30章:千手の造形主②
飛び交うミサイル、宙を高速で移動しながら俺たちに迫ってくる。俺たちはそれらをなんとか避けつつ、どうやって近づこうか考えていた。飛んでくる攻撃が多すぎて、なかなか奴の方へ進めないのだ。
それにしたって、あれはいったいどういう仕組みなんだ? 仮に錬金術とかのような類のものならば、等価交換――無から有を創ることはできないはず。だが、あいつの周囲に光が現れたかと思うと、それが形を成して“兵器”になっているのだ。一種のエレメントなのかもしれないが……それにしたって、あれだけの量を長時間“創り続ける”ことは不可能ではないのだろうか。
「おらおら、さっきから逃げてばっかじゃねぇか!」
奴は手を掲げて、光を放った。それは瞬く間に機関銃となり、大きな音をリズミカルに出しながら銃をはじき出した。すると、ローランが大剣を使って再び防壁を創り出し、防いでくれた。
「やれやれ、攻撃が止むことはないみたいだね」
こんな状況でも落ち着いている彼は、どうも奴のこの攻撃に慣れているように感じる。敵意を丸出しにしてローランと口論している様は、昔からの馴染みに見えた。
「あれはどういう原理なんだ? あれじゃあ近づくことができねぇぞ」
さっきみたいに高出力のエレメントでも放てば、兵器をブッ飛ばしていけることはできるが、離れすぎているために防壁を出す時間があり、防がれてしまう。見るからに、奴は今のところ遠距離攻撃のものしか出していない。それならば近接で攻撃をし、反撃ができる隙を与えないようにやるしかない。
「原理? あれはだなぁ……っと、そろそろ防壁が消えてしまうな」
ローランがそう言うと、たしかに翡翠色の膜はさっきよりも薄れているように感じる。
「奴の兵器は、あるタイミングで攻撃のリズムが変わる。ずーっと連続で出し続けることはできない。そのリズムが切れる時に、左右に分かれるぞ」
彼はニッコリと微笑み、そう言った。
「俺が挑発して攻撃を引き受けるから、その隙に君は近づくんだ。OK?」
「……あんたの作戦に乗るのは気に食わんが、シンプルにそう行くしかねぇだろ」
ふん、と俺は鼻を鳴らして前を見据えた。たしかに、あの攻撃群はどこかのタイミングで切れる場所がある。その時を見計らって、動くしかなさそうだ。シールドをLv7ほどに出しておけば、ミサイルくらいは何とか防ぎながら移動ができるだろう。シールドLvを上げすぎると、こっちは動きが遅くなってしまうのだ。
「さっきから攻撃を防ぐだけで、なんの小細工もなしか!? つまんねぇ野郎たちだなてめぇらは! それでも男のチンコ持ってんのかぁ?」
「……ひでぇ言われようだな」
「うむ。レディとは思えん言葉だ」
と、ローランは頷く。うむ、ってなんだよ……。
「セシルのお姉さまとは思えんよなー、本当に姉妹かしら」
「……は?」
セシルのお姉……って、え?
「よし、今だゼノ!」
呆気に取られた瞬間、ローランは左へと動き出した。後れを取ったものの、俺は右方向へ走り抜け攻撃を回避することに成功した。
「シゼルちゃーん! いつもながらに思うけど、ちょっとスカートの丈短すぎなーい?」
ローランは両手でメガホンのような形を作って、大声を放った。挑発ってそれかよ……。てか、そんなもんで引きつけられるのかと疑問に思う。
「はぁぁ!? 見てんじゃねぇ! このエロエロボケカス魔神がァァ!」
「おおっほぉ! 今日のシゼルちゃん暴言マックスゥゥ!」
シゼルは鬼の形相になり、ローランに向けて手を広げた。そこから放たれる、無数の弾丸。なぜか満面の笑みを浮かべて走ってゆくローラン……。
てか、釣られてやがるし……。まぁ、チャンスと言えばチャンスなのだが、ちょっとやる気にならないのはなぜだろうか。
俺は攻撃が飛んできていないことがわかると、シールドを最小限の大きさにし、最大速度で奴に接近した。
「!?」
「引っかかってんじゃねぇよ、暴言女」
俺は走りこみながら低く屈み、素早くグラディウスを切り上げた。キィィン――という高い金属音が鳴り、その剣撃は奴の胸に達する直前で、止められてしまっていた。
「何っ!?」
「あたしが接近戦、できないとでも思ってのかよ?」
不気味な笑みを浮かべ、奴は言った。俺のグラディウスを阻んでいるのは、歪な形をした刃だった。真っ直ぐな刀身の反対側に、牙のように尖っている箇所がいくつも出ている。まるで巨大な牙かのように。
「てめぇ……女とは思えねぇ力だな」
俺は眉間にしわを寄せながら、笑みを浮かべた。それは一種の強がりと言えるものだった。俺が切り上げようとしているのに、それを阻む刃を握りしめる奴の力は、俺と同等か――或いは、それ以上かもしれない……!
「この体を見て非力だと思ったか? そんな単純な思考回路、肥溜めにでも捨てちまえよ」
「……その口の悪さ、フィーアが可愛く思えてくるレベルだな」
「あぁ?」
思わず、俺は呟いてしまった。それと同時に両手で一気に押し上げ、無理やり上空へと飛ばした。俺は跳躍し、奴に切り掛かった。
「おっと、乱舞かい? いいねぇ!」
その攻撃を歪な刃で受け止めると、女はにやりと笑った。
「調子に乗んなよ、ピンク頭!」
俺は高速の連撃を繰り出した。奴もそれに合わせるかのように、刃を振るう。いくつもの金属音が鳴り響き、耳を突き抜けていく。
「おらァ!」
きた、大振り――!
奴は横一文字を繰り出した。俺はそれを体を仰け反らせて避け、その流れでエレメントを纏った蹴り上げを奴の太ももにぶつけた。
「くっ!」
「喰らいな!」
奴は上空へさらに上がり、俺は反動で逆に下方へ飛び、今度はエレメントの斬撃を重ねてブッ飛ばした。十字の衝撃波と、もう一本大きな縦の衝撃波だ。
「はん、その程度の攻撃なんざ!」
すると、衝撃波の行く先に最初に出てきていた大きな壁が出現した。あいつ、空中でも出せるのか! だが――甘い!
「!? 防ぎきれない――だと!」
俺の衝撃波は奴の壁を十字に切り裂き、直撃した。エレメントは防がれたかもしれないが、装甲を切り裂く俺の衝撃波は無理だったみたいだ。
衝撃波が当たるのと同時に奴は更に上空へ飛ばされ、最後の衝撃波が追い打ちを掛けるようにぶつかる。空気が弾けるような音が響き、シゼルは10メートル以上飛ばされていった。
「ちっ、やるじゃねぇ――」
「……さすが、ローラン」
奴は目を見開き、言を止めた。なぜならば、彼女の上空にはコートをまとった男が、まさにその大剣を振り下ろした時なのだから。
何かが切れる音ではなく、黒く重い物質をぶつけられた時のように鈍い音が耳に届く。それはローランの大剣が為すものなのだろう。大剣に叩きつけられたシゼルは、勢いよく地面に激突し、その衝撃で粉塵が舞い上がった。そして、ローランは宙に浮いたまま――そういったエレメントを発動したのかどうか定かではないが――、銃口を彼女が落ちた先へ向け大きな発射音と共に、銃弾をぶち込んだ。一瞬にしてそれらは地表に激突し、爆発でも起こしたかのように轟音を上げ、粉砕された地表の瓦礫たちが舞い上がっていく。ローランは空中でくるっと一回転して体勢を立て直し、そのまま真下へ落ちるのではなく、風に押されているのかと思う形で移動し、俺の真横に降り立った。
「ふざけて挑発してるだけじゃねぇんだな、あんた」
俺がそう言うと、彼は子供のような笑顔をして見せた。
「多少は、ね。でも、これくらいじゃああの子は止められないけど」
その言葉の通り、粉塵が舞っていた場所から砕かれた地表の破片などが周囲に吹き飛ばされ、少女がゆっくりと立ち上がってきた。少しだけあざができているように見えるが、それ以外に怪我はないように見える。それなりに攻撃を受けたっていうのに、奴の表情は苦痛に歪んでいるわけでもない。ほとんどダメージがなかったのだ。
「……まどろっこしい奴らだぜ。そんなぬるい攻撃じゃ、あたしは止められねぇよ」
笑みを浮かべ、奴は舌なめずりをした。俺たちのシールドのような、防御壁でも出していたのかもしれない。……そうだとしたら、奴もそれなりのエレメントを扱えるということになる。
「そもそも、あたしが相手にしたかったのはてめぇじゃねェんだ」
そう言って、シゼルはローランを指差す。
「ふーん、じゃあゼノに用があったのかい?」
ニコニコしながら、ローランは言葉を返す。その問いに、シゼルは目を細めてほくそ笑む。
「ゼノともう一人だ。ゼノだけ“見たかったわけじゃねぇんだ”」
俺だけではなく、もう一人……?
「わかんねぇかよ? あの“女”の名前を出せば、てめぇらは確実に釣れると訊いたんだけどな」
訝しげな表情を浮かべる俺に対し、シゼルは鼻で小さく笑った。
――あの女……だと?
「……お前、ラケルを知ってんのか?」
俺は奴を睨みつけた。
「そうだとしたら、なんだって言うんだ?」
「なぜあいつを知っている? あいつは、もう――」
俺は言葉を詰まらせ、思わず顔を左右に小さく振った。あいつの名を出せば釣れる――という言葉から察するに、ディンのことを言っているのだろう。あの面子で、ラケルに大きく関わりがあるのは俺とディンだけなのだから。
「あたしにとっては“どうでもいいこと”なんだよ。言われたとおりにしてみりゃ、釣れたのは片方だけ。余計なもんが一緒に来やがって、こちとら計画が台無しなんだよ」
ため息を混じらせながら、シゼルは手を軽く広げて言った。
「それはつまり――誰かに言われて、“ラケル”の名を出したってことか?」
俺は奴を睨むようにして、じっと見つめていた。
「そういうことになる。だったら、なんだって言うんだい?」
「……お前はGH――PSHRCIか?」
俺がそう訊ねると、シゼルは小さく鼻で笑った。
「これでもあいつらと同じ“幹部”なんだがね。だけど、てめぇらネフィリムのことなんざ興味なかったから、わざわざ“エサ”を撒く必要性があったんだよ」
シゼルは頬をポリポリとかきながら、俺を見つめる。
「たしか……CG値1200オーバーだったか? ゼノ=エメルドとディン=ロヴェリア――あの“我執の老いぼれ共”が数百年待ち望んできた逸材としては、適切な数値ってところだ」
「……老いぼれたち……?」
俺たちを待ち望んでいた? それは――たまに聴こえる“あの声”の主のことなのか?
すると、シゼルは大きく手を広げ、灰色の空を見上げた。まるで、何かの恩恵を享受するかのように。
「始祖によって分かたれた“セフィラ”、それを求めて彷徨い続ける哀れな哀れな魂たち。救いを求めて、現世に憎しみと怨嗟のため息を吐き散らしながら、そのくだらねぇ命を削って生きてやがる。無駄な労力だと思わねぇか、なぁ?」
何に対しての同意なのか――よくわからず、俺はただシゼルをじっと見つめた。二対一だというのに、この余裕はなんだ?
「……んなこと、どうだっていい。そんなことより、お前にラケルのことを教えたのはどこのどいつだ? SICの連中か!?」
奴の問いを掻き消すかのように、俺は大きな声で訊ね返した。
「SIC? ……あぁ、あのオッサンのことか」
シゼルはふーんと頷きながら、自分の結ってある髪の先を指で弄り始めた。
「仮にそうだったとしてさ、どうなるってんだい? カムロドゥノンとつるんでるってことは、誰が仕組んだことなんてわかってからだろ。てめぇの質問はなんの意味も成さねぇってことだ」
クククと笑いながら、シゼルは口角を上げて言う。
「あたしはてめぇらに興味がある。だから闘う。それ以上の意味なんざねぇのさ」
「いきなり喧嘩吹っかけてきて、理由も言えねぇようなガキに構ってる暇は、こちとら持ち合わせてねぇんだよ。俺の連れがいるかもしれねぇんだ!」
俺は歯をぐっと食いしばり、グラディウスの切っ先を奴に向けた。
「あいつを助けるのを邪魔するってんなら、容赦はしない」
サラが待っている、きっと。それを阻む奴は、全身全霊をかけてぶっ潰してやる。その気持ちを込めて、強く、奴に自分の紅い双眸をやった。
「ほぉ……言うねぇ。じゃねぇとやる気になんねェよなぁ!」
シゼルがカッと目を大きく開くと、彼女の周りに黄金色の幾何学模様をした光が下から立ち上ってきた。それらは一気に群青色の兵器群として積み重なっていく。俺もグラディウスを構えて、腰を低くした。すると――
「まぁまぁ、シゼルちゃん」
ローランが俺の前に立ち、大きく手を広げた。急にこいつは何してやがんだ? 俺は彼をどかそうと、肩に手を置いた。
「おい、ローラン。一体、どういうつも――」
「ゼノもちょっとお待ちよ」
「はぁ?」
俺の言葉を遮ると、俺に向かってウィンクをして見せた。へらへらとしやがって、こっちはすぐにでもあいつをぶちのめしたいってのに……。
「本当の目的、あるんじゃないの?」
ローランは奴に向かって、笑顔で話しかけた。それに対するシゼルの表情は、汚いものでも見るかのような、蔑視を含んだものだった。
「どうせウルヴァルディの命令なんだろうけど、ここで“確認”をして何の調整をしているのかな?」
ウルヴァルディ――!
そのウルヴァルディに情報を提供しているのが、局長ということなのだろうが……。そう考えれば、セフィロート襲撃の際、任務を請け負ったのがフィーアだということにも納得がいく。
「確認、ね」
ふん、とシゼルは鼻で笑う。
「同時に存在する、“相反する器”なんだ。興味が湧かないわけがないさ。お前の“分かたれた欠片”が言っていたんだ。本当に持っているのかどうか不安になる――ってね」
「……ということは、リンドが差し向けたってことね。やれやれ、疑心暗鬼だこと」
彼はため息を混じらせ、頭をかいていた。
「おい、一体何の話をしてんだ?」
話が見えない俺は、ローランの肩に手を置いた。二人で何も見えない資料を持ちだして、勝手に話しているようにしか感じないのだ。
「てめぇには“まだ早いお話”さ」
そんな俺を一瞥し、シゼルはクククと笑った。
「この世界は当事者たちが知らない間に、たくさんの血と涙を流して形成されていった世界だ。どこかの誰かが笑っている時、世界の端で泣いている奴がいる。世界の歯車が動き出しても、“当の本人”の手の届かないところで物語は進んでいるもんだ」
「……そんな話が、俺や今の状況に関係あんのかよ」
俺がそう言い返すと、奴は顔を小さく左右に振り、白い歯が見えるくらいに笑みを浮かべた。
「あらゆる憎悪と怨嗟、悲哀と喪失――ヒトの積み重ねてきた知識と記憶、そして個々の歴史と数多の屍で築き上げられた天空への階段……。そう、てめぇは“それら全ての頂に君臨する覚悟と力”があるかってことさ」
「それは権力者になるつもりがあるっていう意味か? さっきから、お前の言っている意味がわかんねぇぞ。そうやって、本題から話を逸らそうとしてんのか?」
俺は舌打ちをし、奴を睨みつけた。PSHRCIってのは、どいつもこいつも話したがりのようだ。大事なところを全く話そうとしやがらない。そういうてんで進まないやり口が、俺のイライラを蓄積させるのだ。
「間違っちゃいねぇさ。いつか、てめぇはあたしの“言葉の真意”に気付く時が来る。尤も、それまで生きていることができればの話だがな」
「…………」
何かを言い当てられているような、嫌な感じだ。先に起こることでも言っているってのか……?
すると、シゼルは俺たちを見据えたまま、右手を上空へ掲げた。
「もう一方がいないんじゃ、ここで“調整”と“確認”をする必要もねぇな。お暇させてもらおうか」
奴がそう言うと、掲げた右手の指の先が徐々に何かに変わっていく。――それはコンピューターの文字列のように見え、螺旋を描きながら上空へ登っていった。
「てめぇ! 逃げるつもりか!?」
「……ざけんなよ、ガキ」
シゼルはどこぞの不良がガンを付けるようにして、俺を睨んできた。ガ、ガキだと!?
「てめぇなんざ、殺そうと思えばいつでも出来んだ。あたしの力が“この程度”だと思ったら、大間違いだぞてめぇ。……死すべき時に死ぬ。それまでの間、たくさんの傷を負うこったな」
彼女の体は深緑の文字列になって消えて行っており、もう上半身しか残っていなかった。
「ティファレト――」
その時、口を結んでいたローランが口を開いた。
「君たちには渡さないよ。絶対にね」
「……ふん」
彼の言葉に何も返さず、シゼルは俺たちを一瞥した。そのタイミングで、奴はこの空間から消え去った。
「……ったく、なんなんだあの女? 自分の方が下のくせに、ガキって言い方はねぇだろ!」
収まり切れない怒りが、言葉となって出てくる。拳を強く握りしめ、俺は何かにぶつけてやりたい気分だった。
そんな俺の様子を見て、ローランは口を大きく開けて笑っていた。
「まぁまぁ、気にしなさんなゼノちゃん。シゼルはああ見えて、もう24歳なんだ。彼女からしたら、ゼノは子供ってことだね」
「24!? あの見た目でか!!?」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。ローランは俺の顔を見て、さらに笑っていた。おいおい、あれで24とか冗談だろ? どう見ても15か16、サラと同じかそれ以下じゃねぇか。
「……若作りにもほどがあるだろ……って、そんなことはどうだっていいんだ」
俺は頭を思いっきりぐしゃぐしゃにして、大きく息をついた。そうやって、あの意味不明な奴の言葉を整理しているのだ。……どうも、今回の件に関してはローランの方がよくわかっていそうだ。
「あんたがシゼルって奴とどういう関係なのかは後で聞くとして、あいつの言葉の意味――わかったのか?」
シゼルの言葉の真意。俺とディンを呼び出そうとした狙い。俺からしてみれば、まったく理解不能のことばかりだ。
「……チルドレンとして、最高の力を持つ二人の能力を確認したかったんだろう」
ローランは大剣を地面に突き刺し、小さく息を吐いた。
「チルドレンの能力はSICだけでなく、PSHRCIも手に入れたがっている。特にハイクラスのチルドレンは、そのままでも重要な戦力となるからね。それに、一般人の中から潜在的にエレメントを扱える人間を探すよりも、“能力が開花しており、アルス=ノヴァも扱える”なら、無駄に時間も浪費しないだろうし」
「奴らは俺たちを狙っているってのか? ……ハイクラスを狙うんだとしたら、なぜサラをさらう必要がある?」
あいつはロークラスだ。それでは、あいつをさらう意味がない。
「……ゼノとディンならば、助けに出ると考えていたとしたら」
ローランは自分の顎をさすりながら、目を瞑った。まるでそこにないあごひげを弄っているかのように。
「サラを人質に取ることによって、君たちを誘い出すことができる。……そう考えていても、おかしくはないかもね」
「…………」
俺たちもまた、ある種の“特別”ということなのか?
そうだとしても、俺たちの能力は身体能力とエレメント能力――アルス=ノヴァだけなはず。それ以上でも以下でもない。何か隠された能力でもあるっていうのだろうか?
――あたしの言葉の真意に気付く時が――
それがどういう意味を持つのか、俺には分からなかった。だが、シゼルの言っていたことはこれから起こることを示唆していたかのような、不思議なものだった。もしかしたら、彼女は俺が“幸福な立場”に居続けることができないと、確信していたのかもしれない。
――逃れられない運命なのだ、と。
30章
――千手の創造主Ⅱ――
「懐かしいか?」
落ち着いた、青年の声。それは冷静な大人と激情な子供、双方の雰囲気を携えたものだった。故に“青年”という表現が正しいのかもしれない。
「……そうね。古き記憶の階層に閉じられた中にあるものと、よく似ている」
彼に声を掛けられた女性は、背を向けたままそう言った。瑞々しく透き通るような若葉のように柔らかい素肌の表情には、永い時の中で培った知識を持つ老婆のように、正反対のものも含まれていた。それを感じ取る周囲の人は、おそらく彼女の年齢を知ったら驚くに違いない。
「古き記憶、か。まだその身が現世に固着していた時のものということかな」
「…………」
男は微笑みながら言った。女性はその言葉に対し、何の反応も示さなかった。だが、彼にとってはその反応こそが、一つの返答であると感じていた。それ故に、理解しているかのような笑みを浮かべているのだ。彼女もまた、そう思われていることを察しているのかもしれない。
「“あれ”は四人目、”ファースト”の遺した宝石とも言える。……あの時に失われたと思われていた存在だ。“セカンド”に頼らざるを得ないと思っていたが」
「……まだ“あそこ”にいるのか?」
彼女がそう訊ねると、男は「ええ」と返した。そう、と女性は吐息にも似た声を漏らした。
「此度の“連結”には、双方――両方を試そうと考えていてね」
「双方……? 少し性急な気もするが」
女性は少しだけ、首を傾げた。
「イシュマエルが放っておいたものだがね。これは好機とみていいだろう。議長や他の方々は異様に畏怖しているが、絶対なる破壊者――それもまた、必要な鍵の一つだ。“創世計画”にはね」
「…………」
女性は顔を少しだけ横にして、彼の顔をうかがった。結果がわかっているような、余裕のある笑み。
「私を恨んでいるか?」
彼女はそう訊ねた。その言葉の意味は、幾重にもなっているのだと男は感じた。男は少し間を空けて、目を瞑り、そして言った。
「ええ」
女性は彼を見つめ、その瞼が開くのを待った。だがすぐに、彼は私と目を合わせないということに気付き、先ほどまで開いていた画像を閉じ、部屋の外へと向かった。
自分の横を過ぎると、男は目を開けて後ろへ振り返った。さっきと同じく、自分から見えるのは彼女の背中だけ。彼もまた、彼女は振り返らないと確信していた。