36章:破壊を誘う言霊たち②
この声は――そう、あいつだ。忘れもしない、あの声。
俺は声が聞こえた方へ、サラのいる方へ顔を上げた。そこには、黒衣を纏った男が佇んでいた。あの血塗られたかのように紅い双眸と、燃えるように波打つ赤い髪――!
「ご苦労だった、フィーア」
「……ウル」
フィーアはそこを見上げ、奴の名を言った。
ウル――ということは、あの男がウルヴァルディ……!! あいつの育ての親とも言うべき奴が、ラケルを……!!
「導師の望んだ“希望”。そして、二つのセフィラの目覚め。世界変革の時が、今から始まる」
ウルヴァルディは十字架の所へ歩み寄り、サラを見上げた。すると、奴はまるで見えない糸で釣り上げられるかのように、上昇し始めた。
「“イヴ”の申し子。さあ、目覚めよ」
ウルヴァルディの右手が、ぽうっと火が灯されたかのように青く輝き始めた。その手で、奴はサラに触れた。その瞬間、サラの体から何かが解き放れたように、白い光の波紋がフロア全体に広がって行った。それと同時に、まるで爆発したかのような風が、彼女から吹き荒れた。
――なんだ、何が起きたんだ!?
「あああああアァァ!!」
その時、ディンが再び悲鳴を上げた。それはさっき以上の痛みを想像させるには、難しくないほどのものだった。
「ディン!」
思わず、メアリーが彼の所へ駆け寄ろうとした。しかし、ディンは「来るな!」と一喝し、彼女を制止させた。
「来ちゃ……ダメだ! 僕は……!」
ディンは冷や汗を額一杯に浮かばせ、歯が割れんばかりに強く食いしばっていた。うずくまっているその姿は、痛みを堪えるのと同時に、何かを抑えつけているようにも見えた。すると、彼から湯気が沸き立つかのように、青い光が立ち込めてきた。
「う……こ、ここ……は?」
掠れたサラの声が聞こえる。あいつ――目が覚めたのか!?
「サラ! サラァ!」
俺は思いっきり、彼女の名を呼んだ。サラはまだ開きっていない眼で、声が聞こえた方を探そうとしてゆっくりと周囲を見渡している。
「ゼ……ノ……?」
「そうだ、俺だ! サラ、大丈夫か!?」
俺だと気付いたサラは、目を大きく見開き、泣きそうな表情でもあり、嬉しさも混在した複雑な表情を浮かべた。
「まだ不十分のようだが、“イヴの力”は発露しているみたいだな。さて、“同調”を果たしたディン=ロヴェリア」
ウルヴァルディはサラの前に移動し、俺から隠すように立った。そして、俺たちを一瞥した。
「どうだ? 4年前に感じたあの“衝動”と酷似しているだろう?」
「……くっ……!」
奴はディンに対し、微笑を浮かべていた。4年前……? 何の話だ?
「そこにいるのは、メアリーか。まさか貴様もここに来ているとはな。貴様の父を殺した男たちとともに行動するとは……ジェームズも浮かばれんな」
「な……んだと! 貴様ァ!!」
奴の言葉にカッとなったメアリーは、銃口を奴に向けた。だがウルヴァルディは、深くかぶっているフードの下から、余裕のある笑みを浮かばせているだけだった。
「知らんようだから教えてやろう。目の前の姿だけに翻弄される、哀れな小娘」
「何……!?」
クククと笑い、ウルヴァルディは少しずつ下降し始めた。
「4年前の貴様の組織に対する掃討作戦。あれを立案したのは、軍部でもSICでもない」
SICでもない……? どういう意味だ?
「そこにいるロヴェリアの父――FGI社幹部・ジョセフ=ロヴェリア。自社の人間を死に追い込み、それをジェームズの仕業にすり替え、FROMS.S崩壊の道を作った奴だ」
――ジョ、ジョセフさんが!?
「嘘つくんじゃねぇ! ディンの父親が、なんでFROMS.Sなんかを抹消する必要がある!」
全く関係ないのだ。それこそ、SICになら大義名分とやらがあるのに。
ウルヴァルディは、紅く煌めく瞳を俺に向けた。
「自分の息子の能力を推し量るためさ」
「……能力……?」
すると、ウルヴァルディはフッと笑った。
「奴は息子――ディンの力の潜在能力を確認するために、惨殺行為の許される戦場が必要だった」
「まさか、その惨殺行為の対象が……私たちだったというのか!?」
メアリーは叫ぶようにして言った。
「そう。当時は我らPSHRCIとは停戦に近い状態だった。太陽系内で大きな戦闘など起きる余地もなく、紛争地域にチルドレンを派遣することもできなかった。ここ最近は欧州連合もILASも互いに争おうとしていないからな」
たしかに、カルタゴ紛争が終結してからは、太陽系外も落ち着いていると言われていた。
「それにジェームズはジョセフにとっても、邪魔でしかない存在だった。“ついでに処分しようとした”のさ」
「父さんが邪魔な存在だと!? どういう意味だ!」
「推して考えてみろ。ジェームズは“特殊な人間”だったということだ」
特殊な……? どういうことなのだろう。それはまさか、ジェームズが“パンドラの匣”と言っていたことに関係しているのだろうか。
「その“戦場”に巻き込まれた貴様らの同胞。その多くが、二人のチルドレンによって殺された。そうだったな?」
「……二人? 一番多くを殺したのは、ゼノ……」
二人、……? 俺はさっきの奴の言葉を思い返してみた。
――息子の能力を推し量る――
――潜在能力の確認――
……ま、まさか……!!
「ゼノが最も貴様の同胞を殺したと思っていたか? それは違う。組織の半数を殺したのは、そこにいるディン=ロヴェリア、そいつだ」
半数――!? 当時のFROMS.Sは約2000人程度。その半分以上を、ディン一人で……。
「ディンが……? いや、待てよ。でも、ディンはあの時……」
俺とメアリーは、ディンの方へ視線を向けた。彼はうずくまったまま、無言を貫いていた。
まさか、本当に……?
「チルドレン最高の能力を有するのはゼノではない。ディン=ロヴェリアこそ、その称号を持つに相応しい者だ」
奴はクククと笑いながら、ディンの方へ視線を下ろした。
「4年前、貴様は一人で1000人を殺した。そうだろう?」
1000人――!? そんな数字、聞いていない。たしかに、俺はディンがどれだけの人数を殺したのかは聞いていない。だが、そんな人数……たった一人で……!?
「本当なの……?」
メアリーの声には、怒りによる激しさが含まれていなかった。静かに、彼へ訊ねていた。
「……ああ」
苦しそうな表情で、ディンは小さく頷いた。それを見て、メアリーは小さく震えていた。それは怒りや戸惑いであり、今まで俺にぶつけてきたものとはまた違うものが湧きだしているように見えた。
「僕は……自分で、自分が嫌だった。あんな暴力的な力を……振るってしまう自分が」
自分を蔑むかのように、彼は小さく笑った。汗が床へ滴り落ちるほどかいている中で、ディンは大きく息を吐いていた。
「貴様の中に在る力は、あの時――強制的に抑え込まれた。メアリー=カスティオン、貴様の父によってな」
「父さんが……!?」
ジェームズによってディンの力が抑え込まれた? つまり、あの時奴は俺だけじゃなく、ディンにも接触していたということか?
「だが奴は“まさか”二人も覚醒者がいるとは思わなかったのだろう。ゼノの力――それを制御することはできなかった」
俺の力も抑え込もうとしたものの、既に力が尽きていたのか――。たしかに、思い返してみれば、あの時のジェームズはどこか諦めていたようにも見えた。自分が殺されるということを。
「真実など、貴様らには手の届かぬ場所にあるものだ。偽りの姿に翻弄され、その心を満たす醜く愚かな感情を解き放たんばかりに、貴様らはここへ来た。そして、ここで死ぬ」
ウルヴァルディの言葉の後、フィーアは再び銃口を俺たちに向けた。
「……フィーア。お前……」
「何? もう遅いのよ。私を“あの時”、殺さなかった自分を憎むのね」
あの時――初めて出逢った時。敵意むき出しのお互いが、そこに立っていた。それはある意味で、今と変わらないのかもしれない。
――いつの間にか、俺は彼女を信頼していたのだ。背中を預けられる仲間だと。どこかでそれを認めようとしない自分がいて、こういった状況になって漸く、自分がそう感じていたことに気付く。
何もかもが遅い。そして、俺は決断を誤ったのだ。そのツケが、今、巡ってきたのだ。
「……俺は自分でも知らないうちに、お前を信頼していた」
俺は独白するかのように、地面へ向かって顔を俯かせた。
「それはきっと、俺だけじゃねぇ。ディンだって同じだ。ディアドラも、ノイッシュも、カールも」
「………」
あいつらも、俺と同じように彼女を信頼していた。口は悪いが、その鋭さの中に彼女なりの優しさがあった。それは真実のものなのだと、みんなが思っていたに違いない。
「そんな俺たちの想いを……わかっていながら、ここまで一緒に来た。そうじゃねぇのか?」
俺は顔を上げ、フィーアを強く睨みつけた。
「あなたたちが私を信頼してくれるのはありがたかった。疑われる心配が減るもの」
「……そうかよ」
ほんの少しでも、俺たちに対する情を見せるってんなら、俺は奴の心情に訴えようと思ったんだがな。なかなかに、兵士として訓練されてやがる。
――なら、やるしかねぇのか。
俺はなぜか、ハッと鼻で笑った。許せないはずなのに、なぜかこういう時、不思議と嘲笑するかのような行動をしてしまう。それはもしかしたら、自分自身の心を傷つかせないための、せめてもの防衛本能なのかもしれない。
「なら、決着つけようじゃねぇか」
俺は歯を食いしばり、立ち上がろうとした。しかし、全身に力が入らず、まるで生まれたばかりの小鹿のように体が震えている。
「無駄よ。失敗に終わった“器”は、その機能を取り戻すまで数時間かかる。動くことなんてできない」
俺を見下すようにして、フィーアは目を細くして俺を見ていた。
「無駄かどうか、やってみなきゃわかんねぇだろうがよ!」
ふん、と俺は足に力を入れた。まるで見えない重りが体内に入り込んでいて、体を床から引き離させないような感じだ。
「ぐっ……く……!」
腕の血管が浮き、体に力を入れるせいで筋肉が張る。それでもいうことを聞かない自分の体に、俺は動けと命令を出し続ける。
「うご……けぇぇ!!」
俺は怒声のような声を発した。その瞬間、紅い閃光が視界を掠める。これは――局長と戦っていた時のものと同じだ。
「な……に!?」
「……ほぉ」
俺の体は立ち上がり、自然と腰に備えてあるグラディウスを強く、握りしめていた。その切っ先は、フィーアに向かっていた。いつの間にか、体の重さは消えていた。感覚の消えていた腕もまた、いつもの状態に戻っていたのだ。
「どうして……!?」
この状況が理解できないのか、フィーアは目を見開いていた。
「そんなの、俺にだってわかんねぇよ!」
走った後のように、俺は大きく呼吸をしていた。なぜ立ち上がることが出来たのか、動くことが出来たのかはわからないが、そんなことはどうだっていい。俺の体は動く。奴らを倒すために。
サラを助けるために。
「俺はてめぇらを許さねぇ。覚悟しな!!」




