22章:氷顎の軍神
声が聴こえた瞬間、フロアの先――中心地に、砂嵐のように何かが出現した。それは徐々に人の形へと姿を成し……。
「あなたは……!」
そこに現れたのは、ゴンドウ中将――――なぜ、ここに!?
「お前たちがしようとしていることはわかっている。メアリー=カスティオンを連れ去りたいのだろう?」
俺たちが驚いている様を見つめ、中将は言った。
「残念だが、これ以上先へは行かせん」
「……中将閣下。メアリーは今回の事件について、何らかのことを知っている可能性があります。俺たちはそれを聞き出したいだけです」
俺は腰のグラディウスの柄を握って構えた。
「それはお前たちがしなくてもよいことだ。お前たちはまだ軍人でも何でもない、ただの“子供”だからな」
「なんだと……!?」
中将は蔑むかのように、小さくふっと笑った。
「世界の本質も見えず、ただ目の前にある存在にのみ目と耳を奪われ、その行動なぞ無意味な時間の浪費でしかないこと、未だにわからぬ貴様らは子供だということだ」
いちいち癇に障ることを言いやがって……! すると、いきなり脳天にチョップが舞い降りた。
「いて!」
「あんな挑発に乗らないでよ。ハイクラスなんでしょ?」
お前の台詞の方が挑発のような感じがするんだが……。
「それに、もしかしたらいろいろと聞き出せるかもよ」
急にフィーアは小さな声で言った。
「は? それはどういう――って、おい!?」
すると、彼女は中将の方へと歩み寄り始めた。距離的には10メートル以上離れてはいるが、危険だっていうことわかってねぇのかあいつは!
「それで、あなたはどちら様?」
俺たちと中将の間の真ん中あたりで、フィーアは立ち止まった。
「…………」
「ま、聞かなくてもわかってるけど。……ゲンジ=ゴンドウ軍部宙域空軍中将――かのカルタゴ紛争における英雄。左頬の鉄の装甲は、その時に負った傷を隠すためなんだっけ? たしか地球の東アジアに在った国の民族の子孫で、SIC内では結構迫害されていた移民集団の出自だったかな」
ぺらぺらと、女は喋った。しかし、SICで迫害されていた移民集団……? 何の話だ?
「長いSICの歴史の中で、その移民集団から幹部クラス――それも、軍部の中将にまで上り詰めた人間はいない。どれだけ苦労と努力したかわかる話よねぇ。……とは言っても、SIC内に住む人間がそれを知らないってことは、彼らを見ればわかるけど」
フィーアは俺たちの方へ振り向き、小さく笑った。
「その移民集団……歴史の表舞台から消えていたはず。SICが消し去りたい黒歴史の一部だったから。……あなたがSICに入ったのは、年齢から考えると2、30年くらい前かしら。でも、移民集団が歴史から消えたのは今から600年も昔。そうでしょ?」
フィーアがそう言うと、中将はにやりとほくそ笑んだ。
「ほう、あれらを知っているのか」
「やっぱり……あなたはあの一族の人間ね。知っているなら教えてよ。どうして“消えた”のか」
「お前如き“雑魚”が知る必要のないことだ。今更、あれらのことを掘り返してどうする? 貴様の探求心とやらのために、人間の浅ましい愚考の所業を表舞台に晒すつもりか?」
中将がそう言うと、彼女は小さく鼻で笑った。
「そうだと思うなら、さっさと罪を償いなさいってことさ。あなたが“あの民族”の出自だとして、どうしてその隠蔽に加担するのか知りたいんでね」
俺たちには、二人が何の話をしているのかがわからない。
移民? 迫害? いったい何のことだ?
「隠蔽か。そうなるやもしれん。その方が都合がいいのでな」
目を瞑り、中将はクククと笑う。どうしてか、そこには自嘲的なものも含まれているように感じた。
「あなたは全てを知っていて、SICに加担しているとでもいうの?」
フィーアは中将の微笑には一切触れず、冷たい口調で言った。
「全て? 何をもってして“全て”というのだ。世界は正義や悪だけで物語れるほど、薄っぺらくできてはいない。その本質を見誤るようならば、貴様の質問も意味を成さなくなる」
「あなたがSICに肩入れするほど、有益なことでもあるっていうの?」
「答える義理はない」
「……まったく、これじゃ埒が明かないわね」
彼女は小さく「やれやれ」と呟き、ため息を漏らした。
「アーネンエルベ、どこにあるの?」
「――――!」
フィーアがその問いを放った瞬間、中将の表情が険しくなったのを俺は見逃さなかった。それもまた、彼女なら気付いているだろう。
「驚いたな。GHの人間が、そこまで知っているとは。たかが一般兵が知っているようなレベルの話ではないはずだが……ふむ」
中将は一人で呟きながら、フィーアをじろりと見つめた。まるで、観察するかのように。
「……あんたこそ、どうして私がGHの人間だって知っているのかしら?」
「それこそどうでもいいことだろう。“Pollution in space by human race and control of infringement……宇宙空間内における、人類による汚染と蹂躙を抑止する”。それが貴様らPSHRCIの、昔からの目的。そのために、なぜあれが必要だというのだ?」
中将がそう言うと、フィーアは顔を左右に振った。
「あれは――ヒトの手に負えるようなものじゃない。有り余る力は、自らを滅ぼす刃になり兼ねない。そんなこと、力を持つあなたたちなら理解していることだと思うけど」
「貴様らならば、どうにかできるとでも思っているのか? 無論、あれがどこにあるかなど私は知らんがね」
中将は手を広げ、苦笑した。
「どうも、貴様は知りすぎているようだ。無駄に蓄えた知識は、時として毒を放つ。それはどの組織においても言えることだ……」
奴がそう言って右手を掲げた瞬間、その手に淡く青白い光が集い始めた。瞬間的に、冷気がこのフロア全体に駆け巡る。
「!! まずい、エレメントだ!」
22章
――氷顎の軍神――
「遅い。――氷霧に包まれよ、レイシヴェルサ」
集った光は四方へ瞬く間に散った。その刹那、俺たちを囲むようにして白く無数の刃――氷の剣が出現した!
「みんな、飛べ!」
ディンが大声を発し、俺たちは一斉に空中へ目一杯の力で飛び上がった。間一髪、氷剣の嵐から逃れることができた。地上では無数の氷剣が突き刺さり、粉塵とともに砕けた氷が舞ってダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いていた。その時――
「ゼノ、上!」
前方からフィーアの声が届き、上を向くと中将が巨大な剣を振り下ろしてきていた。俺は咄嗟に体を回転させてグラディウスで受けるも――
衝撃は強く、俺は地面に叩きつけられた。シールドも何も発生させていなかったため、衝撃が体を突き抜ける。それと同時に鈍痛が広がり、思わず、苦痛に顔を歪ませてしまう。いや、すぐに立ち上がらねば――!
俺は体を起こし、軽めのシールドを体全体に張った。
「ゼノ!」
それと同時に、ディンとノイッシュが地上に降り立った。
「大丈夫だ。中将は?」
上を見上げると、空中ではフィーアと中将が攻撃を互いに繰り返していた。フィーアは接近戦では扱いづらい星煉銃を使うのではなく、強力なシールドを張って威力を上昇させた格闘術で、中将の大剣に応戦している。そして、少し離れては銃で攻撃するも、中将はそれを一瞬にして交わし、大剣を軽やかに振りぬいていた。
お互いの攻撃の衝撃で、二人は再び地上に降りた。
「私の攻撃をこうも耐えるとはな。ただの一般兵ではないようだ」
「どれだけ自分の攻撃を過信してるんだか」
ふん、とフィーアは鼻で笑う。しかし、あいつよくあの巨大な剣からの攻撃を防いでいるな。
中将の武器――噂で聞いていたが、やはりでかい。刀身の長さは俺のグラディウスや、ディンのクレセンティアとあまり変わらないくらいだが、鉄の塊のように分厚く、太い刀身。それを振るう様は、鬼神のようだと揶揄されたことがあるほど。接近戦においては無類の強さを発揮する。
あの武器故に、ゴンドウ中将は巷では、頬の鉄製の皮膚も併せて「鋼の元帥」と言われているのを、俺は思い出した。
「エメルド、ロヴェリア、ガラント」
中将は俺たちの名字を呼び、こちらの方へ視線を向けた。
「最後の忠告だ。私に従い、宿舎へ戻れ。さすれば、今回のことも大目に見てやろう」
俺たちを誘うかのように、中将は手を広げた。
「ハイクラスのお前たち――特にSSSクラスのお前たちを失うことは、軍部の未来にとっては痛手だ。将来、お前たちは軍部の中枢だけでなく、SICそのものを動かすやもしれん逸材だ。ともにPSHRCIや太陽系を脅かさんとする者どもから、世界を護ろう」
それはまるで、定型句のような淀んだ欺瞞が見え隠れする、そんな言葉だった。俺たちを馬鹿にしているのかと思ってしまうには、簡単なものだった。逆にわざとそうしているような――挑発的な部分も含んでいるように感じる。
「嘘をつくなら、少しはまともな嘘をついたらどうですか?」
俺は笑みを浮かべ、そう言った。
「嘘ではない。これは軍部の意思の一つなのだ。私の“個人的な感情や思想”とは関係なく……な」
その瞬間、中将の方へ白く輝く光線が飛んで行った。だが、中将はそれを消えるかのような速さで避け、いつの間にか俺たちから見て右側の向こうへと移動していた。攻撃したのは言うまでもなく、あの女だ。
「私を無視してんじゃないわよ。中将ともあろうお方が失礼ね」
どんな理由なんだ、と突っ込んでやりたいのはやまやまだが、一先ず放っておこう……。
「それは失礼した。……フィーア=ジュリエット=エディンバーラ」
「……!?」
中将は軍服の裾に着いた汚れを手で払いながら、言った。
どうして、中将があいつの本名を――!?
「あなた、私を知っているの?」
「知っているも何も、“昔から知っている”さ」
中将はそう言いながら、こちらの方へと歩み寄り始めた。中将の言葉に、俺たちだけでなくフィーアも困惑している。
「どうして、中将が彼女の名前を……!?」
ディンは独り言のように、そう言った。
「そんなこと考えていてもしょうがねぇよ。わかりっこねぇんだ」
「ああ、ゼノの言うとおりだ。ここは、どうやって切り抜けるかを考えよう」
隣で、ノイッシュは大きく頷いた。
「……ゴンドウ中将と言えば、オフェンス系統のエレメントを駆使できる、前衛型の兵士だって言われてる。さっきのエレメントの威力・詠唱時間の短さを鑑みれば、想像以上なのかもしれない」
彼は冷静に分析しながら、それでも視線を中将から離さなかった。奴は巨大な剣を握り、ゆっくりと歩を進めている。
「おそらく、中将に応戦できるのは――いくらゼノやディンでも無理だと思う。けど、これは一対一じゃない。“四対一”だ」
軍部の英雄――鋼の元帥を打ち破るには、正攻法では無理だということだ。
「俺がエレメントで隙を作る。中将のエレメント能力から考えて、ダメージを負わせることはできないだろうけど、それくらいのことはできるはず。その隙に、ゼノとディンで目一杯に武器の強度を上げて、攻撃をしてほしい。フィーアには外から援護射撃するよう、言ってくれ」
「ああ、わかった」
俺たちは頷き、すぐさま立ち尽くしているフィーアの下へと向かった。
「今からノイッシュがエレメントで、中将の隙を作る。俺たちが接近戦をするから、お前は援護してくれ」
そう言うと、女は俺の方へと顔を向け、小さくため息をついた。
「……わかってるわよ。あの威力の攻撃を何度もされていたら、私の体も持たなかったでしょうし」
ふと彼女の足を見てみると、赤黒いあざとともに、血が滲んでいるのがわかった。足だけでなく、腕も。
「これでも最大限のシールドを張っていたんだけどね。あの人、軍部の中将なだけはあるわよ」
フィーアはくい、と顎を動かして中将を示した。あんな武器に対し、生身の体で立ち向かうお前もお前だが……。
「バースト、Lv5!」
ノイッシュの声とともに、中将の足元に光が集う。そして瞬く間にそれは爆発を起こし、土煙を舞い上がらせた。
「ディン!」
「了解!」
俺たちはお互いの武器の強度を上げ、爆発が起きた真上へと跳躍した。それは中将がそこへ飛んでくると見越したもので、やはり中将はジャンプをして避けていた。
俺たちは一気に攻撃を仕掛けた。しかし、中将は即座に大剣でそれを防いだ。
「甘いな」
「ちっ!」
俺たちは体を翻し、再び宙で切りかかった。だが中将は、あの巨大な剣でそれを素早く防ぐ。奴はそれを瞬時に払い、俺たちを一気に吹き飛ばした。
「――プラズマ、Lv7!」
「む!?」
その時、ノイッシュが再びエレメントを発生させた。紫電の光が、大蛇のようにくねくね動き中将を中心に集った。そして発光とともに、強烈な雷が奴を襲う。
「なかなか威力のあるエレメントを行使できるじゃないか。やはり、将来は有望だな」
中将はその雷の中心で、笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。――まさか、効いていない?
「ゼノ、畳み掛けるぞ!」
ディンはすぐさまエレメントを掌に集中させた。俺も同じようにしてエレメントを指先に集中させる。
「グラビティ、Lv5!」
「バーニング、Lv5!」
俺が発生させた磁気の歪み――まるでそこの空間が捻じ曲げられたかのような場所に、ディンの起こした紅蓮の焔が吸い込まれるように集い始める。一気に凝縮された炎は、中将を中心にして解放されたかのように、大きな爆発となって弾けとんだ。それはあまりにも強力で、この建物が揺れてしまうほどだった。床が微動して足に伝わり、天井からは埃がぱらぱらと降ってきた。
「あんたら、今のは……?」
驚いた表情で、フィーアが俺たちの方へ歩み寄って来ていた。
「エレメントの融合煉術さ。ちょっとした工夫、みたいなものだよ」
と、ディンは爆発が起きた場所、真っ黒な煙で覆われてしまっている所から目を離さず、そう言った。
その時――
「ぐあっ!」
ディンがいきなり、後ろに吹き飛んだ。鮮血が宙に舞う。それに気付いた瞬間――
「――!?」
俺の体に、衝撃が突き抜ける。俺はディンとは別の方向へと、吹き飛ばされた。
「融合煉術、使えるチルドレンがいるとは。さすが、“最高のチルドレン”ということか」
さっき俺たちが立っていた場所に、中将が立っていた。いつの間に、そこに――!
突然現れた中将にフィーアが銃を向けようとしたが、中将は目にも止まらぬ速度で二丁の星煉銃を弾き落とし、彼女の首を掴んだ。
「ぐっ……!」
「軍の中でも、お前たちに敵う奴は数えるほどだろう。だが私相手では分が悪い」
フィーアはぎりぎり足が床に届くかどうかで、苦痛に顔を歪ませている。くそ、助けてやらねぇと……!
「やめておけ。お前たちはその状態で、戦えると思っているのか?」
「何――!?」
立ち上がろうとした瞬間、体が床に引っ張られるような感覚になった。いつの間にか、下半身から胸元まで氷漬けにされていたのだ。それは床とピッタリとくっつき、離れることができない。俺はグラディウスで壊そうとしたが、それでも無駄だった。ディンも俺と同じように、仰向けに倒れて氷漬けにされてしまっていた。動かせるのは腕と首、顔だけだった。
「ガラント、動くな。娘の命は、私が握っている」
「……くっ……!」
この中で唯一、体が動かせるのはノイッシュのみ。だが、成す術がない。彼はただ歯を食いしばって、耐えるしかなかった。
「フィーア=ジュリエット=エディンバーラ。なぜ、貴様のような反政府組織の人間が、あいつらに肩入れする? 何を企んでいる」
中将は再び、彼女の方へと顔を向けた。
「何も……企んじゃ、いないわよ……!」
首を絞められているため、彼女はうまく呼吸ができていないのだ。
「一個人の感情で、協力しているのか? それとも、これも計画の内だというのか?」
「なんの話……をしてん……のよ……」
「わからないのか、わからない振りをしているのか……。まぁ、よい。カナンの民を知っている以上、早々に処分を――――」
その時、何かが――黒い影が、中将を襲った。一瞬の出来事で、その場から中将は消えていた。そして、誰かがフィーアを腕で抱えている。
あれは……!!
「ラ、ラグネル!?」
その場にいたのは、他ならぬラグネル――俺たちの馬鹿教官だった。俺に気付いたのか、ラグネルは俺の方に顔を向けてニコッと笑った。
「よっ。まだ無事じゃねぇか」
そしてラグネルはフィーアを下ろし、前を見据えた。その先にいるのは――中将。いつの間にか、フロアの奥の方まで退いていたのだ。
「ど、どうして……?」
戸惑うフィーア。だが、それはこの場にいる全員がそうなのだ。どうして、この場にラグネルが? なぜ助けてくれたのだ?
「嬢ちゃんは下がってな。お前らじゃ敵わん相手だ」
砕けたような笑顔で、ラグネルはそう言った。そして、ポカーンとしているフィーアの頭をポンポン、と撫でて「後ろに下がりな」と呟いた。
「……ラグネル司教。なぜ、ここにいる?」
中将はゆっくりと立ち上がり、言った。
「なぜって、そりゃあ俺がこいつらの“担当”だからですよ。どんな時でも面倒を見るのが、俺の仕事ですからね」
ラグネルは中将の険しい顔とは反対に、まるで無邪気な子供のように笑っていた。あれは余裕の表れなのだろうか。だが、どう考えても“上”なのは中将のはず。
「そいつらは軍規だけでなく、法をも破っている。それを見逃すことはできん」
「だから、その不始末は俺が受け持つって言ってんじゃないですか。こいつらのことは、俺が責任持ちます。それでいいじゃないですか」
笑うラグネルに対し、瞬きもせずに彼を睨む中将。ラグネルにはまるで敵意がないようにも感じられるが、きっと中将は“そうじゃないこと”を感じ取っている。いつでも反撃できるように、臨戦態勢なのだ。
――反撃? なぜ俺は、そう感じたのだろう。
「ゼノ、大丈夫か?」
ノイッシュが俺の方に駆け寄ってきた。
「あ、ああ。吹き飛ばされただけだしな。ただ、この氷が……」
どうやっても外れない。ただの氷じゃないのか?
「たぶん、エレメントの結晶体だからだよ。いわゆる封呪系統のものだと思う」
封呪――以前、メアリーが使っていたものと同じ類。メアリーは体内のエレメントを封じ、運動神経そのものを麻痺させるものだったが、中将の封呪は“物理的に凝固させて動きを封じる”ものなのだ。前者に関してはかけられた側の力やエレメントの対応能力によってどうにかできるが、後者はかけた側のエレメントの造形物で封じているため、本人のエレメントを上回らないと破壊できないのだ。エレメントの強度は、発動者のエレメント能力に比例するのだから。
「俺がエレメントを解除する。中将はあっちに集中しているから、どうにかできると思う」
そう言い、ノイッシュは氷に指先を触れた。そこが赤く光り始めると、氷は少しずつ融解していった。氷の強度は一気に衰え、俺の力技ですぐに破壊することができた。
「……お前、すごいな」
俺にはこういうことはできない。傍目には氷を溶かしただけのように見えるが、実は“エレメントの結合そのものを分解・解離させた”のであり、そうそうできることではない。
「前衛系だけじゃなく、後衛系統も訓練のうちさ。派手じゃないし、目立たないけどね」
ノイッシュはそう言って、恥ずかしそうに笑った。チルドレンのクラス――CG値というのは、どうしても“攻撃能力”の高さのことを示しており、必ずしも高ければ高いほど有能ということではない。彼やカールのように、後ろでカバーする能力に特化した人物もおり、それはクラス分けに際し加味されるものではないのだ。
俺たちはディンの下へ行き、彼も同じようにして氷の呪縛を解いた。俺とは違い、ディンの体には何かで切り付けられたかのような裂傷が刻まれていた。
「衝撃波か何かだと思う。シールドレベルを最大限まで張っていたのに、このざまだよ」
ディンはそう言いながら、立ち上がった。動けるほどではあるようだ。そして、俺たちはラグネルの方へと向かった。中将は大剣を握ったままで、動いていない。
「動けるようになったか。こういう時のために、補助エレメント教えとかないといけなかったな」
俺とディンを見るや否や、ラグネルはそんなことを言って笑った。
「それよりも、どうしてあんたがここに?」
「そんなことは、どうでもいいだろう? お前たちの目的はサラちゃんを助けること。そのために、メアリーをかっさらうんだろ?」
ラグネルは優しく微笑んだ。全てお見通しというわけか……。
「でも相手はゴンドウ中将ですよ? さすがのラグネルさんでも、無理があるんじゃ……」
ディンは若干、俯き加減で言った。たしかにいくらラグネルが強いとは言っても、相手はあのゴンドウ中将。俺たち4人でも歯が立たなかったのだ。どうにかできる相手ではないことは、この場にいる全員がわかっているはず。
「おいおい、俺を舐めんなよ? 俺はお前たちSSSクラスの担当教官だ。軍部の人間に負けるわけねぇだろ」
ラグネルはそう言って、ハハハと大口を開いて笑った。その自信はどこから出てくるのだと、俺たちは顔を見合わせて思った。
「さて、少しは相手をしてやろうかね。なぁ、“青二才”」
ラグネルは中将の方を見据え、大きく両手を開いた。それはまるで、“武器を持っていないからかかってこい”とでも言わんばかりに。
「……貴様」
その瞬間、中将が消えた。さっきまでいた場所に、土煙が舞う。それと同時に、目の前にいるラグネルの方から金属音が響いた。キィン――と。
「甘いぜ、中将」
ラグネルは“素手”で中将の大剣を防いでいたのだ。そして、そのまま2人は姿を消した――――いや、目にも止まらぬ速さで、移動しているのだ。宙のあちこちで、金属音が響く。それは中将の武器と、ラグネルの鋼鉄のような手足がぶつかり合う音だった。俺たちは辛うじて、二つの影が動いているような残像を見ることができるだけだった。もはや、何が起きているのかがわからないほどだった。
「ラ、ラグネルさん……ここまで強いのか? 相手は、あの中将だぞ!?」
ディンはあまりのことに、呆然と呟くかのように言った。誰もがそう思う。なぜならば、ラグネルは所詮特別教典局の司教位――軍部の中将とは段違いに低い位のはず。普通ならば、勝てっこないのだ。
「――レイシヴェルサ」
一瞬、青白い光がフロアを駆け巡った。あれは、最初のエレメントだ! 冷気が空間を埋め尽くす。
「そうはいくかってんだ。――消え去れ、パニッシュ」
宙に浮かんでいるかのように、ラグネルは姿を現した。かと思いきや、掲げた左手が赤く煌めく。それは中将の氷のエレメントを消し去ってしまった。
「何!?」
「おぉっと、逃がさんぜ」
再びラグネルは姿を消した。かと思うと、宙で大きな打撃音が響いた。そして壁に何かが打ち付けられ、瓦礫とともに粉塵が舞う。壁に埋まったのは、まさかの中将だった。
ラグネルが……中将を圧倒している!?
「さてと、そろそろ先に行きな」
ラグネルは俺たちの前へ降り立ち、そう言った。そして、奥へと進む扉を指差した。
「けど、お前……」
「お前らが気にしていることなんざわかっちゃいるが、それよりも大事なことがあるだろ。そうじゃねぇのか?」
俺の言葉を遮るように、彼は言った。たしかにラグネルの言う通りなのだが……。
「メアリーをかっさらったら、“カムロドゥノン”へ行け。事情を話せば匿ってくれる。ここまでしておいて、もう学院にはいられんだろうしな」
「そ、それを言ったらお前もだろ! どうすんだ!?」
中将に逆らったのだ。ラグネルもただでは済まされないはず。すると、彼は俺の方に顔を向け、ニカっと笑った。
「俺のことは気にすんな。これでも、局長のお気に入りなんでね」
そして、彼は再び中将の方へと見据えた。局長のお気に入りだからって、どうにかできることじゃねぇだろ――と言ってやりたかったが、あまりにも余裕じみているためか、それを言うのが馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。というよりも、ラグネルなら大丈夫だろうという、不可思議な信頼感があるといった方が正しいのかもしれない。
「……わかったよ。それじゃ、お言葉に甘えて先に進もうぜ」
ここであれこれ言ったって、たぶんラグネルの“余裕”は消えない。ああ見えて、いろいろ考えて行動しているのだろう。きっと、自分がうまく切り抜けられるようにするはず。
「フィーア、大丈夫か?」
ディンは彼女に声をかけた。さっきから、ずっと呆然としていたフィーアは、ディンの言葉でようやく我に返ったかのように、目をパチクリさせた。
「え、えぇ。ごめん、ボケッとして」
フィーアは落としていた星煉銃を拾い、腰に着けてあるベルトの装置に入れた。
「首、大丈夫か?」
俺がそう訊ねると、彼女は驚いたような表情を浮かべた。
「……なんだよ?」
「べ、別に。先に行こう」
俺は思わず、訝しげに頭をかしげてしまった。さっきからボーっとしたり、俺の顔を見て驚いたり……変な奴だな。まぁ、今に始まったことではないのだが。
俺たちは扉の方へと走り、ボタンを押して先へと進んだ。
ゴンドウはゆっくりと立ち上がり、服に着いた瓦礫の粉を手ではたいた。
「……どういうおつもりかな?」
不満を詰まらせた双眸で、彼はラグネルを見つめた。
「どういうつもりも何も、俺の勝手な判断ってやつさ。何か問題でもあるかい?」
それに対し、ラグネルは苦笑を交えて言った。
「大アリでしょう。今、知るべきでないことを知る“切っ掛け”になり兼ねない。この段階では時期尚早であると、イツァーク様が判断してのことです。それに……」
ゴンドウはゼノたちが進んだ先に、目をやった。
「カナンの民――あの女は知っていた。機密条項のはず」
「…………」
「これもまさか“計画”の一端ですか?」
ゴンドウの問いに、ラグネルは目を瞑って小さく微笑んだ。それは優しいものでも、慈愛を含んだものでも何でもなく、ただの“自嘲”しかないものだった。
「計画には関係ないさ。言っただろ、俺の“勝手な判断”だと」
「……では、あれのことを伝えていたのは……上の判断であると?」
「さあな、そこらの細かいことなんぞ知ったこっちゃない。どちらにしたって、この方が面白くなるんじゃねぇのか? 俺たちにしても、“上の方々”にとっても」
ククク、とラグネルは口元を抑えながら笑った。それは己の損益が絡んでいるのかどうか、ゴンドウにはわからなかった。
ラグネルは天井を見上げ、目を細めた。
「いいねぇ、崩壊の音色が少しずつ聴こえてくるようだ」
そして、彼は再びゴンドウの方へ目を向けた。というよりも、彼が持つ巨大な鋼鉄の剣に。
「なぁ、青二才。“俺の剣”、大事に扱ってくれよ?」