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BLUE・STORYⅡ  作者: 森田しょう
◆第2部:覚醒への御印~Wander der Geist und Seele zu führen~
34/96

31章:哀しみと憎悪の狭間



「やはり、シゼルだったか」

 仮想空間から戻ってきた俺たちは、医務室で休んでいた。外傷はないと言っても、仮想空間内でのダメージは精神的なダメージになりかねない。少しでも休んでおいた方がいいそうだ。特にエレメントを使用すると、精神力を消耗するため特に休憩が必要とのこと。

「やはり――ってことは、ある程度見当はついていたんですか?」

 ベッドの上で胡坐を組んで座っている俺は、苦虫を噛みつぶしたような表情のジョージさんに言った。

「ん? そうだね、彼女は私たち対カムロドゥノン用の幹部――といったところだ。元々はこの組織の一員だったからね」

 あの女もこのカムロドゥノンに……。どういった経緯であちら側に行ってしまったのかは、皆目見当がつかないが、それでもいろいろ憶測はしてしまうものだ。それを聞いてしまうのは、少し不躾だろうか。そう考えながらも、俺は知るべきことだと考え、ほんの少しだけの脳内会議ではあったが、訊いてみることにした。

「ジョージさん、あの――」


「どこのどいつが休んでるって?」


 バン、と扉が勢いよく開き、誰かが入ってきた。こういうタイミングで入ってくる失礼な奴ってのは、大体誰か予想できる。

「あら、ゼノ。たいそうなご身分ね~」

 俺を見るに、彼女は優しげな微笑を浮かべて近づいてくる。

「怪我でもしたわけじゃないんでしょ? 風邪さえも引かないお馬鹿ボディのくせに、一丁前に休んでちゃダメでしょ」

「…………」

 来てそうそうそれかよ……。少しはいたわれってんだ。

「でもあれだなー、シゼルちゃんの暴言コンボを食らった後だと、フィーアちゃんの暴言パンチはダメージが少ないねぇ」

 と、ローランはハハハと笑いながら俺に同意を求めてきた。それに関しては、すこぶる同意せざるを得ない。俺はうんうん、と大きく頷いた。

「シゼル……? 誰よ?」

 ん? という顔で、首を傾けてクエスチョンマークを浮かべるフィーア。

「それが今回の相手なのか?」

 今度は彼女の後ろから、ディンが顔をひょっこり出してきた。

「まぁ……そうだな。PSHRCIの幹部らしいが、ちょっと苦労する相手だったよ」

 あれだけの暴言を吐ける女なんて、なかなかいねぇだろうな……。色んな意味で、疲れる相手ではあった。

「幹部? シゼル、ねぇ……」

 フィーアは宙を睨みながら、ぶつぶつと呟くかのように言った。

「ところで、あのシゼルって女――どういった関係なんですか?」

 俺は息を整えて、再度質問を投げかけた。

「セシルの姉って言ってたけど」

 俺はローランの方へ目をやり、そう言った。それに対し、彼はポリポリと頬をかいていた。

「……彼女はセシルの姉だ。ここの孤児院で育ったんだ」

 ジョージさんはそう言い、隣にいるセシルに目をやった。それに気付いたのか、彼女は何も言わずにゆっくりと頷いた。

「ローランと同じく、潜在的にエレメントを扱う能力が高かった。元々はうちでも数少ない戦闘員として活躍していたんだよ」

 戦闘員、か。俺たちの攻撃をまともに喰らっても、それを防げるほどのエレメント強度――そんじょそこらのチルドレンたちとはレベルが違うほどのものだ。力だって、俺たちに引けを取っていなかった。

「そんな人が、どうして敵に?」

 ディンは首を傾げて、訊ねた。ローランやセシル、ジョージさんの表情を見るに、あまり触れてはいけない内容のように感じた。それは俺にとっての“ラケル”のようなものなのかもしれない。

「……いろいろあって、6年前に姉は行方不明になったんです」

 セシルはそう言って、俯きがちに白い床を見ていた。少し哀しげな感情が混じっていて、それは6年前の出来事が彼女にとって大きくショックだったことを告げていた。

「ところでフィーア、そのシゼルって奴はPSHRCIらしいが……知っていたか?」

 俺はどことなくこれ以上昔のことに首を突っ込むことに胸が痛くなり、話題の方向を少し変えるためにフィーアに質問を投げかけた。先ほどの口ぶりから察するに、彼女はシゼルを知らないようだった。幹部だというなら、一兵卒であるフィーアが知らないはずがない。

 フィーアはうーんと唸りながら、顔をしかめて考えていた。

「さっきからそれを考えているんだけど、聞いたことがないのよね。そのシゼルって人」

 はてはて、と困った顔で言うフィーア。

「そもそも、PSHRCIの幹部連中が何人いるのかなんて、私のような下の人間にはわからないわよ」

「おいおい……そんなんでよく統制ができてんな」

 俺は少し皮肉めいたことを言った。コロニー襲撃だのエデン戦役だの、統制が効いていないとできないようなことばかりしてやがるからな。

「指導者である導師が、姿をほとんど現さない。その代わりを務めているのが、ウルヴァルディと呼ばれる男だ」

 ジョージさんはそう言った。

 ウルヴァルディ――それだけ、幹部としては有名な人間のようだ。フィーアからその名を聞くまでは全く知らなかったが。

「あの人が、組織の指導者的役割を担っていると言っても過言ではないわね。導師の言葉を各師団に伝達しているのも彼だし、さすがのエルダも指示には従っていたから」

 独断行動が多いエルダがね――と付け加え、フィーアは小さくため息を漏らしていた。


「……そう言えば、一つだけ」


 何かを思い出したかのように、彼女は俺たちを見渡した。

「何年前だったか忘れたけど、ウルヴァルディから聞いたことがある。特殊なエレメント能力者が加わったって。たしか……“錬金術師(アルケミスト)”だったかしら」




  31章

  ――哀しみと憎悪の狭間――





 目的地のコロニーまで、あと6時間ほどとのこと。シゼルによってワープ航法に障害が生じたらしいが、彼女が消えることによってそれも解決したらしい。

 シゼルはどうやらここ数年、世界各地にあるカムロドゥノンを襲撃し、テロ行為をしている人物なのだという。怨みでもあるかのように、施設を破壊し多くの人を惨殺し続けているようだ。全て彼女一人でのことらしく、奴の無限に出現してくる数多の兵器群を考えれば、なまじその表現は間違っていないと思う。奴一人で一個師団並みの戦闘力があると言えるのだ。

 一個師団並み――昔、PSHRCIが他の武装組織と大きく違う点として、“幹部の戦闘力が一個師団と同等、或いはそれ以上”であるということだと教えられた。SD950に起きたエデン戦役では、敵方の幹部一人に地上部隊が殲滅させられかけたと聞く。あまりにも驚異的な戦闘力を持つため、それから各国もSICも、PSHRCI掃討作戦のような“攻撃を仕掛けるプロジェクト”をしてこなかった。それが最近の襲撃事件のような“後手後手”に繋がっているのだ。


「それにしたって、最近あんた、いいとこないわね」


 艦内の上層ブロックに庭園があり、俺はそこで一人、訓練――もとい、筋力トレーニングをしていた。そこをまさに、後ろのベンチで足を組んで座って見ている“奴”に言われたのだ。

「……何見てやがる」

「べっつに。ただそんなことが、エレメントで筋力をある程度コントロールできるあんたに意味があるのかどうか、疑問に思っただけよ」

 それはあながち間違ってはいない。エレメントのコントロールがうまくいけば、細い腕をした女でも車を片手で持ち上げられるくらいのことはできる。シゼルが俺の剣を防ぐことができたのも、おそらくエレメントによるものだろう。

「確かにそうかもしれねぇけど、基礎トレーニングを怠けてるとうまく扱えなくなることはよくあるんだよ。ここ最近、何かと立て続けに問題があったから、少しでもやんねぇとな。基礎は怠るなってことだ」

 俺はそう言って、遊具であろう鉄棒を使って懸垂を始めた。

「ふーん」

 フィーアは頬杖を突き、つまらなさそうな吐息を漏らして目を細めていた。いたって普通な返答をしたので、面白くなかったということだろうか? 俺がこいつを楽しませる義理もないのだが。

「なんか気になることでもあんのか?」

 と、俺はどことなく彼女の意味深な態度が気になってか、そんなことを言ってしまった。

「……今から行くコロニーにある施設なんだけどさ」

 抑揚のない声で、彼女は続ける。


「重力研究特別機関、ていうのがあるのよ」


「重力……機関? なんだそりゃ」

 そんなもん、あるなんてこと言ってたか? 何かの研究施設があるとは言っていたが。

「“Gravity research special institutions”―――通称“GRESI(グレシイ)”。聞いたことない?」

 表情を変えず、彼女は問い返した。グレシイ……? はて、そんなものは聞いたことないな。俺は「いや」と、首を振った。すると、フィーアはため息交じりに「そっか」と言って、ゆっくりと頷いた。どこか落胆したような――そんな感情が見え隠れするのは、俺の気のせいだろうか。だが、なんとなく気になってしまうので。

「それがどうかしたのか?」

 と、少しだけ間を置いて訊ねた。

「……GRESIはSIC内に置かれる、特務機関の一つ。その名の通り、主に宙域内にあるコロニーの重力に関する研究を行っている機関」

「名前からして、そうなんだろうな」

「表向きはそうだけど、本当はもっと別の研究を行ってる。それはかつて、ベツレヘムで行われていた研究と同じものなのよ」

 ベツレヘム……それはたしか、こいつの住んでいたコロニーだ。15年前、CNによるブラックホール生成の実験に失敗し、コロニーそのものが消失した事件だ。ベツレヘムの名を出すということは、そういった可能性があるということなのだろうか。

「……つまり、同じような研究機関がある冥王星のコロニーには、そういった危険があるって言いたいのか?」

「そういう意味になるかしらね」

 こくりと、彼女はゆっくり、大きく頷いた。

「SICの拡大派が建設し、研究を行っているのだとすれば……15年前のように、何か“危険な実験をしようとしているんじゃないか”と思ってね」

 フィーアは再び、目を細くして俺の向こう――空色に染められた庭園の壁を見つめていた。心配しているのか、それとも憂鬱な気持ちがなんとなくあるのか、いまいちはっきりとしない表情だった。サラやディアドラのように、顔に出る人間ならばどういった心境なのか、ある程度推測することはできるのだろうが、彼女・フィーアに限っては、そううまく心の一部を掴むことはできない。気付かせないようにしている、或いは気付いてほしくない――もしかしたら、両方の考えが混ざっているのかもしれない。


「……ま、何があるかどうかなんてはっきりとしたことはわかんねぇけど」


 俺は「よっと」と言って鉄棒から手を離し、草むらに着地した。

「俺たちはただサラを助けに行って、。それ以上のことはしねぇし、メアリーの兄貴とお前の仲間をぶちのめしてからズラかるさ」

「……そりゃ、賢明な判断だね」

 フッと微笑んだ彼女は、俺から視線を外して遠くを見た。いつもとは違う雰囲気――何か引っかかりはするが、それからフィーアとの会話はなかった。俺はその後、再び懸垂を始めて黙々と行った。時折、フィーアの視線を感じることはあっても、お互いに声を投げかけることはなかった。

 俺からしてみれば、思い悩んでいるのだとしたら、あまり触れないでおこうという至極普通な心理だった。彼女は――どうなのだろうか。深くまで訊いてほしいのか、触れないでほしいのか。他人の心の大地に、簡単に踏み入ることは、あまりしたくはないし、してはいけないと思う。それは俺自身が、自分の中のテリトリーに深く入り込んでほしくないから。



 ――怖い顔してるよね。何か変なものでも食べたの――?



 失礼な奴だな、と俺は“彼女”に対して言った。あいつはなぜか俺に対し、からかうようなことを言うことが多かった。それは当時、FROMS.Sの人たちを数百人殺した俺を避けている人たちが多かった中、特別なことだと感じるには簡単だった。

 あれはまだ――13か、14歳だっただろうか。あの時の彼女の笑顔が、忘れられない。



 シャーレメインは予定通り、コロニー“プルート02-β”に到着した。太陽系最果ての惑星「冥王星」の軌道衛星上に建設されたコロニー群を「プルート」と呼び、02-βはその2号衛星になる。太陽系外の星々とを繋ぐ“門”としての役割を担っており、軍部の関係施設が多数存在する。また野党である拡大派の拠点の一つとも言われ、ヴァレンシュタイン局長の御膝元であるというのが、ローラン情報なのだ。


「ひっさびさに来たけど、相変わらず湿気た街だねぇ」


 宇宙空港から街中へと出ると、ローランは立ち止まってそう言った。上空は薄黒く淀んでいて、コンクリートで埋め尽くされた市街地と相まって、堅苦しさが伝わってくる。彼の言う“湿気た”というのは、それというよりも住民の雰囲気なのだろう。

「他のコロニーに比べて、軍部関係の建物が目立つな」

 俺はカールが小型パソコンで空間に出力したこのコロニーの地図を見ながら、呟くように言った。俺たちが入ってきた宇宙空港とは別に、軍港が3つもある。更にはFGI社の支社に兵器工場。それだけでも、テロ組織に標的とされるには十分なものだが、有事の際に対応できるように、軍部直轄の基地があちこちにあるのだ。基本的に太陽系内のコロニーは大小様々ではあるが、一つのコロニーに複数の軍の基地があるということはあまりない。例外として、セフィロート・ルナ・ジュピター、そしてここプルートには重要施設群があるとして、多くの基地が設置されている。用心のためもあるが、それだけ重要な研究などが行われているということでもある。

「それでは、予定通りに別行動と行こうか」

 俺たちの先頭で歩いていたジョージさんは立ち止まり、振り返った。

「それじゃあ、メアリー。頼んだよ」

「……はい」

 ジョージさんはニコニコしながら言うが、メアリーは表情を変えず素っ気なく頷いた。


 まずジョージさんがこのコロニーの中央政務局へ行き、例の工業衛星への渡航許可をもらいに行く。既に先日、工業衛星の視察という名目で申請を出しており、カムロドゥノン支部のトップであるジョージさんが断られることはない。ただその際、おそらく付き人として同行できるのは一人のみ。それはセシルで決定されている。もちろん、SICの派遣するSPが付けられるだろうが、それでは俺たちが行くことができない。そこで、ローランが以前、仕込みを入れといたのだという。

「ここと工業衛星を繋げている定期船、まぁ一種の軌道エレベーターなんだけど、そこの警備員を買収させていただきましてね」

 今から3時間ほど前、応接間でローランは得意げに片方の口角を上げて、ニヤッとしていた。つまり、俺たちはまたもや忍び込むということになったのだ。

「やれやれ、飽きないねあんたたち」

 呆れたように言って、フィーアはため息を漏らす。

「ウキウキとセフィロートの軍部本拠地に乗り込んで行ったのは、どこのどいつだ?」

「連続ですると、さすがの私も飽きてきちゃうわよ」

「……」

 何言ってんの? と俺を馬鹿にするような目で見るこいつを、ぶん殴りたくなったのは言うまでもない。

「でも俺を入れて……えぇっと、7人か。ちょっと大所帯だなー」

 うーん、とローランは頭をかきながら唸っていた。たしかに俺たちチルドレン5人にフィーアとローラン、忍び入るには少々人数が多すぎる。

「仕方ない、戦闘になることも踏まえて、俺とゼノちゃんとディン、3人で行きましょうかね」

 彼は俺とディンに目をやり、そう言った。戦闘能力の面から考えると妥当だが、意外だな……てっきり、フィーアも連れて行くもんだと思ったが。

「ディアドラちゃんたちは、悪いけどうちの支部で待っててよ。あ、もちろん連絡は随時取ろう。何かあった時、支部の人たちにも助けてもらわないといけないからさ」

 ローランは優しい口調で、ニコニコと彼女たちに言った。特段、気にはしていないだろうが――作戦遂行のこととなると、こんな状況ではやはりディアドラたちでは荷が重いと判断されたのかもしれない。

「あらま、私もお留守番かしら?」

 と、フィーアがどこか不満そうな視線をローランに送っていた。それに対し、彼は「やっぱりなぁ」といったような、困った感情を混ぜた笑顔で対応する。それにしても、ほんの数日しか一緒にしかいないってのに、ローランは俺たちの性格を把握するのが早い。……それだけよく見てるってことか。

「そうだねー、本当は一緒に行ってもらいたいところだけど、一応君は“あちら側の人間”。念には念を入れて、という意味」

 ニコッと微笑んで、ローランは言った。

「……ま、別にいいけど」

 納得するに見えたが、彼女は「ただ」と小さく付け加えた。


「“あの子”は連れて行かないの?」


 ローランをその紅い瞳で見、首を小さく傾げるフィーア。あの子……? よく意味が分からず、俺は隣にいるディンと目を合わせ、頭を傾げた。


「……まさか、メアリーのことを言っているの?」


 フィーアの質問に対し、どこか自信なさげにディアドラが問い返した。すると、それに答えるようにフィーアはまぶたを閉じ、何も言わなかった。

「メアリーは重要な参考人だ。SIC側も彼女の持っている情報を手放したくないはず。わざわざ敵側の陣営に連れて行く危険を冒す意味は、あまりないと思うんだけど」

 カールは宙を眺めて、考え込む仕草をしながら言った。

「メアリーちゃんを連れて行けば、一種の交渉材料になる――ってところかな」

 と、ローランは自分の顎を触りながら言った。交渉、ということは……。

「彼女のお兄さん、チャールズがいると仮定してのものですか?」

 今度はディンが答えるようにして言う。

「サラがいる可能性は高い。つまり、首謀者のチャールズもその場にいるのは明白だ。交換条件として、もしかしたら応じるかもしれない」

「……そうかぁ? あの時、奴はメアリーを放っていっただろ。その交渉に応じるとは、とても思えないが」

 あの打ち捨てられたコロニーで、チャールズはメアリーを見捨てたように感じた。……あまり兄妹間の信頼が大きいとは思えない。

「たしかに、交換に応じない確率の方が高い。でも、彼女を連れて行くことによって、交渉ができる可能性は高まると思う。それに、チャールズの今回のことに関する真意も探ることができると思うし」

 それは一理あるかもしれない。俺たちだけで相対しても、力ずくで奪い返そうとして戦うことはあっても、穏便に会話ができる状況なんてできるはずがない。それならば、メアリーを連れて行くことで“交渉できる場を設ける”ことはできるかもしれない。

「どちらにしても、戦うことは避けられないとは思うわよ。あちら側も端っから交渉する気なんてないだろうし」

 フィーアはお手上げ、のようにして手を広げた。それじゃ、どういう意味でメアリーを連れて行けと言ったんだ、こいつは? そんな疑問をぶつけようとした矢先、

「……そうか、たしかに彼女は必要かもしれない」

 ポン、と手を叩いてノイッシュは言った。

「どういうことだ?」

「メアリーは封呪式エレメントを扱える。あれって、エレメントの中でも術式がかなり難しいやつだろ? それを彼女はほとんど詠唱なしで発動できる。大きな騒ぎを起こさず、内部を詮索するにはもってこいの能力じゃないか」

 ノイッシュは目を輝かせて言った。そう、たしかに俺たちを苦しめたあのエレメントは、そこらのチルドレンだけでなく、軍人でも扱うのは難しいものなのだ。封呪を解くには、施術者よりも高いエレメント能力がなければできないと言われている。おそらく、メアリーはFROMS.S内でもトップレベルのはず。その気になれば、チャールズを捕えることもできるかもしれない。しかし――。

「彼女が協力してくれるか、だな」

 と、ディンはため息交じりに言った。俺たちと同行するということは、俺と協力するということだ。憎んでいる俺を。

「ま、考えたって彼女の気持ちはわからんよ。直接言って確かめるしかないね。いずれは、しなきゃいけないことだしさ」

 なっ、とローランは俺に目をやった。普段通りに、笑みを浮かべて。まるでお前がやるべきことだろ――と言わんばかりに。

「メアリーの説得は、当然あんたでしょ」

 フィーアは不敵な笑みを浮かべて、俺を見ていた。


 やるべきこと……。


 よく考えれば……いや、考えることを避けていたのかもしれない。あの時、5年前のあの日の俺自身と、彼女の俺を見るあの瞳から。憎しみの焔がそこには宿っていて、哀しみの涙が止めどなくあふれていた。俺自身に、向き合うことでもあるのだろう。





 彼女をセフィロートに置いておくのは危険、ということで、シャーレメインの特殊独房室に入れられている。そこは一種のエレメント術式が施されていて、エレメントを発動することはできないようになっており、ここで襲われることはないだろう。だから、俺は一人で来ているのだ。

 群青色の鉄格子の扉に付いている、昔ながらの南京錠を外してもらい、扉を開けた。

「何かあったら言えよ。ま、何かあっても自分でどうにかしなさい」

「……あんた、最初っからそう言えよ」

 なははは、と笑ってローランは俺の肩を軽くこずいた。

 俺は10平方メートルほどの独房に入ると、それと同時に後ろの鉄格子も鍵を掛けられた。ローランは「バイ」と言って手を振りながら、奥へと下がって行った。

 鉄格子と同じ、群青色の独房室の片隅に、収容されている人間のためとは思えないほど、きれいで真っ白なベッドが用意されており、反対の隅にはトイレへ繋がる扉があった。メアリーはベッドに座り、俺をじっと見ていた。


「何か用?」


 そのままで、はっきりとメアリーは言った。

「用がなきゃ、わざわざ会ったりしねぇよ」

 思わず、俺は視線を逸らして苦い顔をした。どうもこういうのは苦手なんだけどな……。

「端的に言う。今から俺たちと一緒に、あのコロニーに行ってもらいたい」

「……だと思ったわ」

 鼻で小さく笑い、彼女は少しだけ横へ目を移す。

「で? 私に兄へあの子を返してって言わせたいの?」

 皮肉めいた言葉。だが、どこかそれは彼女自身に向けられているような気がした。見捨てられた――と、本人も感じてしまっているのかもしれない。

「それもある。実際のところは、俺たちの協力をしてくれないか、ってことだ」

「……!」

 メアリーは驚いた表情を浮かべた。無理もない、まさか俺だってこんなことを言うことになるなんて、夢にも思わなかったのだから。

「私に協力しろ、だって? 私が、あなたに手を貸すってことだよね?」

「まぁ……そういうことになる」

 否定はできない、結果的にそうなるのだから。

「馬鹿じゃないの? あなたに父親を殺された私が、そんなことをするわけないじゃない」

 メアリーは嘲笑しながら、頭を左右に振った。

「……私があなたたちに付いてきたのは、あのコロニーまで行くため。ただそれだけよ。協力するつもりなんて、これっぽっちもないわ!」

 彼女は立ち上がって、俺を強く睨みつけた。それと同時に、声の音量も上昇していた。不思議と、そう言う風に見られても、声を張り上げられても、動じない自分がいた。何を言われようと、今ならばなんだって平気な気がしていた。

 だから、思ったことはすぐに言える。怖気ずに。

「俺は――お前に許してもらおうとは思わない。……というよりも、許してもらえるとも思っていない」

 声を落ち着かせ、俺は彼女とは反対に冷静に話し始めた。

「あれだけの人を殺して、俺を許してくれる人なんていない。あれが命令だからって、俺たちの義務だからと言って……された側からすれば、そんなことで済む話じゃない。それは俺だってわかってる」

 俺はずっと、彼女に睨まれていた。優しい翡翠色の瞳には、俺に対する憎悪を孕んでいるのがよくわかる。だが、それから背けずに、俺もじっと彼女の双眸を見つめた。


「だけど、過去のことに対して……申し訳ないと思っている。本当にすまない」


 大きく、深く――頭を下げた。そんな行為をするなんて、誰もが想像できなかったと思う。

「……は……?」

 目を瞑り、俺はただただ頭を下げていた。その時微かに聞こえたのは、彼女の声にもならない声が、少しだけ漏れていたものだった。


「ふ、ふざけないでよ」


 震える声。それはさっきまでの彼女の感情とは、違うものを映し出しているものだった。戸惑い――それだけが、その枠にはめられる表現だった。

「あなたは――ゼノ=エメルドは! 人殺しの大量殺人鬼で、私の父を殺した! チルドレンだからって……SICの許可を得ているからって、世界から許されている!」

 怒声を上げながら、彼女は俺の肩を持って頭を上げさせ、胸ぐらを掴んだ。その手から彼女が微かに震えているのがわかった。

「それが許せないのに……どうして謝るのよ!?」

「…………」


「ふ……ざけないで!!」


 彼女は俺を強く押した。すると、俺は壁に押し付けられる形になった。

 謝罪したために、彼女は混乱していた。たしかに、以前だって“任務だから”“お前たちのしていたことが犯罪だったから”と、俺は自分のした行為について、謝るなんてことはしなかった。

「私はあなたを、あなたたちを殺すことが目的で、エレメントの訓練だってして、慣れない銃の扱いだって勉強して……でも、これじゃあ……これじゃあ、私、どうしたらいいのよ!!」

 俺よりも年上であるはずの彼女は、普段の冷静さなど微塵も感じられなかった。あのフィーアに嫌味を言われたって、跳ね返すことができるほどなのに。俺や父親のこと、あの事件のことになると、感情が高ぶるのだ。それだけ“あの時のことは”、彼女にとって大きな傷痕になってしまっているということ。それもこれも、俺が引き起こしたことだ。それを断ち切ることができるのもまた、俺であるのかもしれない。


 ――勇気と自信を持って、前を向けばいいんだよ――


 何気ない彼女の言葉が、ふと蘇る。どこぞの本にでも載っていそうな言葉を、よく口に出せるもんだなと思うが、それは時として言葉通りの力を与えてくれる。今がまさに、そうなのかもしれない。

「絶対に殺してやるって――今でも思ってるのに……どうしてよ……、どうして……!」

 今度は彼女が頭を俯かせた。どうして、か。

 大きく心情が変わったわけでもない。そう思う。

「……以前と何かが変わったわけじゃない。たぶん、俺は戦場に出れば……多くの敵がいれば、殺していると思う。お前が思っているように、俺は戦う人形なのかもしれない」

 そう言って、俺は俺の胸元を掴んでいる彼女の手を、覆うようにして手を重ねた。それに驚いたのか、彼女はバッと顔を上げて俺を見た。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。さっきよりも、その翡翠の双眸はこの部屋の光を反射していていた。

「だが、あの時の俺は……たしかに、殺しを愉しんでいた。だからお前の殺人鬼って表現、間違っちゃいねぇんだよ」

 俺は思わず、ハハハと笑ってしまった。それはあの時の自分に対する嘲笑だった。

“哀しい戦闘兵器”と言ったジェームズ。あんたの言葉、正しいのかもな。

「償えるとは思っていない。だけど、お前に謝らなければ……先へ進めないと思ったんだ」

「……私に協力してもらうために?」

 あのままの瞳で、彼女は言った。

「私を利用し、ただ事柄を前に進ませたいだけ。どうせ利用価値があるかどうかだけでしょ?」

「それは……否定しない。今回のことは、切っ掛けでしかない」

 そう、切っ掛けに過ぎない。遅かれ早かれ、俺は“メアリー”という人物から逃げてはいけないのだ。あの時の俺も、俺自身。そして、あの時の俺というのは、未だに潜んでいるのだ。

「そう思われても、俺はお前に頼みたい。力を貸してほしい。あいつを助けるため。今、起きていることの真実を知るために」

 彼女の手に乗せている自分の掌を、下に押した。すると、彼女は掴んでいた手を離し、表情も徐々に劇場差が失われていくように感じた。

「どうして、銃口を向けた私に……そんなことを言うの?」

 あの時のメアリー。俺を殺すために、サラを人質にも取った。


「……私は……」


 どこか力なくうなだれ、彼女は小さく頭を振った。

「正直、わからない……。兄が何をしようとしているのか、父がなぜ殺されたのか……それを知りたいとは、もちろん思う」

 でも、とメアリーは言葉を詰まらせた。

「私はあなたを殺すことだけを目標して、この4年間……生きてきた。でもどこかで、それは違うような気がして……。あなたにあんなこと言われて、私のしていたことが無駄だったとしか思えない。それさえも、悔しくて……憎くて……!」

 下ろした拳が強く握りしめられ、再び小さく震えているのが見えた。たくさんの想いや感情が、今、あそこに渦巻いているのだ。それに苛まれ、己の立つ場所を見失っている。自分の生きるための指針を、どこかに置き忘れて。

「どうしてあなたは、私の生きてきた意味さえも奪おうとするのよ! これじゃあ、いつまでも恨みごとを言っている私が馬鹿みたいじゃない……!」

 彼女の涙が、群青色の床に落ちて飛沫が飛んでいく。いくつも、そこへ落ちていく。

「無駄かどうかだなんて、まだわかんねぇさ。無駄なんてことは、そもそも一つもないはずだから」

 理由がどうであれ、努力して身に付けたものは無駄にならない。戦いを愉しむために修得した技術も、身を護るために会得したエレメントも、出世するため、復讐するために覚えた特技も。


「俺はあいつを――サラを助けたい。それだけは、どうか信じてほしい。だから、俺たちの“闘い”に協力してくれないか? ……メアリー、お前の力が必要だ」


「…………」

「憎んでいてくれて構わない。ジェームズを――FROMS.Sを潰そうとしたその真意、それを知るまででもいい。それが終わったら、銃口を向けりゃいいさ」

 こんな言葉で、納得してくれるとは少しも思わない。それでも、真実を知るための“闘い”に参加してほしいのだ。それは紛れもない、偽りもない俺の本心だ。

 メアリーは俺の顔をじっと見ていた。若干の涙は浮かんでいるものの、俺の双眸の奥底を見つめているような、心に嘘という混ざり物がないかを確認しているように見えた。

 お互いが強い眼差しを向け合い、言葉を交わさない“見えない何か”の確認をし合っているようだった。


「……なら、こうする」


 俺を見つめたまま、彼女は口を開いた。さっきまでとは違う、冷静な口調で。

「あなたがその“真実”を見つけ出せるその時まで、私は一緒に付いて行こう」

 彼女はこくりと、頷いた。俺もまた、同じようにして頷く。その代わり――

「その代わり……あなたがその“真実”に負けてしまうようなら……」

 その瞬間、彼女は身に付けているコルセットから潜めていたであろうナイフを取出し、俺の首に添えた。


「その首、掻っ切ってやる」


 刃のひんやりとした冷たさが、首から血中へと流れ込んでくる。でも、彼女の気持ちもそこから伝ってくるようにも感じる。


 ――諦めるな、それまでは一緒に闘う――


 都合のいい解釈なのかもしれない。でも、彼女の真意がどうであれ、さっきの言葉は本気なのだろう。

「――わかった。頼むぜ、メアリー」

 俺はフッと笑い、強く、彼女の顔を見た。彼女も同じように、強く俺を見た。


 彼女は木枝や葉っぱの先にある雫をふき取るように、目を閉じて瞼の上を拭った。


「よろしく頼む、ゼノ」




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