41章:愛おしい微笑みの中に
「星――抽象的な言葉で表される“それ”は、全ての源であるという証明であるのかもしれない。我々はそこから離れ、千年の時を経ようとしている」
ある議場に響く、女性の声。
そこに人の姿はない。暗闇の中で揺れ動くのは、そこに佇む意思。
「古の時代に定められた、逃れられぬ崩壊への道。そこへ至る扉が開くのも、あとわずか。アブラハムの遺した言葉通りならば……」
「限定的な消失は免れられぬだろうな」
「うむ」
女性の声に続き、老人たちの声が厳格に響く。
「未だ集わぬアブラハムの遺産。だが、重要なのはそれだけではない」
「……レメゲトン、か」
遥か天空に鎮座する者の声。畏敬を集めるその声は、ここが厳粛な場であることを再認識させる。
「失われた鍵――“たかが人間風情”が持ち歩いてよいものではない。扉が開く前に、我らの手に置かねばならん」
「レメゲトンを探し、幾年の月日が流れた。せっかくその手がかりを得たものを……」
「結局、奴は持っていなかった。それは致し方ないことよ」
“最高権力者”の言葉の後に、老人たちの声が続く。
「サーティナのような下等な生物に、我々がこうも足掻かざるを得ないとは……口惜しや」
「ヴォルフラム=ヴィルスが生きておれば、少しは違ったのかもしれん」
「奴は真理に――神の領域に近付いていた。“あの時”に処分したのは、適正だった」
「それこそ、“人間風情”が得てよいものではない。……何億も群がる虫けらの中で、最も危険な生命だったと言える」
真実ほど、恐ろしいものはない。だが、それを恐れるのは、真実の中に憎悪を含ませているものだけなのだ。
「……シェムハザよ」
この場の主である男は、名を呼んだ。その瞬間、その場に火が灯されるが如く、一人の女性が姿を現した。
「大いなる誓約を果たすため、表の者どもに急がせよ。神々が遺した時は、幾ばくもない」
「……承知した」
その女性は小さく頷き、後ろへ振り返って暗闇の中を歩き始めた。銀糸の如く美しい長髪が滑らかに揺らぎ、光のないこの空間の中で、朝日を浴びて輝く海面のように煌めいていた。
――シェムハザは思う。
己の眼が目指す先は、その“扉”の向こうにあるのか。
神々の遺した時の中で、己は何を成し遂げようとしているのか。
見果てぬ青き空を忘れ、どれだけの時が過ぎたかわからない。
手に入れられぬ愛を求め、我らはどこへ辿り着くのか。
終着点は、果たして――
41章
――愛おしい微笑みの中に――
“地球”の衛星である月。人類が地球以外の星に足を踏み入れた先も、移民をしたのも、最初は月である。宇宙移民計画の始まりは全て、月といっても過言ではない。
当初はエネルギー資源を採掘するための工業コロニーとして改造され、主にFGI社の従業員が居住しているという。“住むためのコロニー”ではなく、“採掘するためのコロニー”だったため、一般の居住者は比較的少ない。
「西暦時代、まだ宇宙開拓が進んでいない2000年代には、月の裏には宇宙人の遺した街や、船があるって言われてたんだよね」
船内にある宇宙を眺められるテラスで、ローランはそんなことを言っていた。
「実際に行ってみれば、なんのことはない。クレーターだらけの不細工な地表だったのよ。ロマンがないから、世の中ガッカリだったろうに」
ガッカリかどうかはわからんが、西暦時代から考えれば、太陽系外にまで居住エリアを広げられたってことは、十分にロマンのあることだとは思うんだがな。
「セシルが言っていた、地球を観測している――っていうのは、何かわかっているんですか?」
と、ローランの隣に座っているノイッシュが、資料に目を通しながら質問を投げかけた。それに対し、ローランは顔をしかめて腕を組んだ。
「それがわかんないんだよなぁ。こればっかりは、さすがの俺でも調べられなかったのさ」
「さすがの俺って、自分で言うんじゃねぇよ」
「俺のおかげでスムーズに行けてるんだから、僻んじゃダメだぜ? ゼノっち!」
誰がゼノっちだ。……と突っ込みを入れたくなるが、めんどくさいのでもういい。俺はため息をつき、質問をする。
「観測している――ということは、地球の変化をってことじゃねぇのか? 環境変化とかさ」
西暦時代から地球の環境汚染や変化については、長く論議されていたことだ。地球史の講義の中でも、そういった内容はあった。
「どうだろうねぇ。環境問題ってのは、アルマゲドンが起こるまでのものだった覚えがある。アルマゲドンの後処理の方が大きくて、ほっぽり出されていた可能性もあるけど」
実際のところ、地球の荒廃っぷりは環境問題なんて後回しにされるほどひどいものだったのだろう。文明レベルが衰退するほどだ、しょうがないともいえる。
「仮に環境問題だとして、人を入らせないのは……それ以上悪化させないためとか?」
カールは顔をしかめながら、そう言った。それに対し、ローランは難しそうな表情を浮かべて、うーんと唸る。
「SIC――いや、MATHEYがそんな単純な理由で、地球を不可侵の領域にさせるだろうか?」
単純な理由というのは、俺たちでも容易に想像のつく理由だということだろう。
「簡単に推測できるものじゃないって思うんだけどな」
「…………」
俺はふと、外の宇宙を眺めた。俺たち人類は、数多の困難を乗り越えて居住区を変えた。だがそれと引き換えに、生まれ出でた地に帰られなくなったのかもしれない。
エレメントという力を得たのは、地球を離れても生きられるようになるために、必然的に得た能力なのかもしれない。
それに関連して、俺はフィーアに言われたことを思い出した。
「そう言えば、アルマゲドン以降にエレメントを扱える人間が増えたって話、知ってるか?」
と、俺はローランに訊ねた。
「そりゃ知ってるさ。アルマゲドンを引き起こした人物が、なんらかの生体プログラムを世界にばらまいた結果、エレメント能力を持つ人たちが出現した……って、俺は聞いたけどね」
彼は頭をポリポリとかきながら、続けた。
「古くは紀元前の時代から、“星”にある潜在エネルギーを使役する民族が操っていた力。一部では、東方移民・カナンの民って呼ばれているみたいだけど、正式な名称はないらしい」
それは以前、フィーアが話していた内容と同じだな。
「まぁ彼らがどこにいたのかは、時の権力者たちのトップシークレットの内容だから俺も知らないけど、SICがその強大な力を恐れて、滅亡に追いやったみたいな噂はあったなぁ」
「迫害した――のか?」
「とは言われてる。だけど、証拠が無いから何とも言えんね」
うむ、とローランは渋い顔をしながら、大きく頷いていた。
「アルマゲドンの首謀者は、その民族と深い繋がりがあったのかもしれないな。じゃなけりゃ、発表される前のエレメントを認知していないだろうし」
まぁ、確かに。エレメントを知っているということは、それを扱う術であるアンティクアを操っていたカナンの民と何らかの形での接点があったと考えるのが妥当だろう。
ん? そう言えば……。
「“発表する前”――ってことは、発表されたことがあんのか?」
俺は思わず、そう訊ねた。
「そうそう、約2000年前にね。アルマゲドンが終結した5年後の2031年に、アズマ博士っていう考古学者が発表したんだよ。“世界に存在する、あらゆる物質には星のエネルギーが潜在的に存在している”ってね」
なぜその博士が有名でないかというと、当時その業界内で、アズマ博士というのはオカルトを専門に研究していた人物らしく、世の中の人々はほとんど信じなかったという。不可思議な力――エレメントが認知され始めた頃、アズマ博士は既に行方不明になっていたのだとか。
「稀代の発見なんだけどねぇ。もうちょっと発表が遅ければ、世界史に載っていたかもしれないよな」
勿体ないを二回言って、ローランは歯を見せて笑った。
「そのアズマ博士の論文、見てみたいよな。興味あるよ」
カールはそう言って、好奇心旺盛な子供のように微笑んだ。
そのアズマ博士ってのが、もしかしたら近現代の中で最も早くエレメントの存在に気付いた人物なのかもしれない。俺も興味がそそる内容ではある。
「そういった資料って、大体がセフィロートにあると思うんだけど……」
そう言いながら、ノイッシュは難しい顔をしてパソコンを開き、覗き込んでいた。
「アズマ博士……で検索しても、引っかからないな。どうしてだろ?」
「マイナー中のマイナーだからじゃない?」
と、ローランは適当気味に言った。
アズマ博士、か。どうしてか、既視感を覚える名だった。
どこで聞いたのか、思い出せないのに。
白い部屋。白いベッドに、白いカーペット。それ以外に何もないこの部屋には、窓が付いている。そこから広がる漆黒の風景は、この部屋にポカンと空いた異世界への扉のようだと、フィーアは思う。
ベッドに座り、その窓の外を見つめるフィーアは、昔のことを思い出していた。それは自分と友人、そして育ての親であるウルヴァルディとのことだった。
あの頃が、幻想のようだ。私が信じていたものは、一体なんだったのだろう。ウルにとって、私は所詮、他の兵士たちと同じ。捨て駒に過ぎなかったのだ。“幹部筆頭”であるウルの部下というのは、それだけで一つの優越感になっていた。私にとって、大きなアイデンティティだったのだ。
彼女は両足を抱え込むようにし、顔を埋めた。裏切られたショックよりも、自分がそう思っていたことが恥ずかしい。
その時、弱弱しく部屋の扉がノックされた。気のせいかな……とフィーアは思い、少しだけ視線を扉の方へ向けた。2秒ほど見つめ、気のせいかと思い彼女はまぶたを閉じた。すると、それとほぼ同時に再びノックされた。
……もっと強めに叩けばいいのに。
そう思いながら、彼女はため息を漏らしながら立ち上がった。部屋のロックを解除し、なるべく聞こえるように「どうぞ」と発した。
「は、入るね」
緊張気味な声を聞いたフィーアは、姿を見ずにすぐに誰かわかった。扉からピッという機械的な音が鳴り、横へスライドして開く。入ってきたのは、銀髪の少女――サラだった。その面持ちは、どことなく固いと感じるフィーア。
この子、こんなに大人しそうだったかな。久しぶりに会ったから、尚更そう思うのかもしれない。
「どうしたの?」
入って来るなり、フィーアはすぐさま声を掛けた。そこで、彼女はすぐさま気付く。意識して言ったわけじゃないが、今の言葉は冷たく感じるのではないだろうか。サラを見てみると、案の定困ったような表情を浮かべていた。
「……かけていいよ」
フィーアはなんとか助け船の言葉を発しったものの、やってしまったなという意識はぬぐいきれなかった。
うん、と頷いたサラは、同じベッドに腰を掛けたものの、どことなく距離を感じるほどに間を空けていた。こういう時、普段は気付かないのにどうして気付いてしまうのだろう――と、フィーアは不思議に思う。
「その……ケガ、大丈夫?」
恐る恐るという言葉が似合うほどに、なぜか怯えた様子のサラ。そうした姿だけで、フィーアは本当にこの子は“お姫様”のようだと感じた。
「ええ、大丈夫。メアリーにほとんど治してもらったから」
ゼノに言われて、渋々……という感じだったけれど。私のことが嫌いなんでしょうけど、感情だけで動かないところが大人ね。
「それならよかった。ひどいケガだったって聞いたから」
「ゼノから?」
そう問い返すと、サラはうんと頷く。
「……自分の方がひどいケガなのにね」
クスッと、フィーアは笑った。自分のことよりも、他人の心配をする。……出逢った頃の彼なら、そんなことは絶対にしなかったはずだ。確信に近いものを、フィーアは感じていた。
「ゼノはハイクラスだから、自己修復機能がすごいの。もちろん、メアリーのおかげでもあるんだろうけど」
サラも驚いた様子で、ゼノのことを言った。たしかに、チルドレン……ひと際ゼノの自然治癒力というのは、驚きを隠せない。手足がもげる一歩手前の傷であっても、数日すれば元に戻ってしまうのだ。
「普通の人間なら、何回死んでるのかしらね、彼」
「ゼノだからこそ、だね」
子供のように、サラは笑った。可愛らしい笑顔だなと、フィーアは思う。この笑顔を、あの二人は守り抜きたかったのだろうとも。
「……あのね、フィーア」
すると、サラはどこかぎこちない様子で、彼女の名を呼んだ。顔を少しだけ俯かせて、両手の指を組んだり離したり、少しだけ見える空色の瞳が、忙しなくその視線を動かしていた。緊張しているのが、見るだけでわかるほどだ。
「私、お礼が言いたかったの」
「……?」
お礼? そう思って、フィーアは首を傾げる。
「メアリーから聞いたんだけどね。……一緒に、戦ってくれたって」
自分がさらわれてからの、様々なこと。
軍部の地下収容所、謎の研究施設レーヴェン。プルートコロニーでの戦い。そこで明かされた、チルドレンやセフィラの秘密。
「だから、ありがとう」
サラはフィーアの方へ体を向けるために、ベッドの上で正座をし、大きく頭を下げた。彼女の銀色の髪の毛が、優しくベッドに垂れる。
「……お礼なんて、言われる権利はないよ」
フィーアは視線を落としながら、そう言った。ありがとう――なんて、言われる権利はない。
「私はあなたたちを騙していた。……ディンが犠牲になったのも」
「…………」
誰も犠牲にしない――
ウルのその言葉を信じて、任務を遂行した。人の命なんて、簡単に奪えるはずだったのに……どうしてか、彼らを失うことは自分にとって大きな喪失になる――そう、思えた。
情が湧いたと、一言で済ませられるものではないようにも思う。
「私はあなたに……謝らなきゃならない。許されるはずなんてないってわかってるけど……」
その言葉でさえ、自分を繕い守るためのものでしかなかった。あなたを前にして、自責の念に駆られずにはいられないのだから。
「理由があるんでしょ?」
その言葉に、フィーアは顔を上げた。優しく微笑む、サラの顔。ほんの一瞬、見とれてしまうほどだった。サラは手を伸ばし、フィーアの手へ重ねるようにして置いた。
優しい温もりが、手から伝わってくる。
「よくゼノが言っていたのを、思い出すの。色んな人がいる。それだけの“正義”があって、“信念”があるんだって」
無数の想い。人の数だけ、進む道があるのと同じ。
「その信念を、フィーアも持っている。……それでも……」
サラは少しだけ強く、フィーアの手を握った。
「フィーアは私たちを助けてくれた。……私を助けに来てくれた。それが事実だもん」
だから、お礼を言いたいの。
ニコッと笑う少女。それを見て、フィーアは何かを直感的に悟った。言葉ではうまく言い表せられない。だけど、それは本当に……心の奥底に、しっかりと刻印されるほどの確信だった。
――ゼノもディンも、他のみんなも、どうしてこの子を必死に助けたがっていたのか……わかった。きっと、この笑顔に救われていたんだ。何度も、何度も。
私にはないものを、この子は持っている。それは天性の資質であり、神様――神なんて信じちゃいないけれど――から与えられた能力。
私も今日、この時……救われたような気がした。
「本当にありがとう、フィーア。……これからも、よろしくね」
照れくさそうにしながら、サラは手を差し伸べた。まるで仲直りでもするかのように。フィーアはその行動に驚きを隠せず、思わず目をパチクリさせてしまっていた。でもそんなところが、彼女らしさなのだと考え、小さく微笑む。
「……こちらこそ、よろしくね。サラ」
みんなにとっての“お姫様”。
それは、少し間違いだったのかもしれない。みんなにとっての……
そう、“天使”。
純粋で、純朴で。明るくて。
その笑顔に既視感を覚えるのは、時間はかからなかった。
――レア。きれいな銀髪ね――
フラッシュバックのように、何かが脳裏によぎる。その声の主が、誰なのか思い出せない。そもそも、それは“私”の記憶なのかさえ。
昔から、たまにある頭痛。それが何を示そうとしているのか、今の私にはわからない。