37章:覚醒への御印③
「ふん、小僧が……」
ウルヴァルディはマントをバサッと大きくはためかせ、手を前にかざした。
「ガアアアアアァァァ!」
俺はその奴に向かってグラディウスを振り下ろした。だが、それは奴のかざした手の上――10センチの場所で止まってしまった。そこには見えない鋼鉄の壁があるかのように。俺は宙に浮いたままで、そこで火花が生じていた。
「魔痕か。それでこの力、想像以上だ」
ウルヴァルディは片方の手を怪しく光らせ、それを纏ったまま水を撒くように動かした。すると、放たれた光は衝撃波となって俺を吹き飛ばした。皮膚が引きちぎれそうな感覚があったが、俺は宙で一回転して体勢を整え、グラディウスを振るった。再び鮮血の衝撃波が、奴を襲う。
「……その程度、」
ウルヴァルディは右手を白く輝かせはじめ、その光を掴んだまま鮮血の衝撃波に向かって薙ぎ払った。弾けるような乾いた音が響き、空気が大きく振動する。
――光の槍。ウルヴァルディは、身の丈はあろうかというほどの光り輝く槍を携えていた。今まで、あいつが武器を持った姿を見たことがない。今回も、あの時も同じように、攻撃する“動作と姿”を見ていないのだ。
「“イチィバル”の力、少しだけ見せてやろう」
ウルヴァルディがそう言うと、姿が消えた。――いや、違う。一瞬にして、俺の目の前に移動していた!
空を切り裂く、鋭い斬撃が俺を襲う。普段の俺ならば、この攻撃を受け流すことはできなかっただろう。一つ一つが早く、重いこの攻撃も耐えることが出来ず、グラディウスもろとも叩き斬られていたかもしれない。
だが――今の俺ならば。
今の状態ならば、それらに耐え、反撃することが出来る。羽のように軽やかな体を操る様は、俺が俺でない感覚がずっとあるのに、それがさも自然体であるように感じる。
これならば……こいつに、刃を突き立てることが出来る。
――コロシテヤルーー
「う……ガアアアァァ!!」
俺は奴の槍を上へはじき返し、その勢いで回転してさらに切り付けた。紅い閃光は刃となって、ウルヴァルディに襲い掛かる。
「甘っちょろいわ!」
ウルヴァルディはその刃を素手で掴み取り、握りつぶした。あれを素手で消し去るとは……などと驚嘆していると、奴は間髪入れずに攻撃を繰り出してきた。俺はそれをなんとかグラディウスで受け止め、反撃を仕掛ける。
目にも止まらぬ速度の攻防。それはおそらく、周囲の人から見ればただ火花と金属音が鳴り響いているだけのように感じるだろう。空気が弾け、耳鳴りがするような音が鼓膜の奥へと突き抜ける。俺自身ではない“何か”が、俺を奴と戦える土俵に押し上げているのだ。
奴の突き攻撃を上空へ跳躍してかわし、俺の心がそこで唱えた。
「無への回帰――“デストルークティオ”」
俺の内部から溢れるように、あの亜空間が広がる。周囲の物体――床の大理石や、飛び散る瓦礫などを飲み込みながら。
「さすがに、俺ではそれを防ぐ力はない。大人しく退こう」
「!!?」
そう言ってウルヴァルディは、パッと姿を消して再びサラいるの場所へと瞬間移動した。
「それが“破壊者”たる貴様の力だ、ゼノ」
破壊者……だと?
俺は奴の方へ向き直り、亜空間を閉じた。
「だが、未熟な器のままでは、折角の力も意味はない。手本というものを、見せてやろう」
奴の周囲に光の球体が出現する。灯が付いて行くかのように、奴を囲みながら増えていく。それはそれぞれが光の刃となって、切っ先が全て俺に向けられていた。
「さあ、お前に捌ききれるかな?」
ウルヴァルディが指をパチン、と鳴らした瞬間、その光の刃たちは無数の光弾かのような速度で、一斉に襲い掛かってきた。
「……ちっ」
俺はそれらを避けることは不可能と判断し、剣で受け流そうと腕を高速で動かした。しかし、それらが剣に当たりそうになる寸前、光の玉らは急停止し大きく膨張し始めた。
――まさか、爆弾――!?
それに気付いた時には遅かった。それらは一瞬発光し、その場で小爆発を起こしていった。そしてその威力は、俺のシールドを通過するほどのものだった。
「ゼ、ゼノォォー!!」
爆発音の隙間を縫って、サラの悲鳴にも似た声が聞こえる。服がちぎれ、高温の閃光が皮膚の表面を焼いて行くのがわかる。俺は衝撃で壁に打ち付けられ、めり込んだ。
「ぐはっ……!」
まずい、あの衝撃で肋骨がやられてしまった。口に鉄の味が広がり、俺はその場に血反吐をまき散らした。だが、痛みはさほど感じない。それもこれも、この“変な感覚”のおかげか。
「やめてぇ! お願い、ゼノを傷付けないで!」
悲痛なサラの懇願。それを聞き入れるような奴ではない。ここからでも、彼女が涙を流しているのがわかる。……よく見たら、俺の体は血だらけだ。返り血もあるのだろうが、サラが泣いてしまうには十分な理由だろう。
……待ってろ。今、助けてやる。
「この程度では、貴様の動きを止めることはできんようだな」
ウルヴァルディは立ち上がろうとする俺を見て、微笑を浮かべた。
「貴様にもし、今の力があれば――“ラケル=ファーシェ”を死なせずに済んだかもしれんな」
……死なせずに……済んだ……?
体が、怒りで震える。どの口が、あいつの名前を言いやがる……!
「あいつの……」
ラケルの名を――
「軽々しく、言うんじゃねぇエエエエェェ!!!」
感情が怒号と共に発露する。怒声と同じく、紅蓮の波動が周囲に広がっていく。
「“燃ゆる紅き環……其は、理を崩す者なり”。“カナンの民”の伝承の通りか。なるほど、なかなか厄介な代物になっている」
「何を……笑ってやがる!!」
俺は――いや、俺の体は、自然と奴の目の前へと高速移動していた。人間とは思えない速度で。
「ウルアアアァァ!!」
だが、ウルヴァルディはその上をいっていた。俺の剣撃をすべてかわしているのだ。
「お前に調停者の力を発動させなければ、どうということはない」
ウルヴァルディは俺の剣を右側へとはじき返し、空いている左手をサッと目の前にかざした。すると一瞬にして、俺を後方へと吹き飛ばした。
「己の無力を知れ、ゼノ=エメルド」
その時――俺の体が再び壁に叩きつけられた。ちょうど床に接するところで、俺は即座に立とうとした。だが……動かない。
なぜ――と、俺は自分の体を見渡した。そして、すぐに理解した。無数の光の矢が、俺の体を貫いていたのだ。肩、腕、手、腰、太もも、ふくらはぎ、足の甲――針の山かと見まがうばかりに。
「貴様の各エレメンタルを一部、砕いた。痛覚も戻る」
それは、どういう――
「――!!?」
今までの“客観的な感覚”が失われ、俺は俺自身の目で見、壁を隔てないでものが聞こえることに気付いた。体も鉛のように重くなり、それと同時に味わったことのない、地獄の痛みが全身を駆け巡った。
「ぐ――アアアアアアアアア――!!」
断末魔の叫び、俺はそれを出していないと、痛みに耐えられなかった。
「いやああああ、ゼノ――!! お願い、もうやめて! もうやめてぇぇ!」
この空間に木霊する、サラの悲鳴。
くっそ……いてぇ……! それでも、それでも俺はお前を助けなければならない……!
「ゼノ、動かないで! 悪化するわ!!」
メアリーが俺の傍に駆け寄り、両手を体に向けて掲げた。
「ひどい怪我……。こんなぼろぼろの体で、よくあれだけ動けたわね」
「ど……けよ、俺はあいつを……!」
「そんな傷じゃあ、どうやっても無理! 大人しくして。少しでも動けるようにするから……!」
メアリーは目を瞑り、眉間にしわを寄せてエレメントを放出し始めた。
「女に護られるとは、変わらん奴だ」
声と共に、ウルヴァルディが俺たちの前に現れた。
「てっ……めぇ……!」
「元に戻ったか。所詮、貴様が発露できる能力は、その程度だったわけだ」
クククと笑い、ウルヴァルディは俺たちを見下ろしている。だが、メアリーは奴を無視しているのか、集中して治癒術を掛けてくれていた。
「メアリー=カスティオン。いくらやろうと、意味はない。貴様らはここで死ぬ。目の前の“死”を受け入れろ」
「……うるさいわね。邪魔しないで」
彼女は額に汗を滲ませながら、低い声で言い放った。肝っ玉の据わった奴だと感心したが……早く、逃げなければ……奴にやられてしまう。
「逃げ……ろ、俺に……構うな」
絞るような声で、俺は言った。動けないほどダメージを負っているのに、こういった時の方が冷静だった。
「言ったでしょ、一緒に行くと」
「……え……」
彼女は強く閉じていたまぶたを開け、優しい眼差しを俺に向けた。
「あなたが真実を見つけるまで、一緒に闘う。そう約束したから」
彼女は微笑み、再びまぶたを閉じて集中した。
なんで、こういう時でも……強情なんだよ。こんな切羽詰まった状況の時くらい、俺を見捨てて逃げてくれたほうが……お前は生き残れるはずなのに。
「死ね」
ウルヴァルディは光の槍を掲げた。
「そうはさせない!」
「なにっ――!?」
視界が青い煌めきで、覆われる。それはほんの一瞬のことで、いつの間にかウルヴァルディは10メートル近く後退していた。代わりに、俺たちの前に立っていたのは……
――ディン……?