13章:弱い者、強い者
「時間を守らねぇたぁ、いい度胸だ」
「うっせぇ。いいから行くぞ」
「よくねぇ。しばらく遠い宙域で一人暮らしでもしてみるか? ん?」
ラグネルは機嫌が悪い。ノリでそのまま帰ってしまおうと思ったが、そう簡単に事は運ばないものだ。こうなりゃ、素直に謝るしかねぇな。
「……悪かったよ。ちょっと時間があったんで、昼寝してしまった」
「別にミッションや任務ってことじゃねぇから、まぁいいんだけどよ」
ラグネルは大きな口を開けて笑いだした。よくはないと思うのだが……まぁ、突っ込まないでおこう。
俺は2時間以上も遅れてしまったが、ようやくセフィロートへと戻ることができた。今日は実家に戻って静養しろということで(というより、両親を安心させてやれとのこと)、天枢学院からすぐに地上へ降り立った。
ほとんど音のしない高速自動車が行き交う、セフィロートの町中。百メートル以上もあるビルが列挙しており、後ろへ振り向くと、宙に浮かぶ天枢学院がある。こうして改めて見ると、やはり他のコロニ―とはレベルが違うと感じた。一線を画しているというか、少しだけ誇らしく思うものの、全部が全部こうなってくれはしないものだとも思った。生まれ育った都市だからか、ここが太陽系の中心地にはあまり思えないのだ。
「ただいま」
実家のマンションに入ると、そこはがらんとしていた。久しぶりの実家だが、親父もおふくろもいなく、窓から光が差し込んでいるだけだった。今日は平日だし、二人は仕事のようだ。
白を基調とした家の中は、久しぶりという気持ちよりも、どこへ行っても同じような場所ばかりだという想いが大きかった。天枢学院にしても、他のコロニーにしても、大体が白色の建物であったり、内部が白かったりする。
自分の部屋に戻り、ベッドの上へと倒れ込んだ。俺が帰ってくるってんで、おふくろはシーツを洗っていたのだろうか、洗剤のいい匂いがしてきた。それが実家を感じさせるもので、安心感をより大きくさせる。
こうして実家に戻るなんてこと、ここ数年では一切なかった。天枢学院に入ってから、最初のうちは何度か戻っていたが、いつの間にか年末年始でさえ帰らなくなっていた。大した距離でもないのに、はっきりとした確信はないけれど、たぶん、学院の方が居心地が良かったのだ。
何が起こるかわからない緊迫感と、戦場での高揚感。それらが俺を満たしていた。だから積極的にミッションへ参加していたし、それこそが自分の価値のような気がしていたのだ。今では当時の感情など幾分か色あせてしまっているが、未だ燻ぶり続けているのがわかる。
戦場へ――――血の流れる場所へ。
俺の心の奥よりも、さらに奥。感情や意思が宿っている場所ではなく、もっと普遍的に、人類や生命といったあらゆるものたちが共通して持っている「何か」が潜んでいる場所から、そんな言葉が聴こえてくる気がする。自分がどんなに変わろうとしても――仮に変えられたとしても――、それは決して消えることのない灯火なのだ。拭い去ることのできない炎。
胸に手を当てると、トクン、トクンという音がその手に響き、自分の脳へと伝わっていく。早く戦場に出たいという想いが、湧き始めていた。あそこでしか、自分の感情が一つに統一することができないのだ。サラのことや、あの頃のこと。FROMS.Sのことや、これからのこと。様々な事柄が自分の喉をゆっくりと絞めており、心が休まる時がない。だからなのか……戦場でしか、心を制御できないような気がしていた。それはそれで問題があるようにしか思えないが、それが自分でしかない。なんとなく、そんなものだろうとも思えるのだが。
「なんだ、もう戻ってたのか」
「おわっ!」
俺は思わず、ビックリ仰天してしまった。人の背丈ほどの大きさの部屋の窓から、ディンが顔だけを覗かせていたのだ。そして、彼はズカズカと部屋に入ってきた。
「お、お前、どこから入って来てんだよ!?」
「どこって、窓からだけど」
「……いや、正直に言われても困るんだが……」
「え? じゃあなんて言えばいいんだ?」
ディンは子供が疑問を浮かべた時のように、顔をかしげる。天然というか、なんというか……狙ってやってたら、ちょっと制裁を加えたいくらいだ。
そんなことを思いため息をつくが、俺はあることに気付いた。こいつ、まさかマンションの外から登って来たんじゃねぇのか? ここはマンションの10階だし……。
「ん? どうした?」
自分をじろじろ見るってんで、ディンは訝しげに訊ねた。こいつ、頭おかしいんじゃねぇのか……と思いつつ、苦笑する俺だった。
「つーか、なんか用でもあんじゃねぇのか?」
俺はそう言いながら、ベッドの上であぐらをかいた。
「用がないと来ちゃいけないのか?」
ディンは微笑を浮かべつつ、クリーム色のソファーに腰掛けた。
「そういうわけじゃねぇけど、非常識な入り方してるしな」
「ハハハ、まぁ気にするな」
いや、気にするだろ……。
「体の方はもう大丈夫なのか? ラグネルさんから仮想空間で襲われたって聞いたけど」
「ああ、とりあえず問題ない。どこも悪いところなかったし」
俺は自分の快調ぶりを表現するために、腕に筋肉のこぶを作って見せた。すると、ディンは「さすが」と言いながら笑った。
「それにしても、ゼノを圧倒させるほどというのはすごいもんだ」
「まぁな。準備していたとしても、今の俺じゃ五体満足で勝つことは絶対に無理だろうよ」
思い出しただけでも、負けてしまったことに対する憤りと相手への憎しみが湧き上がる。勝てる見込みなんてないが、それでも今度対戦する時は一発ぶちのめしてやりたい。それだけで、ある程度すっきりするだろうし……ふふふ。
「……ゼノ、笑顔が不気味なんだけど」
「え? あ、あぁ、すまん」
おっと、想像しただけで笑みが零れてしまっていた。
「ゼノが敵わないんじゃ、僕は絶対に勝てっこないな。というより、一対一で闘うという条件で、ゼノを倒した奴を倒せる人っているのかな?」
「どうだろうな……。CG値1000以上っていう、ハワード軍部長官とかならなんとかなるんじゃねぇの?」
まぁ、そんなお偉いさんとは面識はないが。
「ハワード長官はもう歳が歳だから、敵わないと思うよ」
と、ディンは苦笑する。強い人は歳を取っても強いもんだと思うが、きっと怠けてんだろうということを、ディンの顔からなんとなく察知した。
「もしかしたら、ラグネルさんならどうにかできるかもよ?」
「ラグネルか。たしかに、可能性はありそうだな」
ラグネルは俺たちSSSクラスチルドレンの担当教官で、天枢学院戦闘指導主任。特別教典局司教位でもあり、局内ではかなりの地位の人物である。つまり、彼もチルドレンとしての能力は高いということだ。
「ラグネルさんがどれくらいのCG値かはわからないけど、あの年齢で司教位になってるくらいだから、かなりのものかもね」
「なんか、あんまし納得はできねぇ」
「おいおい……」
俺は普段のラグネルを思い浮かべてしまった。あの適当な性格から、とんでもなく強い人間とは想像するのは難しいんだよな。
「仮にその相手に勝てるとして、ラグネルさんのCG値……どれくらいだと思う?」
「…………」
天枢学院を卒業したチルドレンは、その能力の証である「CG値」が抹消される。たしか、企業などに就職した場合などで、CG値が昇給・昇格に及ぼす影響を懸念してのことだと聞いた。それは政府に勤めることになっても同じ(とはいえ、所詮表面上のものでしかなく、結局はCG値がかなり関係してくると言われる)。そのため、俺たちは元チルドレンである両親や教官たちのCG値を知らないのだ。
「担当するクラスのCG値が配属される教官たちに関係していると仮定するなら、ラグネルは1000以上……或いは俺たちと同程度、と考えるのが妥当だろ」
「いつもラグネルさんのこと馬鹿にしてる割には、高い評価じゃないか」
ディンは小さく笑っていた。そう思われてもしょうがない。本当に、表面上では俺は彼のことを馬鹿にしているように見えるだろうし。
「エレメントのことにしても、戦闘のことにしてもあいつから教授してもらったことばかりだからな。それに、ああいうわざと適当な感じに見せる奴ってのは、強い奴じゃなきゃできない余裕だろ?」
天枢学院に入ってからの7年余り。ラグネルはずっとあんな調子だが、他の教官たちから尊敬されていることや、的確な指導内容などから、あいつはわざとそういう風に見せているんじゃないかと思う。それを確信にさせたのが、2年前のことだった。彼はもしかしたら、SIC軍の中でもトップクラスの戦闘員なのではないか――と。
「以前、エリィ教官から聞いたことあるんだけどさ」
「エリィ教官って誰?」
俺がそう問い返すと、ディンはガクッと肩を落とした。
「Cクラスを担当している教官の一人だよ。ラグネル直属の部下で、サラの担当さ。覚えていないか?」
「……なんとなく」
そんな俺の様子を見て彼は「やれやれ」と苦笑しつつも、それが俺らしいと思っているせいか、どことなく嬉しそうに見えてしまった。
「そのエリィ教官が言ってたんだけど、ラグネルさんって特別教典局局長候補に挙がったことがあるらしいよ」
「ま、マジで?」
「うん」
と、彼はうなずく。どうやら一度だけ候補に挙がったらしく、ラグネルはそれを蹴ったという。特別教典局局長と言えば、天枢学院の長であり、上位機関である各部の長官とも肩を並べられるほどの地位だ。評議員としての資格も有し、枢機院内での発言権も得ることができるほど。ラグネルの野郎が、そんな話を蹴ったというのだからなおさらだ。
「あいつ、お上のことはあんまり興味なさげだったが、ちょっと勿体ねぇよな。せっかくのチャンスだってのに」
「そういうもんじゃないの? SICだっていくつか派閥があるわけだし、一筋縄じゃないからめんどくさいんでしょ」
SICもどこぞの国家のように、いくつかの派閥に分かれている。保守的な思想を持ち、現在の政権を握っているのが保守党――「維持派」と呼ばれ、現職の大臣たちのほとんどがここに所属している。現枢機卿エルバートもそうであると言われている。そして、新興の派閥でありながら、維持派と肩を並べられるほどにまでになった革新的な政策を進めようとする「拡大派」。以前までの最大野党は民主党であったが、現在は拡大派である共和党になっている。ラグネルは一応拡大派らしいが、どうでもいいらしい。
「たしか、局長が拡大派だったよな? まぁ大方、実力者のラグネルを拡大派だってことを内外に示すためでもあったんだろ」
「だろうね。ラグネルさんもそういうことをわかってて、蹴ったんだろうな」
大人というのはめんどくさいものだ。いろいろな考え方の下、多くの人々が寄り添って一つの集団となり、自分たちを守る。そうやって多数派を築き、自分たちの思い通りの政策を行っていく。大昔から、政治というものが始まって以来、そういうものだったのだろう。そう思うと、近い将来大人になってしまう自分たちも、そういった社会に呑み込まれていくのは必然であるため、ため息を漏らしてしまいそうになる。がんじがらめになっていて、どこか息苦しい――――それが、今の社会のような気がしてならない。
「ところで、今度のミッションの話だけど」
ディンは頬を指先でポリポリとかきながら言った。
「ようやく本題だな」
「ハハ、そういうわけじゃないよ」
苦笑する彼の顔から、誤魔化そうとしているようには見えなかった。しかし、早く言いたかったことであるには間違いなかった。
「つーか、俺たちにミッションなんかあんのか? 復帰したとしても、すぐに重労働のミッションはやらせない的なことをラグネルが言ってたが」
俺は両手を頭の後ろに置き、仰向けになった。
「今回はそういう、個々にやらせるミッションじゃないよ。久しぶりに、召集型のミッションなんだ」
「召集型――」
まさか…………。
「あれ? もしかして知ってるのか?」
驚きを隠せない俺の表情を見て、彼は目をパチクリさせている。
「……カールから聞いた。FROMS.Sをつぶすやつだろ?」
そう言うと、彼はこくりとうなずいた。俺の複雑な想いを、ディンは知っている。だからこそ、彼の顔はさっきよりも真剣そのものなのだ。
「FROMS.S先代代表――設立者の『ジェームズ=カスティオン』の息子で、指名手配されていた『チャールズ=カスティオン』が現在の代表者だ。彼の捕縛が主な目的だけど、S兵器の破壊と回収も重要な作戦になってる」
「GHから流れてるってやつか……。チャールズがGHと繋がってんのか?」
そう言うと、彼はうーんと唸った。
「チャールズは元々武器商人だったから、その可能性は高いと思う。でも、GHと繋がりができるほどの人間ではなかったはずだし……」
どうやら、それが謎の一つらしい。GHはあまり他の組織と繋がりを持たない――求めないため、今回の事例は少々納得がいかないところがあるのだ。
「……4年前の掃討作戦で、組織の主な人物はチャールズを除いてほとんど死んでしまったから、『壊滅した』と言っても過言ではないと思っていたんだけどな……」
ディンはため息を混じらせ、顔を振った。やるせない……そんな彼の気持ちが、そこかしこに溢れ出ている。それは俺も同じだった。
「怨んでんのさ、俺たちを」
「……ゼノ……」
俺は白い天井を見上げ、目を細くした。なぜか、そうなってしまった。
「正義の名の下に――秩序を守るという大義名分の下に、家族を殺された。仲間を大勢殺された。……不条理な怨み方されても、仕方ねぇさ」
もし仮に、俺が奴の立場なら……同じような行動をとったかもしれない。当時の殺されるかもしれないという恐怖よりも、全てを奪っていったという憎悪の方が激しく燃えるのだ。何よりも大きく、黒く、暗く……。
「……SSSクラスとして参加するかどうか、決めないとね」
沈黙の世界を破ったのは、ディンだった。
「そうだな……。お前はどうすんだ?」
「僕は……参加するよ」
「……そうか」
ディンらしい。
そう思い、なぜか自然と笑みが零れた。ディンは前へ進んでいるのだ。たとえ一人であっても。
「俺はやめとくよ。あんまし気分が乗らねぇし。それに……」
――人殺し――!!
「……退院したばっかりだしな」
ずっと奥から響いてきた声を覆い隠すかのように、俺は微笑しながら言った。すると、ディンもまた同じように笑う。
「それはしょうがない。たまにはいいんだよ。こういった休暇ってのも」
「おかしな話だけどな、ガキの癖に休暇するっつーのは」
「ハハハ、たしかに」
そんなことを言いながら、俺たちは笑いあった。
「そういや、あの女はどうした?」
「女? ああ、フィーアのことか」
それ以外にないと思うのだが。あいつもセフィロートへ戻っているはずだが、一体どこにいるのか気になったのだ。
「フィーアは僕の家にいるよ。……たぶん」
ハハハ、と彼は笑う。その「たぶん」っていうのが余計な気がするが、まぁ大丈夫なのだろう。……たぶん。
「それならいいや。これ以上、変なことを起こされたらたまったもんじゃないからな」
ジュピターでは、あの女に振り回されたような感じがする。いいようにされたというか……。
「それと……もう一つ」
その時、ディンは息を整えて言った。再び、雰囲気と表情がさっきと同じようになっている。
「どうせこのミッションはまだ先のことだから、まだ言わなくてもいいかなとは思っていたんだけど」
ふぅと息を漏らし、ディンは窓の外に目をやった。さっさと言えばいいのに、などと思いながら彼が言葉を発するのを待った。
「サラ、これに参加するつもりだ」
なっ――――!?
俺は驚愕のあまり、体を起こしてしまった。サラが参加するだと……!? こんな任務に!?
「大規模な残党狩りのはずだろ? ロークラスの奴らも参加できるってのか!?」
「それは僕もおかしいと思ったよ。人を殺める可能性のあるミッションで、全クラスのチルドレンから募集をかけるなんてさ」
彼も困惑しているようで、表情が曇っている。残党狩りとはいえ、正規の軍隊を出動させて行うミッションのはずだ。ほとんど戦闘経験のないチルドレンからも募集をかけて、いったいどうするつもりだ!?
俺は憤りを感じながらも、それはすぐにサラに対する怒りへと変貌した。なぜなら、これは「希望する者だけが参加するミッション」だからだ。本人が自分の意思で参加する旨を伝えない限り、ミッションに駆り出されることはない。サラはこのことをわかっていて、参加する気だ。ほとんど人を殺したこともねぇくせに……!
「ディン、お前……止めなかったのか?」
俺は彼を睨みつけるようにして、言った。ディンもサラのことは心配しているはずだ。なのに、危険な場所へ行くことを止めようとしなかったのかもしれない。
「……止めはしたよ。でも……」
「でもじゃねぇ!!」
俺は大声を張り上げ、ベッドから降りた。
「人を殺すことに慣れてんのは、せいぜいAクラス――ノイッシュたち辺りからだ。たとえ簡単なミッションであっても、Cクラスの奴がどうにかできるほどのもんじゃねぇだろ! お前だって、それくらいわかるだろうが!!」
激しい憤りと共に声を吐き出す俺を、ディンは冷静に見つめていた。決して物怖じしないその瞳こそ、彼の強さの一つである。
「サラ自身が決めたことだ」
ディンはゆっくりと、言った。それは、俺の怒りがさらに膨れ上がっていくものでしかなかった。
「本人が決めたことを、これ以上僕たちがとやかく言っても仕方ないと思う」
「その決めたことが、間違っているとしてもか?」
「…………」
俺はディンの方に歩み寄った。彼はイスに座っているため、俺を見上げる格好になっている。
「間違ってんなら、正すのが周囲の奴らの役割だろうが。本人の意思を尊重するだのなんだの、そんなきれい事でどうにかできるほど甘くはねぇんだ!!」
「それは僕だってわかってる。だけど、サラだってチルドレンだ。男とか女とか、そういう隔たりを感じたりもしてる。自分に力がないってことも、十分に理解している。それでも、彼女は……」
「だからなんだってんだ! 理想ばかり並べたって、現実はいつも悲惨なもんだ。『今のサラ』でどうにかできるか? できねぇだろ!!」
「サラは、君が思ってるほど弱くはない。彼女も君や僕と同じで、少しずつではあるけど強くなろうとしているんだ!」
ディンは立ち上がり、怒気を孕んだ声を放った。いつにない彼だからか、俺の心はほんの少しだけ後ずさりしてしまいそうだった。しかし、それを表面に表してしまうほど、俺は弱くはない。
「弱いとか強いとかじゃねぇ。それ以前の問題だ! あいつには経験が無さすぎる。こんなミッションでなくても、もっと別のやつをこなしていけばいいだけの話なんだよ!」
自分がどの位置に――どの場所に立てるのかを把握しておかなければ、そいつは簡単に傷付く。どうしようもない現実に打ちひしがれ、立っていられなくなってしまうかもしれない。それを俺は知っているから、こんなにも止めたいと思うのだ。
「彼女の気持ちをわかってやれよ。……サラは……!」
彼はギュッと歯を食いしばり、俯いた。それ以上、彼自身言っていいのか悪いのか、わからないのかもしれない。
「……お前と話してても埒が明かねぇよ」
俺は彼に背を向け、部屋から出て行った。そして、足早に玄関へと向かった。
「ゼノ、待て!!」
後ろからディンの声が聞こえたが、そんなことはどうでもいい。サラのところへ行き、どうにかすりゃいいんだ。
天枢学院へ昇り、俺はほとんど走っている状態で、サラを探した。夕方だからか、授業を終えた多くの学院生たちが廊下などで友人たちと談笑している。今はそれが邪魔で仕方なく、時折肩と肩がぶつかっただけで沸々と煮えたぎっている怒りがより大きくなり、正常な思考を鈍らせていた。
サラがいると思われるE棟へ向かった。ここは女性チルドレンの寮だし、きっといるはず。廊下を抜け、角を曲がろうとした時、思わず女性にぶつかりそうになった。
「あ、ゼノじゃない。びっくりした~」
「ディアドラ……」
一瞬驚いた様子の彼女は、すぐに微笑み始めた。
「もう退院したんだね。ま、馬鹿みたいに丈夫なゼノだし、特に心配なんてしちゃいなかったけど」
口元に手を当て、ディアドラは笑った。
「……サラは?」
「え?」
いつもなら、彼女の冗談のような言葉に突っ込みを入れるところだが、今はそれどころではない。
「サラなら、もう自分の部屋に戻ったと思うけど」
ディアドラは俺が普段の俺とは違うと察知したのか、怪訝そうな表情を浮かべていた。それを振り払うかのように、俺は角を曲がり、サラの部屋へと向かった。
そこは男子が入ってくるような場所ではないため、男の俺がいるせいか、廊下に出ている女性チルドレンたちはみんな驚き眼で俺の方を向いた。普通ならば、その視線を浴びせられることが恥ずかしく、身を縮こまらせてしまうものだが、今の俺にそんなものは通用しなかった。
「ゼ、ゼノ? どうしたのよ?」
ディアドラの声が後ろから聞こえた。俺の様子がおかしいと思い、付いてきたのだ。
「ディアドラ、あいつの部屋番号は?」
「え? えっと、ここだけど」
彼女が指さしたのは、505号室。俺は開閉ボタンを押し、中へと入った。いくつかの人形が置かれた部屋の中のイスに、サラは座っていた。パソコンを使っていたようだ。
「ゼ、ゼノ!? な、なんで?」
「ちょっとゼノ! 女の子の部屋にズカズカと入っちゃダメでしょーが!」
正面からはサラの驚きの表情と声。後ろからは、ディアドラの戸惑いと怒りを混ぜた声。ディアドラも入って来たようだった。
「もう退院したんだ。あ、そう言えば今日が帰ってくる日だったね」
と言いながら、サラは立ち上がった。いつもの彼女の笑顔が浮かんでいて、それさえも今は腹立たしかった。
「お前、どういうつもりだ?」
「え?」
サラは目をパチクリさせ、戸惑っている。俺が怒っているということも、なぜ俺がここに来たのかということさえも、まったく予想できていないらしい。
「FROMS.Sの残党狩りのミッション。お前、参加する気なんだろ?」
「そ、そうだけど……別にいいでしょ? 私が決めたことなんだから」
ようやく、どんなことを言われてしまうのかを理解できたようだった。彼女も強気で言ってきた。
「よくねぇよ」
「いいの! どうして私が決めたことにゼノが文句言うわけ!? ゼノに言う権利なんてない!!」
普段のガキみたいなケンカの時とは違い、彼女の目は怒りに満ちていた。これほどの瞳にさせたのは、もしかしたら今回が初めてかもしれない。
「権利があるだの無いだの、そんなのは関係ねぇよ」
「ある!」
「ねぇつってんだろ!!」
俺は怒声を彼女に言い放った。その瞬間、彼女の体が硬直してしまった。後ろにいるディアドラさえも。
「お前が決めたことに対していちいち言うのは、間違ってるから言うだけだ。俺が納得できるようなもんだったら、口酸っぱく言わねぇんだよ」
「……そうかもしれないけど、ゼノが絶対に正しいわけじゃないでしょ? 私だって、自分なりにちゃんと考えて結論を出したの。ゼノも逆の立場だったら、同じことを言うよ!」
「んな仮定の話なんかどうでもいい。仮にそうだとしても、そもそも俺はお前みてぇな馬鹿な結論は出さない。俺がお前なら、今回のミッションには参加しねぇんだよ」
「どうして反対するの? そんなに私が足手まといだって言うの!?」
既に泣いてしまいそうな瞳で、彼女は叫んだ。俺は彼女の言葉に対し、大きくうなずいた。
「そうだろうが。今までのことで理解できなかったのか?」
俺はため息を漏らし、続けた。
「GHの二度の襲撃で、お前は俺たちの足を引っ張り続けた。戦場にいるには、お前は弱すぎる」
「――!!」
「ゼノ、言い過ぎだって!」
サラをかばうかのように、ディアドラが俺と彼女の間に割って入った。俺が怒りを露わにしているため、ディアドラも少し怖がっているように見えた。
「サラはまだ経験が不足しているだけよ。誰だって最初は、他人の力を借りなくちゃ何もできない。ゼノもそうだったでしょ?」
「…………」
「すぐに一人でどうにかできるわけないじゃない。そこのところ、わかってあげてよ」
この様子からだと、きっとディアドラはサラから何度も相談を受けていたのだろう。そうでなければ、これほど必死に庇おうとはしないはずだ。
「お前の言ってることもわかるよ。だが、サラは自分がどういう場所に行くのか、まだよくわかってねぇんだ。そもそも、こいつが無理に背伸びして戦場に行かなくたっていいはず。こいつはCクラスだぞ!?」
Cクラスのチルドレンがこれほど大規模なミッションに参加するなんて、聞いたことがない。やるにしても、もっと簡単なものからあるはずだ。いや、サラ程度の能力しかない奴が、危険を冒してまで戦場に出なくてもいいんだ!
「そりゃそうだけど……」
ディアドラは何をどういえばいいのか分からず、俺から視線をそらした。
「サラ。お前は自分の今の実力で、人を殺せるのか? 自分の実力がどれだけのもんか、はっきりとわかっていて参加するのか?」
「…………」
彼女は俯いたまま、歯を食いしばっているように見えた。
「ゼノ、もういいじゃない。これ以上は酷――」
「お前は黙ってろ」
俺は静かにそう言い放ち、ディアドラをどかせた。
「サラ、答えろ」
低く、冷たい声だった。それが俺でもわかるほどだった。
「――――ってない」
声を発しただけ――その程度のものだった。はっきりと聞き取れず、俺は再び声が開くのを待った。すると、彼女は勢いよく顔を上げた。
紺碧の双眸に、涙が溢れていた。
「ゼノは何もわかってない!!」
涙声の混じった、大きな声だった。
「ゼノはいつもそう! 私を理解してるふりをして、なんにも理解してくれない……理解しようとしてくれない!!」
彼女の頬に、涙の粒がたくさん流れ落ちて行く。だが、俺はそれに惑わされないよう、自分の意見の方が正しいのだという「真実」を心の中心に置き、平静を保とうとした。
「理解されないと思われようが、そんなことはどうでもいい」
「どうでもよくない! 私にとっては……どうでもよくないの!!」
「サラ……」
涙を床へと落とすサラを、ディアドラは当惑した様子で見つめていた。
「……俺はお前がくだらねぇ背伸びをしようとしてるから、それを正そうとしてるだけだ」
「私にとっては必要なの! 私もたくさん考えて考えて、悩んで悩んで出した結論なの! それを、簡単に否定しないで!」
「間違ってたら否定すんのは当たり前だろうが!!」
「当たり前なんかじゃない! 私のこと……理解してないくせに!」
サラはそう言って、出入り口の方へと走った。俺が追おうとするのと同時に、彼女は振り向き、
「ゼノなんか、大っ嫌い!!」
「サ、サラ!?」
そう吐き捨て、ディアドラの声を無視して部屋から出て行ってしまった。
大っ嫌い――って、まったく……。ため息を混じらせながら、俺は頭をかいた。さっきの怒りは消え、どこかやるせない感じが湧き始めていたのだ。
「……あれはさすがに酷い」
ディアドラもまた、ため息をついた。彼女の表情には、俺に対する憤りが混じっているように見える。
「サラのこと心配してるのはわかるけど、彼女も一人のチルドレンだよ? あそこまで否定することないと思う」
「……全否定されただけで泣いて逃げるってんなら、その程度だろ」
「ゼノ!」
ディアドラは手を振り上げ、俺に平手打ちを浴びせた。乾いた音が、サラの部屋に響き渡る。
「言っていいことと、悪いことがある!」
嫌な味――鉄の味が広がる。唇の端が切れていた。
「サラはいつまでもゼノの妹じゃないのよ? ゼノがずっと護ってるのは、彼女にとってよくない。このままじゃ、サラは自立なんてできっこない!」
「それくらい、わかってる」
俺は血を手で拭いながら、言った。
「だったら、そろそろ手を離してもいい頃だと思う」
ディアドラは、哀しい表情をしていた。ひしひしと、サラに対する感情が伝わってくる。……彼女も、あいつのことを大切に思ってくれているんだ。こんな状況なのに、それがわかってしまったせいか、ほんの少しだけ嬉しかった。
「このままじゃ、サラはゼノのこと……」
それ以上、彼女は言わなかった。何を言おうとしたのか、その続きがなんなのか、俺にはよくわかっていた。それだけに、さっきの嬉しさもあって、俺は微笑を浮かべてしまっていた。
「……失いたくないだけだ」
俺は部屋の奥にある窓の方へと、歩いた。そこから、セフィロートの街並みを一望できる。
「俺にとって、サラは特別だ」
妹のような存在であり、家族であり、友人であり……。他の奴らとは――ディンも含めて――まったく違う領域にいる奴なんだ。
どの色にも混ざることのない、独立した色。
それが、俺にとってのサラだ。
「昔みたいなことは、もうこりごりなんだよ」
きっと、この言葉でディアドラは察知してしまうだろう。彼女はあの時のことを知っている。あの出来事が、どれだけ俺を――俺たちを苦しめたのか、どれほど絶望させたのかを。
「だから、あいつに勘違いされたっていい。世界で一番嫌いな人間になってやってもいいさ」
「ゼノ……」
俺はディアドラの方へ振り向き、小さく笑った。それが誤魔化すためのものであると、彼女は簡単に理解していたと思う。
「それに、このミッションでなくてもいいだろ。もっと別の、簡単なやつからこなしていけばいい」
「……それはそうだけど、Cクラスに割り当てられるミッションで、実戦を利用するようなものはないよ。Cクラスである以上、今回のようなミッションが自分たちに課せられることはないってわかってるはずだから……」
ディアドラの声は、さっきよりも小さくなっていた。俺に気を遣っているのかもしれない。
「だから背伸びだって言ってんだ。あいつにはあいつの居るべき『場所』ってのがある。俺やお前とは違う」
俺にも、ディアドラにも、多くの人々にもそれはある。無謀なことを挑戦することだと置き換えるのは、そういった「自分の居場所」というものがどこら辺りなのか、きちんと理解しようとしていないからだ。それを誤れば、きっと傷付いてしまう。肉体的にも、精神的にも。
「……俺が生きていく所と、あいつが生きていく所を同じにしたくはない。無理に来なくてもいいんだ」
「…………」
ディアドラは何も言わず、ゆっくりと顔を俯かせてしまった。彼女もわかっているはずだった。俺やディンが居る場所は、ほとんどのチルドレンたちが踏み入れない場所ということや、サラでは決して踏み入れることのできない場所だということも。分不相応なのだ。
俺は再び、窓の外を眺めた。セフィロートの街並みは白く、大気はどこか白く濁っていた。ここはコロニーだから、完璧に澄んだ空気など存在しない。
お前なら、どうする?
お前ならサラに対し、どうしただろうか。俺はどうも、酷い言葉でしか言うことができないようだ。さっさと彼女の保護の役割から逃れたいという、邪な意思が潜んでいるせいかもしれない。どうしてそう思ってしまうのか、自分でもよくわからないってのに。
「ねぇ、知ってる? 地球っていう星の名前」
どうしてか、その言葉を思い出した。まだ幼さの残る笑顔を俺に向け、そう言ったよな。あの時初めて、地球っていう星が俺たち人類が生まれた星の名前ということを知った。それがとてつもなく重要なことで、決して忘れてはならないことだということも。
やはり、俺はサラを傷付けるだけでしかない。俺では、あいつの力にはなれないような気がする。……たぶん、そういうことを言ったら、めちゃくちゃ怒られてしまうのだろう。
俺はディアドラに叩かれた頬に触れた。
あの時、俺は避けようと思えば避けれた。だが、それを避けてはならないと感じた。理由も何もわからないが……とても大事なことのように思えたのだ。
ラケル。
お前なら、どうするだろうな。