23章:カナンの民
扉を抜けると、今度は薄暗い空間に出た。あまり明かりがなく、その薄暗さはどことなく寒気を感じさせるもので、なんとなくではあるが収容所――犯罪者たちを入れておくような場所に出たのだと実感した。牢獄とかには、暖かみのあるようなものなどない気がする。
「フィーア、どこをどう行けばいいんだ?」
ここに唯一来たことのあるフィーア。正直、ここでは彼女頼みだ。
「ここはたしか……区画ごとに分かれていて、私たちがいたのはその中でも最も広いD区画だった。あそこは大人数を収容する場所だったから、そこじゃないでしょうね」
人ひとり、そこに連れて行くことはないだろう。だとすれば、一人ひとりを収容するための区画――A区画ではないかと彼女は言った。そこはこの最下層区から、一番上になるのだという。
「まさかと思うが、また階段続きか?」
俺がそう訊ねると、彼女は嫌そうな顔をして頷いた。
「そりゃそうだよ。一番下まで降りて、また上がるんだからさ」
と、ノイッシュは苦笑していた。
「やれやれ、このご時世にエレベーターじゃなく階段ばかりで移動しなきゃならんとはね」
俺はそう愚痴を零さずにはいられなかった。なんたって、ここ最近登りっぱなしだからな。フィーアでなくても文句を言いたくなるもんだ。
「しょうがないさ。なんたって侵入作戦だからね。……もうばれちゃってるけど」
「……でも、どうしてゴンドウ中将にばれたんだ?」
ディンは訝しげにそう言った。
「フィラデルフィアで、中将に噛み付いただろ。目を付けられていたってことじゃねぇか?」
あれくらいしか、中将とは接点がないしな。
「それはそうかもしれないけど、だからって僕たちがあそこを通るということに気付くもんなのかな?」
「もし俺たちが侵入するって仮定していたなら、あながちわからないものじゃないかもね。だって、軍部の本部から入るか、ジオフロントから入るかの二択なら……後者にするのは、大体予想が付くんじゃないかな」
たしかに、ノイッシュの言うとおりだ。ただなぜ、“今日・この時間帯”に行動するとわかっていたのだろう。
「日にちに関してはどうにもできないだろうけど、時間帯は予測できるよ。ジオフロントの警備システムがアップロードする時間帯が最も危険だってこと、軍部の人間がわかっていないはずがないからね」
「……じゃあ、中将は毎日見張ってたことになんのか?」
俺がそう言うと、ディンとノイッシュは苦笑した。あの場所で毎日待っていたかと思うと、少し笑えてくる話になってしまう。
「ま、まぁ、ノイッシュの仮定だとそうなるね。でも、どこかで漏れた可能性――たとえば、カールのハッキングがばれていたとか。若しくは“始めから監視されていた”からだとか」
「じゃあさ、どうして彼はいたわけ?」
ふと、フィーアが言った。彼――とは中将ではなく、ラグネルのことだ。
「前回もそうだけど、彼には全てばれているってことかしら」
眉間にしわを寄せ、彼女は言った。フィラデルフィアの特別区画に侵入した時も、ラグネルにはばれていた。そして、今回も。
「“監視者”は、彼なんじゃないの?」
「……お前、あいつを疑ってんのか?」
そう訊ね返すと、彼女は大きく頷いた。いつもなら簡単に反論するが――たしかに、不可解な点はたくさんある。“なぜばれていたのか”。
「あなたとディン、チルドレンの中でも最高クラスの力を持つ存在。あの中将が言っていたように、“将来のSICには必要不可欠な戦力”なのだとしたら、常に監視が必要な存在であることも事実。だって、味方ならば戦力だけど、敵になれば脅威でしかないからね」
強力な力は持っていれば、たしかに救世主のような、計り知れない力となりうる。しかし、それは逆に敵の手に渡れば、自らを滅ぼしかねないものになる。武器にしても、技術にしても同じことが言えるのだ。
「……可能性は否めない。けど、あそこで僕たちを救ってくれたのも事実だ」
ディンは小さく顔を振り、言った。それを見て、フィーアはため息を漏らした。
「まぁ、そうだけどさ。どれが真実だなんて、私たちにはわからないんだもの」
「…………」
目に見えているものが果たして、本当に真実なのかどうか――。俺たちはとにかく、信じたいものを信じるしかなかった。たとえ裏切られることや、傷つけられることがあったとしても。
真実を知るということは、それなりの代償が必要なのだ。
俺はこの物語の果てが、“それの繰り返しであるということ”を、何度も突きつけられる。
23章
――カナンの民――
ひたすら冷たい大理石の階段を登り、そのA区画とやらに辿り着いた俺たちは、メアリーが収容されている箇所へと進んだ。収容番号「1038」というものだけしか情報がないため、俺たちはその番号の収容部屋を探した。
「収容所って、警備とか監視する人っていないもんなのか?」
足音を立てないよう、それでも早足で移動する中で俺は訊ねた。
「深夜なんだし、基本少人数でやっているんじゃないの? 私がいた時は、当然誰もいなかったけど。それに、たとえいたってやっつければいいだけじゃない」
ニコッと笑って、彼女は言った。どうもこいつは、侵入とかそういうので楽しんでいる癖がある。しかも、その中で警備員とか敵をぶちのめすことを。
「毎度毎度、騒ぎ起こしてたまるかよ」
「あら、もう無理じゃないかしら。なんたって、軍部の英雄さんに逆らっちゃったんだし」
そこを突かれると痛いんだがな……。
「これでもう、学院にいることはできないね。もちろん、セフィロートにも……」
ディンはそう言いながら、俯いた。あれだけのことをして、このコロニーにいられるはずがない。ある意味“亡命”でもしないと、俺たちは捕まってしまう。サラを救うどころの話ではなくなってしまうのだ。もちろん、親父たち――家族とも別れなければならないのかもしれない。
「今、そんなこと考えたってしょうがないでしょうが!」
「うぶぉ!」
と、フィーアが突然ディンの顔面に裏拳をかました。ディンは変な声を出して、その場にひざまずいた。
「お、お前、今のはちょっと……」
「私たちの目的はなんなのよ。あのお馬鹿な天真爛漫娘を救い出すことなんでしょ?」
彼女は仁王立ちをして、俺の言葉を遮るかのようにディンに言い放った。いや、その前にその“お馬鹿な天真爛漫娘”というのは、まさかと思うがサラのことなのか……?
「その結果を得るために、最善を尽くして行動をするのがあんたたちなんでしょ? 少々計画が狂ったところで、しょんぼりしてんじゃないわよ。そもそも、軍部の施設に侵入するんだからそれくらいのリスクくらいは覚悟していて当然なの。わかってんの?」
腰に手を当てて言う様は、どこか――誰かと被る。それが誰なのかを考える前に、ディンはゆっくりと立ち上がった。
「ああ、そうだな。フィーアの言うとおりだ。もしかしたら、僕には覚悟が足りなかったのかもしれない。こんなことをするんだから、ばれた時は相応のリスクがあるってことを」
ディンは顔を上げて、俺たちを見据えた。
「よし、先に進もう。立ち止まってる暇なんて、ないんだからさ!」
彼は目をキラキラさせて、言った。しかし、だがしかし。
その輝くような表情の上で、赤い鮮血が滴り落ちている。それがなぜか間抜けな感じがしてしまい、俺は吹き出してしまった。
「お、お前、鼻血が」
「へ? あ、うわっ!」
ディンは自分の手で唇の上に触れた瞬間、仰天していた。思ったよりも大量の血が、溢れ出ているのだ。
「ご、ごめん。お、思ったより……ププ」
笑いを堪え切れず、犯人は口を押えて笑っていた。
「……あ、あのさ。3人とも」
「ど、どうしたんだよノイッシュ」
俺は涙目にながら言った。声が震えてしまってしょうがない。ディンには悪いが、笑ってしまう。
「ここみたいなんだけど」
「ここって?」
俺が尋ね返すと、ノイッシュはため息を漏らし、通路の壁をコンコンとノックするかのようにして叩いた。
「メアリーの収容部屋、1038号はここだよ」
「は?」
思わず、そんな声が出てしまった。たしかに、彼が示すプレートには「1038」と記載されている。いつの間にか、というより偶然、着いてしまったのだ。そこまで広いフロアではないので、探すのにそんなに時間かからないとは思っていたが……こうも簡単に見つかってしまうと、若干拍子抜けしてしまうところではある。それこそ、中将と戦うなどというハードなことがあった上で、終わりがあっけないと力が抜けてしまうものだ。
「と、とりあえず目的地に着いてよかった。さっさと用事を済ませて、帰っちゃおう」
ディンはいつの間にか鼻にディッシュをつめ、息苦しそうに言った。
「……ディン、やめてくれ。そういうの」
「え、どうしてだ?」
と、ディンは頭をかしげる。いや、そのティッシュ突っ込んだ顔で、真面目に言われても笑ってしまうんだが。
「……ところで、どうやって開けるんだ?」
ふと思い出したのか、ノイッシュが言った。俺とディンは顔を見合わせ、「そういえば」と互いに思ってしまった。よくよく考えてみたら、“開けること”を一切考えていなかった。
「え、もしかして、全く考えてなかったわけ? あんたたち」
呆れたかのように、フィーアは言った。
「お前も考えていなかっただろうが」
「失礼ね、少しは考えてあるわよ。どうせあんたに却下されると思って、何も言わなかったんだけど」
「はぁ? 嘘も大概にしろ。どうするつもりだったんだよ」
俺がそう言うと、フィーアは俺を馬鹿にするかのようにニヤリと微笑を浮かべ、鼻で笑った。正直、一発殴ってやろうかと思うほどムカついた。ディンが止めたのは言うまでもない。
「まったく、しょうがないわね」
フィーアは首を左右に曲げて音を鳴らして、星煉銃を取り出した。嫌な予感がするのは、きっと俺だけじゃないはず。
「……おい。てめぇ、何する気だ?」
大体何をするつもりなのかわかってはいるのだが、念のため。
「何って……吹き飛ばすに決まってるじゃない」
まるで「何言ってんの?」とでも言わんばかりに、彼女は怪訝そうに俺を見る。いや、そりゃ予想はしていたが、それを何の疑いもなく言う辺りが呆れてくる。
「あのな、そんなことをすりゃどうなんのかわかって言ってんのか?」
「そりゃまぁ、警報が鳴って大騒ぎでしょうね」
「……わかってんだったら、お前の案は却下だ」
そう言うと、フィーアはわざとらしくため息をついた。
「あんたらさ、もうばれてるんだから今更小細工しても無駄だってこと、いい加減悟ったら?」
至極真っ当なことを言っているのだが、なぜだがそれに賛成しづらい。こいつ、困ったら強行突破したがるからなぁ……。
「時間がないんだし、いつ中将が追ってくるかわかんないんだから、さっさとやろうよ」
イライラしているのか、フィーアは足先をパタパタと床に打ち付けながら言った。
「この方が手っ取り早いんだからさー、早くぶっ放させて」
「フィ、フィーア、それじゃ打ちたい年頃みたいな感じじゃないか」
ディンは苦笑しながら、冷や汗をかいていた。
「ぶっ放したいに決まってるじゃない。さっきやり損ねたし」
それは中将に、という意味なのだろうか……。とにもかくにも、ここでぶっ放せば大事になるのは必至だ。だからと言って、それ以外に案はないのも事実。その時。
「あのさ、カールに聞いたらいいんじゃないかな?」
ノイッシュが手を挙げて言った。俺たち3人は、さっきと同じように目をパチクリさせた。
『考えていないなんて、ゼノらしいっちゃあゼノらしいけどな』
アーム越しに、カールは笑っていた。
『さて、それじゃやらせてもらいましょうかね。そこさ、今までと同じようにタッチパネル式の暗証番号入力の機器がないか?』
カールに言われたとおりに扉らしきものの周囲を見渡すと、たしかにそれっぽいものを発見した。
「あったけど、パネルみたいなのはねぇぞ」
「あ、でも何か光が出てる」
覗き込むようにして、フィーアが言った。そこから細い緑色の光のようなものが、ぼんやりと出ている。
『なるほど……網膜認証を使ってるのかもな。ちょっと待ってて、開けるかどうかやってみる』
すると、カールはキーボードを打ち込み始めたのか、ピピピという機械音が聞こえてくる。
『軍部の管理サーバーに入って……収容所の解除コードは、と。…………よし、開きそうだ。パネルを開けるよ』
カールの声が届くのとほぼ同時に、緑色の光が点滅し始めパネルが開いた。そこにはアルファベットで入力できるように、文字が表示されていた。
「ホント、カールが味方でよかった。お前がいなかったら、今頃こいつが建物ぶっ壊してたぜ」
『……何をしようとしていたのかはなんとなく想像できるけど、敢えて聞かないでおくよ……』
「あら、私の行動ってそんなに想像しやすいのかしら?」
と、フィーアはディンに顔を向けて言った。
「そ、そういうわけじゃないとは思うんだけど……いや、まぁわかりやすいのかもね」
困ったように笑って誤魔化すディン。気持ちはわからんでもないと、隣でノイッシュが頷いていた。
『それで暗証番号なんだけど、“N・E・P・H・I・L・I・M”って入力してみて』
カールに言われたとおり、俺はパネルに触れて入力した。その時、並んだ文字列を見て俺は思った。これは「Nephilim」――ネフィリム、と。
――ネフィリム――
――大罪を犯した堕天使たちの孤児たち――
――まるで、君たちが罪を犯したと言わんばかりに――
男の声が……また、スーッと入って来て、消えて行った。
ハッとして画面を見ると「OK」と表示され、扉がスライドするかのようにスッと横に移動し、開いた。中は黄色い、蛍光灯のような明りで満ちており、寝ている時間帯なのだということを思い出した。俺たちは足音を立てずに、ゆっくりと中へ入って行った。
中――ここの収容部屋は個室なのか、思ったよりも綺麗だった。どこぞのホテルの一室のような、凡そ収容所とは形容しがたい場所だった。俺たちが別のコロニーでのミッションの時に使う部屋などより、断然“住み心地の良い”ところだ。
「犯罪人がいるには、豪華な場所だこと」
ため息交じりに、フィーアは小さな声で言った。テーブルの置かれている玄関口の部屋を抜けると、そこは寝室になっており、マットレスのように低いベッドが横たわっており、そこにあの少女――――メアリー=カスティオンが眠っていた。首には見慣れない金属の輪っかが付いている。
俺たちはノイッシュが持っている鞄から粘着テープを取り出し、静かに彼女の口をふさぎ、手足を縛った。慣れない場所で疲れているのか、メアリーは熟睡しており起きる気配がない。
「さてと、俺が背負うから――」
その時、怒号のような警報が鳴り始めた。一瞬にして部屋の中の明りが赤くなり、忙しく点滅し始める。
「あらま、見つかっちゃったか」
隣でフィーアが呑気なことを言っているのを、俺は聞き逃さなかった。やばいな、とんずらする直前で見つかっちまうとは。
『メーデー、メーデー』
『ゼノ、まずいぞ!』
すると、アームからカールの声が聴こえてきた。警報のせいか、少し聞きづらい。
『兵が一斉にそこへ集まってる! どんどん上から降りてきているから、早く下に降りろ! 下なら数も少ないし、今の戦力ならメアリーを担いだってどうにかできる』
「待って。下にはゴンドウ中将がいるかもしれない。あんな奴とまた出くわしたら、今度こそお仕舞いだよ」
フィーアはすぐさまそう言った。たしかに、同じルートで帰るのはかなり危険だ。それならば、まだ上を目指した方がいいのかもしれない。
『ちょ、ちょっと待ってくれ。ゴンドウ中将だって!? ど、どういうことだ!?』
事の顛末を知らないカールは、中将の名を聞いて慌てふためいていた。
「カール、悪いがその話は後だ。それよりも、一番戦闘を回避できるルートを検索してくれ」
『あ、ああ。じゃあ、もしもの場合のルートを使わざるを得ないな』
俺たちは予め、来た道を戻ることができなかった場合、“横”の道を通って戻ることにしていた。それはこの収容所内の一番奥――軍部の地下の隣にある機関「レーヴェン」を通っていくというもの。そこは一般人でも、俺たちチルドレンでもベールに包まれている謎の機関だ。
カールによると、レーヴェンの施設は軍部の地下の一区画を使っており、そこから地上への別の道がある。最終的にはディンの親父が勤める「FGI」本社ビルへと繋がっているようだ。そちらでも警備員などに見つかる可能性は高いが、軍部内を突き進むよりかは安全だ。何せ、セフィロートの中でも軍部が最も巨大な施設であること、戦闘を避けられないとなると危険度が増す。警報が鳴っているからには、そのルートで行くしかない。
『わかった。それじゃあ誘導する。まずはD区画に行ってくれ。階段は既に封鎖されてるから、この部屋とは反対の道に進んでくれ』
「けど、少し遠回りね。兵に遭遇しちゃうんじゃないの?」
横やりを刺すように、フィーアはアームに向けて言った。
『こうなったらしょうがないさ。メアリーはゼノに背負ってもらうから、戦闘の際は頼んだよ、フィーア』
カールの言葉を聞いた瞬間、フィーアは子供のように笑顔を浮かべた。それがなんだか気味が悪く、俺は思わずしかめっ面をしてしまった。
「そんな風に言われちゃったらやるしかないわね! わったしにまっかせなさい!」
フィーアは胸を張り、大音量の警報を上回る声量で言い放った。
「フィーアがいたら、こんな状況でも楽しくなってくるね」
「そ、そうだな」
と、ノイッシュの台詞にディンは苦笑しながら同意していた。
「んー、んー!!」
目覚めたのか、まるで誘拐されたかのような格好になっているメアリーが目を見開き、もぞもぞと動いていた。完璧に手足をテープでぐるぐる巻きにしているため、よほど馬鹿力でもない限り破るのは困難だ。
それに気付いたディンは彼女の近くまで走り寄り、腰を下げた。
「すまない、こういう真似をして。でも、どうしても君に聞きたいことがあるんだ」
「!! おい、ディン」
ディンは彼女の口に張ったテープをはぎ始めたのだ。止めようとしたが、それは既に遅し。剥いだ瞬間、メアリーは大きくせき込んでいた。
「いろいろ言いたいこともあるんだろうけど、とりあえずここから脱出する。いいね?」
いつになく、ディンの口調は冷たいものだった。あいつにはあいつなりに、メアリーに対する感情があるのかもしれない。許しがたい行為だとか、いろいろなことに対して。
「……どうせ、ここにいたって適当な理由を付けられて殺されるんだ。どこへでも連れて行きなさいよ。この、人殺し人形ども!」
俺たちを睨みつけながら、メアリーは言い放った。
「…………」
ディンはこくりと頷き、彼女の腹部を殴りつけた。メアリーはそのまま、気を失ってしまった。
人殺し人形、か。チルドレンなんて、ほとんど軍人みたいなもの。そう揶揄されても仕方ないことはしている。もちろん、メアリーの言葉は“俺たち”というよりも、俺個人に対するものだとは思うが。
「何を寝ぼけたこと言ってるんだか。自分たちの組織がしていることも、同じでしょうに」
と、フィーアは横たわるメアリーを一瞥し、蔑むかのように言った。
「いちいち気にしてたら、こんなことしてられないじゃない。そうでしょ、ゼノ」
彼女はその紅い双眸を俺の方に向けた。強い意志が潜むその瞳――俺はそれがまるで宝石のようだと、炎が凍り付いてしまったかのように美しい造形物だと、見る度に思う。
「……そうだな」
俺は小さく頷いた。気にするわけでもないのだが……メアリーに関しては、ある意味特別なのだ。俺が最も“狂っていた”時に関係しているのだから。いや、あれを“狂ってる”という言葉で逃げようとするあたり、俺はあの時の自分を隠しているだけなのかもしれない。
あの時の俺もまた、同じなのだから。
「メアリーは僕が背負うよ」
ディンはそう言って、メアリーを背負った。
「俺が背負うよ。ディンは戦力なんだから、君たちより動けない俺が背負っていた方がいいさ」
ノイッシュがそう言うと、ディンは顔を振った。
「こういう時、エレメントが得意なノイッシュの力が必要になる。それに、思ったよりもダメージを負っちゃったしね」
ハハ、とディンは苦笑した。中将にやられた傷は、いくら自然治癒能力のある俺たちと言えど、すぐには癒えない。
「さて、それじゃ……!!」
「いたぞ!!」
出入り口の方から声が聴こえるのと同時に、俺は広範囲のシールドを展開した。その瞬間、銃が連射される音が響き始めた。だがそれらは俺のシールドを貫通することはできず、弾き飛ばされていっている。
「ちっ、まずいな。もう集まってきやがったか」
「あまり人数が多いと、こっちの方が不利だ。どうする?」
俺たちが身を寄せ合う中、ノイッシュは言った。
「まぁまぁ、私に任せなさいって」
「は?」
フィーアはすくっと立ち上がり、星煉銃を両手で握りしめた。
「お前、何するつもりだ?」
嫌な予感がする。嫌な予感しかしないのだが。
「たまには私が役に立つってところ、見せておかないとね」
うふ、とウィンクをして彼女は言った。……疑心暗鬼なのは俺だけだろうか? いや、なんかやってしまいそうなんだが、予想を超えそうで怖いのだ。恐怖の方が上回っているというか。
フィーアは二丁の星煉銃をくっ付け、銃口を入口の方へと向けた。すると星煉銃が淡く光り始め、何かを――青や緑、黄色などの光の球体が出現し、それが銃へと吸い込まれていく。そして段々とフィーア自身が同じようにして輝き始めていった。
「これは――エレメントが集まっているのか!?」
それを見てか、ノイッシュが驚いていた。たしか、星煉銃というのはエレメントを利用して実弾ではなく、凝縮されたエレメントを弾丸のようにして放出しているのだと聞く。またレーザービームのようにして放出することも可能だ。
すると、彼女を中心にして火花――いや、あれは電気だろうか? ぱちぱちと、弾けるような音が響き始める。それとともに、星煉銃からも音が鳴り始め、それは少しずつ高音に、大きくなっていく。
「さーて、そろそろ充填完了かしら!」
星煉銃の音が頂点に達したかと思うと、彼女の髪が風にあおられるかのようになびき始めた。
「必殺! イレイザー・ブラストォ!」
彼女の声とともに、光は一気に収束した。それは星煉銃の銃口を中心にして集まり、波紋が広がるようにして光の円環が広がっていく。その瞬間、俺たちが見たのは――
巨大な―――閃光。
一瞬、全ての音が消えたかのようだった。そして、爆音とともに星煉銃から光が――閃光が放たれた。それはとてつもなく巨大で、一直線にして放出されたのだ。激しい轟音とともに、地下収容所……いや、それだけじゃない。何もかもが揺れているかのようだ!
そして長い長い放出が終わると、銃口から真っ直ぐに伸びていた光の柱は瞬く間に細くなり、一気に消えてしまった。閃光が通り抜けた先は……言うまでもなく、大きな穴が開いていた。それはずっと先、何百メートルも先まで続いているようだった。
フィーアは二つの星煉銃をくるくると指先で回し、口元で止めるや否や、まるで灯を消すかのようにして、銃口に向けてフッと息をかけた。
「さて、これでしばらくは静かになるでしょ」
彼女は銃を再び腰に装着し、俺たちの方に向き直った。
「そうだ、たしかルートはこっちだったわね」
すると、彼女は再び銃を取り出し、壁に銃口を向けた。
「お、おい! まさか、おま――」
俺が遮ろうとするも一歩間に合わず、銃口から光が放たれた。それは以前、戦闘の時に使っていた光線ほどではあったが、ここの部屋の壁を破壊することくらいは容易だった。粉塵とともに、壁は崩れ去ってしまった。
「これで行きやすくなったわね。ほら、行きましょ」
「お、お前、なんちゅーことを……」
俺たち3人は、呆然と口を半開きにしていた。出入り口があった場所は、巨大な掘削機でも通ったのかというくらいの大穴が開いていて、俺たちの後ろの壁は粉々に砕けて、通路への道が開けてしまっている。それで助かるのだが、これではまるで兵器の一つや二つ、落ちたかのようだった。
「さっさと行くわよ。あちらさんも、あんたたちと同じで今は呆然としているだろうし」
彼女はそう言って、俺たちを素通りして瓦礫を踏みながら破壊した壁の向こうへと進んでいった。俺たちは顔を見合わせ、その後をついて行った。
先ほど通ってきた階段とは別の、緊急用の非常階段を降りながら、俺たちはD区画へと向かった。鉄製の非常階段を駆け下りる際、その金属音は俺たち4人の足音共に不規則に鳴り響いていた。
『D区画へ着いたら、この場所の所に大きな通風口がある』
俺のアームには、カールから送られてきた地図が表示されていた。カールはここ、収容所の設計図のデータを作ったFGI社から盗んでいたのだ。
「お前、相当危険な道歩いてるよな」
と、俺は走りながら苦笑した。
『ゼノたちに言われたくないなぁ』
「そりゃご尤も。……でも、よかったのか? これでお前も……」
俺は正直、カールが心配だ。軍部のコンピューターにハッキング、データを盗んだりなんだり……。俺たち並みに罰則されたって、おかしくないのだ。
『ハハハ、今更じゃないか。もう乗っかっちまったからな。最後まで、突き合わせてもらうよ』
アーム越しに、彼の笑い声が聞こえてきた。
『サラちゃん、助けたいしな。ゼノの大事な人なんだから』
「カール……」
そう言ってくれる友人がいて、俺は嬉しかった。何よりも大事な存在のあいつを――一緒になって、協力してくれる仲間がいるのだ。たとえ、組織に背くことになったとしても。
「カール、FGI社の地下に着く前に、お前も近くまで来ておいてくれ。一緒にカムロドゥノンの支部に行こう」
ラグネルは言っていた。“カムロドゥノンなら、匿ってくれる”と。
「……あの人の言葉、信じるつもり?」
疑心に満ちた表情で、フィーアは言った。どこか不満げなものでもあった。
「お前が言いたいことはわかってるつもりだ。だが、今頼れるのはそれしかねぇんだ。こうなった以上、SICに関係する場所に逃げたって意味がない」
俺の実家にしてもどこにしても、逃げ場はない。
カムロドゥノン――世界をまたにかける財団法人であり、世界で唯一、SICに支部を置いている“SIC管理下以外の組織”ともいえる。それだけ財界・政界に強い影響力を持つ組織で、セフィロートでは捨てられた子供たちの街“チルドレン・ストリート”の問題に積極的に関わっており、サラやディアドラはそこの経営する孤児院で育った。
「……ま、私があんたの立場でもそうするだろうね。本意じゃないけど」
フィーアはあまりラグネルを信用していない。俺も彼女の言葉のように、こいつの立場なら……疑うだろうなとは思う。
『レーヴェンの施設がどれくらい広いのかはわからないけど、時間的には……一時間後に着くと思う。俺もそのくらいに本社前で待機しておくよ』
「了解、また連絡する」
カールとの回線を切った俺たちは、D区画へと急いだ。
階段を降り切り、D区画――大人数を収容するための区画で、フロアの広さもさっきのA区画とは比べ物にならないほど。A区画では通路などはそれこそ狭いものだったが、ここD区画では車一台が通れるほど広くなっている。
俺たちはカールに指示された場所へ進んだ。このフロアの通路の一番突き当りの天井に通風口があり、そこから壁を隔てたずっと向こうにレーヴェンの施設があると思われる。カールはレーヴェン自体のマップなどを入手することはできなかったが、軍部の地下施設の一区画では“何も使われていない空間があり、おそらくそこがかねてから噂のあったレーヴェン内部だろう”とのこと。はっきりとした確証は持てないが、そこには何らかの空間があり、そこからFGI本社ビルの地下に通じているのは事実なのだ。
突き当りに辿り着くと、俺は天井の網状の通風口をこじ開け、よじ登った。そこは通風口というよりも屋根裏といった感じで、ぎりぎり立って歩くことができるほどのスペースだった。周りには水道管などの配管が所狭しと張り巡らされており、もともと点検などの時のためにスペースを確保しているのだろう。
「こういった狭い場所って、なんだかワクワクしない?」
ゆっくりと通風口内を進む中、フィーアは笑いながら言った。先頭を俺、次にフィーア、ディン、最後にノイッシュの順で進んでいた。
「……しねぇよ。お前、急に緊張感失うのはなんでだ?」
呆れ気味に、俺は言った。こういう状況でもそんなことの言えるあいつを、ある意味尊敬してしまう。
「ピリピリしたってしょうがないじゃない。少しは心に余裕を持たないと、兵士なんてやってられないわよ?」
的を射ているような、そうでないような……。その時、クスクスと女性の笑い声が後ろから聞こえた。それが彼女――メアリーのものだということに、俺はすぐに気付いた。
「能天気ね、PSHRCIの兵士さん」
その言葉に立ち止まることなく、俺たちは進んだ。
「……目が覚めたのか。すまないね、乱暴なことをして」
背負っているディンは、謝る気なぞ一切ないのにそんなことを言った。それはメアリーも、はっきりとわかっているだろうに。
「あなたたち……SICに逆らって無事だと思うの? 殺されるわよ」
心配なんてしていないくせに、なぜそんなことを言うのか。若しくは、俺たちがSICを敵に回してまでするということが信じられないのかもしれない。
「SICに逆らいまくりで捕まってたあなたに言われたくないけどねー」
フィーアは嫌味たっぷりに、声量を上げて言った。
「SICの本質を知れば、反旗を翻したくもなるわよ。……あなたたちだって、同じようなものでしょ? 何があったのかは知らないけど」
SICに逆らったというよりも、露見したため逃げざるを得ないといった方が正しいのだろう。だが傍目で見れば、結局のところSICから離れたと思われてもしょうがないことなのだ。これだけのことをして、もうチルドレンとして――SICの中で生活することはできないと思う。よほどの恩赦がない限り。
「あなたはSICの“本質”とやらを知ったわけ?」
と、フィーアは訊ねた。
「……奴らは悪魔よ。チルドレンという特殊能力を持った人種を操り、兵士として戦地へ送り他を圧倒する。カルタゴ紛争だって、ヴェネツィア戦争にしてもそう。SICは“勝たせた方が有益”なところに協力して、戦いに勝利してきた。多くの屍の山を築いてね」
「その“悪魔”の手先だから、チルドレンを恨んでいるの?」
その瞬間、メアリーは「当たり前だ!」と叫んだ。
「自分の父親を目の前で殺されて、恨まずにいられる人間がいるのか!?」
フィーアの問いに、彼女は怒気を込めて言った。
「……恨みは憎しみに変わり、それを糧として人を殺せば、再び誰かは“誰か”を恨む。そうしたって、何も変わりはしないことに気付かないのか?」
彼女を背負っているディンは、冷静に、ゆっくりと言った。それはまるで彼女だけでなく、フィーアにも、俺にも言い当てられているような言葉だった。俺もまた、憎しみを抱いているのだから。
「そんなこと、言われなくてもわかってる。だけど、人はそんな簡単に推し量れるものじゃない。理屈だけで世界を変えられるなら、最初からこんなことになっていないわ」
「…………」
理想――。
それは所詮、理想論。誰もが思い描き、抱いた理想。でも結局、それは芽生えることなく潰えてきた。そうやって、何年も――何万年も繰り返しているのだ。
「それで、あなたたちFROMS.Sの目的はなんだったの?」
沈黙を破るかのように、フィーアは言った。
「それが“理由”なことくらい、あなたもわかってるんじゃない?」
根本的な目的はサラを救うことだが、そのためにはFROMS.Sの目的を知ることが必要だ。なぜあの場所に、俺たちをおびき寄せたのか。
「……本来は、あなたたちと同じ」
あなたたち――というのは、おそらくGHのことだろう。
「私たちの組織は、元々は慈善団体。地球の自然を各地のコロニーに移植し、緑豊かだった故郷を忘れさせないことが目的だった」
でも、と彼女は言葉を詰まらせた。彼女の組織はその後、彼女の兄・チャールズが所属していた武器商人たちの隠れ蓑となり、武装化したのだ。
「父は兄さんの行動を、止めようとした。だから欧州連合と協力して、組織の解体を進めていた」
「解体? そんな話、初めて聞くな」
と、ノイッシュは驚き混じりに言った。たしかに、俺も初耳だ。それを見てか、メアリーは小さく笑った。
「そうでしょうね。何せ、それは隠蔽され、全てSICが仕組んだことなんだから」
「……SICが?」
ディンは頭をかしげた。
「SICを敵に回してやっていけるほど、組織は大きくない。父はそう思って、昔の知人の伝手を頼りSIC政府関係者との密会の手はずを整えた」
彼女の父・ジェームズの目的は“SICによる反政府組織指定解除”。反政府組織に認定されてしまい、資金などがままならなくなっていたのだという。組織に所属する人たちと、その家族を守るために組織の解体を決断したのだ。
「でもそれは、SICに仕組まれた罠だった。……その場に現れたSICの軍人が、自国の政府関係者を殺したのよ」
「まさか……ジェームズがやったって言われるあの事件……」
「そうよ」
俺が言いかけた時、メアリーはその“予想”を肯定した。当時のニュースでは、「ジェームズ=カスティオンが政府関係者を人質に取り、殺害した」というものだった。
「極秘のものだったから、簡単にでっちあげられたわ。父は犯罪者にされ、組織はSICによる殺戮を受ける羽目になったのよ」
SICが自らの政府関係者を殺し、ジェームズを犯罪者に仕立て上げることでFROMS.S成敗の大義名分を得た……ということか。
「私は思ったわ。一連の事件は、父を殺すためにあったんじゃないかって」
「ジェームズを? どうして?」
と、フィーアはすぐさま訊ねた。
「それはわからない。でも父がSICにとって不利益な――それも、大きく覆すような“真実”を知っていたのだと思う」
父はよく言っていた――と、メアリーは続ける。
「世界が知れば、それこそSICの根幹を揺らす“パンドラの箱”になりかねない――って。それがなんなのか、結局教えてくれなかったけれど」
パンドラの箱――
それを開けてしまえば、世界を震撼させてしまうほどの事が起こりうる。そういうことなのだろうか。
「まさかとは思うけど、それ……“カナンの民”のことじゃないの?」
フィーアはそう言った。なぜ、そんな質問を?
「カナン……? いえ、違うと思うけど」
「……そう」
なぜだか、それがあの時の――ゴンドウ中将と対峙した時の、意味不明な門燈の内容の一部なんじゃないかと思った。
「フィーア。その“カナンの民”って、なんのことなんだ?」
俺は立ち止まって、後ろのフィーアの方へ振り向いた。それと同時に、みんなも歩を止める。
「中将との会話にあった“移民集団”ってのが、それなのか?」
「…………」
フィーアは神妙な面持ちで、俺を見つめていた。
「中将が言っていた“人間の浅ましい愚考の所業”っていうことと、関係あるんじゃねぇのか?」
俺が畳み掛けるように問うと、フィーアは自分の頭をポリポリとかき始めた。かと思うと、小さく息を漏らし、遠くへと視線を向けた。
「……私が知ってるのも、おそらくほんの一部で憶測の域は出ないんだけど」
そう前置きを敷いて、彼女は話し始めた。
「カナンの民――西暦時代、宇宙進出を始めた移民集団の中で、ある一派のことをSICはそう呼んでる。どうしてそう呼んでいるのか知らないけど」
それは“東方移民”とも呼ばれていたそうだ。だがそうすると、地球上の“東方の移民”と混同するから、分けて呼ぶためにそう呼んでいるのかも――とフィーアは言った。
「ゼノ、前に第3次世界大戦の話はしたわよね?」
「……エレメントの話か?」
そう訊ね返すと、彼女はこくりと頷いた。
「ディンたちは知らないだろうから説明するけど、約2000年前に勃発した第3次世界大戦……その“首謀者”が誰なのかがわからないのは、歴史を習った人ならご存知だと思う。でも実は、彼によってエレメントを駆使することのできる人間が誕生したって云われてる」
彼女の言葉に、ディンたちだけでなくメアリーも驚いていた。世界の教科書には載っていないことなのだ、無理はない。
「それ以降、特別な能力・エレメントを生まれながらにして扱える、若しくは潜在的にその能力を持った人間が生まれるようになった。子孫である私たちにはその力が継承されていて、実のところ一般人であっても訓練すればエレメントを扱うことはできるようになるって考えられてる。実際、私はチルドレンじゃないけど、訓練で扱えるようになっているしね」
しかし、時間が経ち……素養を持った人間であってもそれに気付かず、開花されないまま代を重ねていったため、現代では俺たちチルドレン以外に扱える人間はかなり少ないそうだ。
「でも、それとは別に……世界大戦が行われる以前から、エレメントを……というよりも、“それに酷似した特殊能力”を持った民族がいた。それも遥か古の時代から」
その民族が現れたのははっきりとはわからないが、彼女によると約4000年以上も昔のことだという。それは西暦時代よりも以前、ということになる。
「それが“カナンの民”。でも彼らは約600年前、姿を消した。この宇宙歴時代の世界から」
600年前――と言えば、宇宙開発黎明期。かの有名なクラフト博士が活躍した時期だ。
「なぜ姿を消したのか……どの史料にも載っていないから、はっきりとはわからない。でもゴンドウ中将の言葉から推測すると……おそらく、SICが迫害して絶滅させたっていうことには間違いないと思う」
「そう言えば、ゴンドウ中将がその民族の出身じゃないかって言っていたよね? あれはどういうことなんだ?」
と、ディンが尋ねた。
「その“カナンの民”の多くは、東アジア系の人種で構成されていたって話を聞いたから。よく考えてみなよ。巨大な組織の多民族国家であるはずのSICには、白人・黒人やイスラム系の人種はいても、東アジア系の人種はいないじゃない。ましてや、組織の中枢に」
たしかに……俺も知る限りでは、ゴンドウ中将だけだ。
「かまを掛けただけだけど、うまく情報を引き出せたからラッキーだったわ」
フィーアはそう言って、安堵にも似たため息を漏らした。あの時、あいつが言っていた“いろいろと引き出せるかもしれない”というのは、こういうことか。
「つまり、SICは一つの民族を迫害し、歴史から消したってことか。それが明るみに出れば、たしかに大事だろうね」
ノイッシュは腕を組んで、そう言った。
「でも、本当にそうだとして……どうしてSICは“カナンの民”を迫害したんだ? 利益があるとは思えないんだけど」
「簡単なことよ」
と、メアリーが言った。
「力を持つ者は、力を持つ者を恐れる。講じる手段としては、傘下に入れるか、若しくは滅ぼすか。SICは後者を選んだってことじゃない。彼らのやりそうなことよ」
自分たちの脅威となりうる存在の芽を、早めに潰しておく。それはどの世界――人類にしても、動物や昆虫の中であっても、当然のことだと言えるのかもしれない。だが人間には“倫理”というものがあり、それを理由にして迫害することは国際的に認められていない。
「あなたたちチルドレンの能力を考えれば、エレメントが如何に最強の“兵器”なのかわかるわ。言ってしまえば、核兵器よりも恐ろしいもの」
メアリーは侮蔑するかのように言い放った。
「……俺たちが“兵器”だとでも言いたいのか?」
俺は思わず、そう言った。“兵器”という言葉は、正直許せなかった。
「父がよく言っていたもの。“ネフィリムたるチルドレンは、兵器そのもの”だってね」
「俺たちは人間だ。好きで“兵器”やってんじゃねぇよ」
「やりたくなければ、やらなければいいのに。そうやって人を殺すことに対し責任を組織に丸投げするから、簡単に人が殺せるのよ。信条と思想があるなら、あそこまで人を殺すことなんてできない」
「…………」
メアリーは口をつぐむ俺を見て、クスクスと笑い始めた。それは俺だけでなく、チルドレンそのものを嘲笑うように感じた。
「普通の人間なら、何百もの人を殺せないわ。あなたたちは兵器――SICが作った大量殺人鬼。チルドレンなんかじゃなく、“破壊兵器”とでも名乗ったら?」
俺は思わず、メアリーを睨みつけた。俺を恨んでいるのはよくわかるが、俺たちがただの“快楽殺人者”の如く呼ぶのは許せない。握りしめる拳を、奴にぶつけてやろうかと思った矢先――
「あんた、自分の立場わかってるの?」
フィーアはディンの背にいるメアリーの首根っこを摑まえ、睨みつけていた。
「そりゃ大っ嫌いなSICに捕まって、そこから救出してくれたのは仇の人間。そうなれば自暴自棄になったっておかしくない。でもね」
彼女はずい、とメアリーに顔を近づけた。
「あんたの命は私たちが握ってる。生かすも殺すも、私たち次第。……生きて親の仇を取りたいっていうなら、自分の理想を叶えたいなら、そういうことは言うもんじゃないわよ。死にたいなら別に構わないけれど」
すると、フィーアは星煉銃を取り出し、メアリーの側頭部に銃口をくっ付けた。
「これの威力、さっき見たでしょ? 少しの充填で、あなたの顔なんて真っ黒焦げのステーキになるどころか、首から上が吹っ飛ぶわよ?」
冷徹な紅い瞳が、メアリーを睨みつける。それに対抗するかのように、メアリーも負けじと彼女を睨んでいた。
「止めなよ。今、そういうことをしている場合じゃないだろう」
業を煮やしたのか、間に挟まれていたディンは機嫌が悪そうな表情を浮かべていた。
「いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、それはここを脱出してからだ。それからでも遅くはない。遅れれば遅れるほど、リスクが高まる」
「……はいはい」
フィーアはため息をつき、銃をくるっと回転させてベルトに装着した。
「メアリー、君には聞きたいことが山ほどあるんだ。君の安全は保障するから、あまり喧嘩を売るようなことをしないでくれ」
「……わかったわよ」
メアリーが頷くのを確認すると、ディンは再び歩き始めた。それにつられるように、俺たちも歩を進める。
結局、メアリーがなぜ“あの場所”にいたのかは聞けなかったが、それでも十分なことは聞けた。メアリーの兄・チャールズがどういう目的で行動していたかはわからないが、要因としてはジェームズのことが絡んでいるのは間違いなさそうだ。
SICの秘密――それをパンドラの箱と呼んでいたジェームズは、なぜすぐにそれを公表しなかったのか。それも疑問として浮かび上がってくる。それとも、なんらかの理由があったのだろうか。待たなければならなかった理由が。自分が狙われていることなど、十二分に理解していたはず。命が狙われていることも、容易に想像できたはずなのだ。
――躊躇った? 何かを護るために。
仮にそうだとしたら、それは子供たち……メアリーとチャールズ、ということになる。親の心情からすれば、それは当然の心情なのだろうとは思う。
だが、なぜだろう。ジェームズには別の思惑があったような気がする。なんとなくではあるが。
あの“カナンの民”というのも気になる。メアリーが言っていたように、SICを脅かしかねない力を持っていたから迫害し滅ぼしたとしたら、SICが全世界レベルで隠蔽していることにも納得がいく。国際的に許されることではない。
ただ、本当にそんな理由なのだろうか。ジェームズのことと同じように、もっと根の深い――深淵に隠れ潜んでいるかのような、もっと巨大な理由があるのではないだろうか。俺たちが想像していないような、驚愕の事実が。
――世界や歴史は、君たちが思うよりももっと残酷なんだ――
――僕は何度その真実に打ちひしがれ、逃げ出そうとしたか――
――でも、知らなければ何も変えられない。変わりはしない――
――その力は、真実を知ることによって得られる――
――そうだろう?――
耳が、キィンとする。頭の奥が静かになって、気が遠くなる。俺は思わず、手で顔を覆って俯いた。
「……ゼノ?」
フィーアの声が、微かに聞こえた。まるで呼び起こすかのように。
「どうかした?」
「……いや、大丈夫だ」
俺は軽く自分の頬を叩き、足を動かした。
天井の通風口の中を進むこと10分あまり。何度も直角に曲がったり斜め上に登ったりと、窮屈な空間であったため異様に体力を消耗してしまったようにも感じる。ようやく一番突き当りまで辿り着き、そこにはさっきと同じ網目状の通風口があった。今度は真横に付いており、そこから内部の様子をうかがうと、何やら広い空間が広がっている。深夜のためか元からなのか、内部は薄暗い。
「カールから送られたマップだと、この先で間違いないみたいだな」
と、後ろでノイッシュは自分のアームを見ながら言った。おそらく、この先が噂の機関「レーヴェン」の施設なのだろう。
「よし、さっさと行っちまおう」
俺は通風口を入る時と同じようにこじ開け、内部へと進んだ。
極秘機関レーヴェン――
そこに入るには、“早すぎた”のかもしれない……。