38章:神々の言霊 セフィラ
“愛”とは、他者を敬い、尊び、畏れ、信ずることだ。
その愛と共に、人は未来を創る。
選択された未来を歩み続ける意志こそが、
この世界を彩る光となるのだ。
貴様らが遥か古に“選択した”ものは、
我々人類の大きな負の遺産として残り、今もその連鎖は断ち切れていない。
この連鎖を断ち切り、我らの魂の浄化を、今こそ始めるのだ。
“統制主”が繋いだこの道を――
この“愛”を、私は紡ぐ。
それこそが、私の“魂の選択”なのだから。
「僕はディンって言うんだ。……君は?」
「……俺はゼノ。こいつはサラ」
どこか恥ずかしげに、俺は鼻の下を指でさすっていた。そこがかゆいわけでもないのに、なぜかそうしていたのだ。
「ゼノと、サラ。サラは……妹?」
「うん、妹――!」
と、髪をつむじの辺りで二つ結びにしている幼いサラは、元気よく答えた。さっき突き飛ばされて泣いていたくせに、もうニコニコしてやがる。
「妹じゃないけど、妹みたいなもん」
「……?」
ディンは困ったような表情を浮かべ、愛想笑いをしていた。
「……ムカつくなら、やり返せよ」
「え?」
俺はポリポリと頭をかきながら、小さくため息を漏らした。愛想笑いなんか浮かべているから、相手から舐められるんだ。まだ9歳の俺は、多少なりともイラついていたようにも思う。
「自分が悪いと思わないなら、やり返せよ。やられっぱなしじゃ、ダメだろ」
「…………」
どこか遠くを見るような、達観した瞳だった。幼いながらに、俺はディンのことをそう思ったんだ。
「でも、やり返したら……痛いよ。お互いに」
だから――と彼は優しく微笑んだ。
その表情を、なぜか俺はまどろむ意識の中で、思い出していた。
俺とは正反対なんだなと、感じた。でも……最も大事な友人になるには、時間はかからなかった。
ディンは俺にとって、サラとは違う意味で特別だった。
たぶん、彼もそう思ってくれていたのだと思う。
38章
――神々の言霊 セフィラ――
俺が目を覚ましたのは、それから3日後のことだった。
あのコロニー、Bethlehem=SECONDは発生したブラックホールに呑みこまれ、跡形もなく消え去ってしまった。住民のほとんどは脱出するのに間に合わず、多くの人が犠牲になった。かつて起きた消失事件ほどではないにせよ、約3000人が行方不明――ほぼ死亡とされている。
事故の原因は調査中……とのことであり、あのコロニーで行われていた研究の管轄が軍部と拡大派であることから、そこへ批判が集中しているらしい。
またあの時、なぜカールたちが救出に来てくれたのかというと、ローランの連絡を受けた彼らはシャーレメインに搭載されていた小型飛行船を動かし、あの工業衛星へ向かったのだという。その時既に外壁が崩れており、そのまま中へ進むことが出来たとのこと。その場でローランと合流し、救出に来たのだという。
宇宙船の中にある医務室で目覚めた俺は、サラからそう説明された。
目が覚めた時に、サラは間髪入れずに俺に飛び込んできた。また泣いて、泣いて、泣きまくって。一体どれだけ泣けば、涙は止まるのだろう――と、妙に冷静な自分がいて、彼女が無事だという現実にホッとして、俺は彼女の頭をなでていた。
ディンが護り通した彼女は、今こうしてここにいる。今はそれだけで、よかった。
そう思うしか、ない。
「……さて、と。ゼノも目覚めたことだし」
医務室に全員――とは言っても、ジョージさんとセシルは既にシャーレメインで脱出しており、俺たち突入組とサラ、カール、ノイッシュ、ディアドラ、そしてフィーアの8人だけだ――が集まり、俺が横になっているベッドを挟むようにして、サラとディアドラ、その隣にノイッシュが立っていて、ローランが俺の前方に立ち、後ろでメアリーが腕を組んで椅子に座っている・
「そろそろみんなに話してくれないかね」
ローランは後ろへ振り返った。そこのベッドでは、フィーアが上半身を起こした状態でベッドにいた。
「……わかったわ。それを話さないと、何も始まらないものね」
フィーアは俯いた顔を上げて、俺たちを見渡した。その表情はいつものような彼女のものではなく、大事なものを失ったかのように哀しげなものだった。
「全ては“アーネンエルベ”と呼ばれるものから始まったわ」
淡々と、フィーアは言い始めた。
アーネンエルベ……そう言えば、何度かフィーアとゴンドウ中将が話していたような気がする単語だ。
「アーネンエルベ?」
「……今から2000年前、地球の太平洋に沈んだ古の大都市――“アベルの都”から、それは発見された。巨大なエネルギーの塊……神々の遺産だと、当時は云われた」
「アベルの都から――って、ASAの基になったっていう……?」
首を傾げながら、ノイッシュは言った。
「ええ。ASAシステムの中核として導入されているのが、アーネンエルベ。膨大なエネルギーを内包し、文明レベルを左右するほどの代物」
神々の遺産が、ASA……。人間の手には負えない産物――というのは、そういうことか。
「だけど、アーネンエルベにはいくつかのプログラムが設定されていて、それを解除しなければ本来の出力を引き出すことはできないようになっていた。人為的なプログラムであることは明白で、誰がそれを施したのかは……謎に包まれている」
つまり、当時の国連よりも先に見つけた人物がいて、プログラムを施したということになる。
「SICはその“解除コード”を求めて、様々な計画を推進している。その最たるものが、“チルドレン育成計画”」
チルドレン育成計画……?
「解除コード――それは“セフィラ”と呼ばれる、特殊なエレメントのことを指している。あなたが戦ったヴァレンシュタイン局長も、セフィラを持っていたはず」
と、フィーアは俺の方に視線を向けた。たしかに……と俺は頷く。
「その解除コードはある“遺伝子”を持つ血族にのみ現れるエレメントと考えられていて、その血族を持つ者たちこそが、チルドレンなのよ」
俺たちに出現するエレメントが、セフィラ?
「じゃあ、SICがしているのは、解除コードを生み出すために私たちを……チルドレンを育成しているってこと!?」
驚きを隠せず、ディアドラは言った。
「ええ。あなたたちチルドレンは、その全てが“チルドレン”と“チルドレン”との間に生まれた子供。いわゆる計画的交配っていうことね」
たしかに、俺の親父もおふくろも元々は“チルドレン”だ。というよりも、セフィロートにいる住人はカムロドゥノンなどの人間を除いて、全てはチルドレンなはず。
「セフィラは全てで11あるとされていて、その中でも“ティファレト”と呼ばれるセフィラが最も重要とされているの。……私たちPSHRCIは、そのセフィラを手にさえすれば、SICに対抗できる組織になれると考えていたわ。世界の創造と破壊、その可能性を秘めた“神のセフィラ”……ウルはそう言っていた」
神のセフィラ……そう言えば、局長も同じようなことを言っていたな……。
「そのティファレトを有するチルドレンを、あの場所へと連れて行くことが……私に与えられた仕事だった」
「――え!?」
俺たちはみな、驚愕した。いや、ローランを除いて。
「そう、ゼノ。あなたとディン。あなたたち二人こそが、“ティファレト”を有するチルドレンなのよ」
俺たちが……!?
「あなたたち二人は、CG値――つまりセフィラとの適合性を表す数値において、限界点である1199をオーバーしている。それこそが、ティファレトを有する資格のあるチルドレンである証拠なのよ」
1199を超えるチルドレンは、数百年の天枢学院の歴史の中でも、俺とディンを含めて3人だけだと聞いている。あの数値には、そういう意味があったのか……。
「最強にして最大のセフィラ“ティファレト”。それ故に、他のセフィラと違う点があるわ」
フィーアはそう言って、ローランの横の方まで歩み寄った。俺を見ながら。
「他のセフィラが、持っているだけでその特殊能力を発揮できるのに対し……ティファレトはあるセフィラと“同調”を行わなければ、その力を発現できない」
「……同調……?」
たしかにあの時の場で、フィーアやウルヴァルディが何度も口にしていた単語だ。
「ティファレトを覚醒させるセフィラ――ダアト。“星のセフィラ”……SICはそう呼んでいる」
星のセフィラ――どの“星”を指しているのだろうか。
「つまり、その“ダアト”というセフィラがなければ、“ティファレト”の力を使役することが出来ない……ということ?」
と、カールが質問すると、フィーアはこくりと頷いた。
「ええ。そのダアトとの親和性が高ければ高いほど、ティファレトの能力も大きく引き出される仕組みになってる。だから、ダアトの保持者は必然的に親しい人物になる」
あの場で、その条件が当てはまるのは一人しかいない。フィーアは彼女――サラの方へ、視線を向けた。
「“ダアト”を有するのが……サラ、あなたよ」
「――――!?」
皆が皆、サラの方に目を向けた。サラが……セフィラを持っているだと……? 俺たちよりも、サラ本人が驚いている。理由は簡単だ。
「私……が……?」
「ちょっと待ってくれよ!」
遮るようにして、カールが声を上げる。
「サラのCG値は200程。あの数値がセフィラとの適合性を示しているんだとしたら、ちょっと辻褄が……」
そう、今ここにいるチルドレンの中で、サラが最も低い。そう言う意味では、一番セフィラとの適合性は低いということなのだ。
「セフィラ“ダアト”は、他のセフィラと違い、唯一その適合性が数値化されない。そのため、どのチルドレンが有しているのかわかりにくい。……サラは特別なのよ」
局長もサラのことを“特別”だと言っていた。それは、ダアトを有するチルドレンだから……という意味なのだろう。しかし、どうしてか俺にはそれ以上の“何か”があるような気がした。
「ティファレトを補完し、覚醒を促すセフィラ。最も特別なセフィラ……SICはずっとそれを探していた。サラがいなければ、たとえゼノやディンのようなティファレトを有するチルドレンが何人生まれたとしても、意味がないから」
「……君はそれを最初から知っていたのかい?」
ローランはそう訊ねた。
「ええ。……任務を与えられたときにね」
フィーアは小さく、頷いた。
「私は最初からディンとゼノの自宅付近に待機していたわ。正義感の強いディンなら、必ずそこへ向かう。それと一緒に、あなたも来るだろうから。……まさか、そこで“ダアト”の保持者であるサラがいるとは思わなかったけれど」
あの時から……か。あれはほんの数ヶ月ほど前の話だが、その時から彼女は俺たちを狙っていたのだ。命ではなく――セフィラを。俺たちの性格を把握していたからこその、作戦だ。天枢学院……特別教典局に内通者がいるのは、そのためだったというのもあるのだろう。
「あなたたちPSHRCIの目的はなんなの?」
その時、それまで表所を違えずに沈黙していたメアリーが言った。
「サラを使ってゼノとディンのセフィラを覚醒させる……というのはわかったけど、そのセフィラを使って何をしようとしているわけ? アーネンエルベっていうのは、他のセフィラも必要なんじゃないの? それに、アーネンエルベの封印が解除されることで、何が起こるって言うの?」
質問の連発。それは俺たちが疑問に思うことのほとんどだった。
「……あれは古くは“カナンの民”が護り、受け継いでいたもの。それを持つ者は、世界を変える力を持つと伝承で言われている」
もちろん、それは一種の誇大表現だが、あながち間違ってはいない。なぜならば、ASA――アーネンエルベを持つSICは、世界を掌握するに足る力を持っているのだから。
「カナンの民が……ってことは、ウルヴァルディの目的は“奪い返す”こと?」
メアリーがそう訊ねると、フィーアは大きく頷いた。
「ウルは“カナンの民”。導師もね」
人が手には余る代物。だからこそ、カナンの民が護っていた。それをあるべき場所に戻すため。
「そのためには、何が何でも“ティファレト”と“ダアト”が必要だと言っていたわ。他のセフィラは単なるパーツに過ぎない――ともね」
「単なるパーツ……ねぇ」
ふーん、とローランは手を頭の後ろに回して、小さくため息を漏らしていた。
「要するに、PSHRCIはSICに対抗するための切り札としてティファレトとダアトを手に入れようとしていた――ってことだよな? ヴァレンシュタイン局長たち、拡大派もそれを求めていた。アーネンエルベを覚醒させて、ASAの機能を最大限に利用する、と」
カールは首を傾げつつ、そう言った。
「……局長は“MATHEY”という組織を倒すため、って言っていたけどな」
俺は体を起こし、言った。聞きなれないワードに、ノイッシュたちは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
「何? “マテイ”って」
隣にいたサラが、訊ねてくる。そうだ、みんなにはまだ言っていなかった。メアリーは聞いていたはずだから、わかると思うのだが。
「SIC最高執政機関――“MATHEY”」
その中で、ローランは俺が言う前に言葉を放った。
「SICの中に在る“本当のSIC”。一般人のみならず、SICの評議員でもその存在を知っているのは、大臣クラスの人間くらいさ」
「……知っていたのか?」
俺は思わず、訊ねた。それに対し、ローランは笑顔で頷く。
「まぁね。元々、うちの設立者がMATHEYに対抗しうる組織として作ったのが、カムロドゥノンだからな」
そうだったのか……。どうやら、SICのフェイルセイフという役割のほかにも“目的”を持って動いていた――ということなのだろう。
「MATHEY……っていうのは、SICを裏で支配している組織……みたいなもの?」
と、ディアドラが訊ねる。
「簡単に言えばそうだね。数百年前から存在し、セフィラを集めている。とは言っても、既にほとんどのセフィラは手中に収めているって話さ。でもウルヴァルディが言うように、他のセフィラをいくら集めようとも、ティファレトがないと意味がないんだけどね。でしょ?」
ローランはそう言って、フィーアに話を振った。
「……ティファレトはいわば“最後の鍵”。全てのセフィラが集い、最後にティファレトによって封印は解かれる。ウルはそう言っていたわ」
他のセフィラがあろうと、俺やディンの持つティファレトがなければ意味がないのだ。しかし、局長はたしか、セフィラはMATHEYが管理していた特別なエレメントと言っていたが……ローランが言うように“集めている”ということであれば、世界に散逸してしまっている――ということなのだろうか。
「ティファレトさえこっちにあれば、あちらさんはアーネンエルベを解除できないってこと。でも、それはまだまだゼノとサラが狙われるってことだね」
「……それはMATHEYが? それとも、PSHRCI?」
俺の問いに、ローランはうーんと唸る。
「結局はどっちも欲しがっているだろうな。ディンがあの状況で生きているとは思えないし、さらわれたとしても、言いなりになるようなことはしないと思うから」
それはつまり、自害するだろう……ということか。あいつは正義感の強い男だ。捕まるなんてことはしないだろうから、最後まで戦って……敗れたのだと思う。
「……私が……さらわれなかったら」
俺に聞こえる程度の声量で、サラが呟く。
「私がさらわれたりしなければ、ゼノもディンも……傷つくことはなかった。ディンが……ああなったのも……私のせい……」
声を震わせながら、サラは言った。俯いて、小さく嗚咽を漏らしている。そうか、ディンが消えてしまったのは……自分のせいだと感じているのか。自分が“ダアト”の器だから、と。
自分がさらわれたせいで、犠牲になったのだと。
「サラ、そりゃ結果論だ。お前のせいじゃない。お前のせいじゃ、絶対ねぇよ」
俺はサラの肩に手を置き、はっきりと言った。
「俺もあいつも、お前を助けるためにここまで来たんだ。……奴らにうまいこと利用されたのかもしれねぇけど、後悔はしてねぇよ。お前を救えたんだ。それで十分だ」
「ゼノ……」
ディンだって、きっとそう思っている。
――僕は君を護る。君は、サラを護るんだ――
そう思っていたなんて……初めて知ったけどな。いつも“護る側”なんだと思っていたから。
「……ごめんね……」
サラはしょんぼりして、なぜか謝ってきた。
「お前が謝る必要なんかねぇって」
俺はポンポンと彼女の頭を軽く叩いて、微笑んだ。彼女は「また子ども扱いして」と頬を膨らませていたが、少しホッとしていたようにも思える。
「本当に悪いのは、フィーアでしょ」
その時、メアリーが口を開いた。俺たちは思わず、彼女が座っている方へ顔を向けた。
「ゼノとディンを騙して、結果的に彼が死んでしまうようなことをした。コロニーの住人も、相当な数が犠牲になった。これについて、どう落とし前をつけるつもり?」
「ちょ、ちょっとメアリー……」
彼女を制止させようと、ディアドラは彼女の前に立って視線を遮った。
「そんな言い方しなくても」
「それが“結果”よ。フィーアが裏切ろうが騙そうが、もしかしたら最終的にディンは死んだかもしれないし、あのコロニーも消滅してしまったのかもしれない。でも、現実としてそうなっている。これは逃れようのない“結果”なのよ」
メアリーは立ち上がり、フィーアの前へ歩み寄った。あの瞳――俺に向けた時のものと同じだ。圧倒的な嫌悪感で、突き刺すように冷たい双眸。
「……何を言っても、言い訳になる」
フィーアは顔を俯かせ、力のない声で言った。
「そうするつもりはなかった――なんて、罪滅ぼしにもならないよね」
自嘲気味に笑う彼女は、自分を愚かであると言っているように感じた。
「だから私は……」
すると、フィーアは自分の腰の後ろに手を回し、何かを取り出した。
――あれは、ナイフ!?
「おい、フィーア!?」
俺が思わず呼ぶと、彼女はチラッと俺を見て、まるで謝罪でもするかのように小さく頭を下げた。すると彼女は、自分の腰まである長い髪の毛を鷲掴みにし、それを上に持ち上げた。そして、ナイフをつむじの方から髪に当て――
彼女のその行動に、誰もが言葉を発することなくただ、見つめていただけだった。止めることが出来なかったのだ。
俺はその時――なぜだろう、その姿が……妙に美しいと感じた。どこか神秘的な、人の手に収まるような範疇のものではないような、もっと特別なものであると。
彼女はナイフをその場に置き、切った髪の毛を強く握りしめた。
「行動で示すよ。……疑われてもしょうがないし、信じられなくても仕方がないと思う。それでも私は……ウルたちがしようとしている“本当のこと”を知りたい」
彼女はメアリーを力強く見つめた。それは睨みつけるというものではなく、自分を信じてくれ――という強い意志だった。
「あの場所では、誰も殺さないと……ウルは言ったわ。ゼノにもディンにも、サラにも危害は一切加えないって。チルドレンはMATHEYに操られる、可哀想な子供たちだからって」
でも、違った――と彼女は続ける。
「ウルは全てを利用する。……私も所詮、あの人の駒に過ぎなかった」
「だから復讐でもしたいわけ? 捨てられたと思うから? 育ての親に」
間髪入れずに、メアリーが言葉を投げつける。フィーアは顔を左右に振り、それを否定する。
「あなたと同じよ、メアリー。私も真実が知りたい」
フィーアは彼女に一歩近づき、言った。
「……騙していたこと、利用していたこと。本当にごめんなさい」
フィーアは深く、深く頭を下げた。肩の辺りまで短くなった髪の毛が、小さく音を立てる。
「ゼノ、サラ。……私のせいで、ディンを失った。本当に……ごめんなさい。どれだけ誤ったって、ダメだってわかってるけど……それでも、許してくれるならあなたたちと一緒にいさせてほしい」
泣きそうなくらいに、悲痛な声で謝罪する彼女。
こうしていると、思う。本当に彼女は騙すためだけに、あれだけの手伝いをしたのだろうか?幾度も俺たちに手を貸し、戦ってくれたのだから。
「フィーア、もういいよ……」
そこへ、彼女に手を差し伸べるようにサラが駆け寄った。
「私はフィーアのこと、信じるよ。だから……」
おそらくサラにとって、フィーアは“強い女性”だったのだろう。それがここまで弱弱しい姿で謝罪するのだから、どれだけ彼女自身が傷付いたのか……サラにも伝わったのだ。
「……サラ……ありがとう」
フィーアは目を瞑り、苦笑しながらそう言った。そして顔を上げて、再びメアリーを見据えた。
「私は知りたい。ウルが本当は何をしようとしているのか。どこまでが本当のことで、そうではないのか」
真実を知りたい。その真実に翻弄されたのは、俺やメアリーたちだけでなく、彼女も。いや……この事象に関わり、傷付いたすべての人たちが、そうなのだ。
彼女の瞳には、強い想いが込められていた。それは敵対していた時のような、氷のように冷たいものではなかった。同じ瞳であるのに、どうしてこうも変わるのか。それは彼女自身が、少しだけ変わったからなのだと思う。
メアリーはため息のように、或いは息を整えるかのように、長く息を吐いた。
「……私は信用しない。言えるような立場じゃないけれど」
自分も敵側だったのだから――俺の命を狙っていたのだから。そういう意味なのだろう。
「ゼノはどう思うの?」
メアリーは俺の方へ顔を向け、言った。
「どうって……そうだな」
いろいろありすぎて、自分の考えをまとめきれてはいないのが実際のところだ。正直にどう思うのか――と言えば。
「初めから騙してたってことを考えりゃ、このまま一緒に行動させんのは正直、無理がある。それに、お前は言ったよな。“仲間になったわけじゃない”と」
「…………」
ベツレヘムで、フィーアはそう言った。おそらくそれは彼女の本心だっただろうし、根っこの部分では変わらないのだと思う。
「だけど、お前に訊きたいのは――そういうことじゃない」
俺は小さく頭を振り、否定する。何が訊きたいのか、それは……。
「なぜ、俺たちを助けた? 敵である俺たちの手を貸すようなことを、どうして何度もしたんだ?」
ただ利用するためだけだったら、これまで協力していたのだろうか。いや、あの場所へ誘うために野垂れ死にされても困るって言うのならば、助ける理由もわかる。ここではっきりと“利用するため”だと言えるなら、彼女はやはりPSHRCIの兵士だということ。そうでないなら……と、俺は思っていた。
「……任務だから、と思っていた部分はたしかにある。ベツレヘムへ行く前に、死んでしまっては元も子もないから」
すると、彼女は俺に視線を合わせた。
「あなたたちを見ていて、おままごとのようだと……言ったのを、覚えてる?」
あれはたしか……ジュピターでの事務次官護衛任務が終わり、そこにある中庭でのことだった。サラを慰めるディンと、それを隠れて見ていた俺に対し、彼女は“ままごと”だと言った。
「どうしてかわからない。わからないんだけど、それを見守りたい――なんて、わけのわからないことを思った。三人を護れたら……護りたいって」
そこまで言って、彼女は若干顔を伏せた。
「だから……死なせたくなかった。ウルが再度“同調”を行った時、許せなかった。下手をすれば、三人とも死んでいたかもしれない」
あの時、彼女は怒りを露わにしていた。奴の“傷付けない”という言葉を信じていたから、というのもあるのだろうが。
「純粋にあなたたちを護りたかった。……私はもう、誰も失いたくないの」
大きく肩を落とし、彼女は言った。
護りたかった――その言葉が聞けて、俺は正直満足していた。行動の理由を知れたから。
「わかった。なら、これで本当の仲間ってことだな」
「……え……」
俺は目を開けるのと同時に、俯いていた彼女も顔を上げて、驚いた表情で俺を見ていた。
「一緒に来い、フィーア。もう裏切ることは、ねぇだろ?」
「……!」
俺はニッと笑った。ただ騙していただけならば、俺はこんな風に笑顔を出すことはできなかっただろう。彼女の“護りたかった”という意思があったからこそ、俺も笑顔になれたのだ。
「それでいいの? 私は……信じられるに足る人間じゃないかもしれない。役に立つかどうかも、わからないのよ?」
なぜかフィーアは当惑しており、俺の言葉が信じられないみたいだった。俺はやれやれと思いながら、頭をポリポリとかく。
「お前な、俺がせっかく一緒に来いって言ってんだから、素直に“わかった”って言やいいんだ。らしくねぇんだよ」
それだけでいいのに、と思いながらも、素直にそう言えるはずもないとも思う。状況が状況だけに、彼女の傷もまた深いのだろう。
「そんな適当な――」
「フィーア!」
彼女の言葉を遮るのと同時に、ディアドラが彼女を抱きしめた。まぶたもギュッと閉じ、どことなく頬を赤くして。
「あの時の言葉、今度は私が言うから。……一緒に行こう」
「……ディアドラ」
優しく語り掛けるように、ディアドラは言った。そう、それはカムロドゥノンに行く直前に、ディアドラへ掛けた言葉だった。
「俺も今更、疑いはしないよ。ね、ローランさん」
と、ノイッシュは微笑みながらローランに言った。ディアドラとフィーア、そしてサラが笑顔を浮かべているのを傍目に、彼は余裕のある笑みをしていた。
「ま、彼女の能力は捨て難いしね。PSHRCIを知る情報源として、有効利用できるだろうし」
「なかなか……損得勘定なんですね」
彼の思いもがけぬ言葉に、ノイッシュは苦笑していた。
「そりゃそうさ。人間、根っこの部分では変わりはしないからな。でもま、今のフィーアちゃんの言葉に、嘘はないでしょ。だからしばらくはそれを信じるさ。ゼノっちが言うんだし」
ローランは俺の方に顔を向けて、子供のように無邪気な笑顔をして見せた。よく言うぜ……と思いながら、俺もフッと笑った。
「ゼノが信じるのなら、私も信じる。けど……」
メアリーはそう言って、フィーアが切った髪を握りしめている手を掴み、小さく頷いた。彼女の翡翠色の瞳が、フィーアの奥底にある真意を見つめていた。
「この意思に嘘はつかないで。みんなの気持ちを、裏切らないで」
「……ええ。わかった。必ず」
フィーアも大きく、頷いた。あの瞳に応えるように、彼女も視線を合わせた。そして、フィーアは俺の方へ顔を向けた。
冷たく凍てついた焔のような瞳ではなく、陽だまりを映し出す暖かさを抱いた、紅い瞳だった。
「“わかった”よ、ゼノ」
世界を巡る俺たちの物語は、その深淵へと向かい始めた。人類が母なる星を離れ、2000年。その時と歴史の積み重ねの中で埋もれていた真実を、掘り出すために。
たとえ、それを知って傷付くとしても。
ただ――俺は思う。
俺はもう、誰も失いたくない。フィーアと同じように、これ以上大切な友人……周囲にいる誰かを、失わせたくない。
みんなを護るだけの、力が欲しい。純粋に、そう思う。
ディン、お前もそうだろ?