19章:あの瞳を求めて
誰だって、誰かにすがりたくなる時もある。
私たちはこの世界に比べればちっぽけで、果てしなく弱い存在。
でも――それでも生きようと思うのは、
人や、この世界が好きなんだからだと思う。
こうやって触れるだけでも、私たちはその心を重ねることができる。
その瞬間が、人というか、命の輝きのようなものに感じるの。
遠い昔……私は別の誰かで、あなたも別の誰かで。
今みたいに、手を取り合っていたのかもしれないね。
そう考えたらさ、
死んでしまうことは、決して別れじゃないって思えるんだ。
こうして、再び出逢えたのだから……
また、逢えるんじゃないかって。
私は、明日を夢見るよ。
一つが十になって、無限の意志として世界を駆け巡る。
いつか、私もそういう存在になれると思う。
あの青い空の上で、いつまでも。
FROMS.S掃討作戦は終わった。こちらの被害は当初の予測を大きく上回るもので、新兵器の実戦データさえもうまく集めることができなかった。そればかりか、S兵器の破壊・回収は失敗、代表チャールズ=カスティオンも捕まえることができなかった。
俺は着艦したフィラデルフィアの緊急治療室へと移動させられ、そこで治療を受けていた。思ったよりもエレメントによる外傷が激しく、あの後、俺はそのまま気を失っていたのだ。
まどろんだ意識の中で、俺は探していた。その中で、誰を探しているのか――何を探しているのか、まったくわからなかった。だが、それはずっと昔から護り続けていた“宝物”のようなもので、失ってはならないものだということだけはわかっていた。それがわかっているのに、わからないふりをして、気付かないふりをして過ごそうとしていた。失ってしまえば、それはもう二度と手に入らないのだということに、気づいているはずなのに。
どうして、自分の目の届くところにないのか。
しかし、突如として気付く。……“それ”は、俺の目の前で失われたのだ。
おれは……“また”何もできずにいた。ただその場に倒れているだけで、その光景を見ているだけしかなかった。
悔しい、哀しい、許せない。
それは全て、自分に対する怒りへと直結していた。自分が弱いから――あの頃から、まったく進歩していないからだ。大切なものだとわかりきっているのに、どうして俺はもっと慎重になれなかったのか。
その真っ白な意識の中、俺はただ……ただ、悔やんでいるだけだった。現実は何も変わらないということを、心のどこかで悟っておきながら。
目が覚めると、広がっているのは白い壁――白い天井だった。
19章
――あの瞳を求めて――
「…………」
白い布団を掛けられ、点滴を打たれている。俺は……そうだ、あの場で気を失ってしまったんだ。
周囲を見て見ると、ケガ人で溢れかえっていた。この巨大なフロアに入れるだけの患者が入っているように感じる。とはいえ、一部を除いてみんな治療を終え、ゆったりと休んでいるように見える。そう言えば、ディアドラたちがケガ人の治療に当たっていたな……。
「目が覚めたんだな!」
その声がした方へ顔を向けると、ノイッシュが俺の所へと駆け寄って来た。
「半日以上も寝ていたから、心配したよ。まぁゼノのことだから、大丈夫だとは思っていたけどさ」
安堵した表情で、ノイッシュは言った。子供っぽい表情が、俺をなんとなくではあるが安心させてくれる。
「それがケガ人に対する言葉かよ」
俺は苦笑してそう言うと、彼も同じように苦笑した。
「ハハハ、褒めてるんだよ。ともかく、骨には異常はなかったから、点滴が終わったら動いてもいいってさ」
俺は自分の腹部に触れてみた。包帯でぐるぐる巻きにされているものの、既に痛みはほとんど感じない。火傷のような状態にされていたが、俺たちチルドレンの持つ能力の効果なのか、そういった傷は治りやすい。包帯を巻いて安静にしているだけで、勝手に治ってしまうのだ。
「ディンたちは?」
「……今、教官や軍部の人たちと事情を話してる」
少しだけ、ノイッシュの顔は曇っていた。チルドレンがさらわれる――そんなことは、今までなかった。もしかしたら、初めてのことかもしれない。そんな事態が“軍部主導の作戦”で起きたことは、特別教典局だけでなく、SICに対する批判が高まる恐れがあるのだ。
「……俺も行こう」
「え、大丈夫なのか?」
立ち上がろうとする俺に対し、ノイッシュは手を差し出した。
「ああ、もう大丈夫だ。そもそも、なんで気を失ったのかよくわかんねぇし」
と、再び苦笑する。そう、なぜ気を失ってしまったのだろうか。ショックなことには変わりはないが、そこまで重傷ではなかったのに。
俺はノイッシュと一緒に、作戦司令部のある艦橋へと向かった。
長い通路を抜け、エレベーターで上の方に移動すると、そこはフィラデルフィアの中枢――艦橋だ。自動ドアを抜けると、そこに広がるフロアにはいくつものコンピューターが整然と並び、多くの隊員たちが忙しく動き回っている。天井は高く、ゆうに5メートル以上はあり、巨大なモニターと外の景色をみることができるものになっている。フィラデルフィアの艦橋、つまりブリッジに入るのも見るのも初めてだが、ここまで広く、設備が整っているのも珍しいだろう。さすが“三叉槍”の一つと言われるだけはある。
「ゼノ、気が付いたのか?」
ブリッジで最も高い場所――最高指揮官と参謀総長など、作戦の各司令官が集まる場所でもある――に行くと、軍部の人たちと一緒にいるラグネルが俺に気付いた。もちろん、ディンもいる。
「ああ。ケガは大したことない。それより……」
彼らに近づき、俺が言いかける前にラグネルはうなずいた。
「フェンテスのことか。まだ居場所は掴めないんだよ」
ラグネルは腕組みをして、ため息を漏らした。
「君がゼノ=エメルドか」
そう言って近付いてきたのは、ゲンジ=ゴンドウ中将――今回の作戦の総司令官だ。こうして話すのは初めてだが、かなりの威圧感がある。“軍部の英雄”というのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。
「初めまして、中将閣下」
「挨拶はいい。それより、君にも事情を聞いておきたい」
小さく頭を下げた俺に対し、中将はどこか冷めたような口調で言い放った。もとからこういう人なのだろうが、あまりいい気分はしないものだ。
「サラ=フェンテスをさらったのは、チャールズ=カスティオンとGHの男でいいんだな?」
「……はい」
俺はこくりとうなずいた。
「ロヴェリアの話では、奴らは“彼女”が目的のような口ぶりだったと言っているが」
そう言えば……サラを人質にしていたメアリーに対し、チャールズは「いいから渡せ」と何度も言っていた。となると、最初からサラが目的だったのか?
「たしかに、そんなことを言っていました」
「そうか。残念だが、未だ奴らの消息は掴めん。山岳地帯から出現した“宇宙船”に乗っている可能性が高いが、どこに移動したのかはまだわからん」
中将は眉間にしわを寄せ、さっきのラグネルと同じようにため息を漏らす。
「消失した現場から検知できたデータによると、今まで見たことのない時空の揺らぎが発生していたのがわかります」
中将の隣にいた、参謀総長と思しき年配の男性が言った。中将よりも年上に感じるが、役職としては下になるのだろう。
「これは100%ではないが、我々が使っているCNによるワープ航法に近い。あれを行った後の波長がよく似ている」
「ということは、奴らはCNにアクセスしているってことですかぃ?」
ラグネルはモニターに表示されたデータを覗き込みながら言った。
「いや、LEINEにはそのようなアクセス履歴は残されていない。そもそも、LEINEには枢機院より認可されたIDでしかアクセスはできないようになっているからな」
CNを利用してのワープ航法や、仮想空間――VISIONへのダイブはそれら全てを統制・制御している「LEINE」の許可がいるのだ。
「じゃあ、あれは別の方法を使ってのワープ航法になるんですか?」
と、ディンが訊ねる。
「それはわからん。あの場に残された波長データを見るに、似ているが別のものと考えていいだろう」
参謀総長もどうしてそれができるのかわからないため、首をかしげてしまっていた。
「GHが別のワープ航法を開発した――という可能性はないんですか?」
俺がそう言うと、中将は苦虫を噛んだように唸った。
「否定できんな。奴らはS兵器も開発しているし、噂ではまだ配備されていないはずの“E兵器”も開発されているらしいのだ」
「あれを!?」
E兵器――!? あんなものまで、奴らは開発できるって言うのか? だが、あの格納庫にあった大量のS兵器を見れば、納得できなくもないが。
「あいつの……サラの捜索は、いつから始めるんですか?」
「まだ未定だ。チャールズたちの消息が掴めない以上、無闇に動きまわることもできん」
中将は今までと同じように、冷たい口調で言った。それが、俺の勘に少しだけ障った。
「けど、あいつはただのチルドレンですよ? 今は何かしらの利用価値があるから生かしているかもしれないが、殺されない保証なんてどこにもない。今すぐに、捜索隊を出すべきです」
奴らがサラを目的としていたならば、今はまだ危害を加えてはいないはず。そうでなければ、あそこまで事を大きくしていないと思う。
しかし、中将の表情はさっきと変らない。焦りを感じている俺とは全く違うためなのか、俺の怒りは徐々に大きくなっていく。
「そうだろうが、今はまだ無理だ」
「じゃあ、どうするって言うんですか? このまま時間を浪費すれば、危険性が増していくのはわかりきってることじゃないですか!」
俺は思わず、声を荒げた。だが、中将はいたって冷静なままだった。
「お前には理解できないのか? 今のまま捜索隊を派遣したところで、なんの解決にもならん。それこそ、浪費というものだ」
たしかに、中将の言うとおりだ。奴らの足跡――それが見つかっていない現時点では、捜索隊を出しても意味はないだろう。だが……!
「そうかもしれません。けど、だからと言ってこのままにしておけるわけがない! 行動を起こさないと、奴らの情報さえ見つからないんですよ!?」
「お、おいゼノ」
俺は中将に詰め寄っていた。それを止めようと、ラグネルが割って入ろうとする。
行動の後に結果が付いてくる。奴らを見つけようとしなければ、何も解決しない。解決させようとしている気持ちが感じられないから、俺は憤りを感じているんだ。
「……お前は、彼女――フェンテスと親しかったようだな」
なぜ、そういう質問をするのか――それを考える前に、俺はうなずいていた。
「親しい者が危険に巻き込まれれば、お前のように心配するのも、焦りを抱くのも当然だろう。だが、それで“普段の思考”を失ってしまっては、元も子もないぞ?」
「…………」
「今は我慢する時だ。まだ軍人でもないお前に出来ることと言えば、待っているだけしかないのだからな」
待っているだけ――!?
「それはどういう意味です!? 俺が軍人じゃないから、あいつを救うことも――助けようと努力することさえもできないって言うのかよ!」
「ゼノ、落ち着け!」
一気に詰め寄ろうとした俺を、ラグネルが無理やり抑え込んで静止させた。だが、俺はそれでも中将に詰め寄ろうとする意志や、睨みつける自分の双眸を止めることはしなかった。
「俺はあいつに対する責任がある! 目の前でさらわれておいて、このままじっとしていられるか!!」
――サラちゃんを、護ってあげてね――
その言葉が、心の中心部分に込み上げてきた。それは鮮明に俺の心に焼き付けられたもので、決して忘れることができないものだった。自分を責めるだけしかなかった俺の足を、再び立たせてくれた“力”そのものなのだ。
「あんたらがやらねぇって言うなら、俺が行ってやる! そうすりゃ、あんたら軍人が損なう可能性のある“人員”と“金”と“時間”は浪費しねぇだろうが!!」
俺は怒りのまま、叫んだ。中将は言葉に出していないが、本心ではそうだ。コストやデメリットと、人の命とを秤にかけるのだ。それはまるでロボットのように、凍てついた氷河のように冷酷なものでしかない。
「ゼノ、もう止せ」
ラグネルと共に、ディンも俺を止めに入った。
「すみません、中将。落ち着かせるために、下がらせてもらいます」
「なんでだよディン! このままじゃ――」
ディンは中将たちに一礼し、俺の腕をがっちり掴んで下がり始める。そして、作戦司令部から無理やり出されてしまった。
「……ふむ。噂には聞いていたが、あそこまで“正直”だとはな」
と、ゴンドウ中将は苦笑する。
「気分を害してしまったなら、お詫びします」
残されたノイッシュは、少しだけ嫌味を含ませて言った。彼もゼノと同じように、少なからず軍部の考え方に憤りを感じていたのだ。
「褒めているつもりだがな。まぁ、いい」
何がいいのか――――ノイッシュには、それがいまいちよくわからなかった。しかし、考えても意味はないだろうと思い、彼は中将たちに小さく頭を下げると、そのまま司令部を出て行った。
「チルドレンというのは、どうもダメですな。感情に流されてしまうものたちが多すぎる
参謀総長はため息交じりに言う。自分で言ってから、かつて己もチルドレンであったことを思い出し、思わず苦笑してしまった。
「いや、あれくらいの度胸がなければ使い物にもなるまい。あれでこそ、ハイクラスのチルドレンと言える。それに、直情型というのは幼いからこそ為せるものだ」
「ハハ、仰るとおり」
中将にとって、チルドレンはいずれ自分の部下になる“兵器”の一部でしかなかった。そう思うからこそ、“使い物”と言えるのだ。
この言葉に、彼本来の冷酷さがある。
「モノ……か。そういう意味では、私も“彼ら”にとってモノでしかないのだろうがな」
中将は天井から透けて見える大宇宙を見上げ、目を細くした。
俺たちチルドレンに充てられた居住区に、俺たちは戻った。というよりも、ディンとラグネルによって連れ戻されたと言った方が正しい。
「ディン、なんであそこで引き下がらせた! あんな言い方されて、黙ってられるってのか!?」
「わからないでもないけど、中将に口答えしても意味はないだろ? ……そりゃ、僕だって頭に来てる。できることなら、君と一緒に殴りかかりたかったよ」
眉間にしわを寄せ、ディンは視線をそらした。冷静であるが故に、その怒りをどこへ持って行けばいいのか、彼にはわからなかったのだ。たとえそれをぶつけたところで、現状が変わるわけでも、自分の気持ちが落ち着くわけでもないのだから。
「……すまん。熱くなり過ぎだ」
ディンに比べ、自分は感情的だった。思わず声のトーンを落とし、頭を下げてしまった。
「いや、いいんだ。……ゼノみたいにはっきりと言えたらって、よく思うからさ」
彼もまた、俺と同じように声が弱くなっていた。互いに自分たちが足りない部分が、もどかしく感じているのかもしれない。
「あれ以上言っていたら、さすがに厳罰ものだったかもねぇ」
フロアの中心にあるテーブルを囲むようにして置いてあるソファーに、ラグネルは座っていた。
「あの野郎、俺たちには“何もできない”と同じことを言いやがったんだぞ? 軍人でもないなら、動くなってことだろ?」
「まぁ、そうなるか」
と、ラグネルは天井を見上げて言った。
「それに、あいつらの言動からは“人ひとりのために捜索隊は出せない”みてぇな感じだった。人を護るってのが役目のくせに、なんだってんだ!」
さっきのことを思い出すと、再び怒りが込み上げてくる。勢いでテーブルに拳を叩きつけてしまいそうだ。
「お前らは一応、まだ“民間人”だからな。巻き込みすぎるのは、よくねぇって思ってんのさ」
「この期に及んで、巻き込みすぎてるだ? 散々俺たちをミッションやら掃討作戦やらに参加させておいて、今さら聖人ぶるってのかよ!」
そんなことを言うくらいだったら、最初っからこんな作戦にチルドレンを参加させなきゃよかったんだ。そうすれば、サラもさらわれずに済んだかもしれない。仮定のことを考えたって、意味がないのはわかってはいるが、そう考えてしまう。
「軍部にしてもSICにしても、人を助けるにはいろいろと制約があるもんだ。お前だって、そのくらいわかってるだろ?」
ラグネルは困ったような顔をして見せる。
「そりゃそうだけど、尚更腹立たしいって言ってんだ!」
そう吐き捨て、俺は舌打ちをした。“大人の組織”だから、行動するには様々な理由が必要になるのはわかってる。……それでも、俺はどうにかしなくてはいけない。それが今の焦燥感と、彼女に対する護れなかったという後悔に繋がっているのだ。
「組織ってのはな、多かれ少なかれ残酷なもんなんだよ。組織に属するものは、それの手足の如く動き、任務を遂行する。もちろん協力もするし、傷付けばケアだってきちんとする。自分の体を労わるのとおんなじさ」
けど、とラグネルは付け加えた。
「……しかし、もし指先が凍傷したり、元に戻ることができないほどの痛手を受けたならば、時にはそこを切り捨てなければならないことだってある。それが決して本意ではないとしても、な。お前、痛みを伴うとわかっていても、状況によっては残酷な判断をしなけりゃならんことはわかってるだろ?」
それはいつのことを指しているのか……或いは、別のことを指しているのか。
「上の人は、全体を見ている。別にお前らが狭い視野で見てるって言ってるわけじゃねぇからな」
と言いながら、ラグネルは苦笑する。最低限のフォローなのだ。
「末端がどうにかなったからといって、多くのものを動かすわけにはいかない。それを救うにはいろいろな取り決めもあって、作戦が練りに練られる。そうやってようやく行動に移せる。巨大な組織ってのは、そういうもんだ」
「……そんくらい、わかってるよ」
わかっている。わかってはいるが、それでも感情が先に動く。それが赤の他人って言うなら、俺だってこうはならなかったと思う。
さらわれたのがサラだから。誰よりも大事な、あいつだからだ。
「今は我慢する時さ。急いたって、どうにもできやしない時はどうにもならんもんだ」
ラグネルはクシャっと笑って立ち上がり、俺の頭を手でグシャグシャにし始めた。
「な、なんだよ!?」
「落ち着いて周囲を見わたしゃ、意外と何か手がかりはあるのかもしれん。気持ちが昂ってる時ほど、大事なことや重要なことを見落とすってもんだろ」
「…………」
たしかに、ラグネルの言うとおりだ。ラグネル自身、あの時のことを覚えているから――というのもあるのだと思う。
「とりあえず、お前は休んで怪我を治せ。行動するのはそれからだ」
「……それじゃ遅いって言ってんだろ」
と、俺は不機嫌な様子で言った。グダグダしていては、遅くなる。――いや、何かをしていなければ――行動していなければ、自分が後々後悔してしまう気がしているのかもしれない。それを少しだけでも軽減させるために、やみくもに動く。自分があまり傷つかないために。
「そんな早くに何かするってなら、とっくの昔に何か起きてるよ。心配すんな」
ラグネルはそう言って笑った。その様子に、俺は怒りを覚えるというより、呆れてしまった。
「その中途半端な楽観、どうやったら湧いてくるんだよ……」
「そう望むしかねぇだろ? 悲観的なこと考えたところで、何かが好転するわけじゃねぇんだからさ」
彼は小さく微笑み、「司令部に戻るわ」と言って帰って行った。
悲観的……俺は、悲観的なのだろうか。だが、この状況で悲観的にならない奴がいないと思う。あの状況で、サラが無事であると証明できることは何一つない。……もちろん、何かが“起きた”わけではないので、何とも言えないのも事実だが。
「それにしても、どうして彼らはサラを狙ったんだろう」
ラグネルと入れ違うようにして、ノイッシュが戻って来た。
「たしかに……。彼女がさらわれる理由なんて、さっぱりわからない」
と、ディンは俺の隣で大きくため息を漏らした。
「……チルドレンとしての能力を、何かに転用するためとか?」
ノイッシュはそう言って、俺が座っているソファーの反対側のそれに座った。
「何を転用するのかわかんねぇけど、それだったらCG値を高い奴にするんじゃないのか? 俺とか、ディンとか」
エレメントの能力のことを指しているのだとしたら、ロークラスのサラでは意味がないように思える。破壊や制圧が目的だとしたら、圧倒的な能力を持つのは俺やディンなどのハイクラスのチルドレンなのだから。一個中隊――とまではいかなくても、下手な武装軍団よりも強力だろうしな。
「そうかもしれない。でも、俺たちが知らない能力――その可能性というものを秘めているとしたら、あり得ないことじゃないと思う」
「……どういうことだ?」
俺が訊き返すと、ノイッシュは少しだけ首を傾けて考え始めた。
「昔から考えていたことなんだ。チルドレン育成の目的は、“超エリートの人間を様々な分野に輩出し、世界の繁栄に寄与するため”って言われてるけど、本当にそれだけが理由とは思えない」
そういえば、世界に向けてはSICはそう言っていたような気がする。
「それだけが目的なら、もっと外国へ送るはず。欧州連合や東アジア、ILAS……。でも、卒業したほとんどのチルドレンがSICの管理宙域、或いはSICと関係があるとされる国際組織や法人に身を置いてる。それって、天枢学院が存在する目的とは違うんじゃないか?」
「まぁ、そうだな」
俺たちはこくりとうなずく。天枢学院が設立されて、約500年。それだけの間、その“有能な人材”をSICの管理に置いているというのは、少々おかしな話でもある。その疑問は誰もが考えたことがあるものだが……。
「だけど、いくら巨大な権限を持つとは言え国際組織の一つに過ぎないSIC自体が、一つの国家として機能しているから、戦力となり得る存在をそう簡単に対外にあげるようなことはしたくないってだけじゃないのか?」
チルドレンとしての能力を持っている者たちは、その国の“力”として十分機能する。特に、軍事的な方面において。
「それはわかるんだけど、どうも納得できないというか……」
そう言いながら、ノイッシュはうーんと唸る。というよりも、喉の奥にある違和感がどうしても解消できないという感じだ。
「もっと別の、他人に知られたくない大きな秘密がある気がするんだよ」
「大きな秘密?」
俺とディンの言葉は、同時に出てきた。
「その大きな秘密に関連して、俺たちの能力……隠された能力とか、そういうものが必要なのかもしれない」
チルドレンとしての能力。それを考えるに、真っ先に思い浮かぶのは――エレメント。
女が言っていた。約2000年前に起きた第3次世界大戦以降、人類に発露した特殊能力だと。今の人類はその力を失っているものの、素養のある人間は訓練をすることで“発現”させることが可能なのだ。
――じゃあ、SICはそのエレメントの力を求めているのか?
俺たちのような“素養のある人間”をかき集め、訓練させ、エレメントを開花させる。そうすることで、何かを求めている……?
「って、まぁ全部俺の妄想なんだけどね」
ノイッシュは手を広げ、苦笑した。思わず、俺も同じように笑ってしまった。
「憶測の域でしかないのはしょうがねぇよ。なんにしたって、お前みたいに考えねぇと憶測さえ無理だからな」
可能性の話にしても、それを考えなければ可能性があるのかどうかさえもわからない。始めから“それはない”と断言していては、何事も始まる前に終わっているというものだ。
「そうだ、さっき聞いたんだけど」
何かを思い出したかのように、ノイッシュは言った。
「チャールズの妹のメアリー=カスティオン、何も話さないみたいなんだ」
メアリーは、あの後……正規軍によって拘束され、重要参考人としてこの艦に収容された。今は下位フロアにある倉庫を拘置所にして、そこに入れられているとのこと。ノイッシュによると、一切情報を話さないらしい。
「そりゃそうだろ。……あんだけ怨んでる相手に、話そうとは思わねぇだろうよ」
「けど、彼女が唯一情報を知っているかもしれないだろ?」
たしかに、ノイッシュの言うとおりだ。首謀者のチャールズの妹で、今回の作戦に積極的に参加していたところから、何らかのことを知っている可能性は十分にある。ただ――
「メアリーの反応を考えると、今回のことあまり知らなかったんじゃないのか?」
ディンは俺が思っていたことを、まるで代弁するかのように言った。チャールズと彼女の会話を思い出すと、メアリーはほとんど知らない――というより、“知らされていなかった”のだろう。サラを人質に取ったあと、チャールズが「渡せ」と言っているのに拒否していたからだ。
「チャールズとは違い、彼女は前科は一切ないはずだからね。元々、そういったことを許せる人間じゃないだろう」
チャールズは元々武器の横流しをしていた組織の人間で、当時からいくつかの犯罪歴があった。しかし、妹のメアリーは当時まだ幼い(とは言っても、俺たちと同い年くらいだが)こともあり、指名手配などはされていなかったのだ。もちろん、犯罪を犯した経歴もない。
そんな彼女を逮捕することはできないが、特例ということで彼女を拘束したのだろう。本来ならば、国際的に批判されることだが……。
その後、フィラデルフィアはセフィロートへ緊急帰還することになった。ここのコロニーは、軍部の専門の部隊が調査することになった。怪我人の多い俺たちがここにいたって、意味がないと判断されたのだ。
それもそうだ。犯人は逃がすし、軍隊はボロボロにされるし、せっかくの新兵器もおじゃんになるし、おまけにフィラデルフィアも攻撃を受けた。これが世界に明るみに出れば、SICの信用性というのも少なからず落ちてしまうのは確実だろう。
宿舎として使われている居住区の一室。俺はそこで、部屋の明かりを「夜空」というものに設定し、ベッドの上で横になっていた。時間は既に夜の0時を回っており、居住区の中は静まり返っていた。
「…………」
俺は当時の――4年前のことを思い出していた。メアリーを見て、あの時の光景がフツフツと湧き上がってきたのだ。
当時、14歳になったばかりの頃、一つのミッションが下された。それは、昨日SIC元評議員を拉致・殺害したとされる指定反政府組織「FROMS.S」の掃討作戦。
“抵抗する場合は、その場で処分してよい”
それは、有無を言わさず殺害せよ――と命令していることに等しかった。それまで人を殺したことがなかった俺やディンは、当初拒んでいた。人として、ある意味で当たり前の反応だったとは思う。でも、チルドレンである以上……いずれSICの兵士として戦わなければならない以上、避けて通れるものではなかった。CG値1000以上というハイクラスに生まれた時から、その可能性があることを示唆され続けてきた。天枢学院に入った10歳には、その現実を教え込まれる。俺たちは人を護るために、世界を護るために人を殺めなければならない――と。
人を殺すまで、俺はそこまで大きなこととは思っていなかったのかもしれない。でなければ、500人という数を殺しはしなかったと思う。
――やめてくれ――
――ぎゃあぁぁぁ――
悲鳴……それは、俺に対する“恐怖”そのものだった。剣を振りかざして、訓練で――仮想空間でやっていたように――したことをそのまま行っただけだった。
どうしてそんなに叫ぶのか。
どうして、そんなに恐れるのか。
何が怖い?
俺が?
どうして?
感覚が麻痺していた。“一人目”を殺した時は、もう嫌だ、逃げ出したいと思っていたのに。
何かが俺自身を覆っている――それまでの弱い自分を、“普通の人としての感情を持つ自分”を、覆い隠すかのように、暗い何かがいたんだ。
――そうだ。あの時、俺が殺されかけたんだ。“人を殺した”という恐怖に覆い尽くされ、体の震えが止まらず、銃口を向けられたことに気付かなかった。
体に――銃弾がかすめた。そこから、俺の中で何かが“壊れた”。そこから溢れ出てきた言霊たちは、一様に囁いた。心の内側で。
“殺せ”と。
だから、殺した。自分の敵である彼らを――その可能性のあるコロニーの住人でさえも、握り締めた剣を紅く染め上げて。体に飛び散る真っ赤な血や、自分の後ろに横たわって行く無数の肉塊。
感覚が……狂っていたのだ。
元に戻ったのは、彼女――メアリーに睨みつけられてからだったと思う。あの時のことは、よく覚えているからそう思うのかもしれないが。
修道院のような、大きな建物。辺境のコロニーなのに、その修道院は真新しく、周辺には様々な色の花が植えられていた。丁寧に彩られたその光景は、毎日誰かが手を加えていたのだと思う。人工的なものなのかどうかは、いまいち覚えていないが。
あの場所で、俺はメアリーに斬りかかった。修道院の中で隠れていた、あの弱弱しい少女に。今とは違い、緑色の髪は腰まであった。顔も、幼さが多く残るものだったと思う。
「いやっ……来ないで!」
暗がりの修道院の中で、彼女は叫んだ。その顔には、俺に対する恐怖が滲み出ていた。しかし、俺には“それさえ”もわからない。……今は思い出すだけでも、怖がっていたのだと確信することができるのに。
「ひ……ぃっ……!!」
足がおぼつかない彼女は、尻もちを付いた。だから、俺は剣を振り上げた。その命を絶つために。
「やめろ!!」
俺が入って来た出入り口から、男の声が響く。後ろに振り返ると、そこに立っていたのは――ジェームズだった。あの時は、彼だということに気付いてなかったかもしれない。
「娘に手を出すな! お前たちの目的は、私なのだろう?」
怒りに満ちた双眸を向ける男性。
敵意――それがあったからこそ、俺はメアリーから剣を退かせ、彼の方に体を向けたのだ。
「お父……さん」
「メアリー、逃げろ! 早く!!」
ジェームズがそう叫んでも、彼女は動けるはずがなかった。顔は強張り、小さく震えるも体を動かすことはできない。恐怖とはいとも簡単に、自分の意思とは関係なく肉体を不動の塊にしてしまう。
「……お前たちはチルドレンか」
俺をキッと睨み、彼は言った。どうして睨むのか、当時の俺にはまったく理解できなかった。
「その眼……奴らめ、こんな子供にわかりやすい実験をしおって……。感情をコントロールできずにいるではないか……」
ジェームズは何やら、ぶつぶつと言っているようだった。時折、悔しそうな顔を滲ませていた。
「あのような“亡者”に操られる、哀しき戦闘兵器どもめ……。自分たちが何をしているのか、わかっているのか!?」
「……知らねぇよ。俺はただ、あんたらを殺せって命令されただけだ」
自分ではないかのように、俺は言った。どこかで、他人事のように――第三者から見ているかのような自分がいた。そこには感情も何もなかったように思う。
自分の言葉を思い出す際、他人の言葉とは違うように記憶に刻んでいるものだ。しかしこの時の俺は、俺自身を外から眺めているような――映像に写っている自分を見ているかのような、不思議な感覚に囚われていた。
自分が自分でないような感覚。手に握ったグラディウスの感触が、この時にはほとんどないような気がした。ミッションが始まる前は、血が滲み出るくらいに強く握りしめていたってのに。
「星の楔が共鳴し、紅の眼となりて肉を切り裂く……これもまた、古の罪というわけか」
奴が何かを言っている間に、俺はジェームズに斬りかかった。グラディウスの刃が彼の肉体を、きれいに引き裂いた。黒々とした血液が、その場に溢れた。
「お父さん!!」
その後、メアリーはいつの間にかいなくなっていて、俺はその場に佇んでいたところをラグネルによって発見され、作戦が終わったことを知らされた。ジェームズが死んだことで、作戦の目的は達成されたのだから。
俺の心は、異様に落ち着いていた。それまで何かが湧き出るようにして人を殺していたのに、メアリーの双眸に睨みつけられていから、一気に“消えて”しまった。心のどこかで、それが無くなることを寂しく思っている自分がいた。だから俺は、あまり思い出したくなかったんだ。
人を殺すことが、楽しかったから。
「楽しいなんて……どうなってんだか」
俺はそう呟いた。自分が情けなく思うのと同時に、蔑むように。
せめて、俺は誰かを護れるようになりたいと思った。理解されるはずのない俺の衝動を、もっと何かに役立てたかった。人を殺すことに特化しているのなら、それをうまく使わなければならない。そう思った。
だが――――俺は、弱い。
まったく変わっていない。“あの時”と同じように、また護れなかった。目の前にいたのに……あれだけ強くなろうと誓ったのに。
俺は目をギュッと閉じ、唇を強くかみしめた。ただただ、悔しい。悔しくて、悔しくて、自分はまるっきり強くなっていないことを、再認識せざるを得なかった。それもまた、悔しい。
――弱者が――
あいつの言うように、俺は弱い。
ただそれをずっと考えながら、俺は一晩を過ごした。寝ることなど、できるはずもなく。