42章:求めている、その表情
シャーレメインがLunaコロニー群へ向かって出発してから、一週間。二度のワープを経て、今日の午後には地球の軌道に入る予定だ。その軌道を移動しながら地球へ接近し、衛星である月へと向かう。
ほんの数日前までは、あのコロニーで起きた事件――巷では、“第二次消失事件”と呼ばれている――について特集を組んで報道されていたが、現在はまったくといっていいほどされていない。それだけ、SICの影響力が強いということだ。報道規制、情報遮断……これだけで、現在の世界の人間たちは、真実を得る機会を失うのが現状と言える。いや、いつの世も世界の“流れ”――いわゆる“運命”というものは、目に見えないところで大きく動いている。それに気付いているのは、ほんの一握りの人間だけ。
それが俺たちであるというのもまた、運命という言葉で片づけられてしまうのだろうか。
そうやって考えながら、俺は訓練を続けていた。それはセフィラを扱うための、訓練だった。
42章
――求めている、その表情――
俺とサラの同調により、俺の中に在る“ティファレト”はほんの少しだけ使役できるようになっていた。セシルは20%程……と言っていたが、測定結果では“14%”と、かなり低い。ちなみにどのように測定したかというと、体内を巡るエレメントの流れをスキャンすることで、どの程度セフィラの力が稼働しているかわかるという。セフィラは、言ってしまえば“強力なエレメント”であるため、昔から使われているエレメント測定器でわかるのだ。
「ゼノのセフィラは“属性がないのが属性”なんだ」
シャーレメイン内にある密閉室――以前、俺とローランが腕試しをした場所だ。CNを使い仮想空間“VISION”へアクセスし、フィールドを作成する。今周囲に広がっているのは、真っ白な世界。上空は青空が広がっていて、以前のような陰鬱な空間とは違っていた。
「属性がないのが属性……って、どういう意味だ?」
ローランの言葉に、俺は頭を傾げる。彼は大剣を肩の上に乗せたまま、自分の顎をさすり始めた。
「なーんて言えばいいのかね。基本的にエレメントには“属性振動”ってのがあるだろ?」
「ああ、それは知ってる」
基礎中の基礎の話だ。
「あの振動ってのは、属性によって違ってくるんだよ。もっと細かく分析すると、アルス=ノヴァとアンティクアでも違ってくる」
つまり、属性が“炎”だとすると、アルス=ノヴァの炎属性もあれば、アンティクアの炎属性もあるということだ。
「でも、全てのエレメントは一定の波長が決まっていて、属性ごとに大きく分けられているんだ。俺の扱うのは“大気”だけど、風属性という大きい枠組みに入っちゃうでしょ? だけど、ゼノのセフィラだけは違う。その“枠組み”っていうものが無いのさ」
「無いということは、判別できないっていう意味ですか?」
少し離れたところで、ノイッシュが訊ねる。彼だけでなく、フィーアとサラもVISIONにアクセスしている。もっぱら、情報収集のためだ。
彼の問いに、ローランはわかるように大きく頷く。まるで、お辞儀をするくらいに。
「そのとおり。ティファレトは“神のセフィラ”。それは異次元の属性ともいえる。それだけ、この世界の理から外れた力なのさ」
あまりうれしい言葉ではないが、彼の言うとおりなのだろう。……だが、不思議とそれは特別なことなのだと思う。以前、セフィロートで出逢った少女が言ってくれたおかげだろう。“変なことは特別”だと。
「解明され切っていないっていうこともあるだろうけど、それは俺たちにとって大きな武器になる。だって、ゼノの力に敵うやつなんて、もしかしたら存在しないかもしれないんだぜ? 最強っちゃあ最強だよ」
ローランは口を大きく開けて笑った。どこか楽観的な彼の性格は、時として他人を励ます力も持っている。それをわかってやっているのかどうかわからないが……いや、もしかしたら、俺が抱いている異質な力に対する、漠然とした嫌悪感に気付いているからなのかもしれない。
「最強の代わりに、最も扱いづらいってのがデメリットだろうね。ゼノほどのチルドレンでも、容易には制御できない」
「……制御できないと、どうなるの?」
ノイッシュの隣に立っているフィーアは、腕を組んだ状態で訊ねる。
「いわゆる“力の暴走”。セフィラの所有者にはよくあることだ。たぶん、ベツレヘムでもそうだったんじゃないか?」
「…………」
俺が無言でいると、ローランは小さく頷いた。何も言わないでいることが、答えであるとの証明だ。
「力を制御できなかったのは、ゼノが悪いわけじゃない。ただ単に、ゼノ本来の“力”が足りないだけさ」
ローランはニッコリと微笑み、言い始めた。
「健全な精神は健全な肉体に宿る。逆も然り。そして、大いなる力を操るには、何より使用者の根っこが大事。今からその“根っこ”を鍛えつつ、同時にセフィラを制御できる術を身に付けるんだ」
まるで、指導者みたいなことを言うんだな――などと、俺は驚いていた。それはおそらく、俺だけでなく他のみんなもだろう。
「……具体的には、どうすればいいんだ?」
「うむ。ではまず、エレメントを解除しなさい」
急に渋い顔をして、ローランは言った。せっかく感心していたってのに、すぐ台無しにしてしまう野郎だ。
「解除ってのは、流れを止めるってことでいいのか?」
「そーそー」
俺は言われるがままに、エレメントを解除した。それは呼吸を落ち着かせ、力を抜くこと。感覚的なものだが、そうすると体内を巡る“不思議な力”が徐々に奥へと沈み始め、体が少しずつ重くなっていく。
「よし。それじゃ、両手を大きく広げてー」
体操の教師みたいに、ローランは真似をしろと言わんばかりに大きく両手を広げた。いつの間にか、大剣は地面に突き刺さっている。
俺は彼の指示通りに、両腕を伸ばし大きく手を広げた。
「その両手の先に集中して、そこから~……一気にエレメントを放出させる!」
踏ん張るようにして力を込め、俺は体内のエネルギーを放った。その瞬間、俺の両手から巨大な閃光が左右に放たれた。それはせきを切った水のように放出され、轟音を立てながら地面を大きくえぐっていった。あまりのことに、俺やサラたちは、瞬きをするのを忘れてしまったかのように、顔を硬直させていた。
「えぇ……高出力砲?」
ぼそっと、ノイッシュが呟く。
「うむ、なかなかのエネルギーだな。さっすがゼノっち」
ローランだけが、ニコニコしながらこの光景を眺めていた。まるで、こうなることがわかっていたかのように。
「な……んだ、今のは……!?」
俺は自分の両手を、初めて見るもののように交互に見つめた。もし仮想空間ではなく、現実世界で今のを放っていたら、周囲の建築物を破壊してしまっていただろう。俺はこれだけのエネルギー……エレメントを放出したことはない。
「それが“ティファレト”によって覚醒した、ゼノ本来の力さ」
ローランはそう言いながら、俺の方へと歩み寄ってきた。
「ティファレトの能力は、おそらく“他のエレメントを強制的に制御する”と言われているが、俺の見解は違う」
彼は俺の前に立ち、勇ましく微笑んだ。
「この世界に存在するあらゆる物質に干渉し、消し去る――能力じゃないかと思う」
ベツレヘムで発露した俺の力のことを聞いたローランは、そう思ったのだという。
「ねぇ、フィーア。ウルヴァルディの旦那は、ティファレトのことについて具体的に何か言っていなかったかい?」
ローランはくるっと後ろを向いて、大きい声で訊ねた。
「……どうだっただろう。でも、凡そ人が扱えるような代物じゃない――とか言っていた気がする」
それはまるで、禁断の力。破壊の……力?
――創造と破壊――
――カードの表と裏――
――全ては対であり、また同じなのさ――
「……同じ?」
何が……何と? 意味の分からない言葉が、脳裏をよぎる。
「……そう言えば、こんなことも言ってたかな」
フィーアは何かを思い出したかのように、上空を見上げた。
「セフィラ自体は誰かが作ったもの。……でも、ティファレトはそうじゃない。あれは、“始めから存在していた”って」
始めから存在していた力。
――始めから?
――古の時代、奴らは舞い降りた――
――創造と破壊、二つの剣を抱いて――
「二つは……相反する。それは現世から外れたもの」
俺の口から、思ってもないような言葉が出てくる。無意識のうちに。そして、俺の意識がどこか遠くに行きかけていた。それはあの時と――暴走した時と同じような感覚だった。
――貴様らが遥か古に“選択した”ものは――
――我々人類の大きな負の遺産として残り、今もその連鎖は断ち切れていない――
また、声が聴こえる。周囲が歪む。俺はその場に立っていられず、膝をついてその場に崩れた。
「ゼノ!?」
サラが駆け寄ってくるのがわかる。意識を保っていられるのがやっとなのに、なぜか感覚が研ぎ澄まされている。全体の動きが、スローモーションに感じるのだ。
「だ、大丈夫!?」
心配そうな声で、彼女は俺に語り掛ける。だが、俺はそれを遠くから眺めていた。意識の“外れ”から。
「神の子供たち……咎を背負いし者ども……」
――私は貴様らを滅ぼす。そのための――
「ねぇ、ゼノ? どうしたの?」
サラは何度も俺に声を掛ける。それが俺をここに繋ぎ止める、唯一の術であるような――そんな気がした。無重力の海に漂う俺の意識が、肉体の檻から離れぬよう繋ぐ心の架け橋。どうしてか、俺はそんなことを確信したかのように思っていた。
ぼやけている視界は元に戻り、俺は自分の体の感触をしっかりと確かめることが出来るようになった。
「……だ、いじょうぶ。すまない」
俺は絞るようにして言って、顔を手で覆った。疲労感が全身を襲っていた。いつの間にか、他のみんなも俺の傍に駆け寄っていた。
「最近、多いな……。一度、検査してもらった方がいいんじゃないか?」
ノイッシュは深刻そうに、そう言った。
「……まぁ、そうかもな。こう頻繁に起こると、まともに戦えねぇし」
俺はそう言って、思わず苦笑した。
「なぁ、ゼノ」
その時、ローランが遠くから声を掛けた。俺が目を開き、顔を上げると彼だけがさっきの位置から動いていなかった。
「どうだ? エレメントの流れ。なんとなく、以前と違わないかい?」
「え?」
そう言われて、俺は自身のエレメントを確認した。
「…………!?」
俺は今までと違うことに気付く。今までにない、別の感覚。大きな一つの流れの中に、異質な流れが組み込まれているような感覚だ。
「どうやら、ティファレトを感知できたみたいだね」
ローランはニッコリと微笑んでいた。
「……どういうことだ?」
俺は首を傾げて質問すると、ローランは言う。
「今まで君の中に在った“ティファレト”という異質なエレメントの流れを、体が認識したってことさ。おそらく、今までは無意識のうちにそれを感知していたんだろうけど」
一度エレメントの流れを止めて再度解放することで、今まで感知できなかった“異質なエレメントの流れ”を認識させたのだという。ローランも昔、この方法によって自身のセフィラ――“ネツァク”を感知したのだという。
「今日はこのくらいにしておこうか。おーい、カール」
ローランは上空を見上げ、叫ぶように彼を呼んだ。
「模擬演習モードの終了、頼むよ。あと、今回のデータのバックアップもお願い」
『了解です。それじゃ、モード終了――っと』
その瞬間、電源が切れたかのように周囲が真っ暗になった。目を開けば、そこはVISIONへダイブするためのトラームの中。今までのは仮想空間とはいえ、十分な実演だ。掌を開いたり、握りしめたりして己の感触を確かめる。さっきの感覚を、忘れないようにしなければな。
「さ~て、ちょっと休憩でもして、セシルちゃんのおいしい料理でも頂こうかねぇ」
ローランは陽気な声を放ちながら、トラームから飛び出てステップを踏みながら出入り口の方へと向かって行く。
「あ、カール。あとで俺の部屋にデータ、持ってきといてね」
『了解しました!』
二階にあるモニター室にいるカールは、ガラス越しに俺たちを見ながらわかるように頷いていた。
「ねぇ、あのさ」
ふと、フィーアが声を掛けてきた。いつの間に、俺のいるトラームの前に来ていたのだろうか。
「ちょっと後で話があるんだけど、いい?」
「……?」
そんなことを言ってくるなんて、珍しいな。俺は少しだけ間を空けて、「わかった」と頷いた。
「俺の部屋でいいか?」
「いいわよ。じゃ、また後で」
機械のように淡々とした感じで、彼女は外へ出て行った。
話、ねぇ……。俺は謎の疲労感を体全体に纏い、ため息交じりに息を吐きながら立ち上がった。
「で、話ってのは?」
ところ変わって、俺の部屋。俺は部屋の隅にあるデスクの椅子に座り、フィーアはベッドの腰を掛けていた。
「単刀直入に聞くけど、幻聴っていつくらいからある?」
「いつから……?」
俺は頭を傾げて、唸りながら考えた。いつからだっただろうか。あまり意識していなかったが……去年はこんなことなかったな。
「たぶん、ここ数か月だったと思うぞ。はっきりとは覚えてねぇよ」
「そっか。よくボーっとしているというか、上の空になってること多いから」
「……そうか?」
「そうよ」
と、彼女ははっきり言う。よくもまぁ、俺のことをよく見てんな……。最近多いな、というほどでしか当の本人も気にしていないというのに。
そこで、なぜか沈黙が俺と彼女の間に流れる。いや、おそらく今までこういった沈黙はあったのだろうが、それを意識するのは今回が初めてなのかもしれない。意識するほど、今までが会話ばかりだったとも言える――のかもしれない。
どこか優しい空間だと、俺は思った。それはずっと以前、同じようなことを思った記憶がある。なぜそう思うのだろう。なぜ、俺は彼女との空間を優しいと感じるのだろう。
「ゼノ」
静寂の中、言葉を放ったのは彼女だった。考え事ばかりしていた俺はハッとして、それに気付かれまいと平静を装いながら、再び彼女の方へ顔を向けた。フィーアは大きな瞳を、真っ直ぐに俺に向けていた。紅い双眸は、優しい空間だと思わせるような暖かみを含ませていた。普段の冷徹な瞳の雰囲気が、そこにはなかった。
「あなたにお礼を言いたかった」
「……お礼?」
お礼を言われるようなことをしたのか――という疑問以前に、彼女がそんなことを言ってくるなんて驚きを隠せない。
「そんなにわざとらしく驚かないでくれる?」
俺の表情を呆れた顔で見ながら、フィーアは小さくため息を漏らす。
「……そうは言ってもな」
「私だって、柄じゃないのはわかってるのよ」
フィーアは少しはぶてたような様子で、自分の頬をポリポリとかいていた。こいつでも恥ずかしがったりすんのか……と感心してしまう俺もまた、ある意味珍しいのだとも思う。
「お前がお礼を言おうとするなんて、珍しいことでもあるんだな」
「私だって、少しは考えてんのよ。……少しはね」
やれやれといった表情で、彼女はまた小さくため息をする。
「あの子がね、私にお礼を言ってきたんだ」
察するに、“あの子”というのはサラのことだろう。
「助けに来てくれたから、ありがとうって。裏切ったのに」
「…………」
「訊いてみれば、他のみんなにも言ってるのよ。考えられる?」
「あいつのことだから、やりそうだとは思うぜ。サラはそういう奴だ」
俺ははっきりと、断言した。裏表のない性格だからこそ、そういった行為をしても素直に受け止められる。打算的なことは、一切考えていないのだ。良い意味でも悪い意味でも、彼女は馬鹿正直ということ。
「……そう周囲に思われるところも、あの子のすごいところだと思う。一種の信頼みたいなものね」
すごい――と短絡的なものだが、フィーアは素直に彼女を褒めている証拠なのだろう。
「だから、私も少しは……そういうところ、見習わないといけないなって」
彼女は視線を逸らし、まるで床に投げつけるように言った。すると、フィーアは大きく息を吐き、俺に再び顔を向けた。
炎を凍り付かせたような、その一瞬の美しさを閉じ込めたかのような双眸。
「ゼノ、ありがとう。あの時、手を差し伸べてくれて」
優しく微笑むフィーア。いつになく、少女らしい恥ずかしさを含めているせいか、白い肌がほんのりとピンク色を含ませていた。
その姿が――誰かと重なる。それがすぐに、誰なのかわかる。彼女が生み出すこの“優しい空間”が、なぜ懐かしいと感じるのか。
その理由が――わかった。
「本当は謝らないといけないんだけど……さ。それよりも、あなたにはお礼を言わなくちゃって思った。……サラを見て」
フィーアは優しく微笑む。大人が子供の成長を喜ぶような表情であり、子供が愛おしいものを見て微笑む時のような表情だった。
「私を呼んでくれて、ありがとう」
再び、彼女は子供が笑うようにして、ニコッと笑った。
――ああ、そうか。そうなのか。
ラケルと、同じなんだ。
「いっつ――!!」
その瞬間、目のを奥をえぐらる痛みに襲われた。そんなことをされたこともないのに、そういう風に形容できるほどの痛みだった。
「え? ちょ、ちょっとゼノ?」
椅子から崩れ落ち、俺は頭を抱えた。頭の内側から、金槌で側面を殴られているような気分だ。ズキズキという音が、フィーアに聴こえてしまうんではないかと思った。
「ま、また頭痛!? ちょっと待ってて、すぐに医者とメアリーを呼んでくるから!」
遠くで、フィーアの声が聴こえる。
朦朧とする意識の狭間で、俺はある表情を思い出していた。それはさっきのフィーアと同じ表情をした――少女。
ラケル。
「一度しか言わないよ? ――ゼノのこと、好きだよ」