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BLUE・STORYⅡ  作者: 森田しょう
◆第1部:無限と有限が重なり合う中で~schicksalhaft Begegnung~
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12章:辿り着けぬ天使の痕


 精密検査の結果は、やはり予想通りだった。俺の体には異常などなく、至って健康。そうとわかると、俺はラグネルに心配し過ぎだなどと言ってみるが、彼は大口を開けて、

「俺もそう思ったんだが、後で文句言われたらめんどくさいんでね」

 と、笑いながら言った。保護者団体のことを気にしてるのかと思うが、まぁ彼の性格だ。建前ではそうなんだろうな、と思う。なんだかんだで、俺たちのことを心配しているのかもしれない。

 それから一週間ほど、俺は暇で暇でしょうがなかった。正体不明のID介入により、仮想空間は一時的に使用禁止になってしまい、することがなかったのが原因だ。調査後、ラグネルに訊いてみると、履歴には載っていないIDだったとのこと。俺からも見た目や服装などの情報を提供したが、今のところ似通った人物は見つけられていない。もし仮に、あの仮面野郎がGHの幹部だったとしても、彼らを目にした人物はほとんどいないため、特定できないのが現状だ。


「聞いたか? 今度のミッションの話」


 病室で帰り支度している時、俺の後ろから肩をちょんちょんと突っついてきたのはカールだった。

「おう、久しぶりだなカール」

「ケガをして入院してるって聞いたけど、思ったより元気そうじゃないか」

 カールは俺を少しだけ嘲笑するかのような顔になって、じろじろと見渡す。俺がケガをしたことが珍しいのだろう。

「つか、なんでここに居んだ? 以前のミッションには、お前は含まれていなかったはずだし」

「ちょっとした仕事でな。GHが襲撃しただろ? それの調査のためってことで、仕事を押し付けられたんだ」

 と、彼はやれやれとため息を混じらせながら言った。

「そういや、カールは参謀部目指してるんだったな」

 俺たちチルドレンは、学院生半ばの5年になると自分の進路希望を決定する。とは言え、所詮希望でしかないので、適性判断などの審査を経て、卒業年に最終的な進路希望を提出する。カールは参謀部情報工作局希望だと聞いたが、たぶん今回の調査は訓練の一環なのだろう。

「仮想空間に侵入したIDデータの解析や、侵入経路、アクセス場所とかを調査するんだ。そもそも、支部の人たちでもさっぱりわからないんだったら、俺たちにもわからないと思うけど」

「謙遜すんなって。お前、参謀部志望者の中でもトップクラスの成績だろ?」

 そう言うと、カールは照れているのか、「よせよ」と言いながら頭をポリポリとかき始めた。彼のチルドレンとしての能力は「Cクラス」であるが、コンピューターなどの情報系に関しては、俺やディンなどのハイクラスのチルドレンでは太刀打ちできないほど高い能力を持っている。CG値なんてのは、所詮、身体的な能力を表すものでしかないのだ。

「ま、まぁ、それでちょっと時間があるから、ゼノの様子でも見ておこうかなって思ってさ」

 俺の褒め言葉から逃れるために、彼は今の状況を説明した。それがなんだかおかしくて、俺は少しだけ微笑んでしまった。

「なるほどな。ところで、今度のミッションの話ってのはそれのことか?」

 さっきのことを思い出し、訊き返す。彼は「そうだった」と笑って、そのことを思い出していた。

「俺のことじゃないんだ。いや、俺も含まれるのかもしれないけど」

 そう言いながら、彼はうーんと唸る。何もわからない俺の前で唸られても、余計わからないのだが。

「俺のミッションのこと……じゃねぇよな」

 言いながら思い出した。俺へのミッションは、あるにしても復帰する明日からの予定なのだ。

「個人やクラスごとへのミッションじゃないんだけど、結構大がかりなものらしいぜ」

「ん? ってことは、希望者を募るってことか?」

 すると、彼はうなずく。募集制のミッションってのはたまにあるが、ここ最近では珍しいかもしれない。

「なんか大がかりな残党狩りのミッションらしい。ほら、以前訊かなかったか? 保護団体『FROMS.S(フロームス)』っての」

「FROMS.S……懐かしいな」

「だろ? 『まだあったのか』って驚いたぜ」

 そう言いながら、彼は笑った。この様子だと、俺の心がそのフレーズに「驚嘆」したことに一切気付いていないだろう。なぜそうなってしまうのかも、彼は覚えてはいまい。

「ほとんど駆逐されていたし、そんなに活動をしていなかったからSICも放っておいたんだろうけど、最近になって活発になり始めたらしい」

 彼は俺のことなんかお構いなしに、得意気になって最近自分が得た知識を披露し始めた。

 カールの話によると、あちこちのコロニーで政府機関関連の企業の支社ビルなどを襲っているらしく、死者はまだ出ていないもののこれ以上見逃すことができないということで、完全駆逐を評議会で決定したとのこと。

「つか、以前あれほど痛めつけられておいて、また行動し始めるとは……懲りねぇ奴らだな」

 俺はそう言わざるを得なかった。SICに敵うのは欧州連合軍や、東アジア諸国同盟軍くらいなもんだってのに、わざわざ再び「駆逐すべき敵」として認識されちまうことをするとは……馬鹿馬鹿しいというか、儚いというか。

「そのくらい、相手もわかってるだろうよ。それなのに向かってくるのは、ちょっとした理由があるんだ」

「理由?」

 問い返すと、カールは難しい顔になって説明し始めた。

「昔もさしたる武器も揃えていなかったし、今もその程度なのかと思ったら……どうもそうじゃないらしい」

「ってことは、S兵器ってことか?」

 S兵器とは、現代兵器のことを指す。レーザー銃や設置型小爆弾の銃などもそれに含まれ、西暦から使われている弾丸などを使用する銃や戦車などは、「西暦兵器」と呼ばれる。

「ああ。そして、それらを提供していると思われるのがPSHRCI(プシャーシ)――GHだ」

「何……!?」

 俺は思わず、顔を強張らせた。それは、彼も同じだった。

「CNを介して残されていた監視映像から、奴らが使っている武器がGHのものと判明した。GHが使っているS兵器の製造番号って、俺たちが知ってるものと違うだろ?」

 だから特定したとのこと。S兵器は特殊なソフトウェアを組み込んでいるため、その特許はSICにあり、製造を許可された企業だけが造ることができる。設計図があったって、起動することはできないようになっているし、そもそもソフトウェアを管理している参謀部からそれらが盗まれるとは考え辛い。つまり、彼らは独自で製造している可能性が高い。今まで、それを他の反政府組織に使わせたことはなかったのだが……。

「評議会はGHと他の反政府組織が結託して、同等の力を持つことを危惧しているんだ」

「そう簡単にはならねぇとは思うが……そんなミッションを募集制にしていいのか?」

 普通、そういうミッションはハイクラスだけか、或いは軍部だけに任せた方がいいと思うのだが。

「たしかにそう思ったけど、それなりに危険だから誰もやらない場合、軍部だけで行うってよ」

「ふーん……。そんなミッション、やる奴なんか居んのかよ」

 俺はそう言いながら、笑ってしまった。すると、カールはキョトンとした表情で俺を見始めていた。それに対して怪訝そうに首をかしげると、

「やらないのか?」

 と言ってきた。

「はぁ? やんねぇよ、そんなの」

 即答すると、カールは俺よりも訝しげに首をかしげた。そうやられると、なんだか焦ってしまうのだが。

「珍しいことがあるもんだな……ゼノがやらないって言うなんて」

「そうか? つか、それじゃあ今まで率先してやってきた感じじゃねぇか」

「嬉々としてやっているような気がしなくもなかったけどな」

「おいおい……」

 まったく、人聞きの悪い。

「でも、本当にやらないのか? 結構大がかりだし、お前が退屈するような状況にはならないと思うが」

「そりゃそうだろうが、病み上がりだしな。しばらくはゆっくりしろって言われてるし」

「…………」

 ハハハと小さく笑うと、彼はなぜか頬をかいていた。

「そこもまた、珍しいと思うぜ」

「どこが?」

「ゆっくりしろっていう命令に従うところさ」

「……なるほど」

 意外とよく見てやがるな。さすが、参謀部志望だけなことはある。参謀部ってのは、犯罪者と話すことも多いと聞く。そういった能力は必要だろう。



 それから、俺たちはしばらく話し込んだ。俺は昼過ぎまで時間があったし、カールも同じ時刻まで暇だと言うので、一緒に昼飯を食ったりした。俺は相変わらずカレーを食べ、彼は丼ものを食べていた。それもまた、西暦時代の日本が遺した料理だと言う。彼は東アジアの歴史について結構詳しくて、あんまり勉強しない俺にとってはなかなか興味深い。そういった話をする時、彼の目はいつもより輝き、自分の知識を俺に披露する。なぜか子供のような感じがして、それもまた安息感を与えてくれるものであった。

 昼食を取った後、彼と別れた。俺はあと一時間近く残っているので、どこかそこらへんでのんびりできる場所はないかと、歩き始めた。

 街中は既に襲撃事件前の静けさを取り戻していて、今日は平日ということもあり、あちこちでスーツを着た人たちが歩いている。こうして見ていると、あれだけのことがあったのに、それが遥か以前の出来事――或いは、もう風化してしまったかのように、現実は普段どおり動いているのだと思った。

 それはそれで普通なのだろうが、どうも急ぎすぎているように感じる。何を目指して急いでいるのかと訊かれても、俺にはうまく返答することができないが。

 俺は中心部にある広域公園に行き、ベンチに寝そべった。周囲ではたくさんの子供たちが笑顔で遊んでおり、ここで戦闘が行われたという事実が無いかのような錯覚に陥りそうだった。それは、あっという間にこの場所を修復した結果でもあるのだろう。

 ミッション……今回のは討伐ってことか。「完全駆逐」が目標ということは、奴らの――FROMS.Sの場所も特定しているのかもしれない。未だ活動しているとは、夢にも思わなかった。昔、奴らと戦闘するミッションに参加したが……あまり思い出したくないな。

 あのミッションが「初めて人を殺す」ことになったミッションだったから。

 カールは知らない。俺が、あのミッションでどれだけの人を殺したか。そして、どれほど嫌な思いをしたか……。あれから更に多くの人を殺めてきたってのに、今さら何を――と言われるかもしれないが。

 だから、嫌なのだ。最初だったからなのかもしれないが、どうも尾を引いているような気がしてならない。「FROMS.S」というだけで、心の奥底が冷たくなるのがわかる。悲しいというより……苦しいから。

 上空を見ると、やはり灰色の空だけが広がっている。青空なんて見たことないが、それでもこの空は「違う」と感じることができる。それはきっと、人類そのものに植え付けられた想い……憧憬なのかもしれない。

 決して拭い去ることのできないソフトウェア。

「地球か……」

 思わず、そんな言葉が漏れた。

 踏み入れたことのない、人類生誕の星。しかし、限られた人間にしか踏み入れることのできない星でもある。

 寝そべっていると、なんだか眠くなってきてしまった。まぶたがゆっくり閉じそうになり、寝る時間は無いぞという意思が働き、それを再び上にあげる。それを繰り返していると、いい加減眠気に勝つことができず…………。




 ――ずっと、それは囁き続ける――


 声が聴こえる。あの時の声だ。夢の中で、心の中から響いてくる声。


 ――ヒトの心は脆い。些細な事柄にしても、小さな綻びでも、いずれは大きな傷となって牙をむく――

 ――小さな呼び声……。誰もがそれを聴くことができるわけではない――


 その声は、まるで独り言のようだった。だが、それでいて誰かに聴いてほしい……その言葉を受け止めてほしいという、反対の想いが潜んでいるようにも感じる。


 ――君は聴こえるか――?

 ――その声を……囁く言霊を――


 言霊。ずっと昔からそこに在る、遠い呼び声。


 ――それらは、世界の流れを知っている――

 ――静止していた歯車を動かすための、ちっぽけな意志たち――

 ――呑み込まれないでくれよ――


 ――ゼノ――


 何に呑み込まれるというのか。

 世界の意思に?

 それとも、俺の中に在る「何か」に……?


 ――運命や宿命といったものが本当にあるにしても、俺たちは俺たちとして存在し続けることができるのか――

 ――哀しみと憎しみという暗い色だけに染まった世界の中で、それぞれが己の世界を護ろうとして、優しさと平穏だけが囲む揺りかごなのだと思い込む――


 ――そうだろう――?







「……ちゃん……」

 子供の声……? 今度は、中から語りかけてくるのではない。空から降り注いでくるかのようだ。

「お兄ちゃん」

 お兄……ちゃん?

 誰が俺をそう呼ぶのだろうか。そう呼ぶ人間なんていないはずなのに……どうしてか、ひどく懐かしい。ずっと昔、どこかでそう呼ばれていたような気がする。どこだっただろうか。

「お兄ちゃんってば!」

「ん……?」

 俺は目を開けた。視界がぼやけているので、自然と目の辺りを手でこすってしまった。そして、ようやく見えてきた視界の中心に…………女の子? なんで?

「もぉ、いい加減起きてよ~」

 赤毛の長髪の女の子は、ベンチで横になっている俺の体を揺すってくる。

「えと……君は?」

 俺は未だはっきりしない体を起こし、言った。この女の子は、見た目的には5歳か6歳くらいだろう。かわいい猫がプリントされた服を着、スカートをはいている。


「あたし、グレース」


 少女――グレースは、ニコッと笑った。かと思うと、今度は機嫌が悪そうな顔になって、俺を指さす。

「ベンチで寝ちゃダメなの! お母さんに怒られるよ!」

 なるほど、俺ではなくベンチを指さしていたのか……と、俺は怒られているのに冷静に納得していた。

「そっかぁ……ごめん」

 俺はぺこりと頭を下げた。すると、グレースは俺の頭を慣れない手つきで撫で始めた。……なんで撫でられてんだ、俺?

「よし、許してあげる」

「あ、ありがとう……」

 で、いいのかしら。しかもまだ頭撫でられてる。でも……なんか……。

「グレース」

 女性の声が届く。彼女の手が止まるのと同時に、俺は顔を上げた。向こうからやってくるのは、グレースの母親であろう女性。

「どうしたの?」

 と、女性が訊ねると、

「このお兄ちゃんが、ベンチで寝ていたの。だから、ダメって注意してあげたの」

 と言いながら、グレースは母親のもとへ駆け寄って行った。すると、母親は俺の方に目を向けたので、思わず小さく会釈してしまった。彼女もまた、微笑みながら会釈を返す。

 ……奇麗な女性だ。俺はその美しさに、ほんの一瞬だけ目を奪われた。腰まで届きそうな金色の髪で、それもまた真っ直ぐだ。身長は170センチ近くありそうであり、スタイルはどこぞのモデルよりも秀でている。まだ20代後半であろうが、妖艶な美しさというよりも、ただひたすら「美しい」と表現するのに相応しいと感じた。

「あ~……なんかすみません、寝てしまって」

 何を言えばいいかわからず、俺はそんな言葉を使ってしまった。

「いえいえ、気になさらないでください」

 母親はそう言いながら、さっきと同じように微笑んだ。白いワンピース姿が、なんとも言えないほど似合う。

「お兄ちゃん、どうしてここに居たの?」

 突然、グレースは言った。

「どうしてって言われてもな……」

 頭をポリポリとかきながら、ちょっと考えてみる。そういや、なんか変な夢を見たような気がしたが……思い出せん。

「兄ちゃんさ、ちょっと入院してて。んで、今日から学校に復帰する予定だったんだけど、暇だからここに来たんだ」

「学校? じゃあ、あたしと同じなの?」

「同じじゃあないな。学校というより、養成所みたいなとこかも」

 ふーん、とグレースはあまりよくわかっていないみたいだった。

「じゃあ、セフィロートの学院生?」

 母親が言った。どうして知っているのかと思い目をパチクリさせると、彼女は「学院章があるから」と付け加えた。俺が持っていたバッグは学院から支給されたもので、当然の如く学院章が付けられている。

「知り合いにいてね。元チルドレン――という人なんだけど」

「ねぇ、ちるどれんって何?」

 グレースは母親を見上げながら、服の袖を引っ張っていた。そうしている姿が、「親子」なんだなと感じさせ、なんだか安らぐような気がした。

「ちょっと普通とは違うことをする生徒みたいなもんだよ。それ以外は、グレースと同じさ」

 俺はちょっと当惑している母親に代わり、説明した。それでも、どうして違うのか少女の幼い脳みそでは理解できないようだ。眉間にしわを寄せて、うーんと唸る少女の顔。そう言えば、こういったものを昔よく見ていた気がする。

「よくわかんないけど、お兄ちゃんは特別ってこと?」

「……そうだなぁ……特別って言うか、変なのかもしれねぇな」

「変?」

 グレースは右45度に首をかしげる。ちょっとおかしくて、笑ってしまいそうだった。

 俺たちは特別でも何でもない。妙な役割と能力を与えられた、おかしな人間。特別だと勘違いして、自分たちを「上の人類」だと驕る。……そうはなりたくない。

「でも、変ってことは特別ってことだと思うな」


 特別――――


 グレースの言葉は、俺の思考の方向性とは全く違うものだった。

「……なるほど。そう考えた方が、建設的かもな」

「けんせつてき? 何か作るの?」

 再び、グレースはさっきと同じようにかしげる。

「ハハ、そうじゃないよ。けど、グレースはすごいんだな」

「どうして?」

「俺とは違う考え方ができてる。なんか、すげぇなって思うよ」

「???」

 やっぱりよくわかっていないようだが、それでも俺としてはよかった。素直にすごいって思えるところに、意味があるような気がするからだ。

「いいお子さんですね」

 俺は立ち上がり、言った。これも素直な気持ちだった。

「……ありがとう」

 母親はニッコリ微笑んだ。俺も微笑んだ。



 ――天使たちが星の歌を奏で、原初の幼子を喚ぶ――



「っ――!」

 一瞬だけ、痛みが脳内を走る。刺されたこともない針が刺さってきたような感覚だ。

「どうしたの? お兄ちゃん」

「いや……大丈夫。ちょっとね」

 そう言って、俺はふと自分のアームに目が行った。そこには時間が表示されていて…………時間?

「ああぁ!! やべぇ!」

 時間が過ぎてんじゃねぇか!! 13時に集合だってのに、既に15時過ぎになってやがる!

「すんません! これで俺は失礼します!」

「え?」

 俺はポカンとなっているグレースと同じ視線になるようにしゃがみ、頭を撫でてやった。

「じゃあな、グレース。機会があったらまた会おうぜ」

「うん、元気でね!」

 俺は手を振る二人に笑顔を向けながら、SICジュピター支部へと向かった。ラグネルの奴、めちゃくちゃ怒ってるだろうな…………と思いながら、もう一つのことを考えた。


 どうしてか、グレースには会ったような気がした。もちろん、あの女性にも。「お兄ちゃん」と呼ばれたことや、彼女たちの持つ雰囲気から。その感情は、一つの安堵感へと繋がっているのがわかった。まるで…………。


 それが何を意味するのか、この時の俺が理解することなど、到底無理な話だった。それだけこの物語は、悲惨な歴史と事実が礎となって築かれていたのだ。知っていなかったにしても、結局は自分で知ろうとしただろう。自分たちで掘り起こし、過去と未来を繋げようとしただろう。……そうしなければ、俺たちは取り残されてしまっていた。

 現実という、一つの物語に。

 でも、自分で選びとれるならばの話だ。実際はそうではない。何かによって動かされる運命というものが、俺たちをその現実――物語を突き付けている。それは、逃れられぬものだった。

世界のあちこちで……俺たちの目の届かないところで暗い心は動いており、一つの未来を拒もうとしていたのに。











「あっ……ねぇ、お母さん」

「なぁに?」

「あたし、お兄ちゃんの名前聞きそびれちゃった」

「名前……そう言えば、聞いてなかったね」

「また会えるかな?」

「セフィロートへ行けば、きっと会えるわ」

「じゃあ、今度行こうよ!」

「……そうね」

 母親は、ゼノが走って行った方向へと視線を向けた。そして、娘に聞こえないよう小さな声で呟く。



「……ゼノ……」










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