47章:反目する、咎を背負いし者たち②
最上階に出た俺たちの前に広がっていたのは、だだっ広い空間だった。周囲は今までと同じように白い壁と床のままなのだが、天井は円錐状になっていて、それらは透明で、宇宙空間の闇が広がっていた。しかし、それは今までの光景とは違っていた。
「――地球だ」
サラが呟く。俺たちは3人して天井を見上げ、息を呑むような風景に圧倒されていた。昔に地球を見たことはあった。しかし、こうして成長して再び見てみると、形容しがたい感情が水のように溢れ出てくるのと同時に、それを言葉で表現できないほどの魂の震えを感じた。
「地球って、あんなに青いんだね」
「……そうだね。とても、青い」
ディアドラの言葉に、サラは大きく頷いた。地球は俺たち人類の“何か”を揺さぶるものが存在している。それはたぶん、こうして“観測”するだけでも感じてしまうほどに。大海の蒼さと蒼空の青さは、煌めきを放ち俺たちを魅了する。
「とてもじゃあないが、環境汚染で住めない星だとは思えないな」
あの美しさを見れば、誰もがそう思うはず。決して、人の住めない星なんかではないということに。
「あれこそまさに、人の“業”そのものだ」
「――!!」
瞬時に視線を戻すと、この広間の中心部に光の粒子が集い始めていた。そして、それは徐々に人の形を成していった。
「あんたは――」
あの左頬を覆っている鉄のマスクを持つ軍服の男……!
「ゴ、ゴンドウ中将!!」
ディアドラは驚いた声を出し、身を構えた。咄嗟に奴が“敵”であるということを、すぐに理解したのだ。
「貴様らはあの星……地球に“何があると思って”行くというのだ? 真実か、それとも力か?」
黒い軍服の上に、足元まである長く白い羽織。それは軍部の“力”と“正義”を象徴するものだ。
「……そのどちらもですよ、中将」
俺もまた、腰に備えてあるグラディウスの柄を握った。自然と、左手をサラの前に出して広げていた。
「世界にはとんでもない真実が隠されている。……そのことを知った。俺自身も、それに関係してるってんだから、質が悪いもんですよ」
俺は己を嘲笑するかのように、そう言った。
「俺はこの“力”が何なのかを知りたい。何のためにあるのかも」
「……私もです」
サラは頷く。隣に立っている、ディアドラも。
「それを知って、己の道を定めようというのか?」
中将は俺の言を、まるで言い当てるかのようにして挟んできた。
「エメルド。貴様が思っているよりも、真実は“悲惨”だ」
彼はそう言って、俺たちに背を向けた。それは軍人というよりも――そう、教鞭をとる時に大事なことを語る教師のように。
「星と生命の歴史……積み重ねられてきたのは、決して人の望むものばかりではない。歴史の表舞台という“光”の陰には、汚物のように混濁した欲望による、夥しい量の躯が積み上げられている。迫害、差別、戦争。裏切りと快楽……人は五万年前に“星の心”を手にして尚、己らの業から逃れる術を見出さず、自らの赴くままにこの世を謳歌してきた」
「…………」
「そのツケが回ってきたのだ。今、この時代に。我々の生きる、この“次元”に」
再び、中将は俺たちの方へ向き直った。東アジア系である彼の、黒い髪がなびいている。
「我々は人として、咎を背負わされたのだ。……“神”によってな」
「……中将は宗教を信じるんですか? “神”だなんて」
俺は思わず、そう訊ねた。長い時を経て、西暦時代に繁栄した様々な宗教はその影響をひそめ、今は一種の“団体”程度になってしまっているのだ。
「私は無神教でもなんでもないが、はっきり言える。“神などいない”。……正確には、人のための神などいない」
中将は自らを蔑むかのように、フッと微笑む。
「かつて、人は“人のための神”を創ろうとした。人が神を創るなど……おこがましいとは思わんか?」
俺たちに投げかけてきているのか、それともそうでないのか――。
「人類は罰を与えられた。その結果が、今の世だ。我らは滅びへのレールを敷かれた世界で、無為に足掻き続けている。神によって世界は歪められたのだ。我々の世界が」
何を……言っている? だが、なぜだ。中将の言葉を、俺は“意味の分からない妄言”と感じないのは。
鼓動が――少しだけ早くなっている気がする。それは恐怖? いや、違う。これは……
――焦りだ。“それ以上言うな”とでも叫んでいるかのように感じるものだった。
「エメルド、そして……フェンテス」
中将は俺たちの名を呼び、手を伸ばした。まるで、この手を取れと言わんばかりに。
「貴様たちは“セフィラ”を持つが故に、その力の方向を見誤ってはならない。“権利”を持つ者は、それ相応の義務が存在する」
「義務……?」
俺がそう言うと、中将は頷いた。
「そうだ。ヴィレンシュタイン閣下は、貴様たちを導いてくれる。正しい方向へ」
「……正しいんですか?」
サラがポツリと、小さくもはっきりと言った。彼女の方に目をやると、拳をぎゅっと握りしめ、震えているような気がした。
「何が、正しいんですか。あれだけの……たくさんの人たちを死なせて。それを、あなたは正しいと言えるんですか?」
彼女は強く、強く中将へと双眸を向けた。決して、睨みつけるような風ではなく。
「ベツレヘムのことを言っているのか? 残念だが、あれは我々が“どうこうできるものではない”。言うなれば、“運命”というものだ」
「あれが……運命だというんですか? 何万人も犠牲になったんですよ! ディンだって……!」
サラは涙をその双眸ににじませ、叫んだ。
「勘違いしてもらっては困る。あの場で位相変換が起き、消失したのは我々の責任ではない。フェンテス、貴様が原因だ」
「――え」
何を――言ってやがる。サラのせいだと……!?
「な、なんでサラのせいにするんですか! サラ個人で、あんなことできるわけないじゃない!」
思わず、ディアドラが叫ぶようにして反論した。あのコロニーを消失させるほどの力が、サラにあるというのか? ――セフィラ“ダアト”に。
「それだけ“特別”だということだ。ダアトの力は、我々が計り知れるものではない」
「う……嘘を言わないで!」
ディアドラはサラの前に立ち、言い放った。
「だから言っただろう。“真実は悲惨”だと。結局のところ、人は都合のいい真実しかみようとしないから傷付くのだ」
中将はフッと笑った。まるで俺たちを嘲笑するかのように。
すると、差し出していた右手の先に、光の粒子が集結し始める。
「全てを知りたいと思うならば、我らを退けてみるがいい。神と星の孤児たちよ」
一瞬閃光が走り、光が凝縮される。中将がその光を握った瞬間、あの巨大な大剣が姿を現した。
「――来るぞ!」
俺がグラディウスを抜き、刀身を出現させたのとほぼ同時に、中将は大剣をその場で振り下ろした。大気を切り裂く衝撃波が、瞬時に俺たちへ襲い掛かる。
俺はサラを抱え横へ飛んだ。ディアドラもうまく後方へ下がっていた。
「ディアドラ! 頼む!」
「わ、わかった!」
かねてからの作戦通り、ディアドラは後方支援。彼女は攻撃エレメントが得意なためだ。
「フレアボム、Lv6!」
ディアドラの発動したエレメントは中将の頭上から、降りしきる雨のように落下していき、接触する直前で無数の爆発を起こした。
「サラ、お前も後方支援だ。頼むぞ」
「う、うん」
俺はサラを離し、中将に切り掛かる。爆発による粉塵で姿を見ることはできないが、俺は切っ先にエレメントを集中させ、衝撃波を放った。
しかし――
「甘い」
衝撃波は、その粉塵の中心部分で弾けて消えた。それと同時に、氷の膜が中将を覆っているのがわかった。
前回の戦闘から思っていたが、中将の得意エレメントは“氷雪系”だ。勝手な意見だが、氷雪系は女性のイメージである。
「相性のいいはずの炎熱系なのに……砕けないなんて有り?」
と、ディアドラのため息交じりの声が聞こえる。エレメントの属性にも相性があるのだが、それを考慮してもディアドラのエレメントよりも、中将のエレメントの方が強いってことか。
「お前たちの扱う新星語では無理だ」
中将がそう言い放った瞬間、氷の膜は砕け散った。そして、瞬時に俺の目の前に移動し切り掛かってきた。
「――くっ!」
それをグラディウスで受け止めるも、かなり重い。こんだけ大きい剣を、こうも軽々操るとは……ローランみてぇに、何か使ってんじゃねぇのか?
「押し……負けるかぁぁ!!」
俺は踏ん張り、剣を押し退けた。そして、その場で回転し、右から切り付ける。中将はそれを防御するが、俺は続けざまに斬撃を繰り出した。
「喰らえ! ――サンダーキャノン、Lv5!」
俺たちの真上に跳躍したディアドラの左手から、稲光が広がる。俺はそれが落ちてくる瞬間にバックステップし、避ける。
前を見据えると――中将は剣を上に掲げ、まるで避雷針のようにして雷のエレメントを防いでいた。
「いいことを教えてやろう」
中将が剣を振り下ろすのと同時に、エレメントは散って消滅してしまった。……対エレメントのシールドが張られているとは感じない。となると、あれは相殺されているのか……?
「新星語は所詮、原星古語のレプリカ。オリジナルには到底及ばん」
「……レプリカだと?」
剣を構えたまま、俺は訊ねた。
「“我々”は、新星語を相殺するE兵器を装備している。これがある限り、お前たちのエレメントは無効化される」
「……それも原星古語の力だと?」
そう訊ねると、中将は不敵な笑みを浮かべたまま頷く。
「お前たちチルドレンが新星語を極めようと、我々に傷一つ負わせることが出来ん。そういう風に出来ているのだ」
「その“我々”……というのは、MATHEYのことですか?」
と、ディアドラが問う。
「ほう、知っているのか」
中将は驚いたような表情は浮かべなかったものの、どこか嬉しげな感情を含ませていた言葉だった。知らないと思って質問したら、答えることのできた生徒を褒め称える教師のように。
「MATHEY――SICを操る“最高執政機関”。世界を牛耳っていると言っても過言ではない。だが、軍部は違う」
「……どういう意味ですか?」
再び、ディアドラは問い返した。
「言葉の通りだ。ヴィレンシュタイン閣下はMATHEYの支配から脱却するために、人民を欺いてきた」
「欺いた結果、たくさんの人が亡くなっています。……そこに、正義はあるんですか?」
震えるような声で、サラが言った。彼女の方へ向くと――あの空色の双眸から、涙が流れていた。
「みんな、大切な人がいたはずなんです。帰りを待つ奥さんだったり、一緒にご飯を食べるために我慢している子供だったり……」
彼女は強くまぶたを閉じ、堪えようとしていた。それはおそらく、中将に対する憤り。そして、あそこで死んでしまった多くの人たちの、“日常”。それらに想いを寄せるだけで、爆発しそうになっているのだ。
彼女の震えが――それを語っている。
「みんな“帰る場所”があったんです。それを……!!」
どんなちっぽけであっても、様々な事情があるにしても、みんな“帰るべき場所”を持っている。……
「人類の歴史というのは、少なからずそういうものだ」
中将は大きくため息を漏らし、そう言った。
「全てが綺麗事だけで出来ているものだと思うか? 我々が口にしている食料にしても、我々の居住区たるコロニーも、全て“何か”を奪って創られているものだ。犠牲の上に、我々人類だけでなく、あらゆる“物質”が存在する。それは“絶対的な摂理”だ」
「あなたたちのやり方が、その“摂理”だなんて思いたくもない!」
サラは中将を睨みつけ、叫んだ。その拍子に、涙の雫が散らばっていた。
「あなたたちに奪う権利なんてない! 誰しもが、生きるための――今を積み重ね、未来へと紡ぐ権利を持ってる! 誰にも……神様だって、それを奪うことは許されていない!」
「お前たちチルドレンも命を奪い続けただろう? とくに、エメルドとロヴェリアは。もうFROMS.Sのことを“忘れた”のか?」
「……!」
中将はまるで子供をたしなめつつもそれに疲れた大人のように、再びため息を漏らした。
たしかに……中将の言うとおりだ。言えば言うほど、自分たちのしてきたことと、今現在していることの矛盾が生じてきてしまうのだ。
「己らのことを棚に上げて、生への権利を口にするのか? 愚か者どもめ」
「……違う」
サラは顔を大きく左右へ振り、否定する。
「違わない。お前たちは“殺戮兵器”。そのための訓練だったのだから」
「絶対に違う!!」
中将の言葉を掻き消すように、サラは声を放った。それは今まで一緒に生きてきた中で、最も大きな“声”だった。まるで魂そのものの言葉のようにさえ感じるほどに。
「ディンが……ゼノが、どれだけ苦しんできたのか知らないくせに」
サラは大粒の涙を、その白い肌に何度も何度も流していた。
「ゼノも……私たちも多くの人たちを殺しました。多くの未来を奪った。それは否定できません」
再び、彼女は顔を振る。
「だけど、人を殺めることに対して……“心の涙”を流さなかったことなんて、ない!!」
心の涙――
その言葉は、不思議と俺の頭の中で反響していた。
「ゼノもディンも、後悔していました。ただの殺戮兵器に、そんなことはできません」
「……言い切れるのか?」
「当たり前です。私は、ずっと見てきました。どれだけ葛藤し、悩んで、泣いて……今、この場にいるのかを」
「そう思い込みたい、貴様自身の願望ではないのか? 己の求める“像”でなければならないという、願望でしかない。なぜ、そう言い切れる?」
「一番傍で見てきたからです」
その言葉は、この空間を突き抜けた。決して大きな声であるとか、そういうことではない。この場に存在するあらゆるものたち――例えば、この場に何百人いようと――全ての心に届くものだった。いや、届くべきものだった。
「その私が、はっきり言います。ゼノたちは、“あなたたちとは違う”。だからこそ、戦っているんじゃないんですか?」
「…………」
「奪うことで得られる“未来”なんて、私はいらない。だから――」
「――む!?」
その時、サラの銀糸のような髪が風になびかれるようにして揺らめき、光の粒子が彼女を覆い始めた。
空色の――光。それはまるで、地球を包む青い澄んだ色のようだった。
「私は戦う! みんなと一緒に!」