、彼女を助ける方法がないと思ったのだ。

 つくづく、ディンは優しい人間だと思う。甘いと言えば甘い……まぁ、親友の俺からしてみても、甘すぎると思えるほどではあるが、それは他人を護りたいという意志から来るもの。俺もディンも、同じことを経験したからだ。あの日、あの時に。

 なのに、どうして俺はディンのようにはならないのか――ふと、そう思う時がある。そう考えるのは、昔のことを思い出すだけでしかないし、今の自分をもっと嫌いになっていってしまうため、すぐに顔を鳥が羽ばたく時のように動かして、無理やり上空へ飛ばす。そうやると、きっとサラは頭をかしげながら俺を見ているのだろう。ほら、今もそうだ。

「何してるの? 扇風機みたい」

「おいおい、俺は家電かよ」

 クスクスと笑いながら、俺は子供をなでるかのようにサラの頭をなでた。サラの前では、できるだけそれを晒したくない。晒した暁には、きっと彼女は自分自身を責めるだろうし、何より俺の気持ちを知られたくない。

 彼女は知る必要も、知る権利もない。たぶん、そうだと思う。

「あ、そうだ」

 何かを閃いたかのように、ディンは自分の手をポン、と叩いた。

「僕さ、本屋に行きたかったんだよ」

「は?」

 唐突に何を言い出すのかと思えば……。

「んなの、パソコンから購入すりゃいいじゃねぇか」

 俺がそう言うと、ディンは俺に紺碧の双眸をキッと向ける。

「な、なんだよ?」

「ダメだ! 本はやっぱり紙だよ!」

「え? あ、あぁ……そっか」

 そんな穢れを知らないかのような目で見られると、さすがの俺も足を一歩引いてしまう。いや、既に引いてしまった。

「じゃあ、私も行くよ」

 サラはそう言って、ディンの隣へと歩き出した。

「じゃあゼノ、彼女を頼んだよ」

「へ?」

 ニッコリとほほ笑んだディンは、ベッドで仰向けの女を指さした。

「ま、待てよ。なんで俺が……」

「目が覚めるかもしれないじゃないか」

「いや、そうだけど……」

「じゃあ、頼んだよ!」

「ちゃんと看ないとダメだからね」

 二人はそう言い残し、部屋から出て行った。無音の白い部屋のどこからか、「シーン」という音が流れているかのようで、俺は過ぎ去った空間に取り残されてしまった存在になっていた。


 うーん……めんどくせぇな。


 そう思いつつ、俺は壁に立ったまま寄り掛かり、ため息を漏らした。久しぶりに大型の本屋に行くはずだから、ディンはきっとそこで長居する。そんなディンと一緒にいることが嬉しくて、サラも一緒に回る。……そして、俺はずっとここで何もしないまま、わけのわからん女の看病をしておかなければならない。

 そう思うと、何度も何度もため息が漏れてきて、白い天井を見つめるだけしかない。興味がないことをしろというのが、ある意味で最も苦痛なことなのではないだろうか。

 ……そう言えば、「ため息をすると幸せが逃げていく」なんてことを、誰かが言っていたっけな。

 誰なのかを必死に思い出そうとし、俺は口を半開きにさせたまま目の前をふわふわと漂う半透明な糸くずを目で捉え、じっと見つめる。ずっと昔、誰かが言っていたような……たしかな記憶がある。

見えない手でそれをたぐり寄せようとし、俺は空想の手を今見える世界に映し出して、腕を組んだまま、その手を雲を掴むかのようにそこらを無造作に動きまわさせる。



「ため息しちゃダメなんだって」



 ふと、掴んだ。掴んでしまった。

 その言葉が出てきた途端、俺は大きな虚無感に包まれた。

 普通、思い出せそうで思い出せなかったものが思い出せた時、すっきりした気持ちになってちょっとした嬉しさを味わうはずなのに、今回のは昔の傷を掘り起こさせるものでしかなかった。

 胸の奥が何かに締め付けられるかのように切なく、苦しくなり、それと同時にあの頃の辛さが蘇る。

 遠い日々でもなければ、近い日々でもない。中途半端な位置にあるそれらは、他のものよりも鮮明な色を持っていて、太陽の光が届かない水面の底にあるかのように、ずっと眠り続けている。


 いや、違う。


 眠っているのではなく、佇んでいるだけだ。あの頃と同じ大きさのまま、色合いのまま、ずっと……ずっと。

 俺は再び、顔を振った。それらを投げ飛ばすかのように。サラがいないから、それを訝しげに見つめる奴はいない。それがより一層、俺の寂しさを大きくさせるような気がしてきて、次第に苦しくなっていく。

 いつから、俺はそういった癖が付いたのだろう。ディン以外、誰にもわからないこの癖。治したいとは思わないが、なぜか嫌なものな気がしてならない。せめて、本当の意味で浮かんだもの全てが、飛んで行ってしまえばいいのに。

 俯いた瞬間、俺はベッドで寝ているGHの女に目が行った。まるで寝ているかのように、そこに横たわる。まぁ、寝ているのだが。

 何度見ても、この女の奇麗な顔には目を奪われる。映像でしか見たことのない、自然の雪のように白い肌は、部屋の明かりを受けて輝きを増している。毛先がウェーブをかけたかのような黄金の髪の毛は、常人では手に入れることのできない禁断の糸かのように見えてしまう。触ったら、一瞬にして崩れてしまいそうな……神秘的な美しさを持っている。俺の黄金の髪とは、比べ物にならない気がした。長いまつ毛も、細い眉毛も、赤みを帯びた果物のような唇も、やはり触れてはならないものに見える。それは、人類が手にしてはならない禁断の果実――みたいなものなのかもしれない。


 ……大げさか。


 どうして、この女を見てそう思ってしまうのかはわからない。その理由を探すことなど、今の俺にとってはどうでもいいのだ。今の俺は、大げさなことを思ってしまった自分と、昔を思い出してしまった自分とを照らし合わせ、自虐的に蔑むしかなかった。

 昔はこうじゃなかった。一人でいる時に、こうも自分を忌み嫌うような……馬鹿げたことを考えるようなことはしなかったはず。なのに、どうして今日は同じことを思い出してしまうのだろうか。

 ディンがあんなことを言ったからか? それとも……。

 考えるのはやめよう、よそう――そう考えようとしても、湧き上がってしまったものを消し去ることは容易ではない。だからこそ、人間の脳みそってのは使いづらいのだ。

 俺はまた、ため息を漏らす。陰気な空気が、そこかしこに広がっていって、この女が寝ていてよかったと思えてきた。まぁ、一人じゃなけりゃこんなため息も、こんな顔もしていないだろうが。

 あの時に、俺は学んだのだ。他の人を欺くための仮面というものを。


「……ん」


 その時、女のまぶたの辺りが小さく動き始めた。そして、それはゆっくりと開き始め、目に入って来た部屋の明かりが眩しいのか、咄嗟に目を瞑る。

「起きたか?」

 俺がそう声をかけると、女は再びまぶたを開けて、俺の方へと視線を向けた。今、俺と女は数十センチほど離れている。

「お前……は」

 まだちゃんと俺が見えていないのか、女は目を細くしてかすれるように声を発した。

「俺は、お前を気絶させた野郎だよ」

「――!」

 すると、女は自分に掛けられていた白いシーツを掴み、俺に投げつけた。俺はすぐさまそれを押しのけ、ミドルキックを繰り出した。それと同時に、顔目がけての拳が襲いかかった。

 乾いた音と鈍い音が同時にした時、シーツが床に落ちて目の前に立っている女の姿が現れた。女の右拳を手で受け止め、俺の右足は女の左腕で防御されていた。

「咄嗟の判断は、なかなかだな」

「……貴様……!」

 俺を睨みつける女は、どこか悔しそうにも見える。それもそのはずだ。気付いたら、自分たちの敵がいる場所――気絶させた張本人の俺が目の前にいるのだから。

「ここはどこだ?」

 女は素早く周囲に視線を移しつつ、俺から目を長く離そうとはしない。

「わざわざ教える馬鹿がいると思ってんのか?」

 俺よりも身長の低い女に対し、見下しながらそう言った。女の瞳は俺を深く射ぬこうと、その憎悪を大きくさせる。すると、女は右足で横蹴りを繰り出してきた。俺は瞬間的にシールドを発生させてわざと左脇腹に受け、女の手を押しのけて首を鷲掴みにし、ベッドの上へ仰向けに叩きつけ、俺は馬乗りの状態になった。

「くっ!!」

 一瞬、女は苦しそうな表情を浮かべたが、すぐに俺への睨みつけを復活させた。

「殺さずにここまで運んでやったってのに、襲いかかるのは御門違いなんじゃねぇのか?」

「誰が助けろと言った!」

「俺だって、好きで助けたわけじゃねぇよ」

 どっかの誰かさんのせいで、こうなっちまったんだ。ある程度予測できないわけでもなかったが。

「敵を生かすとは……あんたも、私と同じように馬鹿なんだろうね」

 笑みを浮かべながら、女は言った。俺もまた、フッと笑う。

「まぁ、否定はできねぇけどな」

 馬鹿げたことに付き合う俺もまた、馬鹿なのだろう。それはそれで、嫌な気持ちはしない。

「……ここはSICか? それとも、学院内か?」

「んなの、今のお前が知る必要なんざねぇよ。とりあえず、仲間が帰ってくるまで大人しくしておいてほしいだけさ」

 そう言うと、女はしばらく俺を凝視したまま、動きを停止させた。


「そうか……仲間が帰って来た時に、私を殺すつもりか!」


「はぁ?」

 首をかしげた瞬間、女は激しく暴れ始めた。それと連動するかのように、ベッドが何度も上下に動き、軋むような音が響く。

「しゃーねぇな……」

 俺は舌打ちし、腰の武器を取り出して、グラディウスの刀身を女の喉下に付きつけた。その時、女は時が止まったかのように動きを停止させた。

「殺すわけじゃねぇってことだけは、理解しろよ」

「……こんなものを突き付けておいて、それはないと思うけど?」

 と、女は小さく笑いながら言った。たしかにそうだな――と思ったのと同時に、俺は女の声に何かを感じた。


 ――凛とした声。


 さっきまでの敵愾心剥き出しの声とは違って、この女独特の美しさを含んだ声。俺は、それに心の片鱗を奪われたかのように、女の顔を瞬きもせずに見入ってしまった。

 そして、俺はそこにある瞳に気が付く。燃えるような――それでいて、静かに凍りついてしまったかのような、そして立ちつくす焔の宝石のような紅い双眸は、俺に何かを告げているような気がしてならなかった。



 なぜ……だろう。そう思った。



「……あんたさ」

「あ?」

 女の声で、俺は我に返った。心を奪われていたことに気付くと、俺はそれを隠そうと平静さを表に出しながら、いつものように女を少しだけ睨みつけた。そこにあった女の瞳には、さっきまでの憎悪の欠片など微塵も感じさせないもので、少しだけ俺自身に見入っているかのように見える。

「……いや、別にいいや」

 そう呟くかのように言うと、女は小さくため息を漏らした。そして、あの紅い瞳で俺をゆっくりと見つめる。

「わかった。もう暴れないし、逃げようともしないよ」

「…………」

「だから、物騒なそれ、離してくれない?」

「……お前を信用するとでも思ってんのか? だとしたら、俺より馬鹿だな」

 皮肉めいたことを言っても、女は表情を変えずに俺を見つめたままだった。

「私だって戦闘員だ。逃げも隠れもしない」

「だからって、俺に殴りかかって来た奴の言うことを聞くほど馬鹿じゃねぇんだよ、俺は」

 油断したら何をするかわからない。ここにはディンの両親だけでなく、他の住民もいれば俺の両親もいる。それに、この女はそれなりの腕を持っているため、気を抜くことはできない。

「そうなの? だったら、私はよっぽど馬鹿なんだろうね」

 クスッと笑うその顔は、どこかで見たよう既視感に見舞われつつも、俺の中にあるこいつに対する不快感と疑心が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。それでもまだ、この女に対する不信感は大きいのだが……

「ま、いいけどよ」

 俺は何を思ったか、剣を引いて彼女から立ち上がり、ベッドから降りた。女は未だ仰向けのままで、本当にそうなるとは思ってもいなかったようで、何度か不思議そうに瞬きをしていた。

「なんか馬鹿馬鹿しくなった。どうせ、こっから逃げたってお前にはどうすることもできねぇんだし」

 単独で行動して、このセフィロートから抜け出せるとは思わない。こいつがGHの幹部とかのように上層部じゃないなら、だが。

「……あんた、名前は?」

 女は上半身を上げて、ベッドの上で座るような姿勢で俺に訊ねてきた。

「訊ねる前に、自分の名前を言うのが先だろ」

 俺は女が目覚める前と同じように、白い壁に寄り掛かるようにした。


「……フィーア……フィーア=ジュリエッタ=エディンバーラ」


 女はさっきの時みたいに、凛とした声で自分の名を言った。

「……俺はゼノ」

「ゼノ? ふーん……苗字は?」

「んなの、お前には関係ねぇだろ」

「私だって苗字を言ったんだ。あんたも言いなよ」

「…………」

 妙に律義な奴だな……。そう思いつつ、俺はため息を混じらせながら頭をかいた。


「エメルド」


 そう言うと、女は大きくうなずいた。

「ゼノ=エメルド――ね。あんた、チルドレンの中でも強いでしょ?」

 どこか得意げに言ってくるその顔は、さっきまで暴れていた女とは思えないほど、そこらにいそうな女の顔だった。だからこそ、俺はこの時に妙な苛立ちを覚えたのかもしれない。他の女と同じであるような気がしてしまったから。

「うっせぇ。大人しく座ってろ」

「…………ちぇっ」

 腕を組んだままの俺を横目で見ながら、彼女は仰向けになった。それと同時に、小さなほこりが舞い上がり、俺の視界の中をゆらゆらとし始めた。




 それから、ディンとサラが帰ってくるまでの数十分間、俺とフィーアは、一切会話をせずにいた。彼女は仰向けのまま、俺は腕を組んで壁に寄りかかったままで。




 不思議と、その空間は優しかった。いつか感じた優しさに似ているような気がしたのはずっと後のことであったし、今の俺はフィーアに対する不信感と、ディンたちに早く帰ってきてほしいという願望だけが心の中にはあって、彼女から視線を外さないようにしていた。

 優しいとか、どこか似ているとか、そういったものに気付くのは……本当に、まだ後のことだった。







 ともかく、俺の中に一つだけ疑問が浮かんでいたのはたしかだ。

 さっきまでの猛々しい兵士のような態度と、今の普通の女みたいな態度とのギャップが大きく、それがいったい何を表しているのか――という疑問。

 






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