33章:天使たちの出処
この工業衛星は、町並みはあまりプルートと変わらない光景だった。大きく違うのは、建築中の建物が多く、あちこちから機械音がすることと、それに伴う粉塵のせいもあってか大気が白く濁っているように見える。そう言えば、ターミナルに「マスクの着用をお勧めします」とあったな。
ターミナルから出て、俺たちはその施設がある場所へと向かっていた。まだこの工業衛星にある主要道路は、ターミナルから延びる一本の幅50メートル以上はある道路のみで、それを挟むようにして仮アパートや飲食店が立ち並び、その奥にいくつもの建造中の建物が列挙している。そこからさらに奥はまだ更地らしく、コロニーそのままの地面がむき出しになっているらしい。ここまで開発途中のコロニーに来るのは初めてなので、こうやって創られていくのかと思い一人で感嘆していた。人というのは、なかなかものの成り立ちまでは知らないものだ。それらのほとんどは、意外な姿から変貌を遂げている。
「それにしたって、“ベツレヘム”なんて名前、よく使えるな」
歩きながら、俺は思わずそう言った。
「ベツレヘム消失事件――15年前の事件だったわね。なんとなく、テレビで見たような気はするけど」
フィーアを連れてこなくて正解だったかもしれない。おそらく、本人は何も言わないだろうが、100%気にしないということはないはずだ。
「たしか“GRESI”だったか、事件の大元の原因は」
重力について研究している特務機関。フィーアはその存在を気にしていた。
「まったく同じ施設に、PSHRCIとFROMS.Sが出入りしてるってなると……まぁ、きな臭いことがあるのは間違いないんだよねぇ」
彼はまるで本当に嫌なにおいでもしているかのように、鼻をこすりながら眉間にしわを寄せていた。
「ブラックホール生成の過程での事故、とSICは言っているけど、本当は何をしていたんだろう。当時はSICが発表することに疑問なんて持たなかった。でも今は、SICが行ってきたこと全てに“隠された理由”があるような気がしてならない」
ディンは目を細め、遠くを睨みつけるようにして言った。
「理由なんて簡単さ、ただ単純に“利益”を求めているだけだよ」
ローランは両手を頭の後ろに回し、小さく微笑んだ。
「その利益の裏で、哀しむ人もいれば苦しむ人もいる。俺たちがしようとしているのは、少しでもそういった人たちを助けることなんだと思うぜ」
「ローランさん……たしかに、そうですね」
うん、と大きく頷き、ディンは自分の拳を見つめていた。
「……あんた、たまにはまともなこと言うんだな」
「あらやだゼノっち。俺は普段からカッコいいんだぜ?」
「誰もカッコいいなんて言ってねぇよ」
「たまには褒めておくれよ~」
「はぁ!?」
そう言いながら、ローランは俺に突撃してきた。抱き寄せようとする彼を、俺は反射的にメアリーの後ろへと隠れるように避けた。
「……なんですか?」
下衆なものでも見るかのように、氷並みに冷たい横目。メアリーのその瞳が、ローランを止めた。
「うっ……い、いや、なんでもない……です」
あまりにも彼女の視線が他を寄せ付けない、冷酷なものだったためか、さすがのローランも動きを止めていた。これだけの威圧感は、フィーア並みか……それ以上だな。
33章
――天使たちの出処――
建築用の備品を乗せた車やトラックが、何台も行き交う。普通の住人らしき人たちも大勢いることから、想像以上に活気のある場所なのだということがわかる。良くも悪くも、政府が関わっている事業がある場所というのは、自然とお金が集まる。だから人も集うのだ。もしかしたら、そういった理由でGRESIを置くことが許されたのかもしれない。関連性ははっきりとしないが、15年前の事件による損失を埋めるためでもあるのだろう。
「えーと、場所はここか」
ローランは突然立ち止まり、携帯端末を見ながら一人で小さく頷いていた。
「今から施設への荷物を運搬するトラックに乗り込む。そのために、そこにあるコンテナの中に入るからね」
「……そんな話、聞いてねぇぞ?」
俺は腕を組んで、不満げに言った。てっきり、施設の別の出入り口などから入り込むもんだと思っていた。
「だってさ、コンテナに入るなんて言ったらゼノちゃん、怒りそうじゃない」
困ったような顔をして見せて、ローランは手を広げて笑った。俺は彼から既にそう思われているのか……。
「言われたとおりに行くのが無難ね。あのコンテナ?」
と、メアリーが俺たちの先を指差した。この大きな中央道路と横切る細い道との交差点の角に、資材が置かれている場所があった。とは言っても、全てコンテナだ。きれいな正方形で、横も縦もちょうど2メートルくらいか。
「……まさかとは思うが、この狭いコンテナに入れってことか?」
俺がそう訊ねると、ローランはとびっきりの笑顔と親指を突き出したグーのポーズをして見せた。おいおい、この人数でこのコンテナに入るのかよ……。
「うんにゃ、コンテナ一個に一人ずつ入るんだ」
と、ローランはぶんぶん顔を振って言った。
「なんだ、それならまだ余裕のある広さだな」
俺は思わず、ホッと胸を撫で下ろした。
そろそろ時間ということなので、俺たちはぞろぞろとコンテナの中に入って行った。コンテナの側面が開くようになっており、入ってみると工具やら何やらが入り乱れており、人一人がやっとこさで入れる広さ程度しかなかった。
「めっちゃせめぇじゃねぇか……くそ」
「おーい、ゼノっち。早く入れよー、運搬車来ちゃうぜー」
「お、おい、押すなって!」
ローランに押し込められ、俺は寝ころんだ状態でコンテナ内に倒れた。立つ前に扉を閉められてしまい、何となくそのままの体勢でいた。
「……もっとスマートに潜入したいもんなんだがな」
なぜかそんなことを呟いてしまい、俺は真っ暗なコンテナ内でため息を漏らした。
『おーい、みんな聞こえるかーい?』
その時、陽気なローランの声が腰のバッグから届いてきた。そう言えば、ここへ来る前にローランから小型携帯を渡されたのを思い出した。
『もうちょっとで運搬車が来るから、荷台に乗せられたら喋らないようにねー。それと、おそらく資材置場に移送されるはずだから、着いたらそれぞれ出てOK』
小さな画面が光り、音声が聞こえる。要はこれで何かあった時の連絡手段として使用しろとのことらしい。
『それじゃ、快適なコンテナの旅をごゆるりとお楽しみください!』
何がコンテナの旅だってんだ……。
彼の言葉が途絶えた瞬間、外でエンジンが止まったような音がした。ウィーン……と機械の音が届き、コンテナが運ばれているような振動が響く。それとなく宙に浮かんでいる感覚が続き、今度は大きな振動とともにそれ以上動いているような音が無くなる。荷台に乗せられたのだろう。いくつかのコンテナが荷台に乗せられると、エンジンが稼働しトラックが動き出す。
ここからどれくらいの距離があるのかわからないが、横になったままの俺は少し体を動かし、仰向けになった。ちょうどいいところに資材があり、枕代わりになった。
これから行く場所に、本当にサラがいるのだろうか。あの宇宙船がこの工業衛星に入り、ヴァレンシュタイン局長管轄のGRESIがある。となると、いる可能性は非常に高いということになるが……。
軍部と局長たちは、GRESIで何の研究をしているというのだろう。その研究にサラが必要というのも、不可解な話ではある。あいつに何か、特別な力でもあるということだろうか。
仮定として、サラに特別な力が備わっており、何が得られるというのか。世界を変えるような――そんな力なのか? チルドレンの力の指標“CG値”とは別の、隠された意味があるのかもしれない。
「ねぇ、お兄ちゃん。“空”ってなぁに?」
俺たちが住むマンションから少し離れた、緑あふれる丘の上。ここからセフィロートの市街地を望める。もちろん、俺のマンションも、ディンのマンションも。幼いサラは当時、俺のことを“兄”と呼んでいた。学校に入る頃だったから、たしか7歳くらいだっただろうか。
「空はそこにあるだろ」
俺はそう言って、セフィロートの空を指差す。でもサラは顔を左右に大きく振って、「違う!」と意思表示をした。
「あれは空じゃないもん」
「……じゃあ、どこのことを言ってんだよ?」
意味が分からず、9歳の俺は頭を傾げる。
「だって、お父さんが言ってたんだもん。ここの“空”は“本当の空じゃない”って」
少しだけほっぺたを膨らませて、サラは言う。ああ、そういうことか。セフィロートの空は擬似的に作り出したもので、上空をホログラムによって青空のように変えているだけなのだ。夕方になれば赤く焼けた夕焼けが、夜には宇宙そのものの星空を、朝には暗闇の夜空が混ざる空。そうやって、人類の故郷の記憶を忘れないようにしているのだ。
「それでも、俺たちにとってはここが“本当の空”だよ」
「どうして?」
銀色の髪を太陽光で輝かせ、サラは頭を傾げた。
「だって、俺たちは地球の空なんて見たことないんだ。生まれてから見ているこの空が、“本当の空”なんだ」
「じゃあサラ、見てみたい! 地球の空!」
急に声を大きくして、彼女は笑顔で手を広げて見せた。まるで無限の広さを表現するかのように。
「だからお兄ちゃん、一緒にいこ!」
「はぁ?」
俺は口を開けて、思わずそんな声を出してしまった。
「サラ一人じゃ寂しいもん。だから、一緒に。ね?」
幼い彼女は屈託のない笑顔をして、俺の手を握った。どうしてここまで素直な笑顔をすることができるのだろうと、今の俺は思う。
純粋無垢な天使――その言葉が似合うのは、サラだけのような気がした。
「……いつかな」
「本当に? 約束だよ!」
サラは握る手をさらにギュッと強く握り、目をキラキラ輝かせて言った。
「うん、わかった。大きくなったら、一緒に行こう」
ダメだ、とか言うとまたしつこく言われるから、早めにできそうもない約束を取り付けてしまう。きっと、何日かしたら彼女自身忘れてしまうのだ。どうせ――と思っていた。
「わーい、やったー! お兄ちゃん、忘れないでよ!」
サラは立ち上がって、ピョンピョンと小さくジャンプしながら丘の上を走っていた。それをどこか微笑ましくも、遠くから見ている自分。この頃から、俺はサラの中に在る“何か”を羨ましく感じていたのだと思う。きっとそれは、人の輪の中でくっきりとその輪郭を表すものだったのだ。
――覚醒への御印――
――星とヒトと生命を紡ぐ存在にして――
――人としての楔から放たれるための――
――絶対なる破壊者――
「……んあ」
ふと意識が戻り、俺は目を開けた。それでもそこは真っ暗で、何も見えない。それに体の節々が痛い。ずっと固いものの上で仰向けになっていたせいだ。
まずい、もう動いている気配がしない。外もかなり静かだ。なんで寝てしまったのか、と思いながらも他の人に連絡を取ろうと小型携帯を取り出す。しかし、「圏外」と表示されており、通信をすることができない。そう言えば、ここに入る前に、ローランから「施設内では使用できないようにしてるから、入ったら俺が強制的に使用不可にするからね」と言っていたな……。電波を拾われては問題だからな。
俺は外の音が聞こえないか、コンテナの壁に耳を当てた。
……特に人の気配はしない。出ても大丈夫だろうか?
扉をゆっくり開け、外を見てみる。周囲には同じコンテナばかりがあり、やっとのことで人一人が通れるくらいの隙間しかなかった。そりゃ、どんどんコンテナを上や横に置いていくよな。俺はコンテナから出て、それらの隙間を縫って行った。
それにしても、さっきから周囲から物音はしない。本当にただの物置なのかもしれない。
少し進むと、ちょうどコンテナ一個分の隙間があった。俺はそこで大きく息を吐き、再び周囲を見渡した。右手側のコンテナが2個分だけしか積み上がっておらず、そこからこの場所の姿を見ることができるかもしれない。
俺はひょいと跳躍し、そこに手を掛けて登った。そこから見えたのは、本当にただの資材置場だった。コンテナで埋め尽くされたこの場所は、あとコンテナが十数個しか置けない程度だった。おそらく、これ以上置くことはできなかったのだろう。奥には搬入口であろう巨大なシャッターが、左手の方にはここの資材をさらに内部へ運ぶための道であろうコンテナ2個が通れるほどのシャッター、そして人が出入りするための扉があった。
資材が入り切ったとするなら、そろそろここの人間も資材を中へと運んだりするのに入ってくるかもしれない。さっさと奥に進んだほうがよさげだな。
俺はコンテナから降りて、真っ直ぐ出入り用の扉へ向かった。灰色の扉には特に暗証番号などの鍵は付いていないようだ。そこの扉に耳を当て、再び気配を探る。……何人かいるな。資材をさらに中へ運ぶための場所――となると、仕分けするような場所なのかもしれない。それだったら人がいても不思議ではないが。
ここから出るのは、やめておいた方がよさそうだな。こういった場所というのは、どこかに緊急用の出入り口というのがあるはず。搬入用シャッターが外へ通じる道なら、ここが出口となる。ここへ通じる道が他にもあるはずだ。周囲を見渡していると、天井の角に四角い窓のようなものが付いているのを発見。通風口……ではないようだな。中途半端に梯子が付いているし、おそらく脱出口と判断して間違いないだろう。
俺はその下まで行き、グッと力を入れて跳躍した。コンテナ置き場なだけあって、天井までは高い。約20メートル以上はあり、俺は梯子につかまった。
梯子を上り、窓のような小さなドアを開く。ちょうど大の大人が通れるほどで、奥へ登り中を見渡すと、真っ暗だった。非常用なので、非常電源が点くのと同時に明るくなるようになっているのかもしれないな。
立ち上がると、ゴンと上に頭をぶつけてしまった。横幅も両手を広げれば達してしまう程度。これぞ非常通路って感じだな。
俺は小型携帯を取出し、ライト機能で前方を照らした。周囲は群青色の壁で、それがずっと前へと続いている。さて、ここはどこに繋がってるのやら。
ただ非常通路なんだから、ここの研究施設の重要な場所から繋がっている可能性は高い。お偉いさんがすぐにでも脱出できるための道でもあるのだろうし。
そう言えば、ディンたちがどこにいるのかを考えていなかった。ただこの資材置場では、俺以外のコンテナから人が出たような痕跡はなかった。こういった資材置場は何カ所かあって、別々の場所に運び込まれたのかもしれない。
とにかく、前へ進むしかあるまい。もたもたしていたら、取り返しのつかないことになっているかもしれないのだ。あいつに何かがあってからでは、遅い。
約束……か。
俺は前かがみに歩きながら、自分の掌を見つめた。10年近くも前の話なのに、どうして今更思い出したのか。
サラは俺を兄のように慕っていた。俺もまた、彼女を妹のように感じていた。どこかで“壁”を抱くようになったのは、自分のチルドレンとしての数値を知ってしまってからだろう。
人を殺すことで歓びを抱いて、そんな自分を自分の一部でもあると認めて。人殺しの道具になりつつある俺から、離れてもらいたかったのかもしれない。危険だから。
あいつは――サラは、もっと明るい場所に居るべきだから。
天使だと、昔親父は言った。娘が欲しかったからって。それだけ他人に癒しと愛おしさを与えられるのが、彼女の力なんだと思う。
ずっと先へ進むと、下へ向かう梯子に辿り着いた。下も暗いので、右手でライトを使って照らしながら、ゆっくりと降りていく。5メートルほど降ると、今度は再び真っ直ぐな通路になっていた。
しばらく進むと、鉄格子になっている場所があるのか、床から光が漏れている場所があった。ライトを消してそこから下を覗くと、更に5メートル下の方で何やら研究員らしき白衣をまとった男性が巨大なコンピューターを前に、電子メモか何かに表示されたデータを書き込んでいるように見える。この隙間からは多くを見ることはできないが、円柱のような巨大コンピューターが下の部屋には、いくつもあるようだ。何かを話しているように見えるが……内容まではわからないな。結構な人数もいるみたいだし、大掛かりな研究なのだろう。
俺はもっと情報を得るため、先へ進んだ。
何分か歩いて、また下へ通じる梯子に着いた。そこから10メートルかそこら降りると、扉がそこにあった。ということは、ここからはどこか別の部屋になっている可能性がある。ドアノブの所に目をやり、特段変わった機能は備わっていないと判断した。耳を当て、向こう側の音を拾う。――無音。
俺は扉を開け、部屋へと入って行った。
そこは何やら研究室のようで、白い外壁で造られたここの広さはせいぜい20畳ほどか。さっき見えた研究室とは違い、やけに規模の狭い部屋のようだ。部屋の隅に白いカウンターのようなテーブルがあり、その隣の壁に棚が備えられていて、ファイリングされた資料が整然と並んでいた。部屋の中心には、カプセル型の機械が横たわっていた。俺がすっぽりと入ってしまうほどの大きさで、よく病院などにあるMRIに似ている。そこへ近付いてみると、どうやら中を見ることができる青い半透明な窓が付いていることに気付く。そこを覗くと――
なっ――!?
俺は思わず、目を見開いた。その中にあったのは、“少女”――! 俺と同年代くらいの女性が、そこで眠るかのようにして横たわっていたのだ。服は着ておらず、裸だった。
ピクリともしない……呼吸をしているようにも見えない。これはまさか、死んでいるのか? それとも、精巧な人形ということも……。この青半透明な窓のせいで、どうも判断しづらい。
局長はここで何の研究をしているんだ? 人の研究をすることが、重力とどう関係するのだろうか。
俺は先ほどの、テーブルの隣の本棚へ向かった。資料を見てみて、内容を確認しようとした。しかし、どれも電子ファイルで、開いてから表示される画面にパスワードを入力しなければ、中を閲覧することができなくなっていた。こういう時、ディンが好きな紙媒体の資料の方がいいんだよな――と思う。
ファイルを戻し、今度はテーブルにあるパソコンを開く。それは起動されたままで、やはり暗号によって中が閲覧できなくなっていた。
「くそっ、何も見れねぇじゃねぇか……」
俺は舌打ちをし、独り言を言ってしまった。当然と言えば当然なのだが、それでも折角目の前に“獲物”があるのに、ありつけないのは腹が立つものだ。
それにしても……なぜ、こんなところに人――或いは、人のような“何か”を置いているのだろうか。俺はさっきのカプセル型の機械の方へ行き、再び中を覗いた。口を閉じ、安らかに眠っているかのような彼女。髪はかなり長く、お尻のあたりまである。この窓の色のせいではっきりとはしないが、髪は緑色に見えるため、本来は金色なのだろう。
「懐かしい顔かい?」