17章:ただ、それだけ
17:00になる10分前、ワープが実行された。これだけ巨大な乗り物でワープを体験するのは、初めてだった。それまでミッションが行われる場所に最も近いコロニーにテレポートし、そこから現地へ向かっていた。CNが搭載された乗り物はフィラデルフィアのような戦艦以外にもあるのだが、俺たちチルドレンが乗ることはまずない。
ワープする瞬間、艦は小さく揺れた。それは地震が起きたというよりも、体が一瞬だけぶれたような――精神と分離してしまったかのような感覚になった。今までのワープとは、少しだけ違う気がした。もしかしたらあまりにも巨大であったため、時空転移が作用するのに時間がかかってしまったのかもしれない。
転移が完了すると、俺たちはそれぞれの持ち場(といっても、ただの居住区みたいな場所で待機していただけ)から中央フロアへと集められた。最初の時のように、大勢の人が集められている。そして、やはり作戦本部長が登壇した。
「これより、FROMS.Sの掃討作戦を開始する。軍部の主な任務は『代表・チャールズ=カスティオン及び、幹部の捕縛』。チルドレンは『S兵器の回収・破壊、正規軍の支援』だ。攻撃を仕掛けられた場合、或いは指示に従わない場合は敵をせん滅して構わん。以上」
ゴンドウ中将はそう言って、艦橋の方へと戻って行った。軍人ってのは、昔ながらの熱いタイプと冷めたタイプがいるが、あの人は完璧なまでに後者だな。今回のような“実験に近い作戦”に関しては、わざとあんな言動をしているのかもしれないが。
今回、正規軍はコロニーの中心部に降下し、本部と思われる中央の市街地へと突入する。俺たちチルドレンは、その市街区の南にある武器格納庫があると思しき山岳地帯に行く。フィラデルフィアはその近くに着艦し、俺たちが出撃した後、宇宙空間で指示を出すとのこと。
「事前にデータを見て把握しておいたつもりだが、やっぱり生で見ると違うもんだな」
俺は中央フロアに映し出されている巨大電子モニターを見上げ、言った。既に軍人の皆さま方は降下したため、ここに残されているのは俺たちチルドレンとその関係者のみだ。
「ああ。思ったよりも“人工的”だ」
と、ディンは頷きながら言った。このコロニーは惑星型のものであるが、大きさとしては月よりもかなり小さい。人の手が加えられ、改造された居住型ではあるが、どうも工場型のようだ。俺たちが行く予定の山岳部は、全てが模造品と言っていい。まるでそこに山があるかのように見せているのだ。ここに隠されている可能性は十分にある。
「“ここにありますよ”って示しているように見えなくもないんだがな」
俺はわざとあのようにしている気もした。おびき出すためのものにも見えるが……その意図が見えない。隠すにしても、もっと植林をしていた方がいいはずなのに、あちこち禿げてやがる。
「多くの人員は正規軍が向かった市街地にいるだろうから、武器庫防衛には割けられないはず。それに、防衛するために使うのなら司令部のある市街地に持ち出しているだろうし」
ディンも同じように見上げながら言った。事前に赤外線でどこにどれだけの人間が集中しているかという調査を行ったところ、山岳部には2~3割程度だとのこと。チルドレンは297名だが、その程度ならば俺たちだけで制圧できると軍部は判断したのだろう。
「おーい、そろそろ着艦するぞ。全員、準備しろよ」
チルドレンの総指揮官であるラグネルは、どうものんびりした様子。ちょっとは気合を入れろと言いたいもんだ。
「サラ、大丈夫?」
ディアドラの声が聞こえる。後ろの方で、サラに声を掛けているようだ。
「うん……。緊張してるけど、もう大丈夫。ちゃんとやれるから」
「そっか。無理しなくてもいいからね。何かあったら、私やディンに連絡して」
「わかった。ありがとう、ディアドラ」
健気に笑顔を作って見せるサラの顔が容易に思い浮かんだ。彼女の声から、彼女の声によって震える空気の音から、それが伝わる。
心が怖いと叫んでいる。それを、必死に隠そうと――勇気で覆い尽くそうとしている。それがわかるだけに、自分ではどうしようもないのだとも思う。今のような現状を作ってしまったのは自分であり、今の俺が彼女を助けたとしてもなんのプラスにもならないということも。
17:00、扉が開き、俺たちは一斉に出撃した。
山岳部に入るにはいくつかルートがある。右手側の林側から入るか、正面の登山路、若しくは後方に回り、急な崖を登って行くかの3つ。俺はSSSクラスであるため、最も危険であると考えられる崖の方から入れと指示されている。ほとんど草木が生えていない場所のため、上から狙い撃ちされる可能性もある。
「さて……みんな行ったかな」
走って行く他のチルドレンを見送りながら、ディンは言った。
「サラのこと、頼むぞ」
「ああ。押し付けて悪いけど、ゼノも気を付けて」
「任せろ」
俺が自分の胸に拳を置くと、彼はニコッと笑った。そして、サラが進む登山路へと走って行った。それと同時に、後方に着艦していたフィラデルフィアが発進し、遥か上空へと昇って行った。あれだけ巨大なものが、あっという間に見えなくなっちまった……。
「何ボーっとしてんのさ」
上を見上げていると、横から女の声がした。
「なんだ、ちゃんと降りれたのか」
「出遅れるようなヘマなんかしないよ。期待を裏切って申し訳ない」
女は紳士のようなお辞儀をした。俺は思わず、舌打ちをしてしまう。
「ほらほら、そんな嫌そうな顔をしない。さっさと行くわよ~」
「…………」
やる気満々な女の歩く後ろ姿を見ていると、俺のやる気がドレインされているのではないかと思ってくる。なぜに俺のモチベーションが下がっているのだろうか……。
1キロほど進むと、崖の方へと辿り着いた。
「標高は1399メートル……か。それにしても、こっち側は完璧に岩だらけだな」
見上げると、なかなかの急斜面だ。跳躍していかなければ、進むことは困難だ。
「敵が上に待ち伏せてる可能性があるけど、そういう場合はどうすんの?」
女も同じように腕を組み、崖を見上げている。
「俺たちはそこらの兵士みたいに防弾チョッキはない。だから代わりにエレメントを使うんだろうが」
「……常時発生させながら進むってこと?」
彼女の問いに、俺は小さくうなずく。
「そんなんじゃエレメントが最後まで持つかどうか、ちょっと不安なんだけど。私が使う銃、エレメントが必要だしさ」
「西暦兵器が防げる程度で発生させておけ。仮にS兵器で攻撃されたところで、すぐには致命傷にならないはずだ」
俺はそう言いながら、アームで周囲を確認する。ここら辺に敵は探知されていない。以前のように、レーダーを遮断する装置を持っているとも限らないが。
「やれやれ、あんたと一緒ってことは楽はできないってことか」
ため息を思いっきりつき、女は俺を見る。
「今さら何言ってやがる。他の奴より強いなら、それ以上のことをしなきゃならねぇってことだ。自分が強くなるってのは、そういうもんだろ」
「危険っていうより、これは訓練に近いと思うけど?」
女は崖を指さしながら言った。……まぁ、あながち否定はできんな。
「ま、こういうのもその内の一つ。手伝うと言ったからには、ちゃんとやれよ?」
と、俺は疑心たっぷりの視線を女に向けた。
「失礼ね。約束はきちんと守るわよ」
「じゃないと困る。よし、行くぞ」
俺たちは崖を登り始めた。いや、登るというより“よじ登る”といった方が正しいかもしれない。
斜面の角度は90度あるわけではないが、それでもかなり急だった。出っ張っている場所は俺たち二人が立てられるほどの広さで、別の所に飛び移ろうとしたら、2メートルから4メートルほどは跳躍しなければならない。それだけでも体力は使うのに、敵の攻撃に備えてLv3程度のシールドを張り続けているため、消耗は結構激しい。これに軍人のように銃器も担いでいたら、体力が持たないかもしれない。
「まったく、まさか崖登りしなきゃならないとはね……」
俺がいる出っ張りの下の出っ張りの所で、女は膝に手を付いて止まっていた。まるで長距離を走った後かのように、肩で呼吸していた。
「やわな野郎だな……気合い入れろ」
「そんなこと言ってるけど、あんただって……息、切れてるじゃんか」
「さすがの俺でも、化物みてぇな心臓は持ってねぇんだよ」
俺は汗を拭いながら、自分の胸をドンと叩いた。
「データを見るからには、もうちょっとで中腹だ。そこに開けた場所があるから、それまで頑張れ」
「……りょーかい」
女は大きく深呼吸をし、俺の所へと跳躍して登った。
それから10分後――標高712メートルの地点に到着した。そこは開けた場所で、所々に草が密集して生えているが、ただの荒れ地に見える。
「あー、疲れた!」
汗を手で拭いながら、女は男のように言った。
「そういや、いつもディンとかと一緒に行動してるから気付かなかったんだが……お前、基本的なエレメントは使えるのか?」
こいつはチルドレンではない。つまり、俺たちが“エレメントと認識して使用しているもの”は使えないはずなのだ。
「何言ってんの。私くらいだったら、ある程度は行使できるわよ」
いつの間にか、女は地べたに座っていた。女性なんだから、あぐらではなくもっとそれらしく座ってほしいものだが。
「……俺たちが知ってるエレメントとは違うのか?」
「さぁ、どうなんだろうね。でも、今使ってるのは原理も効果も同じだと思うよ」
名称がちょっと違うだけなのかもしれないな……。
「GHは幹部クラスしか、エレメントを使えないと思っていたんだが」
「彼らは特別。私みたいな下っ端でも、使える奴はいるらしいけどね」
「そうなのか?」
そう言うと、彼女はうんと頷いた。
「あんた、アルマゲドンって知ってるでしょ?」
「当たり前だろ。ある意味、常識みてぇなもんだし。それがどうしたってんだ? エレメントの話とは関係ねぇだろ」
俺は近くにあった岩の上に、腰を下ろした。それと同時に、彼女は小さく首を振る。
「あるんだよ。あんたや私みたいなエレメントを使える人類が現れたのは、そのアルマゲドンが終わってからなんだから」
「――!!」
初耳だ……。そんな俺の驚いた様子を見て、女は納得したかのように小さくうなずいていた。
「第3次世界大戦……私も詳しいことは知らないけど、たしか“第三者”によって引き起こされたんだよね?」
「ああ。そう聞いてる」
地球に存在する国家ではなく、認知されていた組織でもなく、突然現れた“謎の集団”だと云われている。
「その“第三者”が何らかの方法で、自然界や生命体そのものの中に在ったエネルギー……『エレメント』を、人為的に扱えるようにしたらしい。当時は少数だと思うけど、その人たちの子孫である私たちには、潜在的にエレメントを扱える能力があるってわけ。もちろん、現代でも扱うことのできる“普通の人間”はそんなにいないけど」
女はそう言って、お手上げのように手を広げた。
「じゃあ俺たちは、訓練によってその能力を“開花”させられたってことになるのか?」
「そうなるかもね。でも、中にはいるでしょ? ほとんどエレメントを扱うことができないチルドレンも」
俺自身はハイクラスであるため実際に見たことはないが、ロークラスには扱えないチルドレンも多いと聞く。とくにEクラス以下は、まともなシールドさえ張ることができないそうだ。
「私は潜在的にエレメントに対する適応力というか、制御する能力が最初からあったみたい。だから訓練である程度は扱える。じゃないと、この武器も使うことができないし」
女は二丁の星煉銃を取り出し、言った。外界と体内にあるエレメントを動力として、光子弾を放つことができる代物だ。
「……ところで、気になってたんだけど」
「ん?」
女は立ち上がり、自分の尻に付いた土を手で払い始めた。
「妙に静かだと思わない? ここ、本当に敵がいる場所なの?」
そう言って、女は周囲を見渡した。そう言えば、不気味といえるくらい静かだ。仮に他のチルドレンの所で戦闘が行われているとしても、何の連絡もなければ銃撃音も響いてこない。
「……山の中……内部か」
『ご明察』
その時、20メートルほど離れた岩の壁が、地響きを起こしながら割れ始めた。いや、性格には開いたのだ。扉のように。やはり、この山は中にある格納庫の“カモフラージュ”として上から被せられたもののようだ。
その開いた場所から、数体の機動兵器が出てきた。あれは……ジュピターで暴れていた、GHの蛙型機動兵器!
「お前らはGHか?」
大きな二本足を動かしながら、機動兵器は俺たちを囲む。数は5,6……7機か。
『残念ながら、俺たちゃFROMS.Sさ』
こいつらのリーダーなのか、最も機体が豪華なやつから声が聞こえる。他のは灰色や白であるのに対し、こいつだけ金色だ。
「エルダの奴、こんな奴らにまで悪趣味なもん押し付けてるのか……」
あーあと、女はやる気がないような声を出した。
「もっとやる気になってもらわねぇと困るんだが」
「そうは言ってもねぇ……」
以前はなんとかゴッドマシンとかいう、ネーミングセンスが壊滅的な奴を相手にしたせいか、いまいちモチベーションが上がらないのはわからないでもない。
「んで、お宅らはここで何をしてたんだ?」
俺は開いた扉の奥に目をやった。内部が暗いのと、少し遠いのでよく見えないが……機動兵器があるということは、内部は結構広いのかもしれない。
『これはただの作戦さ。お前たちSICを殺すためのな!』
リーダー格の奴の声が響くのと同時に、全ての機動兵器が腕部分に備えられている機関銃を俺たちに向けた。高速の弾丸が、一斉に放たれたのだ。俺と女は、それぞれ左右に跳躍した。
「お前は左側の3体をやれ!」
「言われなくても!」
俺はリーダー格を含めた、4体に照準を合わせた。グラディウスを抜き、光子刀身を発現させる。
『ちょこまかと!!』
奴らは宙を飛びまわる俺たちに対し、ばらまくかのように銃弾を発射している。だが、そのどれもが俺たちに当たることはなかった。
――こいつら、以前の奴らに比べて訓練されていないのかもしれない。
俺はすぐに終わらせるべきだと思い、エレメントをグラディウスの刀身に集中させた。そして、斬撃による衝撃波――エレメントを纏った、大気を裂く刃――を飛ばした。
『なっ!?』
リーダー格が驚くのと同時に他の2体が真っ二つにされ、赤い閃光を撒き散らしながら爆発した。俺はその隙にもう一体の背面へと回り込み、グラディウスを突き刺した。
「バースト、Lv4」
グラディウスを抜いた瞬間、機体の刺し傷の部分に爆発のエレメントを叩き込む。そして、その機体は轟音を立てて爆発した。
その時、女の放った星煉銃の光線が残る2体を貫いた。機体には風穴のように開き、パチパチと電流が出るや否や、爆発を起こして崩壊していった。
『くっ……!』
部下の惨状を見て逃げるしかないと判断したのか、リーダー格は奥の格納庫へと走り出した。俺はすぐさま接近し、機体の足となる部分を切り落とした。すると、機体は急に足が無くなったためか、前方へ転がるように倒れていった。
「逃げようたって、そうはいかんぜ」
俺は奴のフロントへと移動した。
「お前の部下は戦って死んだんだ。せめて戦って死ね」
『小僧が……!』
俺がグラディウスの切っ先を奴に向けると、腕の機関銃が俺に向けられた。
『死ねぇ!!』
すると、その両腕が光線によって吹き飛ばされ、四方に散った。こ、光線が俺の髪をかすめたのだが……。
「死ぬのはあんたの方だってこと、理解していないようね」
クスクス笑いながら、女は2丁の星煉銃をくるくる指で回していた。
「てめぇ……ちょっとは考えて撃ちやがれ」
「あら、そのくらい考えてやってるつもりだけど? それとも、避けることができなかったのかしら」
「…………」
女は嘲笑するかのように自分の口元に銃口を近づけ、笑いやがった。俺は舌打ちをして、グラディウスの刀身を収めた。いちいちムカつく野郎だ。
『くそっ、星煉銃を持ってるなんて聞いてねぇぞ……!』
イラついているのか、マイクを通して内部の奴の声が聞こえる。
「おい」
俺は倒れ込んでいる頭の部分にノックをしながら、しゃがんだ。
「お前らに協力してんのはPSHRCI……GHだな?」
だが、男は何も言おうとはしなかった。しかし、この機動兵器を見れば奴らが関与しているのは明白なのだが。
「まぁいい。それより、S兵器はどこだ?」
『…………』
「隠し持ってるのはわかってんだ。言えば、命だけは助けてやるよ」
もちろん、助けるつもりなど毛頭もない。それでも、男は何も言おうとはしなかった。
「ゼノ、放っておきな。さっさと内部を探索した方がいい」
女はそう言いながら、俺の隣に歩み寄って来た。その時――
『ゼノ? そうか、お前がゼノ=エメルドか……。そう言えば、面影が残っているな』
クククと、男は笑い始めた。
「なんで俺の名前を知っている?」
冷たい声で、俺は言った。だが、男は小さく笑うのを止めようとはしない。
『知ってるも何も、俺は“あの時”のことをよぉーく覚えてるんだよ』
「あの時……?」
それは、4年前のことを指しているのだろうか。
『俺は生き残れた数少ない人間でね。……忘れないぞ? お前が、あの戦いでしたことを!』
突然、男の声には怒りが含まれた。いや、怒りだけではない。
『お前はあの時、大勢の命を奪った! 俺たちのような組織の人間だけでなく、罪のない家族までも殺したんだ!』
「…………」
男は俺に向けて声を張り上げる。自分の感情を吐き出すかのように、今まで蓄積されたものを放出するかのように。
『お前らは自分たちの正義が世界の“正義”だと思い、その糞みたいな思想を振りかざして命を奪う“殺人鬼”どもだ! お前らの行為は、正義でも何でもない……。ただの殺戮だァ!!』
殺戮――。
俺はその言葉を思い出した。ジュピターで、俺はGHの奴に対し「ただの殺戮」と言い放った。
『そして、お前は再び俺たちの命を奪いに来た! SICの言いなりになって、生き残った俺たちを殺し――――』
「だからなんだって言うの?」
男の言葉を遮り、女は銃口を奴に向けた。
「それが、ゼノの仕事。あんたたちみたいに、武器を振り回して力のない人に危害を加えることを止めるのが、彼の仕事」
女の言葉は冷たく、はっきりとしたものだった。あの紅い双眸が、凍りついた焔のように静かで、鋭かった。
「SICは、あんたたちに“罪”があると判断した。それがなんなのか、あの世でよく考えるんだね」
『な、なん――』
その瞬間、女の銃口から光が放たれた。それは奴を奥の壁まで吹き飛ばし、爆発させた。
「あんたも馬鹿だね。奴の言葉なんかに耳を貸すなんてさ」
女は右手の星煉銃を、腰に括りつけてある入れ物にしまった。
「……耳を貸したつもりなんざねぇよ。ただ……」
ただ――。
なんだろう。なぜか、体が動かなかった。当時の記憶が蘇ったわけでも、様々な悲鳴や惨劇が脳裏に浮かんだわけでもないのに。
生き残っている奴だったから、殺したくなかったのか? それとも、殺すことが怖かったのか?
何も言わない俺を、女は何も言わずに見つめていた。さっきのような冷たい焔の瞳ではなく、心の奥底まで見透かされるような、誠実な瞳だった。
「詳しいことを訊くつもりはないけど、あんたは4年前の掃討作戦に参加していたの?」
彼女の問いに、俺は間を開けてからうなずいた。
「そっか」
女は大きくうなずきながら、俺の後ろ――格納庫の方へと歩き始めた。
「だったら、怨まれてもしょうがないね。戦うってことは、結局のところそういうもんだし」
それは俺にだけ言っているものではない気がした。どこか、まるで自分に言っているような感じがするのだ。彼女の中にある様々な想いが、複雑な言霊たちが、その背中に纏わり付いているように見えた。
「ま、私に言われなくてもわかってるか」
そう言って、女は俺の方に振り向いた。普段と同じ、どこか人を馬鹿にしている微笑。
「当たり前だろ」
俺もまた、微笑を浮かべた。そして、格納庫の方へと歩き始めた。
扉のあった場所から下り坂を進んで行くと、巨大な空間が現れた。
「かなりの設備だね。こんなもの、そう簡単には作れないよ」
女は周囲を見渡しながら言った。全体は紺色で、照明があちこちにあるが明るいとは言えない。
「この塔みたいなもんの上に、山をかぶせたみてぇだな」
俺たちのいる足場から数十メートル離れた場所――この山の中心部に当たる――に、紺色の巨大な塔が立っている。それはいつか資料で見たような西暦時代にあるものではなく、巨大なロケット……兵器のように見える。この施設を囲むのが山のためか、外郭は土のようだ。あちこちに草が生えてやがる。
「下はなんだろ?」
女は、手すりから下の方へ覗き込んだ。下の方に目をやると、この長い塔の根っこの部分と連結している、工場のような建物が広がっている。ちょうど、この山のふもと部分になるだろうか。
「あそこが格納庫なのかね」
「さぁな。ともかく、下に行って確認しなきゃな」
「えぇ、今度は降りるの!?」
と、女は急に嫌そうな顔をした。なんだよ、そのブッサイクな面は……。
「降りるくらい、別にいいだろうが」
「あんた、ちょっとは考えなさいよ。降りたら、今度は上がらなきゃならないじゃない!」
あ、なるほど。だが、そうであるからと言って、降りないわけにはいかない。
「そのくらい頑張れよ」
「めんどくさい。それより、エレベーターくらいないの? 階段で上がるなんて、私は嫌だからね!」
「うっせぇやつだな……」
俺は思わず、呆れ気味に言った。横に目をやると、下に通じる階段がある。周囲を見渡しても、エレベーターのようなものはないし、それで降りるしかないようだ。
「ほら、ここしかねぇよ」
「ちっ……腹をくくるしかないのかぁ」
ガックリと肩を落とす女。このやる気の上げ下げはどうなっているのか甚だ疑問だが、俺はそれを無視して先に進むしかない。というより、有無を言わせず彼女を連れて行くしかなかったのである。
音がない。俺たちがこの鉄製の階段を下りる音しか響いていない。機械が動いている音や、人がいるような気配もない。ここはまるで、中心部分の塔を囲むように建造された大昔の採掘場のような気がした。それも、放置された後の。
「この塔、なんなんだろうね」
俺の後ろで、女は言った。
「知らねぇよ。もしかしたら、兵器の類かもな」
「こんな巨大で愚鈍な兵器、今の時代に合わない気がするけど」
たしかに、言われてみればそうかもしれない。歴史学の勉強をする際、資料で見た“核兵器”というものに近い。西暦時代晩期では盛んに製造されていた兵器だと聞いたが、アルマゲドンの後、現在のS兵器に近いものが開発されるようになったのだとか。それを考えると、女が「エレメントを操れる人類が出たのはアルマゲドンの後」と言っていたのは正しいのかもしれない。そういった人々を利用し、兵器を開発したのだろう。
「しかし、こいつは巨大だな。幅は百メートルくらいあるんじゃねぇか?」
階段を降りながら、俺はそれを見上げた。
「ただ大きいだけで、兵器としては使い物にならないでしょ。とはいえ、別の用途のために建造した可能性は否定できないか」
「そうだとしたら、なんだと思うんだ?」
俺は彼女の方に振り向いた。すると、女はうーんと唸り始める。
「どこかへ行くための宇宙船……かな」
宇宙船――。なるほど、それはしっくり来る。設立者のジェームズが生きていた頃、FROMS.Sには欧州連合より巨大な宇宙船を貸与されていた。しかし、4年前の戦闘でそれは破壊されたため、莫大な資金が必要となる宇宙船を手に入れることは不可能に近いはずだった。作るにしても、資源のある惑星を保持しているのはSICや欧州連合などの、巨大な国家のみ。SICに反政府組織として指定されたFROMS.Sに、貸し与えるところなどあるまい。
「今さら宇宙船を建造したって、どうにかできるわけでもないはずだけどな。CNを使わない限り、ワープ航法さえ利用できないんだし」
「……仮にだけど、SICにFROMS.Sと繋がっているとすれば、CNを利用することは可能なんじゃない?」
「可能性としては否定できねぇけど、だったらこの作戦を決行する必要性がないだろ。兵器の戦闘データを得るにしても、それとこれとは関連性がないとしか思えないけどな」
女は「なるほど」と、うなずき始めた。寧ろ、この圧倒的な戦力差で戦闘を行う時点で無理なのだが。
しばらく階段を下りると、壁側にある扉を発見した。それは手動で開けるドアで、中に進むと一つの部屋があった。そこはどうやら、何かの制御室のような場所だった。もちろん、誰もいない。しかし、あまりほこりなどが溜まっていないことから、つい最近まで人が居たことがわかる。
「これ、動かせないの?」
と、女は10畳ほどある部屋の角に並んでいるコンピューターに触れた。どうやら、あの塔で何らかの実験をしていたようだ。
「これは……認証コードが必要みたいだ」
カールがいれば、もしかしたらどうにかできたのかもしれない。他に起動できるものはないかと探っていると、奥に別の扉を発見した。それは、見るからにエレベーターだった。
「やったぁ!」
女は本当にうれしそうだった。予想していた行動ではあったが、ここまで素直だと笑えてきてしまう。そんな俺の気持ちに勘付いたのか、彼女は俺の方に怪訝そうな視線を向けてきた。
「なんだよ?」
「……あんたこそ」
なんだってんだよ……。
俺は作動するかどうかを確認するため、扉の隣にあるボタンを押してみた。……どうやら、動くようだ。動力までは切っていないみたいだな。
エレベーターの中に入り、最下層――1階のボタンを押す。ここは、20階だったようだ。
「そういや、ちょっと訊きたいんだが」
「ん?」
エレベーターが降りて行く中、紺色の壁に囲まれた空間。女は、右にいる俺の方に顔を向けた。
「エレメントが世に出てきたのはアルマゲドン以降らしいが、なんでお前はそれを知ってんだ?」
SICで勉強している俺でさえ、そういうことは知らなかった。いや、寧ろ知っている方がおかしいのだ。なぜなら、当時の記録などはほとんど残っていないからだ。
「なんでって……そう教えられたのよ。幹部に」
「幹部ってのは、エルダが言っていた“ウルヴァルディ”って奴のことか?」
そう言うと、女は小さくうなずく。
「私は孤児でね。彼……ウルに拾われたの」
ウル――。以前、そう言っていた。それは、親しみを込めてのものなのだろう。
「ウルは知識が豊富で、地球に関して個人的に興味があったらしく、一人で調査してるみたい」
そこから得た知識だという。GHのような大きな組織であれば、特別宙域である地球に入ることは難しくないだろうが……そう簡単に“わかることができる情報”ではない。
「その人は、アルマゲドンを起こしたのが誰なのか知っているのか?」
俺は全人類が知りたがっていることを投げかけた。2000年も経っているせいか、或いは意図的なのか、その情報は誰も知らない。
「どうなんだろうね。私が教えてもらったのは、地球エネルギー……エレメントを発見した人ってくらいだけよ」
女は首をかしげながら、そう言った。
何年か前に、ラグネルに教えてもらったことがある。
「西暦2026年、大洋の中心に巨大な“何か”が出現し、そこから放たれた光が一瞬にして多くのものをなぎ払ったんだと」
「その“何か”はなんなんだよ?」
机に座っている俺は、挙手もせずにそう言った。
「知らねぇよ。んで、盟主アメリカ、東アジア諸国、アラブ系諸国、欧州各国はそのほとんどが壊滅状態で、反撃する前に敗北したってことだな」
めんどくさいのか、ラグネルはさっさと先に進めようとしていた。
「それで、結局張本人は誰なんですか?」
優等生のように、ディンが挙手して言った。
「それがわかれば苦労しねぇよ。……ただ、人類の半分以上を殺して、文明を極端に低迷させたんだ。よっぽど、人類のことを怨んでいたんだろうな……」
遠い目をして、ラグネルは言っていた。地球環境を激変させ、生態系も変えてしまうほどの所業を行った“そいつ”は、人類を滅ぼしたかったのか。それとも、エレメントを利用して何かをしたかったのだろうか。個人的な興味として、その人間が生きているならば、訊いてみたいもんだが。
そうこうしている内に、エレベーターが1階に到着した。
扉から出ると、さっきと同じような通路に出た。真っ直ぐ進むと、今度は自動開閉式の扉があった。そこを抜けたら、内部は――
「これは……S兵器か?」
ここは、たぶんあの塔と連結されている工場のような施設だ。今までの造りとは違い、内部は白を基調とされている。そして、巨大なフロアの両脇には無数の兵器が並べられていた。それはレーザー銃であったり、戦車であったり。中には、蛙型の機動兵器まであった。
「うわ、悪趣味な機体。エルダの思考が理解できないわ」
苦いもんでも噛んだかのように、彼女は舌を出した。たしかに、いい趣味とは言えないからな。
「ここが格納庫みたいなもんか。それにしても、量が多いな」
これだけの数、よく揃えたもんだ。機動兵器だけで、数百機はあるんじゃないか。
「あの塔と連結してるのは、この奥かしら」
「だろうな」
俺たちは、さらに奥へと進んだ。
格納庫の奥にあった扉を抜け、長い通路を進むと今度は再び、暗がりのフロアに出た。そこは格納庫のように広くはなく、研究のためのフロアのようだった。何かを解析するための巨大なコンピューターが、あちこちの天井から伸びて床に広がっている。一つ一つが、まるで根を張る樹木のようだった。
「なんのコンピューターだろうね。あの塔と連結しているような気はしなくもないけど」
女はそう言いながら、それらを見上げる。
「この部屋で研究しているというより……これから研究でもしようって感じはするんだがな」
「そう?」
「ほとんどのものが真新しい。最近になって造られたんだろ」
このコンピューター……あの塔と連結してるということは、エネルギー的なものを送るための場所なのだろうか。若しくは、ここと連結して“兵器”としての力のデータを得ようとしているのか。
その時、銃声が響いた。
パンッ、という短い音が室内に反響する。
「敵――!?」
俺たちはすぐさまシールドを張り、周囲に目をやる。幸い、弾丸は俺の腕をかすめた程度だった。
「外したか」
その声と共に、奥から人が出てきた。そこに立っていたのは……少女だった。ディアドラや女と同じくらいの年齢に見える。
「当たったとしても、あなたの命を奪うほどではなかっただろうけど」
自分に対してなのか、少女は苦笑した。
緑色の肩ほどまである髪に、細い身体。髪の色に合わせているのか、服装は全体的に緑色で、シャツにコルセット、スカートを身に付けている。
「……久しぶりね、ゼノ=エメルド」
彼女は髪と同じ、緑色の双眸を俺に向けた。
「どこかで会ったか?」
俺はそう言って、腰にあるグラディウスに手をかけた。
「覚えていないの? ……あなたにとっては、覚える必要もないことなのかもしれないわね」
俺に呆れているのか、少女は深いため息を漏らした。俺の隣にいた女は既に片方の星煉銃に手をかけ、いつでも飛び付けるように体勢を低くしていた。
「でも、私の父は覚えているんじゃない?」
「父……?」
俺が首をかしげると、少女はキッと俺を睨みつけた。
「ジェームズ=カスティオン……それが、あなたに殺された父の名よ!」
ジェームズ――!!?
俺の体の中に、電流が走った。当時の光景が、一瞬にして脳裏に映し出されていく。
――お前たちはチルドレンか――
――あのような“亡者”に操られる、哀しき戦闘兵器どもめ――
――娘に手を出すな! お前たちの目的は、私なのだろう――!?
「お前は……まさか、あの時の……?」
あの時、緑色をした長髪の少女が叫んでいた。父を。そして、俺に対する憎しみの言葉を。
「そうだ! 私はあの時、お前に殺されかけた少女……メアリーよ!」
――メアリー、逃げろ――!
――メア、リー……チャールズを――
口から鮮血の液体が流れ出ていた。俺はそれを見ながら、異様なほどまで落ち着いていた。瞬きをすることさえ忘れて。
あの光景が、湧き出てくる。
「……ゼノ?」
女が俺の名を呼ぶが、俺はそれに反応できない。心と体が、うまく動かない。驚いているのか、恐れているのかもわからなかった。
「私はあれから、お前を殺すことだけを考えて生きてきた……。お前だけは、絶対に許さない!」
メアリーは俺に銃口を向けた。そこからさえも、俺への憎悪が向けられている。彼女のその想いは、尋常ではないほど強大だった。彼女の双眸からも、涙となって溢れ出していた。
「父を殺された怨み、ここで晴らしてやる!!」
俺には、彼女が銃を放つのがわかった。避けようと思えば、簡単に避けられる。だが、俺の体が――心が、それをしようとしなかった。気付けば、シールドさえも解除していた。
「ゼノ!!」
メアリーの銃弾が放たれるのと同時に、女が俺の前に立った。彼女のシールドが、銃弾を防いだのだ。そして、女は瞬時にメアリーとの距離を詰め、拳銃を蹴り飛ばした。本当に一瞬の出来事で、メアリーは最初何が起きたかわからなかっただろう。
「ゼノ、ボーっとしてんじゃないわよ!」
女はそう言うと、メアリーの腕を捕まえて背後に回り、そのままうつ伏せにするように床に倒した。
「ぐあっ!」
メアリーは激痛で顔を歪めるものの、俺への憎しみの視線を絶やすことはなかった。
「お前も……チルドレンか!?」
彼女は女の拘束から逃れようとするも、既に極められているため、動けば動くほど痛みが増していってしまう。
「残念ながら、私は違うよ。ま、彼に協力してるからには同じようなもんだけど」
「こいつは……こいつは、私の父を殺したのよ!? そんな奴の協力をするって言うの!?」
「それは私には関係ないね。彼が何していようが、協力するって決めたからさ」
そう言いながら、女は小さく笑った。
「ゼノ、しっかりしなよ。あんたが過去に何をしたのか知らないけど、任務を遂行しなきゃならないんじゃないの?」
「……あ、あぁ……」
俺はようやく、足を動かすことができた。今さらながら、自分が情けない。いくら当時のことを引きずっているからとはいえ、ここまで簡単に崩れてしまいそうになるとは……自分が強くなったなど、笑えてくる。
メアリーの方に近づくと、彼女はさらに睨みつけてきた。
「私はお前のしたことを忘れない! お前は任務だと言って、父だけでなく、大勢の人たちを殺した! ……500人だぞ!? お前はたった数時間で、それだけの人を殺したんだ!!」
500人……。数など覚えていないが、後からそう言われた気がする。「初めての人殺しで、ここまで殺したのはお前が初めてだ」とも。
「私たちが何をした! 父さんが何をした!? お前に……お前たちなんかに、殺される理由などないのに!」
メアリーが叫ぶと、彼女の瞳から涙が溢れ出してきた。悲しみと憎しみ、そして悔しいという感情が入り混じっている。
「……俺は上からの任務に従ったまでだ。だからと言って、それを正当化するつもりもない」
俺はグラディウスを取り出し、切っ先を彼女の顔に向けた。彼女は一瞬驚いたような、恐怖が表面化したかのようにビクッとしたが、すぐさまさっきの目つきを回復させる。
「だが、お前たちがしていることは国際的に“許される”行為じゃない。お前たちに信念があるように、俺たちもそれぞれが信念を持っている。今の俺は、ただ単に人殺しのためにやってんじゃねぇよ」
なんのために――。
その言葉が、胸中に広がる。
誰かを護るため? それとも、自分の“何か”を護るため?
わからない。けど、ただ命令されて行っているわけではないことだけは言えるのだ。
「正義を振りかざして、命を奪うことに正統性なんてあるはずがない! 私はあなたを許すことはできない。たくさんのものを奪ったあなたを、絶対に……!」
彼女の瞳は、4年前と同じだった。ジェームズの亡骸に手を添えたまま、彼女は俺への怨みの言葉を並べていた。その時の俺にとって、それらはなんの苦痛でもなかった。何も感じない人形のようでもあった。
「話を変えて申し訳ないんだけど、あんたたちはここで何をしようとしてるの?」
突然、女が割って入って来た。ある意味、彼女の特技と言っていいのだろうが……まぁ、今はあまり気にしないでおこう。
「……知らない」
「ふーん。じゃあ、他の奴らは? まさかとは思うけど、市街地に配備してるわけ?」
市街地には正規兵2万が降下、突入している。既に制圧されていてもおかしくない。
すると、メアリーは小さく笑い始めた。それが女の勘に障ったのか、極めている腕をさらに強く極めた。メアリーの顔が、苦痛で歪み始める。
「おい、やりすぎだ。動けない程度にしておけ」
「あんたも甘いね。こうやらないと、どんどん調子に乗るよ?」
「わかったわかった。ともかく、それくらいにしろ」
「…………」
不機嫌そうな顔で、女はため息を漏らしながらも手を緩めた。
「他の奴らは、市街区に居るのか?」
「……そんな悠長にしていていいの?」
再び、メアリーは笑い始めた。
「どういう意味だ?」
「大事な仲間、危ないと思うわよ」
仲間――!?
俺はすぐさま、アームを取り出しディンに連絡した。しかし、電波が繋がらない。音声さえも出てこない。
「無駄よ。この建物には連絡が取れないよう、妨害電波を張っている。外――というより、山から出ないと連絡なんてできないわよ?」
「お前ら……!」
こいつ、俺をおびき寄せるためにわざと……!
「フィーア、そいつを頼む!」
「え、ちょっと!」
女の声を振り払い、俺はこの部屋から走って出て行った。
他のチルドレンたちが危ない。ここに、あれだけの戦力しか割いていないはずがない!
「……まったく、どうしろってのよ。殺すわけにもいかないし……」
この状況で、私は何をすればいいのか。フィーアは、ため息を漏らしながらそう思っていた。SICの人間でない以上、指示を待つ理由もないのだが、ディンとの約束もあるため勝手な行動は慎まなければいけないのだ。
「あなたは、誰?」
その時、メアリーが落ち付いた声で言った。ゼノに対する言葉の“刺々しさ”がほとんどなかったため、フィーアは少し驚いた。とは言え、これが従来の彼女の声なのかもしれない。
「あんたには関係ないと思うけど?」
彼女はそう言うと、ふと思った。
あれ、GHが協力しているんだったら、関係ないわけじゃないのかな。
「……彼がしてきたことを知って尚、彼に協力するつもり?」
どうしてそういう質問をするのか、フィーアにはよくわからなかった。この人はゼノが残虐だということを知れば、他人が離れて行くとでも思っているのだろうか。同じ“人を殺す立場”であるフィーアにとって、その質問はまったく意味を成さないものに等しかった。
「だからなんだって言うの? さっきも言ったじゃない。彼のしてきたことなんて、私には関係ないもの」
フィーアは訝しげな表情をしながら言った。
「それよりも、彼のことを知れて私は――」
……私は?
そこで、フィーアは言葉を止めた。というよりも、止まってしまった。
私は、なんと言おうとしたのだろう。すんなり出てきそうだったのに、なんだったのかよくわからなくなってしまった。
彼女が当惑している時、何かが光った。
「――封呪・エレメンタリィ」
淡い緑の光が、フィーアを包み始める。彼女の体内から、力が抜けて行った。そのため、フィーアはその場にひざまずいてしまった。
「これ、は……!?」
体が麻痺しているかのように、しびれて動かすことができない。
「あなたの体内エレメントの動きを止めた。しばらく動くことはできない」
メアリーはすくっと立ち上がり、蹴り飛ばされた拳銃を拾いに行った。油断していた――と、フィーアは自分への不甲斐なさを噛みしめ、悔しそうに歯を食いしばっていた。
「あなたを今ここで殺すこともできるけど……関係ないというなら、どうでもいいわね」
「…………」
メアリーは一旦彼女に銃口を向けるも、小さく微笑みそれを下げた。あまり人を殺したくない――それが、彼女の本音であった。
そして、メアリーはゼノの後を追うかのように、ゆっくりと部屋から出て行った。
「……やれやれ、簡単に逃げられちゃったな」
と、満足に体を動かすこともできないフィーアは、ため息を漏らした。まぁ、山を登ったり階段を下りたりして疲れたから、ちょうどいいのかもしれない。
「ん? そう言えば、彼……」
フィーアは、目をパチクリさせながら“それ”を思った。どうして彼がそう言ったのか彼女にはよくわからなかったが、なんとなく忘れることはできない気がした。
初めて、名前を呼ばれた。
ただ、それだけなのに。