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BLUE・STORYⅡ  作者: 森田しょう
◆第1部:無限と有限が重なり合う中で~schicksalhaft Begegnung~
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11章:古き言霊 救われぬ魂の残照

 俺はケガのため(とはいっても、十分動けるレベルなのだが)、ここのコロニーで数日静養することになった。ディン以外のチルドレンは他のミッションがあるため、セフィロートに戻ったらしい。

「動くなっていう方が無理な話だろ」

 舌打ちを混じらせ、俺はベッドの上で仰向けになっていた。

「たまには休ませろってのが、上からの命令なんだよ」

 そんな俺を見下ろしながら、ラグネルは笑っていた。俺とディンの担当教官であるラグネルは、一応心配して来てくれたらしい。

「別に疲れてねぇってのに、なんなんだよ。いきなし休ませるって」

「うーん、そりゃわからん」

 首をかしげるラグネルを見て、俺は苦笑せざるを得なかった。

「んだよ。まがりなりにも特別教典局『司教』の地位にあるおっさんが、わかんねぇなんておかしいだろ」

 そう言うと、彼はばつが悪そうに頭をぼりぼりとかき始めた。

「んなこと言われたって、さすがの俺も詳しいことは訊けないもんさ」

「あ? なんで?」

「どうも、お前に仕事をさせたがらないんだよねぇ」

 仕事をさせたくない……?

「それ、どういう意味だ?」

 すぐに問い返すと、ラグネルは苦笑する。

「俺に訊かなくても、自分で理解できてんだろ?」

「…………」

 思い当たる節は、ある。いずれ俺がSICの正式な一員となり、地位の高い役職に就くことは己のCG値が決定づけている。その当たり前の道筋を、嫌がる奴らがいないとは限らない。……ノイッシュが言っていたことだ。

「ちっ、馬鹿馬鹿しい。俺は興味ねぇってのに」

 大きく舌打ちすると、俺の怒りはラグネルにも如実に伝わったのか、彼は再び頭をかいた。自分の立場もあるし俺の気持ちも理解しているからこそ、そうやっているのだと感じ、少しだけ笑ってしまいそうだった。

「なんにしても、最近のお前らは凶悪ミッションばっかしだったから、ケガをしたってことで休ませたいのさ。PTAからも口酸っぱく言われてるんでね」

 それは上層部の表面上のいいわけであろうが、嘘ではない。テロリストと戦ったり、紛争地域に行ったりするミッションは危険性が高いため、保護者で構成されているPTAはいつも同じことを言ってくる。「自分たちの子供に、あんな危険なことをさせないでほしい」と。基本的に文句を言ってくるのは、そういったミッションをしたことのないロークラス出身の大人であるため、ハイクラスの俺たちが難なくミッションを達成しているってことを知らないのだ。彼らの言っていることは間違っていないため、天枢学院側も強く反論することはできないのだ。尤も、天枢学院はそこまで馬鹿ではないため、死なない程度のミッションを与えるようにはしている。

 ……でも、必ずしもそうなるとは限らない。傷付くのは、敵だけではないのだ。

「休みとは言っても、1週間もないんだ。そのくらいはいいだろ?」

「いいだろって言われてもねぇ……」

 ため息交じりに言う俺を見て、ラグネルは小さく首をかしげる。

「なんだ? ミッションをしたいのか?」

「……したいってわけじゃねぇよ。それじゃ、ただの戦闘狂じゃねぇか」

 俺は苦笑せざるを得なかった。好きでやっているわけではないのだから。

「ただ単に、暇なだけさ。長期休暇以外、ベッドの上で長いことを過ごすなんてことはなかったから」

「暇なら、CNでも使うか?」

 彼の思わぬワードに、俺は何度も瞬きをしてしまった。

「え? 使ってもいいのか?」

 そう問うと、彼は大げさだと言われても仕方ないくらい大きくうなずく。俺はそんな姿を見ると、笑顔になってしまうのは必然というものだ。

「なんだ、やけに嬉しそうだな」

「そりゃそうだろ。こんなところで使えるとは思わなかったんでな」

 CNがあるということは、仮想空間も利用できる。しかし、ここのような中規模のコロニーには仮想空間の必要性がないため、設置されていないものなのだ。

「どこにあんだ? 早速使わせ――」

 その時、医務室のドアが開かれた。それと同時に、ラグネルと同じ白い軍服を纏った男性が入って来た。

「やぁ、傷の具合はどうかな?」

「まぁ大丈夫です」

 その人に対し、俺は小さく頭を下げる。

 灰色の髪を持ち、髪型は社会人のように短くしている。ラグネルみたいに顔のあちこちにしわがあるが、細い目の中にある緑色の瞳は若々しい力を放っていた。

「ご無沙汰してます、局長」

 ――ファルツ=ヴァレンシュタイン。天枢学院を管轄する「特別教典局」の局長であり、学長としての肩書も持っている人だ。

「珍しいですね、局長がわざわざ来られるなんて」

「君たちがミッション中に事件に巻き込まれたって聞いてね。いろいろとしておかなければならないことがあるんだよ」

 そう言いながら、局長は苦笑する。どこまでが本音やら――と思いながら、俺もそれに合わせて笑みを浮かばせた。

「ところで、ラグネルから聞いていると思うが……」

「ああ、しばらく休養ってことですよね」

 そう言うと局長はうなずき、「不満かな?」と再び苦笑しながら言う。

「そりゃ不満はありますよ。動けないほど大ケガしたってわけでもないのに、なんで休まなきゃならんのだと」

「……本音を言うな、馬鹿」

 と、ラグネルは困った表情をして、俺の頭をはたいた。

「いってぇな。ケガ人になんてことしやがる」

「ケガ人はそんなセリフ言わねぇだろ」

 む、たしかに。なぜか納得してしまう。そんな様子を見て、局長は自分の顎に手を添えながら笑っていた。

「相変わらず、正直な奴だな。……言いたいことはたくさんあると思うが、我慢してくれないか?」

 局長はどこか諦めているかのような表情を浮かばせていて、今回のことは自分も承知のうえでの決定――だと感じさせるものだった。局長には局長の立場があるってことなのかもしれない。

「我慢って言われても、俺にはどうしようもないんで。できれば、局長からどうにかしてくださいよ」

「そう言われてもなぁ」

 と、局長は苦い顔をしながら、さっきのラグネルと同じように頭をかいた。この様子からすると、今回のことには局長の権力が及ぶ領域ではない、或いは関与していることを隠そうとするためのものか。とはいえ、今の段階で判断しても時期尚早だろうが。

「お前とロヴェリアに対して、あまりにも過酷なミッションを課し過ぎだとPTAに言われてね。今回の事件でお前が負傷したことが報告されると、抗議の電話が鳴り止まなかったんだ」

 クレームの対応がよほど嫌だったのか、局長は肩を落として大きくため息を漏らした。その陰気が俺たちにまで伝わってきて、これはマジなんだなと思ってしまい、ラグネルと顔を合わせて苦笑せざるを得なかった。

「ところで、復帰の許可はいつ下りるんですか?」

 そう訊くと、局長は顔を上げた。

「それなんだが、ロヴェリアとの関係もあるからまだ決まっていない。予定では、一週間としているんだが」

 一週間か……そんだけの休日が急にできても、ミッション以外にすることのない俺にとっては苦痛この上ない。さてさて、どうしたもんかねぇ。

「まぁたまにはいいんじゃない? こういった連休もさ」

 ディンはそう言いながら、にっこりとほほ笑む。

「…………」

 俺は頭をポリポリとかきながら、小さくため息を漏らした。そうだな……なんか、今は体を休めろってことなのかもしれない。それにもし「悪いがこのミッションをやってくれ」と言われても、あまり気乗りしなかっただろうし。

 その理由など、簡単にわかる。サラのことが、頭のずっと奥――最も深い場所から離れないからだ。

「どうした? あんまり浮かない顔をして」

 思わず眉間にしわを寄せてしまっている俺を見ながら、局長は苦笑する。

「いえ、なんでもありませんよ」

「そうか。ともかく、お前たちは特別に軍の施設を使ってもいいということになってるから、体が鈍らんようにしておくんだぞ」

 ということは、ラグネルの言ったとおりCNを利用してもいいってことか。

「じゃ、ちょっと私は仕事があるんで、失礼するよ」

 局長はそう言うと、出口の方へと歩き始める。すると、途中で俺たちの方へ振り向き、「医者から許可が下り次第、本部へ戻ってもいいからな。それまで、ロヴェリアとラグネルはこのコロニーにいてくれよ」と言った。

「わかりました」

 ディンたちが口を揃えて言うと、局長は少しだけ微笑んで出て行った。

「……まったく、お前はどうしていつもこうなんだよ」

 ラグネルは局長が出た瞬間、俺の方へ苦虫でも噛んだような顔をしてみせる。

「んだよ、別におかしいことなんざ言ってねぇだろ?」

「言ってるから文句言ってんだろヴォケ」

 ちょっと巻き舌で言われてもな……。

「ところで、CNはどこ行きゃ使えんだ?」

「……早速お前はそれかよ」

 と、ラグネルは肩を大きく落としてため息を漏らした。その隣でディンは笑っている。

「いいじゃねぇかよ。減るもんじゃねぇし」

「いや、エネルギーが減る。金もだ」

「……めんどくせぇじじぃだな。さっさと吐きやがれ」

「じじぃとはなんだ。せめておっさんと言え」

 おっさんならいいのか。たぶん、ディンも同じことを思っているのだろう。今の表情が俺と同じで、キョトンとしている。

「俺は小僧どもとは違って偉いんでな。いちいち教えてやれるほど暇じゃねぇ」

「あぁ? だったらさっさと仕事しやがれ」

 しっしと手を動かすと、ラグネルは変な顔(い”っみたいな)をして外へ向かい始めた。

「てめぇらなんかに教えてやっかよ、バーロー!! 一生そこで寝てな! ふんっ!」

 どんな捨て台詞andツンツンだ……と思っていると、奴は病室から出て行ってしまった。

「ったく……あれでも教官か? もちっと優しい言葉掛けるとか、努力してみろってんだ」

「ゼノが言っても説得力がないんだけどな……」

 やれやれと言いつつ、ディンは苦笑していた。

「お前はCNの場所知ってんだろ?」

「ん? まぁね」

 彼は不敵な笑みを浮かべながら、俺のベッドの傍のイスに腰かけた。その表情はさっきまでとは違い、少しだけ真面目な彼の心が滲み出ていた。

「でも、今日はダメだ」

「おいおい、お前まで何言ってんだ?」

 と、いつになく神妙な感じで言ってくるので、俺もどうしてかいつものペースでいることができない。

「俺たちの生命力の高さ、知ってんだろ? こんな傷くらいあったって、どうにかなるもんでもねぇし」

 チルドレンの生命力は一般人のそれとは違い、驚異的だと思えるほど高い。簡単な病気にかかることはないし、遺伝子的な問題のせいか、インフルエンザなどのウィルスにもかかることはない。体内に存在する特殊分子「エレメント」もそれに関係していると言われているが、詳しくはわかっていない。

「そりゃ……わかってるけど」

「いいじゃねぇか。それとも、なんか心配事でもあんのか?」

 ハハッと笑いながら言うと、彼は小さく息を漏らした。

「……サラだよ」

「…………」

 彼女の名前だけで、ディンが何を言いたいのかわかる。

「そっか……あいつも、心配するよな」

 そう言いながら、俺は病室の白い天井を仰いだ。ディンはきっと、サラが俺のことを心配しているからってことで、俺にあんまし無茶をさせたくないのだ。もちろん、せめて傷が完治するまではってことだとは思うが。

「だからさ、今日くらいは大人しくしておけよ。サラが見てるわけじゃないけど、せめて自粛しないと」

「……わかったよ。医者に言われるまで我慢するって」

 俺がため息交じりに言うと、彼も少しだけため息を漏らした。それは安心と言う名のものであるのはわかったし、俺も今回くらいはガキみたいなことを言っちゃダメだと認識した。

「んじゃ、僕はSICの方へ行ってくるよ」

「は? なんか用事でもあんの?」

 立ち上がるディンに、俺は言った。

「ゼノの代わりに、お叱りを受けないとね」

 ニコッと彼は微笑む。あれだけのことをしたんだ。表面上のお叱りは受けておかないと、な。

「損な役回りだな」

「今回はしょうがないよ。いくら優等生だからって、欠点が一切無いってのは将来的に安全とは言えないしね」

「なるほど」

 そして、ディンは外へ出て行った。少しくらいヘマしておいた方が、今後のためにはなる。いくら理想を抱えていたって、いつの世も保守的な奴らが多い。多勢に無勢ってことか。

 さて……暇だな。やることがない。

 そんなことを考えながら、俺はベッドの端に置いてあったテレビのリモコンを手に取り、赤い電源ボタンを押す。すると、俺から2メートルほど離れた前方に画面が表示された。そこでは、先日のテロ事件のニュースが伝えられている。

『今回の事件に関して、PSHRCI(プシャーシ)――通称GHは犯行声明を出しておりません』

 奴らの映像が流れる。このコロニーに設置してあるセキュリティシステムの監視カメラのものだ。こうしてみていると……まるで戦争状態のように見える。あの蛙型の機動兵器が暴れ回り、マシンガンを四方へ発砲している。よくもまぁ、あんな奴らに生身で闘おうなんて思ったな……。こうやって客観視すると、如何に自分たちが馬鹿なのかわかってくるというのが悲しいところだ。



『SICのオルフィディア事務次官はセフィロートにおいて、次のように述べております』

『ジュピターα-2で起きたテロ事件は、私を狙ってのものと断言してよいでしょう。彼らが目指している宇宙開発の中止、それはすなわち私どもが推進しているCNプロジェクトの中断を望んでのことです。先日、セフィロートにおいての…………』



 そう言えば、GHの正式名称って『PSHRCI』だったな。あっちだと愛護団体の名前っぽいからってんで、設立当初呼ばれていた『GH』って呼ぶようにしたんだとか。まぁ、愛護団体だの保護団体だの、命が大切だとかってほざいてる奴が率先して人殺しを行ってんだから、世の中狂ってるってもんだ。

 GHが阻止したいことというのは、表向きでは宇宙開発の中止。『宇宙は人類だけのものでなく、多くの生命・星と、その星に住まうとかなんやら』らしい(こういった大義名分を掲げて、SICの妨害を行っている組織は世界中に存在している)が、きれいごとも大概にしろと言いたい。……いや、言ってんだけど聞く耳持ってくれないんだよなぁ……。



『……SICが推進している人類史上最大のプロジェクト――『CNプロジェクト』は、人類の視野を更に広がせるものであると事務次官は断言しております。このことに関し、専門家は……』



 来年、オルフィディア事務次官が枢機卿に就任すれば、なかなか進ませることのできなかったこのプロジェクトをようやく前に進ませることが可能になる……らしい。というのも、俺はそこまで勉強していないので、プロジェクトの詳しいところまでわからないのだ。

 そのニュースを中心に、その番組は進んだ。その後、太陽系以外の星系で起こっている紛争状況などが簡略化されて報道されていた。あまりにも多すぎて、番組の時間内にまとめることができないのだ。

太陽系は比較的平和だというのに、他の所では今回のテロ事件のようなことが頻繁に起きている。そう考えると、いつものように虚しくなってきてしまうのが必然だ。……だからと言って、一個人である俺にどうにかできるわけではない。今はまだ、だが。

 いつか約束したんだ。ディンたちと。戦争のない世界を創り上げようって。


「ねぇ、知ってる? 地球っていう星」


 そうさ……俺は約束した。そう誓いあった。俺たちが創り上げる未来には、紛争で飢餓に苦しむことも、目の前で親族が殺されていく悲惨な現実も、己が死ぬという恐怖もない。そこまで行くのは、きっと無理に近い。それでも、それに近づけることぐらいはしたい。

 俺はテレビの画面を消し、ベッドに仰向けになった。

 ……なんだか、少し眠くなってきたな。まだ昼間だが、さっき昼飯を食ったのとあまりにも暇だということが、睡魔を徐々に大きくさせてしまっているのだ。

 俺はいつの間にか、眠っていた。




 ――ノ――


 誰だ?


 ――ゼノ――


 これは夢か? 心地いいが……夢心地だとか、そういうものではない。何か大切なものが抜けている……そう確信できるほどのものが、今の空間にはある。うまく言葉に表現はできないが……。


 ――お前は…………ゼノ――


 ああ、そうだ。俺はゼノだ。……誰だお前? 男の声だが……。


 ――僕は……君を知っている――


 俺を知っている? 

 ……お前は俺を知っている。そう、俺もまたお前を――

 ……いや、違う。俺はお前を知らない。なんだ? お前は。


 ――僕はずっと待ち続けていた。そう……彼らと同じように――


 待っていた? ……あんたは誰だよ。


 ――僕が誰であるかなど、この世界の神秘に比べれば些細なことにすぎない――


 いつの間にか、周囲は白くなっていた。……というよりも、白い濃霧が俺を囲んでいる。そして、俺の姿を俺自身が確認することができない。ここに立っているという感覚だけはわかるのに。


 ――水面に波紋を広がせるための雫のように……月があの星のために存在していたように――

 ――僕も世界も、その瞬間さえも……君のために在った――


 ……意味がわかんねぇよ。それよりも、これは夢なのか? お前は一体誰なんだ?


 ――君はなんのために存在している? 君は、誰のために生きているのだろう――


 どういう意味だ? お前は、俺にどうしてほしいってんだ?


 ――そうだよ。それこそが、正しい君の問いだ――

 ――世界は世界を憎み、愛し、人類を囲む――

 ――終わりのない空の果てに、君たちと僕が望んでいるものがある――


 その声は、小さく笑った。この白い空間の中で、その声がどこから届いてくるのか、どの方向にいるのかわからない。俺の耳に言葉が入り、心に辿り着いているのではない。その声が、最初から心に語りかけているのだ。


 ――全ての呪縛……あらゆる螺旋、その運命と言霊の行方――

 ――僕たちの意識が集いし深淵へと繋がる、魂の旅路――



 ――絶対なる……………さ――



 言葉が切れ切れだった。何かを伝えようと――そこの部分が最も大事なのに、まるで「今はまだ早い」という意志がそれをかき消してしまったかのようだった。


 ――ああ……まだ早いのか――

 ――君の心は、未だ囚われているんだね――


 何を言っている? 俺の心だと……?


 ――永遠ともいえるその円環を、君は破壊することができるのだろうか――


 ふと、冷たい何かが心の中に広がった。俺の内側の中心から、少しずつ凍りついていくかのように。


 ――眠り続けていては、何も変わりはしない。僕たちが望んでいるそれは、取り零した蒼空の原石なのだから――


 青い風景……それが意味する心の片鱗。記憶の残照。……そこへと連なる、遺産への道筋。


 ――わかりきっていたことだった――

 ――だからこそ、僕は――


 男の声は、まるで残像のように霞んでいく。それを目視できるほど。


 ――夢……そう。結局はそうでしかない――

 ――僕の声も想いも、あらゆる命の輝きも、そこに溶け込んでいる――



 ――いいよ……ゼノ。いつか、君は――



 俺ははっきりとわかった。その声は、もう消えるのだと。この光景――白い風景は、一瞬にして無くなるのだということが。なぜそう思ったのかは……確信できたのかはわからない。

 どこかで、俺は消えてほしくない。まだ聴かなければならないのだという想いがあった。だが、それがどこから湧き出るのか……なぜ浮かんでくるのか、理由がわからない。胸の奥にしまい込んだ何かが、俺に突き付けている。


 白い風景は、黒い風景に変わった。そして、夢は終わったのだということだけが、はっきりと心に刻まれていた。


 俺はハッと目を開けた。白い天井――病室だ。さっきまでと変わっていない。

 眠っていた……のだろうか。俺は体を起こし、窓の外を眺める。コロニー内の光が薄くなってきている。そろそろ夜になる時間だった。……思ったよりも寝てしまったのだろう。


 ――君は、誰のために生きているんだろう――


 あの男の声は、なんだったんだ? 今まで、あんな感覚……夢を見たことなんてなかった。あれは俺に語りかけてくるというよりも、ずっと昔から俺の中に存在し続けていた言霊のような気がした。だからか、俺は少しだけ恐ろしくも感じた。俺の知らないところで、俺の知らない何かが俺の中に在るのだから。

「……疲れてんのかな」

 と、俺はそんなことを呟いてしまった。

 夢の言葉にしては、現実味があった。もし誰かが同じような体験をした場合、普通はもっと慌てふためくのだろうが、どうも俺は冷静だ。

だからあまり気にしていないのかもしれない。

この声が、俺自身だけでなく、多くの人々たちに関連しているのだということを知らずに。



 それから二日後、医者からOKサインが出たので、SICジュピター支部の方へと向かった。建前上、ここのお偉いさん方にも謝罪の言葉を述べなければならないからというのと、残りの休暇はそこの居住区で過ごさなければならないからだ。

 案の定、ここの支部長さん(男)にこっぴどく叱られた。何年か前まで本部のセフィロートに勤めていて面識はあったのだが、それを抜きにしても叱られた。

「本当なら、無期限の謹慎処分なんだぞ」

 それに加え、SICに就職したとしても「弊害」が残るのが普通だと言われた。

「オルフィディア事務次官とラグネル祭祀官に感謝しろよ。お前のことをわざわざ弁護してくれたんだから」

 最後はため息を混じらせながらそんなことを言われた。俺は苦笑しながら、「今後は気を付けます」と言った。まぁ、反省なんてしてないが。



 騒ぎのことが終わった後、ディンと合流でもしようかと思ったが、あいつは訓練ってことで仮想空間にいると聞いた。俺は「重傷を負ったので休養」ってことになっているため、あと5日経つまで訓練に参加することはできないのだ。なんで差別すんだよと思ってしまうが、今回のことは大ごとになりすぎたから仕方がない……とも思っていた。しょうがない、一人でシミュレーションでもするか。

 そう考えた俺は、支部長から仮想空間にアクセスできるCNの場所を聞き出し、特別フロアへと向かった。支部からそこへと繋がっている空中通路を渡っている時、ふと立ち止まってこのコロニーの市街地を見渡した。高さ30メートルほどの位置から、このコロニーの街並みは一望できる。普段なら、セフィロートまでとはいかないけれども、太陽系コロニーの特徴である白を基調とした整然とした街並みが広がっているはずだった。しかし、あのテロ事件で中心地である広域公園付近は爆弾でも落とされたかのように崩壊していて、あちこちに小規模なクレーターもできていた。

 今回のことでの被害は金だけでなく、死傷者も大勢出た。そのほとんどが一般人であり、如何に駐屯軍が機能していなかったのかがわかる。たしかに、太陽系に属する各地のSIC軍はあまり戦闘経験がないし、GHと戦っているのが専ら別の星系で任務中の兵であることと、本部に主力を集中させていることを考えてみれば、ある意味ではしょうがないのかもしれないが……。

 それでも、もっとできることはあったはず。せめて住民の地下シェルターへの退避を率先して行うとか、軍隊としてできることはたくさんあったのだ。なのに、自分たちが先に逃げるとは……頭が痛くなってきそうだった。俺たちチルドレンの方が役に立ってるって、どういうことだよ。

 俺は少しだけ頭を振り、特別フロアへと向かった。


 特別フロア――そこは、CNを使うための施設。軍施設の方にもあるが、あそこはテレポート専用のもので、多くの人員を擁するためかなり規模が大きいが、利用できる機能に制限がある。しかし、SIC支部のCN施設であれば、仮想空間へのアクセスはもちろん、音声通信や映像配信などのサービスも利用できる。

 もし、オルフィディア事務次官の目指しているプロジェクトが完遂すれば、遠く離れた星系への物資の調達や人員の転移など、人類の世界が飛躍的に上昇するのは確実だろう。

そう考えれば、このCNを開発した人たち――理論を構築したマルタ=クラフト博士とヴァルター=クラフト博士、そしてそれを実践段階にまで運んだ「DRSTS(ダーツ)」の初代長官・ヴォルフラム=ヴィルス博士の偉業は、オルフィディア事務次官を超えている。彼らがいなければ、人類の未来はなかったかもしれないと言われるのは明白だ。俺には理論とかさっぱりわからんが、そういった理論を理解できるほどの脳みそを持ってる天才ってのは、存在しているもんだなと思った。

 俺はCN接続装置カプセル「トラーム」に入り、仮想空間へとアクセスを開始した。模擬戦闘を行うため、敵の能力や武器などの設定をした。とは言っても、それがわかっているとあんまし楽しくないので、「難易度LvS-ランダム」と設定した。

 俺は目を閉じ、仮想空間内部へ具現化した。一瞬にして真っ暗になったかと思うと、俺は廃墟と化した都市の中に立っていた。

「廃墟かよ……陰気くせぇな」

 ふと上を見上げると、ぽつぽつと何かが降ってくるのがわかる。……雨だ。

「…………」

 上空には灰色の雲が広がっている。わざわざ、地球環境の廃墟に設定されたのか。惑星改造型のコロニーでない限り、雨なんて降らないからな。

 周囲に広がる廃墟。それはマンションだったりビルだったりするが、それらは半分以上が倒壊していて、中が丸見えだった。白かったはずの壁は長らく放置され、風雨にさらされてしまったかのように黒く汚れている。

「……少し似ているかもな」

 そんなことを呟いてしまった。

雨に廃墟。共通点はそこだけだったのに。あの日に似ているのは、それだけだっていうのに。

「やれやれ……今回は運がなかったというべきかな。それとも、『レイネ』のいじわるか」

 独りごとを言いながら、俺はアームを開いて情報を確認する。敵の数や周囲の地図の確認を――――

 ん?

 おかしい……データが一切入っていない。敵の人数だけでなく、この廃墟の立体地図さえもない。いつもなら瞬時に転送されているはずなのに。何度リロードしてみても、それは同じだった。

 俺は顔を上げ、周囲を見渡した。聞こえてくるのは雨の雫がこの仮想空間の廃墟に降り注ぐ音だけ。見えるのは灰色の空と、薄汚れて半壊状態の市街地。俺が立っている道路は二車線ほどしかなく、コンクリートがあちこち剥げてしまっていた。

「…………なんか、変な感じだな」

 そう呟いてしまうほど、何かを感じる。今までの経験上、こういう時はいいことがないもんだが……。



「お前がゼノか」



 はっきりと聞こえた声。俺は声がした方向――後ろへと振り返った。俺から10メートルほど離れた場所に、一人の男性が立っている。

「うまく具現化することができたな……なかなかの装置だ」

 微笑を浮かべるその男の鼻から上は、白い仮面のようなもので隠れていてわからない。そして深緑のコートを羽織っており、頭にもフードをかぶらせていた。微かだが、奴の緑色の長髪が出ている。

「お前は関係者じゃ……ねぇな」

「こんな格好をした奴がSICなんかにいるか?」

「そら御尤もな意見だ」

 俺がそう言うと、呆れたかのように手を広げていた。

「……そうか、無理やり介入したのか」

 そう言うと、男はこくりとうなずく。こいつ、仮想空間に無理やり自分のデータを送り込んできたのか。そもそも、SIC関係者でないとIDが一致しないので、他人が入り込めるはずがない。レイネがあろうが無かろうが、同じこと。……ということは……

「お前、GHだろ」

「…………」

 返事はないが、表情でわかる。口元を小さく歪ませ、嬉しそうに笑っていた。

「どうやって入ったか知らねぇが、何の用だ?」

 俺は奴の方へ体を向け、腰に備えてあるグラディウスを掴んだ。

「方法など、貴様が知ったところでどうにかなるものでもあるまい。それに、用事があるからここに来たんだ。当たり前のことをいちいち訊くな、ガキ」

「…………」

 低い声だし、いちいち俺をあおってんのか……この変質者。

「俺はお前と闘いたいだけさ」

「あ?」

 男は右手を自身の前に差し出した。すると、まるでデータが構築されていくかのように、そこから日本刀のような黒い剣が出現した。俺はその瞬間、グラディウスの刀身を発生させる。

「お前に『ティファレト』を有する資格があるのかどうか、この目で確かめさせてもらうか」

 言葉を言い放った瞬間、男は一瞬にして距離を詰めて斬りかかって来た。俺はグラディウスでそれを防ぐ。

「――!」

「いい反応だ」

 男はそこから立て続けに黒刀を振り続け、俺は後ろへ下がりつつ防ぐしかなかった。

 ――――早い! ここまでの奴、なかなかいねぇぞ!!

「防戦一方とは、情けないな」

 奴の刀が一瞬黒光りし、そこから放たれた一撃は凄まじく、俺は剣で防いだものの数メートル後ろへ吹き飛ばされた。俺は道路に着地し、奴の方へと目を向ける。その時――

「風の凶刃、世に広がりし命の根を絶て――ゼルシュヴァッサー」

 男の手元から、緑の光が溢れだした。それはまるで鏡の破片のような光で、無数の刃となって高速で俺に向かってきた。

 これは――エレメントか!?


「リジェクション、Lv5!」


 俺は左手で障壁を目の前に展開した。風の刃たちはそれに当たり消滅したが、その時の衝撃で俺は再び後ろに飛ばされた。着地するやいなや、男は上から剣を振り下ろしてきた。

「くっ!」

 その剣をグラディウスで防ぎ、俺たちはこう着状態となった。

「なるほど、敵わないとわかり武器にエレメントを覆わせたか。賢明だな」

「んだと……!!」

 こいつ、俺がエレメントを集中させていることに気付いてやがる。こうでもしなければ、奴の攻撃にグラディウスが耐えられないのだ。

 俺は右方向へ横滑りし、瞬時にエレメントを発生させた。

「バースト、Lv5!」

 赤い閃光と共に、男は爆発に飲み込まれる。俺はその衝撃を利用し、距離をとった。だが、黒煙が広がっている場所の後方に奴は立っていた。

 ――あの近距離でエレメントを受けても、無傷か……!

「詠唱の破棄、集約化による威力の増加――か」

 男は何かを呟きながら、自分の焦げ付いたマントの汚れを手で払っている。

「そんじょそこらの『出来損ない』とは違う。……ククク……」

 身構えている俺を仮面の隙間から見つめながら、男は小さく笑い始めた。それに対し、俺は憤りなどは一切感じず、逆に嫌悪感さえ抱き始めていた。

「無数に散らばった記憶の断片……貴様も俺たちと同じように、その輪廻の中でもがき苦しんでいるにすぎない」

「…………?」

 俺は思わず、首をかしげる。それを見て、男はより笑みを零した。口が弓なりに歪んだ姿に、俺は思わずゾッとした。――エルダの時のような、纏わり付くようなあの感覚だ。

「狂喜をその手に広げ、終わりへの道を拓こうか……!」

 男はそう言うと、再び長剣で斬りかかって来た。俺は奴の攻撃を防御するが、押されているせいか、どんどん後ろへと下がって行ってしまう。その最中、俺と奴との距離が少しだけ開いた瞬間、奴は剣を道路に霞めるほどの低さから斬り上げてきた。俺はグラディウスで防いだが、巨大な衝撃が武器から俺へと伝わる。

「!!?」

 体が浮いた。そう、俺は上空へそのまま吹き飛ばされたのだ。

「冷えゆく愛憎の結晶、その切っ先は血の泉――ガシュ・イアーノ」

 奴の手が青白く、不気味に光る。空中にいる俺を囲むように冷気が集い始め、そこからいくつもの氷の槍が俺へと突き出てきた。


「グラビティ、Lv2!」


 俺は咄嗟にエレメントで重力を集束させ、さらに高く上空へ舞った。ギリギリのタイミングで、氷の槍から逃れることができた。

「うらあぁぁ!!」

 宙で回転しながら、俺はエレメントを集中させたグラディウスを、思いっきり斬り下ろす。その瞬間、空を切る刃が高速で奴に襲いかかった。

「力は大きい。だが――」

 男は長剣を前に掲げた。すると、衝撃波は奴に直撃する前に轟音を立てて消えてしまった。まるで、そこに見えない盾が出現したかのように。

「それだけでは、俺には及ばない」

 気が付けば、男は俺の後ろに移動していた。奴は横一文字を繰り出し、俺はそれを防御するも――

「ぐっ!!」

 その威力に体ごと持って行かれ、吹き飛ばされた。


「白い暴風、逆巻け――トランセルド」


 男は一瞬にしてエレメントを発動させる。それは俺を中心とし、風の爆発を起こすものだった。皮膚が引き千切られるかのような強烈な痛みが体中に広がり、俺は声を上げながらその場に崩れた。

なんだ……これは……! 見えない風が、俺の肉体を縛り付けたかと思えば、それらを持っていくかのように服と皮膚を剥がしやがった……!

「不様だな、ゼノ」

 うつ伏せになっている俺を見ながら、男は言った。リジェクションによって致命傷ではないものの、あまりの激痛で体を動かすことができない。体のあちこちから、赤い血が流れ出ていた。

「お前の力はこんなものか? ネフィリム……チルドレンとして最高傑作のお前が、この程度か?」

「んだと……!!」

 俺は震えながら顔を上げ、奴を睨みつけた。

「俺を……『モノ』みたく言ってんじゃねぇ!」

 思わず、声を張り上げた。すると、男は感心するかのように少しだけ口笛を鳴らし、微笑を浮かべた。まるで、「まだ怒声を放つほど元気があるのか」と言わんばかりに。


「モノ――――そう、お前たちは『モノ』だ」


「……何……!!」

 男はゆっくりと、俺の方に歩み始めた。砂利を踏むたびに、降り始めていた雨の水と混じった独特の音が微かに響く。

「この広大な宇宙の海に放り出された、希望の一片。散りばめられた夢の残骸を、古の時より求め続ける亡者ども……」

 独り言のように呟きながら、男は俺を見ている。仮面を付けていても、それがわかるほど眼光が鋭く感じるのだ。

「お前は何を望む? 愚鈍で曖昧な世界に、何を求める?」

「……意味わかんねぇことほざいてんじゃねぇよ! んなの、俺の知ったことか!!」

 奴は俺の前で立ち止まり、見下ろす。黒い長剣の切っ先を、鼻先に向けながら。

「手に入れ損ねた『天使』……。お前は、未だ繕っているだけか」

「…………?」

 あの敵意丸出しだった重い声は、どこか哀しみを含んでいるものだった。いや……蔑んでいるのか? 自分自身を嘲笑っているようにも感じた。

 男はため息を漏らし、顔をゆっくりと振った。

「この程度では、俺たちが求める『モノ』に――――」

 その時、俺の体が崩れ始めた。システムが危険だと察知したのか、或いは偶然なのか、データとして構築されていた体が少しずつ消え始めている。

「これは……誰かが介入したか」

 男はニヤッとほくそ笑みながら俺を見る。

「ちっ……てめぇ、覚えてろよ……!!」

 この状態では、奴はどうにもできない。レイネに関与することなんざできないし、俺は捨て台詞を思いっきりはいてやった。

「ふん……」

 男が鼻で笑うのと同時に、俺の意識は仮想空間から離脱した。











「………カハッ!!」

 ようやく呼吸ができたかのように、俺は意識が現実へと戻って来たのと同時に、大きく大気を吸い込んだ。

「大丈夫か!?」

 トラームの扉から顔をのぞかせているのは、ラグネルだった。眉間にしわを寄せ、何やら焦っていたのだと思わせる。

「どこか変なところはないか? 意識は……あるな」

 肩で呼吸している俺を見て、ホッとした様子を見せるラグネル。

「なぁ……俺、どうしたってんだ?」

 俺は自分の体を見渡した。傷などないのはわかっているが、あれだけ痛めつけられたのは久しぶりだったせいか、現実なのかどうか少しわからなくなっていた。

「どうも正規のID保持者ではない何者かが、仮想空間に侵入したらしい。システムに強制的に介入して、お前と接触していたんだ」

「侵入……か」

 俺はラグネルの手につかまり、トラームから外に出た。

「誰かわかるのか?」

 そう問うと、彼は顔を左右に小さく振った。

「LEINEに残っている奴らの足跡――情報跡を解析しようとは思うんだが、かなり強固な防壁プログラムが備えられていてな」

「……無理だな、そりゃ」

 ラグネルは「ああ」とうなずき、小さくため息を漏らした。

「そもそも、仮想空間はLEINEの監視下にある。それをかいくぐられるなんて……普通は無理だろ」

 彼の言うとおり、普通は無理だ。それだけの能力を持っているということは、それ相応の防壁プログラムも備えられているということ。

「情報跡は上に送っておく。危険だと察知してくれば、もっと上の機関に回してくれるだろうが……まぁ、期待はしない方がいいだろ」

「そうだな」

 と、俺たちは思わず苦笑してしまった。他者が仮想空間に強制介入してんだから、それなりの問題であるはずなのだが、

「にしても、少し危なかったな」

「あ?」

「意外と手こずってたじゃないか。普段じゃ考えられんだろ?」

 彼はほくそ笑みながら言った。

「……んだよ。見てたのか?」

「お前がアクセスしてるって聞いてな。ちょっくら覗かせてもらったんだが、お前の精神体へのダメージが危険値に近かいわ、相手してんのがアンノウンでわけわからんやら。んで、強制終了させるためにいろいろやってる時に、ついでに戦闘を見てたってわけ」

「見る余裕あったんなら、もっと早く対処しろよ」

 と、俺は少し機嫌を損ねた。

「いやぁ~ほら。強制終了させるタイミング、ばっちしだったろ?」

 ラグネルは手を広げ、ふざけた顔をして見せた。わざわざそのタイミングのために傍観していたのかと思うと、俺はグラディウスを奴に投げつけるしかなかった。見事、顔面に命中。

「いてっ! お、お前、刀身が出てきたらどうすんだ!」

「ばーか、俺の指紋認証がねぇと出ねぇだろ」

 そんなことわかってるはずなのにと思いつつ、さっきまでの切迫した戦闘の空気が俺の中から消え始めていることに気が付いた。

「……たしかに、危なかった。もう少しで意識が戻らなくなるところだった」

 俺はそう言いながら、あの絶体絶命の状況から生きて戻ることができたことを実感し始めた。さすがに死ぬかと思った。

「お前を追い詰めるほどだ。今の所属しているチルドレンじゃあ、手に負えんだろうな」

「ディンでも難しいだろうよ。奴の身体能力は……異常だった」

 それに、あのエレメント――のようなもの。俺たちが見たことも、経験したこともないものだった。あれでは、攻撃の予測を立てることができなかった。そう思うと、悔しさと不甲斐なさが同時に湧き出始め、少しだけ歯を食いしばってしまった。

「お前とディンでどうにもならんなら、本格的な軍隊でも出陣させん限り敵わんかねぇ」

 ラグネルはまるで自嘲するかのように、カカカと笑う。たった一人の人間に一個中隊を向かわせなければならないってのに、笑う余裕なんてないだろうに。

「一つ訊くが…………『奴』か?」



 奴――――



 思わず、俺の体が硬直する。いや、それだけではない。心さえも、同じように固まってしまった気がした。

「……いや、違う。ただ、GHではあった」

「GH、か。ふむ……」

 様子がさっきまでと著しく変わってしまった俺のことに気付いているはずなのに、ラグネルはわざとそれに気付かないようにしているのか、自分の顎をさすりながら唸っている。

「時折思うが、GHには特別な能力者がいるよな」

「なんだよそら」

 そう問い返すと、彼は続ける。

「そこらの雑魚共は武器が高性能なだけで、他のテロリストや反政府組織どもとあまり変わりはない。……だが、一部の奴らが異常なまでに突出しているとは思わねぇか?」

「…………」

 先日のエルダにしても、今回の男にしても普通ではない。あまりにも他の奴らとは能力が違う。エルダと手を合わしたことはないが、たぶん今の俺では敵わない。そう思えるほどだった。

 そもそも、GHが俺たちSICだけでなく多くの国家から重大犯罪組織として指定されているのも、数百年間も駆逐することができないのも、そういった奴らのせいだとも言えるのだ。かつて起きたGHとの全面戦争の時も、圧倒的優位と考えられていたのにもかかわらず苦戦を強いられ、甚大な被害を被る羽目になったのも奴らの存在が大きいと言われている。

「資料を読んだが、エレメントを使用できるってのも原因だろう」

「……今回の男もそうだった。けど、俺たちが使ってるエレメントとは違う気がしたぜ?」

「ん? どう違うってんだ?」

 ラグネルは首をかしげて問い返した。しかし、俺も同じように首をかしげてしまった。実は、俺もよくわかっていないのだ。

「どう違うって言われてもな……。なんつーか、属性振動が俺たちの知ってるもんとは別の体系っていうか……」

「振動が違うってんなら、それは『俺たちの知ってるエレメント』じゃねぇってことだろ?」

 彼に指摘され、俺は頭をポリポリとかいてしまった。

「……うーん、そうなっちまうな」

 属性振動――エレメントの振動とも言われ、発生と同時にエレメント特有の振動が起きる。それを認識するにはそれを検証するための機械が必要なのだが、俺たちチルドレンは、微弱ながらもそれを感じることができる。言葉では言い表しにくいのだが、体の内部――心とか、或いはそういった抽象的なものが宿るとされるような場所――に響いてくるのだ。普通の人々には決して体験することのできない、不可思議なものとも言える。

 今回の男が使ってきたエレメントは、俺たちが使っているエレメントのそれとは全く違うものだった。つまり、エレメントと呼ばれているものではないということになる。

「奴らは奴らで、別のエレメント……魔法みたいなもんを開発してるのかもしれん。まぁ、下々にまでそれが使用できるようになっていないのが救いだが」

 そう言いながら、ラグネルは苦笑した。たしかに、一般兵がエレメントを使うようになると、さすがにSICでも太刀打ちできなくなってくるかもしれない。エレメントを使えるのは、俺たちチルドレンやラグネルのような教官クラスの人間だけだし。

「……なぁ、ラグネル」

「ん?」

 再び、彼は髭をさすっている。

「奴らが『元チルドレン』って可能性はあるのか?」

「…………」

 身体能力の高さも、エレメントのようなものを扱えるという点においても、幹部の奴らが元々そういった人間なのではないか――という疑問を抱かざるを得ない。

「うーん……どうなんだろうな」

 彼は唸り始め、頭をガシガシとかき始めた。

「俺もそれを考えたことはあるが、さすがにそこまで調べることができねぇんだよ。チルドレンは学院を卒業したら、そのほとんどが軍の中枢やSICの政府機関に配属されるから、機密情報ってことになるんだ。たかが教官じゃあ、それを閲覧することはできない」

「じゃあ、可能性としては無くはないってことか?」

 そう言うと、彼はこくりとうなずいた。逃亡した奴らか、或いはGHの指導者「導師」の思想に惹かれていったか……。

「とはいえ、そうなるとお前の言ってることが矛盾することになるしな」

「……たしかに」

 元チルドレンなら、俺たちの知らないエレメントを使うことはないはず。改良を加えたとしても、属性振動がまったく違うものにはならないのだ。

「まぁ、あんまり考えないことだ。こればっかりは、奴らを捕まえて直接訊かないとわからねぇし」

 ラグネルは苦笑を交えて言った。彼の言うとおりなのだが…………。

「どうした?」

 俺がいつになく考え込んでいたので、彼は訝しげに俺を見ていた。

「いや……なんかさ……」

 俺はそこまで言って、目を閉じた。

「やっぱりいいや」

「はぁ?」

 小さく笑う俺を見て、彼は肩をがっくり落としている。

「ラグネルの言うとおり、考えても仕方ねぇし」

「……ったく。やっぱし脳みそのどこかやられたんじゃねぇの?」

「失礼な教官だな、おい」

「今さらだろうが」

「…………」

 俺はこれ以上突っ込む気力を失い、苦笑しながらため息を漏らした。ラグネルの言うとおり、直接訊かないとわからない問題だ。

「そんなことより、これから精密検査を受けるぞ」

「は? なんでだよ」

 と、首をかしげる俺を見て彼は、

「おいおい、強制的にシャットアウトしたんだぞ? どっか本当におかしくなってるかもしれねぇだろ」

 俺よりも首をかしげて言った。自分ではどこもおかしいところはないのだが、ラグネルは「俺は一応お前の担当教官だ」とかなんとかってことで、無理やり検査を受けさせることにしやがった。































「…………」

 ゼノが消えた場所を、男は見つめていた。降りしきる雨が、彼の体を濡らし続けている。

「少々、やりすぎだ」

 男の後ろに、別の男――暗い紫色の衣を纏い、あちこちに金色の装飾品が光っている――が立っていた。まるで、この空間が創造された時からそこにいたかのように。

「リンド。何をそんなに焦っている?」

「……焦ってなどいない。奴の能力を直に感じたかっただけさ」

 リンドと呼ばれた仮面の男は、振り返らずにそう言いながら長剣に付いた雨水を切った。

「あのジジイ共、本当に恐れているのか? 廃棄しろとうるさいが」

 リンドは男の方に振り返った。男は自らの顎に手を添え、首をかしげる。

「さぁな」

「……以前も思ったが、あの程度では気にかけるまでもないだろ。所詮、出来損ないでしかない」

「どちらにせよ、二つは要らんということだ」

「……なら、俺がこの場で破壊しても文句はないだろ?」

 露出している唇を歪ませ、笑うリンド。そこには、さっきまで漂わせていた殺気と、覆い隠されていた狂気が浮かんでいた。だが、男はそれに一切臆せず、いつもの双眸で彼を見つめる。

「殺せるのならば、あの時に殺せていた。そうしなかったということは、俺たちにとっても、奴らにとっても必要だということさ」

 肩まである赤い髪を濡らしながら、男は周囲を見渡した。

 ――あまり精神に支障をきたすほどのものでもなかったな。所詮、データはデータでしかない、か。

「懐かしいか?」

 そんな男の姿を、リンドは微笑を浮かべつつ見ていた。

「……そうだな。陰険な趣味だと思うか?」

「そりゃそうだろ。わざわざLEINEを使ってまですることではない。無駄な浪費とは、まさにこのことだ」

 男もまた、彼と同じように笑う。雨の降りしきる廃墟。灰色の一枚絵とも言えるその光景に、彼らの笑顔は似つかわしくなかった。――いや、その奥に潜んでいる心情こそが、この光景に相応しいのかもしれない。

「あらゆる状況に応じたデータが欲しいと言われているんでね。模造品どもでは決して得られない戦闘データと、セフィラへの適応力……順次、段階を踏んで実行しなければならない」

「……俺を実験台にするのは、勘弁してもらいたんだがな」

 リンドがため息交じりに言うと、赤い髪の男は苦笑した。

「許せ。他の奴らでは客観的な対応をすることができん。お前は戦闘スタイルが似ているし、ちょうどよかったのさ」

 そう言いながら、男は灰色の雨雲を見上げた。ほどよい冷たさを持つ雨粒が顔に当たり、その音が懐かしい心地よさを奏でている。彼はそれを感じるたびに、自分たちの深層意識の中には、人類生誕の星への回帰願望が流れているのだと思わざるを得なかった。

「たしかに、あんたじゃ無理だろうな」

 リンドは男から背を向け、歩き始める。

「奴とでは、正常な状態での戦闘など行われない。ジジイ共が危惧する状況を創り出しかねない」

「……そうだな」

 フッと、男は笑った。

 俺にしても奴にしても、本質的なことにおいては変わらない。ヒトがそうであるように、我々もその楔に囚われ続けているにすぎないのだから。

「……残酷なものだ。未だに、我々はそれを希っているのやもしれんな……」

 赤い髪の男はそう呟いた。


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