20章:その声が聴こえるのか
20章:その声が聴こえるのか
サラが俺の家に来たのは、もう13年前になる。今年であいつは16歳だから、3歳の時。彼女は孤児で、施設から親父たちが引き取ったのだ。
セフィロートではよく子供がよく捨てられる。理由は様々だが、一番の理由として挙げられるのは“CG値が低すぎる”というのものだ。CG値が低いというのは将来がない、ということに相当する。それは子供の両親にとっても同じこと。数値の高い子を持つ者たちには、それ相応の“待遇”というものが用意される。俺の両親がいい例だ。俺の学費、あらゆる諸経費が免除され、親父達のマンション代なども支給されている。
そう、SICによって働かなくても中流以上の生活が保証されているのだ。
だが低いCG値の者では、ここで生きることが非常に難しくなるとも言える。子供と自分たちの将来を悲観した夫婦は、生まれたばかりの子供のIDを消去し、チルドレン・ストリートと呼ばれる場所に捨てる。
そうして捨てられた子供たちは、政府非公認の組織「カムロドゥノン」というところに保護される。サラもそこに拾われ、育てられていた。
「女の子が欲しかったのよー」
と、幼いサラを抱いておふくろは言っていた。今でもその時のことはよく覚えている。サラを抱きしめ、おふくろはとても嬉しそうにニコニコしていた。親父はそれを見ながら、微笑ましそうにサラの頭を撫でていたっけな。サラといえば、何が何だかわかっていない様子ではありつつも、自分に笑顔を向けてくれる親父達を一瞥して、笑顔を浮かべていた。
サラに名は与えられていなかった。ほとんどの孤児には、捨てることへの贖罪なのかどうかはわからないが、名前が添えられている。いや、それがそもそも名なのかどうかさえもわからない。しかし、それは本当の両親から与えられる最初で最後の“思い遣り”なのだろう。
孤児院では「サラ」と呼ばれていたらしく、本来であれば引き取り手である俺の両親が新しい名を与えるはずだった。しかし、親父達は敢えてそのままの名にした。3歳までとは言え、そう呼ばれていたのだから変えるのは不憫だ――と。だから本来生まれるはずだった俺の妹の名である「ニーナ」を、セカンドネームとして与えた。苗字の「フェンテス」というのも、彼女を3歳まで育てていた人の苗字なのだそうだ。その人は4年前に亡くなってしまったが、サラはもう一人の“母”として慕っていた。
昔、それもまだ彼女がうちに引き取られて間もない頃、サラは俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでいた。そう呼んでいたことさえも、俺が忘れてしまうほどに。でも、いつしかそう呼ぶことがなくなっていった。理由があったような気もするが……覚えていない。俺が10歳になる前から天枢学院に入り、寮生活をしたもんだから、サラと一緒に暮らした期間ってのは短いのだ。ディンとよく遊んだ記憶はあるものの、その後ろを付いてくるだけだったようにも思う。
俺にとって、サラはなんだったのだろう。妹なのか、家族なのか。大切な人には変わりないけれど、それがとても不明瞭なのだ。
だから困惑する。未だに。
20章
――その声が聴こえるのか――
今回の事件のことは、親父達には言っていない。学院の方から大きな問題にするな、と強く言われているためだ。只でさえセフィロート急襲事件、事務次官暗殺未遂事件が立て続けに起き、民衆に不安感が立ち込めているからだそうだ。本来であれば大文句を言ってやりたいのだが、元々天枢学院に入ることを拒んでいた両親には、これ以上の不安を増やすこともないだろうとは思う。俺と同じで、戦場に出ることを強く反対していたからだ。長いことサラのCG値測定を行わなかったのも、天枢学院に入れないため。年齢が12になるまでにCG値の測定を行わなければ、入学する資格を失う。その場合は、通常の学校へ進むことになる。もちろん、CG値が0~50の子供たちもそういう道に進むことになる。
両親は、サラを“普通の女の子”として生きて欲しかったのだろう。
「あれだけのことがあったって言うのに、静か過ぎて気味が悪いんだけど」
と、テレビのニュースを見ながらディアドラは言った。不満気な表情を浮かべ、頬杖をつく彼女もまた、
体の傷は癒えていない。額や腕にはガーゼや包帯が巻かれている。
「情報隠蔽してるからね、当然だよ」
「……ノイッシュはやけに落ち着いてるね」
「そ、そうかな? 元々こういう性格だし……」
ちょっと慌てるノイッシュ。彼はどんな状況でも冷静に動くタイプだから、逆のタイプであるディアドラからしたら不満があるのかもしれない。
俺たちは俺とディンの部屋で、なんとなくテレビを眺めていた。サラがさらわれて2日――事態は何も進まずに、時間の針だけが先へと進む。
「サラ、どうしてるかな……酷いこと、されてないかな」
ディアドラは大きくうなだれ、弱い声を発した。
「泣いてないかな? お腹空かしてないかな……」
「おいおい、あいつは犬かよ」
と、俺は苦笑した。すると、ディアドラはキッと睨みつけてきた。
「ゼノ! 少しは心配しなさいよ!」
「い、いきなり大声出すなって」
急にでかい声を出すもんだから、思わず怖がった声を出してしまった……。
「さらわれて、もう二日も経つんだよ? 心配じゃないの!?」
「心配に決まってんだろ。けど、ここで俺たちがあーだこーだ言ったって、なんも変わらねぇよ」
「ゼノは本当に冷たいよね! こういう状況だっていうのに!」
怒りの口調で、ディアドラは勢いよく立ち上がる。目には薄らと、涙が浮かんでるように見えた。
「……こういう状況だからだ。お前だってそれはわかるだろうが」
「でもこっちからしたら、まるで他人事のように感じられるってことなのよ!」
「喚いちゃってまぁ、情けないねー」
その言葉が発せられた瞬間、ディアドラは後ろに振り返った。そこに立っていたのは……って、俺はもう驚かんぞ。あまりにもこういうパターンが多すぎる。
「フィ、フィーア! あなた、どうやってここに入ったのよ!?」
ディアドラは驚きのあまりかなり早口になってしまっていた。毎度まいど思うが、たしかにこの女はどうやってここに入り込んだのだろうか。天枢学院の警備システムってのは、そんなにざるなのか……。
「まぁまぁ、入り込んだ方法なんてどうだっていいじゃない」
と、女は舌をペロッと出して微笑む。異様にムカつくのは俺だけではないはず。
「てめぇ、勝手に入ってくんじゃねぇよ。誰の部屋だと思ってやがる」
「あんたとディンの部屋でしょ? わかってるわよ、そんなことくらい。馬鹿にしてんの?」
「はぁ?」
俺が睨みつけたのに、なんで睨み返されなければならないのか。
「真面目に答えられて、ゼノもポカーンだね」
と、ディンは笑って言う。そう、なぜこの女は真面目に答えるのか。そこはそうじゃねぇだろうと思うのだが。
「ともかくさ、今ギャーギャー喚いたって、心配したって何も意味はないさ。あなたもそれくらいわかりなさいよ」
女は微笑を浮かべながら、ディアドラに言った。
「……心配するのは当たり前でしょ! あなたには、大切な人がこういう状況になったことがないからわからないだけ!」
いつになく、ディアドラは強い口調だった。若干ではあるが、部屋の空気がピリッとした緊張感に包まれる。
「私はあなたじゃないから、あなたの気持ちなんてわからないよ。それに、そうすることは建設的じゃないと思うけど」
やれやれと思っているのか、女はため息混じりに言った。この様子だと、この女の発言でディアドラがブチ切れるかもしれんな……。
「建設的だとか、そういう問題じゃないのよ! 大事な人がさらわれたら、誰だって心配する。それは当たり前のこと! 国際的な犯罪組織にいるフィーアには、そういうことがわからないんだろうけどね!」
ディアドラは顔を紅潮させ、言った。さすがの俺でも、今のは暴言――のような気がした。今この場で、犯罪組織にいることなどは関係のないことなのに。
「それとも、そういう場所で育ったから普通の感情は持ってないっていうの? それがあなたにとって普通なのかもしれないけれど、私からしたらそれは“異常”よ! そんなの――」
「ディアドラ!」
彼女の言葉を遮るかのように、ディンは立ち上がった。もしディンが立ち上がらなければ、俺がディアドラの口を塞いだかもしれない。
「言い過ぎだよ、落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょ! ゼノもディンも、どうしてそう冷静でいられるのよ! サラが連れ去られたのよ!? 政府も軍部も学院も何もしてくれないなら、私たちがどうにかしれてあげなくちゃいけないのに!!」
彼女の瞳から、一粒の大きな涙の雫がこぼれ落ちた。それが発端かのように、無数の涙が彼女の頬を流れ始める。
「ゼノもディンもおかしいよ! 大事じゃないの!?」
「ディアドラ、君の言いたいことはわかる。……わかるけど、その“どうにかすることのできる僕たち”が慌てふためいたって、解決の糸口は出てこないよ。冷静に考えないとダメなんだ」
優しく諭すように、ディンは言った。だが、今のディアドラにその言葉は焼け石に水だった。
「本当に考えてるの? 私からしたら、サラのために何かしてやれないかって、まったく考えていないように見える!」
「心配することだけが、想うことなんだと思ってるようなら……あなた、どうかしてるわよ? 少しは冷静に周りを見なさい。今の状況、ガキが喚いてるだけにしか見えないね」
「――なんですって!?」
思わず、ディアドラは女に掴みかかろうとした。歯を食いしばり、俺の時と同じようにビンタを食らわせようとしたのだ。
「ディアドラ、やめろって!」
今度は俺が立ち上がり、彼女を抑えた。
「どいてよ!」
「落ち着け。おい、お前も言い過ぎだ。少しは配慮しやがれ」
「はいはい、あんただけには言われたくないけどね~」
ニコッと微笑み、女は言った。言い返せないところが悲しいが、いちいち余計なことを言う奴だ……。
「ゼノ、あなたはどうなの!?」
「……何がだ」
ディアドラは涙で潤んだ瞳で、俺を睨みつけた。銀色の双眸が、キラキラと輝いている。だが、それは涙のせい。今は普段の美しさではなく、俺を疑う強い意思がはっきりと浮かんでいた。
「ゼノにとってサラはなんなのよ。大事な家族なんじゃないの!?」
「大事だよ。当たり前だ」
「じゃあ、どうしてそんなにボケっとしてるわけ!? ラケルに比べたら、どうだっていいってこと!?」
「――――っ!」
その瞬間、ディアドラは歯を食いしばった。それは痛みを堪えるためのものだった。
俺は――いつの間にか、彼女の手首を掴んでいたのだ。
「お前……どう言う意味だ、それは?」
ディアドラの細い手首が折れてしまいそうなくらいに、俺は強く握りしめていた。だんだんと、彼女の表情が苦痛で歪み始めていく。
サラと――あいつを、比べやがったな……!
「ゼノ!」
止めようと、ノイッシュが立ち上がる。それにハッとした俺は、握りしめている手の力を抜いた。すると、ディアドラは俺の手を振りほどき、強く睨みつけてきた。
「大事な人なら――がむしゃらになってよ!」
今日一番の声を張り上げ、ディアドラは部屋を出ていった。部屋にその声が反響していないはずなのに、頭の中でその言葉が何度も繰り返される。これではまるで、核心を突かれたみたいじゃないか……。
「……やれやれ」
ディンはため息をつき、椅子にゆっくりと座った。
「フィーア、気を悪くさせてごめん。ディアドラは、そういうつもりはなかったんだよ。きっと」
苦笑しつつ、ディンは言った。なんとなく、俺に気を遣っているように感じる。
「別に、気にしてないさ。本当のことだから」
お手上げのように手を挙げ、女は自嘲するかのように笑った。
「ま、あの人なりの“優しさ”なんでしょうね。それが悪いだなんて思わないけど、そうやってうじうじ考えたって時間の無駄だと思うだけってこと」
「そういう考え方が“優しくない”ってことなんだよ。ディアドラにとってはね」
ノイッシュはそう言った。
「俺もゼノもディンも――まがりなりにも、ハイクラスのチルドレンだからね。戦況把握のために、如何なる事態にあっても冷静に判断するために、感情を律する訓練を受けてきたんだ」
「それは彼女も一緒なんじゃないの? たしか、Aクラスでしょ。それであのザマだって言うなら、ネフィリムもゼノたち以外大したことないって思っちゃうけど」
歯に衣を着せぬ言葉……俺も大概口が悪いとは思っているが、この女も相当だぜ。若しくは、やっぱり怒っているかだな。……それを言えば、俺もそうだが。あいつのことを出されて、思わずカッとなってしまった……。
「精神的に、ディアドラはあまり強くない。メンタルの強靭さで言えば、Cクラスのサラとあまり大差ないと思う。それに……」
ふぅ、とノイッシュはため息をついた。
「サラに対しては、思い入れが強いんだよ。しょうがないさ」
と言いながら、彼は俺の方に目を向ける。事情を知っているからこそ、俺も納得できるのだ。それはディンも同じ。この場でわからないのは、女だけ。
そのしん、とした空気を感じ取ったのか、女は眉間にしわを寄せて頭を横に傾け、怪訝そうな表情を浮かべた。
「……あなたたちの事情もあるんだろうけど、若干イラつくのよね。そうやって除け者にされるの」
「お前には関係ねぇってことだ。察しろ」
そう言うと、女は舌打ちをした。その様子に、俺も思わずイラッとしてしまった。俺が何かを言おうとすると、女は俺たちを一瞥して言った。
「関係ないって言うなら、最初っから“ごめん”だのなんだの言い訳みたいなこと言うな。ディアドラのさっきみたいな暴言に対して気持ちを汲んで欲しいなら、ちゃんとしなよ。じゃなけりゃ謝るな」
「…………」
強く、真っ直ぐな女の紅い双眸。怒りもあるが、それだけではない確かな意志がある。俺もノイッシュも思わず、その強き瞳から視線をそらしてしまった。
「ディアドラとサラは同じ孤児院出なんだ。ここ、セフィロートのね」
沈黙を破るかのように、ディンが言った。
「サラも――ってあの子、孤児だったの?」
腕を組んでクエスチョンマークを浮かべている女は、俺に目をやった。そう言えば、こいつにはそういう話は一切してなかったな。俺は小さく頷いた。
ディアドラも生まれたばかりで捨てられ、カムロドゥノンに保護された。サラが俺の家に引き取られるまでは、姉妹のようにして育ったのだそうだ。俺たちがディアドラと初めて会った時は知らなかったが、6年前にサラが入学して事情を知った。というよりも、サラも会うのは数年ぶりだったそうだ。ディアドラも6歳の時に引き取られ、3年ほどルナの方で暮らしていたそうだ。
「へぇ……そうだったんだ。姉妹みたいな存在というよりも、ほとんど姉妹って感じか。でもさ、ちょっと疑問なんだけど」
と、女は手を挙げて言った。
「セフィロートでの孤児問題――チルドレン・ストリートの問題は聞いたことあるけど、あれって低数値のCG値だからってのが理由でしょ? ディアドラはハイクラスなんだから、捨てられる理由がないじゃない」
「……ディアドラは本当に“捨てられた”んだよ」
ノイッシュが、小さく言った。それを聞いて、女は最初は頭をかしげていたが、すぐにわかったのだろう、小さく頷き始めた。
ディアドラから――というよりも、その亡くなった施設のおばさん(サラの親代わりだった人)から聞いた話だが、ディアドラの両親はFGI社の役員だと聞いた。名前までは知らないが、不倫の末生まれた子供らしい。将来を悲観してではなく、“要らない子供”として、彼女は捨てられたのだ。引き取られた理由も、6歳の時に行われたCG値測定で高い数値が出たため。厳しい家庭環境で育ったと聞く。
「ふーん、いろいろあるんだ。ま、だからと言って可哀想だなんて思わないけど」
いちいち、一言余計なんだよなこの女は……。いや、人のことを言えたわけじゃないが、他人のことは尚更気になるというか。
「かくいう私も孤児だしさ」
「え!?」
ノイッシュとディンは、目を丸くさせて驚いた。そういや、孤児だって話を聞いたな……。育てたのが、ウルヴァルディという幹部だとか。
「そ、そうだったんだ……」
「まぁね。だからって何か変わる? 何も変わらないわよ。私は私」
うん、と腕を組んで女は一人で大きく頷く。
「今の自分の脆さとか、弱さに理由は要らない。弱いなら強くなればいいし、脆いなら崩れないように考えればいいだけのこと。そういう意味で“時間の無駄”って言ってるんだけどね」
まったく――とため息を混じらせ、女は俺のベッドに腰掛けた。
「けど、喚きたくなる気持ちはわからなくもない。大事な存在だっていうなら、尚更でしょうし」
その言葉に、俺は少なからず驚いた。稀にだが、この女は共感するようなことを言う。サラの時もそうだった。
「でもさぁ、近くに手がかりがあるんだから、焦らなくてもいいと思うんだけど」
「……手がかり?」
俺たち三人は、一緒に頭をかしげた。それを見てか、女は呆れたかのように肩をガクッと落とした。
「あんたたち……それでもハイクラスのチルドレンなの? 呆れるわよ」
「うっせぇな。いいからさっさと教えやがれ」
俺は痛いところ突かれたのをかき消すかのように、怒気混じりに言った。
「ゼノ……卑怯な……」
ディンも呆れてしまっていた。
「ったく、しょうがないわね。よーく考えなさいよ、今ここに誰がいるのかを」
女は長い脚を組み、人差し指を立てて言った。
「重要参考人がいるじゃない。モロに」
「……お前か?」
「違うわよ!!」
なんと女はベッドにあった時計を投げてきやがった。
「うぉっ! てめぇ、俺の時計だぞ!?」
「あんた、ワザと言ってるでしょ!?」
「いや、だってお前の所属する組織がしたことだろうが」
そう言うと、女は苦虫を噛んだような表情をした。
「たしかにそうだけど、もう一人いるでしょうが!」
認めやがった……。
ん? もう一人?
「もしかして、メアリー=カスティオン?」
ノイッシュが言うのと同時に、女はパチンと指を鳴らした。
「正解!」
「……けど、サラがさらわれる時、彼女はチャールズに反抗していた。事情を知らないような感じだったな」
と、ディンが言った。確かに、頑なにサラを渡そうとはしなかった。兄の行動に、戸惑いさえ抱いているようだった。
「設立者の娘で、現代表の妹のメアリーがなんの事情も知らないですって? 無い無い、絶対にあり得ないね」
女は自信たっぷりに言い放った。
「あの子をさらう“計画”に加担はしなかったんでしょうよ。でも、あの時の――軍部による掃討作戦があるってことを知っていたから、待ち伏せしていた。違う?」
「まぁ、そうだな。俺がいるってことも、あの山に……」
あの山に……?
俺がなぜ、あの山に行くことがわかったのだろうか。あそこに入ることを知っていたからこそ、俺たちを襲ったのではないか。仮に俺が偶然あそこに来たのだとしても、俺を怨んでいるメアリーが戸惑いをほとんど見せず、俺に銃口を向けることはできない。俺が山に来ることも、市街地へディンたちが行くことも知っていたのではないか。
俺が理解し始めたことに気付いたのか、女はこくりと頷く。
「そう、軍部の中に内通者がいる。あ、ちなみに私は違うよ。じゃなけりゃ、ゼノを助けたりしないしね」
きちっと、自分の弁明も挟みやがった。だがしかし、今回のことにこいつが関与しているとは思えない。GHに戻ろうとしていたとは言え、もしそうだとしても、今解決の糸口を教えるのはおかしくなってくる。
……その方向に持っていこうとしている? だがそうだとしたら、今までの行動とは辻褄が合わなくなる。ジュピターで俺たちに協力し、闘う意味さえなくなる。
「あの作戦が行われること、そして恐らくだけど、そのなんとかっていう制圧システムとやらが故障し、宇宙空間で艦隊とGHが戦闘するってことも、メアリーは知っていた。そうすれば、辻褄が合うけどね」
「目的が何にせよ、メアリーは自分の組織がGHと結託していることをは知っていた……?」
ディンは自問自答するかのように言った。
「本意ではないにせよ、自分の兄貴が何らかの目的――もちろん、本当の理由は知らされていないのかもしれないけど、彼女本人が結託するのに“納得できるような理由と目的”がある。それは間違いないでしょ」
たしかに、女の言うとおりだ。
「メアリーは俺を死ぬほど怨んでいる。SICもな。だが、結果的に俺を殺し、SICに一泡吹かせるためだけかと言ったら、それこそ違う。それだけのために、あそこまで回りくどいことはしないはずだ。もっと直球でくるはず」
感情に突っ走れば、俺をあそこで殺していただろう。あの時、メアリーは何度も俺を殺せる機会はあった。もちろん、あんな銃では死なないが、それでも傷付けることはできたはず。なのにしなかったということは、目的があった他にならない。
「じゃあ、メアリーに話を聞くしかない、か」
「でもどうやって? 彼女は重要参考人として、軍部の地下に収容されているって聞いたけど」
ノイッシュは頭をかしげて言った。
「それを今から考えるんでしょ?」
「……また侵入作戦かよ」
はぁ、と俺はため息をついた。フィラデルフィアの時と同じだ。しかし、あの時とは訳が違う。今回は軍部の中に入らなければならない。俺たちチルドレンも、滅多に入るような場所ではないのだ。
「まぁまぁ、そんな顔しない」
女は楽しげに笑いやがる。
「なんでお前はそんなにウキウキしてんだよ……」
「だって、侵入とか楽しいじゃない。ワクワクドキドキ~みたいな!」
キャハッと、女は笑った。
「――で、どうするよ?」
俺は可愛こぶる奴を無視し、ディンたちに話を振った。面倒くさいから放っておいたほうがいい。絶対に。
「ちょ、ちょっと! 流石の私でも恥ずかしいのよ!?」
「さて、お二人さん。これからについてなんだが」
「……な、なんで丁寧なんだ?」
このあからさまな対応に、ディンたちは苦笑するしかなかった。
「ジオフロントから入る!?」
思わず、俺たちは声を揃えて発した。女はこくりと頷く。
ジオフロント――そこは、政府の要人や軍部、そして俺たちチルドレンなどの戦艦や宙域移動用宇宙船が出入りする場所。以前、この女が厳重な警備システムに守られているはずのセフィロートに入れたのは、ここの警備システムが解除されていたため。
「そこから、軍部の隔離施設に行けれた。私が隠れていたのは、何を隠そう軍部の地下収容所だからね。メアリーがそこにいるのなら、案内できるけど?」
ふふん、と女は無駄に偉そうに言った。なんか最近、調子に乗っているような気がするのだが……気のせいではあるまい。
「それで、ジオフロントの警備と監視システムからどうやって逃れるんだ? 今までみたいに、簡単にはいかねぇと思うぞ」
「そうね……あの時は、恐らくだけど警備システムが解除されていた。入ってきた時、誰も警備していなかったもの」
女はそう言いながら、うーんと唸る。そう、一番の疑問はそこなのだ。どうやって警備やシステムが解除されていたのか――。内部の、それもLEINEのシステムに関与できるほどだ。相当な役職の人間、或いはかなりの人数が関わっていると考えられる。そもそも、LEINEに関与できるのはどこの役職からなのか、俺たちには情報が少なすぎてわからない。ただ単に“上の人間”としか想像できない。
枢機卿――?
もしかすると、事務次官か? それとも、学院?
どちらにせよ、かなり大掛かりなことには間違いない。ここ最近の一連の事件――どう考えても、“そいつら”が関わっていることには間違いない。だが……。
「たぶん、どうにかできるかも」
その時、ノイッシュが呟くかのように言った。俺たちは一斉に彼の方に視線を向けた。
「……いつだったかな、教官から聞いたことがある。ジオフロントに限らず、セフィロートの監視システムにはアップデートの時間があるんだよ」
「そのアップデートになんかあんのか?」
そう問うと、ノイッシュは頷く。
「そのアップデートの間だけ、監視システムが休止するんだってさ。もちろん、一斉に行うと問題だから部分的に行って順次切り替えていくらしい」
例えばABCという区画ごとの監視があるとして、Aのアップデート中は他の監視のBとCがAの監視も行うらしい。しかし、この切り替えの時間、短い時間だが監視システムの行き届かない範囲が生まれるという。
ただこれはセフィロート内のことだけで、外に関しては24時間、完璧に監視されているのだとか。それなら中もきちっとしろよ、と言いたくはなるが。
「……お前ら、それを掻い潜ってきたわけじゃねぇだろ?」
「当たり前じゃない。私でも結構堂々と入ってきたわよ」
だよなぁ。できたら俺やディンに捕まるわけがない。
「その空白場所ってのを特定さえすれば、ジオフロント内に入り込めるんだろうか?」
と、ディンは言った。
「教官の言うことが本当なら、そうだと思う。けど、そこが問題なんだよなぁ……」
「コンピューターに入り込んで、引っかき回すしかねぇだろ。前みたいに」
「前? 前って?」
「ん?」
ヤバイ、そう言えばフィラデルフィアの設計資料などに入り込んだことを言ってなかった。
「えぇっと、とりあえず思ったんだけど、カールに頼んでみないか?」
オホン、と咳をしてディンが言った。半ば無理やり、今回の侵入作戦に持ってこさせた。流石に、あの騒動が俺たちの仕業って言ったら、ノイッシュも怒りを通り越して呆れてしまうかもしれん。
「カールか、たしかにね。俺たちの中で、一番情報に詳しい。もしかしたら、ハッキングとかできるかも」
CG値はサラと同程度とロークラスだが、情報・コンピューターに関しては学院トップクラス。参謀部を目指しているため、実戦のミッションにはほとんど参加しないのがカールだ。
「よし、カールを呼ぼうか。えぇっと、カールの番号はっと……」
そう言いながら、ノイッシュは自分のアームを取り出し、カールに電話をかけ始めた。
「ところでさ、ちょっと聞きたいんだけど」
すると、女が俺の肩をちょんちょんと突っついてきた。いつの間にか、俺の背後に立ってやがる。
「……なんだよ?」
「どうしても答えにくいなら言わなくても構わないんだけどさ」
「だから、なんだよ?」
「ラケルって、あんたの知り合い?」
「…………」
空気が固まった――というより、俺とディンだけだろう。ノイッシュはカールと話していて、聞こえていないのだから。
「……それが、お前に関係あるのか?」
ひと呼吸を置いて、俺は問い返した。
「いや、私の知り合いと同じ名前だと思ってね。まさか同じ人じゃないとは思うけど」
うーん、と女は唸る。事情を知らないのだ、しょうがない。だが、それでも俺は……。
「ほら、見てみなよ。すっごく青いよ!」
どこからともなく、声が聞こえた気がした。楽しそうに、幼さの残る笑顔を俺に向けて。
「どうしたの? 急に険しい顔しちゃってさ」
女は覗き込むようにして、俺の顔を見つめている。ただただ、不可思議なものを見るように。
「……カール、今からこっちに来るってさ」
ノイッシュの声に、俺は現実に引き戻された。彼は俺の心が動揺していることに気付かず、カールが来るまでの間、作戦について話し始めていた。
女は俺のただならぬ雰囲気に、何かしら悟ったのではないかと思う。普通ではないのだから。
ラケル――
俺は今でも、あいつに心の一部分を支配されているような気がする。時間が経っても尚、あいつの声が俺の中で反響する。まるで、自分の存在を忘れさせないように、そこに息衝いていることを常に気づかせるために。
俺は胸に手を当て、顔を俯かせた。
忘れられるわけがない。
忘れられるわけが、ないじゃないか。
俺があの時の――あの日々のことを、忘れられるわけがない。それは俺だけでなく、ディンも同じだ。俺たちにとって、あの頃がどれだけ大事だったかなんて、言わなくてもわかるほど。
もう二度と、大切なものを失わないためにも――同じことを繰り返さないためにも、俺はあいつを助けたい。ただ後悔するだけなのは、もう嫌なのだ。