34章:霊光の統率者
「ネズミにしては、わかりやすい場所から入ってくるものだな」
ハッとして顔を上げると、前方に人が立っていた。あれは――
「……ヴァレンシュタイン局長」
白い軍服を身に纏い、落ち着いた表情で俺を見ていた。
やはり――と言うべきか……。うちのトップである局長が、本当に内通者だったとはな。思わず、俺は自嘲を含んだ笑みを零してしまった。そんな俺を見て、局長は訝しげに少し頭を傾げていた。
「まさかカムロドゥノンを使って、太陽系最果ての地にまで来るとは……驚いたよ」
局長はふん、と鼻で笑った。
「……何も弁明はしないんですか?」
俺は強く睨みつけるようにして、局長を見つめた。
「弁明する必要などなかろう。ここまで来る――すなわち、“我々”の関与に気付いているということだろう? それにしても、あの小娘を奪うとは予期していなかったよ。さすがラグネルの生徒だ」
彼は小さく手を叩き、俺を褒めていた。それはあからさまな挑発であることは、わかりきったことだった。
「あれら――セフィロートやジュピターでのPSHRCIによる襲撃。ここ最近の“事件”は、全てあなたが手引きしたことなんですか?」
俺は局長に訊くべき質問を投げかけた。メアリーの言葉が本当なら……。
「そうだと言ったら?」
「――!」
局長は微笑を浮かべ、目を細めて俺を見た。
「……許せない」
俺はグッと歯を食いしばり、両手も力強く握った。ただただ率直に、許せなかった。
「局長、あんたは多くの人の支持を得て、その立場にいるんじゃないんですか? なのに、くそみたいなテロ組織と手を組んで、破壊活動をして畜生にも劣る行為をしてやがる」
俺は握りしめた拳で、傍にあるカプセル型の機械に強く打ち付けた。
「サラをさらって、何がしたい? あんたらの目的はいったい何なんだ!?」
声を荒げ、俺は言った。しかし、局長は皺だらけの顔に微笑を浮かべたまま、表情は変えていなかった。
「御存知のとおり、私は“拡大派”だ。ASAのアクセス権限――それを広げることこそが、人類世界の発展に繋がると信じている」
局長は自らの拳を前に突き出し、大きく掌を広げた。
「しかし、維持派――現枢機卿もオルフィディアも、頑なにASAのアクセス制限を解かせようとはしない。そればかりか、太陽系の範囲内のまま、維持しようと考えている」
維持派は「いずれは拡大させる」とも言っていたが、その本質は違うということらしい。
「私一人の力ではどうにもならん。人一人の力など、微々たるものなのだ。理想と現実の乖離――それは君も感じたことがあるはずだ。2年前、君が大事な友人を助けられなかったようにな」
「――!! ……くっ……」
……そんなこと、誰だって抱くことだ。俺一人が、“無力だ”なんて感じているわけじゃない。痛みを感じているのは、俺だけではないのだ。誰だって、それを痛感している。
「維持派の力は強大だ。評議員の7割が維持派と言われている。それを凌ぐには――」
「テロ組織の力が必要だっていうんですか? ……あいつらが、どれだけこの世の中の人間を殺してきたのか……わかってんのかよ!」
俺は局長の言葉を遮るように、大声で言った。
「その通りだ。しかし、彼らは我々が戦う敵と“同等の力”を持っている。毒を以て毒を制す――まさに、そういうことだ」
「……事務次官や維持派の連中が、毒だって言うんですか?」
そう訊ねると、局長は眉間にしわを寄せたまま、小さく息を吐いた。
「いや、彼らというよりもそのもっと上の“組織”。奴らこそが、この世界の繁栄を太陽系内で抑えている“毒”だ。奴らを倒さない限り、人類の繁栄はない」
「組織……?」
俺は思わず目を細め、頭を傾げた。SICの上の組織なんて、存在しないはずだ。わかっていない様子の俺を見て、局長はフッと笑った。
「知らないのも無理はない。あの“組織”はSIC内でも私のような、上の人間たちしか知り得ないところだからな」
小さく顔を振り、局長は言った。
「最高執政機関――“MATHEY”」
局長は拳を強く握り、言った。
「それこそが、SICを陰で操る絶対なる支配者。行政機関“枢機院”の上に位置する、本当の“SIC”とも言うべき組織だ」
「本当の……SIC?」
なんなんだその組織は? 今まで聞いたこともない組織に俺は驚嘆し、目を見開いていた。
「いつから存在するのかは定かではないが、マテイこそがこの世界を牛耳っている組織であることは間違いない。ASAによってエネルギーの要を握り、CNとLEINEによって情報・ネットワークを掌握している。そして、その恩恵を他国に渡さず世界をコントロールしている。この世の“力”ともいうべきものを持ち、彼らの影響力は太陽系外にも及ぶ。地球への干渉を他国が一切封じられているのも、全てマテイの力があまりにも強大なため」
世界を裏で操る組織……? そんなオカルトにでも出てくるような組織が、本当にいるっていうのか?
「我々――拡大派は今まで、民衆に訴えることで奴らを日の下にさらけ出し、堂々と戦おうと思った。しかし、何年・何十年とやれど、奴らは評議員を操作し、枢機院の過半数を無理やり超させ、我々の要求が一切通らないように仕向けてきた。マテイは自らの片鱗さえも世間に現さず、あたかも己の意思を“民衆の意思”であるかのように騙っていた。だから私は、最後の手段――PSHRCIと手を組んだのだ」
そこまで至らなければならない現状を悔しく思うのか、局長はギリギリと歯を食いしばっていた。そう言えばこの人は、評議員、軍部長官と重要な役職に就いていた人だ。
「PSHRCIは我々の持つエレメントの源泉――アルス・アンティクアを操る集団だった。おそらく、マテイが滅ぼした一族の集まりなのだろう」
それはたぶん、カナンの民のことだ。
「マテイは強大に最強。だが、PSHRCIの力があれば、奴らに対抗できる」
断言するようにして、局長は言い切った。
「……それとサラが、どういう関係があるって言うんだ? あいつは、平凡な能力しか持っていないんだ。あいつの何が――」
「平凡ではない。チルドレン……“ネフィリム”である以上な」
俺の言葉を遮り、局長は俺を真っ直ぐ見ながら言った。
「特に彼女は、違う。CG値には現れない、特殊な少女なのだよ」
CG値には現れない……? どういう意味だ?
「彼女こそ、我々が追い求め続けてきた“天使”。彼女の中に眠る力が目覚めた時、奴らを倒す剣が完成する」
目に見えない何かを見るためか、局長は目を瞑って上空に顔を向けた。
「……力だろうがなんだろうが、関係ねぇ。あいつはお前らのための存在なんかじゃない」
俺は否定するかのように、顔を左右に振った。
「あいつの中に在る力ってのが、あんたたちにどう役に立つかなんて、そんなことはどうだっていい」
「どうだっていい、だと?」
局長は聞き捨てならないのか、一層険しい表情になった。
「わからないのか? マテイを倒さなければ、人類の未来はない。繁栄のための“鍵”は、奴らが持っているのだ。それを奪わなければ、人は己の足で進むことが出来ん」
「……そんなことは、どうでもいいんだよ!」
俺は声を荒げて、局長を強く睨みつけた。
「サラを返せ。それだけだ!」
すると、局長は眉間にしわを寄せて、怪訝そうな面持ちで俺を見てくる。
「……君は私の話を聞いていたか? 君はこの世界がどうなってもいいというのか?」
「どうだっていいね」
俺ははっきりと、即答した。
「どんな大義名分を掲げていたって、それでなんの関係もない人を傷つけたら、世話ねぇよ。“方法”ってのは、周囲を傷付けてまですることじゃねぇ!! “毒(PSHRCI)”に頼らざるを得ないのは、てめぇらが弱いからだ」
結果を求める過程の中で、大勢の人を殺めてしまうことが、いいことだなんて思えない。それを“正しいこと”だとは、俺には到底思えない。そんなことで、世界を救う? 世界を救う中で大勢を殺していては、何の意味もないのだ。
局長はやれやれといった様子でため息を漏らし、哀れむような――小馬鹿にするような双眸で、俺を見る。
「無知で幼稚な子供では、理解できんのかな。我々の苦労も知らず、マテイによる秩序の中でぬくぬくと生きてきた君では、わかるまい」
「わかんねぇよ!」
俺は局長の言葉をブッ飛ばさんばかりに、俯いたまま床に向かって吠えた。
「俺はガキだから、あんたに比べたら人生経験も力もねぇよ。世界で最大のテロ組織と手を組むほどの交渉力や人脈もねぇさ。馬鹿だから、あんたのその“理想”や“信念”なんてわかんねぇよ。……それでも」
グッと歯を食いしばり、俺は前を見据えた。
「それでも、俺は局長――あんたのしていることは、間違っていると言いたい! どれだけ綺麗ごとやそれっぽい理屈を並べたって、あんたたちがやったことは絶対に許せねぇことなんだよ!」
俺は腰のベルトに付けてあるグラディウスを握りしめた。
「……そうか。わかってもらえないなら、仕方あるまい」
フゥー……と長く息を吐き、局長は目を瞑っていた。そして大きく見開いて息を止め、腰帯の剣を握りしめ、切っ先を俺に向けた。
「戦うしかあるまい。君の彼女を想う強さが勝つか、私の世界を憂う想いが勝つか」
「……たいそうな決戦の名称を作るんじゃねぇよ。“拉致した男”と“助けに来た男”、そっちの方がシンプルだろ」
俺はグラディウスを取出し、構えた。
34章
――霊光の統率者――




