表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
三十.最高の別れ方
99/158

三十ノ03

「イトウには夢があったんです」

「夢とは?」

「ずっと、バンドマンだけをやっていたかった」

「映画俳優を目指していたわけではなかったのか?」

「立派な映画俳優になるより、冴えないヴィジュアル系バンドのフロントマンがいい。そういうヒトなんです」

「タムラはバンギャだというわけだ」

「それってもう死語かもしれませんよ?」

「だな」

「はい」


 いまいる場所は、小さなハコ。ベースがいてギターがいて、ドラムスがいて、イトウがいる。オリジナルのバラードだという。へたくそだ。まったくもって、話にならない。酔客程度が手を叩いて喜ぶ。いい環境とは言えない。ただ、イトウは楽しそうだ。満足そうにギターを弾きながら、心地良さそうに歌っている。


 安っぽいピンク色の照明のなか、私は壁に背を預け、腕を組み、微笑んでいる。隣にはタムラの姿。彼女は「彼が愛したのは、やっぱりこういう場所だったのかなぁ」と感慨深そうに言った。今夜が最後の現場だろう。聞き及んでいる限りではそうであるはずだ。タムラは涙声一つ漏らさない。むしろ笑顔で、笑顔で笑顔で笑顔で。


 最後の一曲、これまた冴えないナンバーを終え、坊主頭のイトウがやってきた。


「俺がどうしてこの時代に戻ってきたのか、俺がどうして過去を求めたのか、ここ三日くらいのあいだでしかなかったけど、その意味と意義が理解できた。友だちと石けん投げをするためだったんだし、こうしてギターを爪弾くするためだったんだ。俺がなんとなく望んだことが叶った。実現したんだ」


 そんなふうに、イトウは殊勝なことを言った。それから「鏡花さんですね?」と呼びかけてきた。


「タムラから話を聞きました。とても素敵な古本屋さんだなって感じました」

「世辞はいい。つまり、どういうことかを知りたい」

「どういうことですか?」

「おまえはタムラが好きなのか?」


 きょとんとした顔をすると、イトウは穏やかな笑みを浮かべた。


「大好きですよ。できれば、タムラの映画の主人公になりたかったなぁ」


 そう言うと、イトウはタムラの頭のてっぺんを乱暴に撫でて。


「俺はここでオシマイみたいだけど、タムラも、俺の仲間も、これからずっと、生きていくんです。こんなに嬉しいことはないですよ」


 こういう場面においては涙を流すべきだと思うのだが、タムラは笑いもしなければ悲痛な表情も浮かべない。怒っているようでもなければ――むしろ無表情でしかない。


「それじゃあタムラ、鏡花さん、俺の最後を見てもらっていいかな」


 地下――ライブハウスの階段を、ギターを提げたままのイトウが上っていく。タムラが続き、そのあとに私。


 暗がりにある、まるで人気(ひとけ)のない道を駆け、イトウは振り返った。薄い街灯のもと、晴れやかな表情をしている。


 イトウはこちらに向かって、右手で大きくバイバイをした。泣きっ面をしたように見えた。バイバイバイバイと右手を振って、やがてその身体は白い粒子になって飛散した。「美しい最後じゃないか」と呼びかけると、「きれいですよね。ホント、イトウらしくないんだから」と怒ったような返事があった。


 ――後日。

 珍しく近所の銭湯に出向いた折、そこでタムラと出会った。地元では有名な黒湯だ。阿保みたに温度の高い湯でもある。タムラはそこに浸かり、頭にタオルをのせ、真っ赤な顔をしていた。隣に寄せてもらう。私の肌も赤く染まった。


「イトウはとっくに死んでいて、骨もお墓にずっとあったのに、奇跡は起きたんです。あのとき、たしかにイトウはいた。ライブハウスでへたくそに歌っていた。みんな、そう言ってくれています」

「素敵な奇跡だと思うがな」

「鏡花さんには聞こえなかったかもしれませんけれど、粒々になって消える瞬間、イトウは私に言いました」

「なんて言ったんだ?」

「タムラ、おまえを愛している」


 熱い湯のなかで、私は天井を仰いだ。


「そんなふうに言われてしまうと、あとをひきずるな」

「そんなことはありませんよ」

「ほぅ。興味深い回答だ」

「だって、じつは彼の片想いでしかありませんでしたから」

「だったら、どうして泣いているんだ?」

「泣いてなんかいません」

「いいや。泣いている」

「だから、そんなことはありません」


 私は微笑み、タムラもまた、微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ